はてなキーワード: ダブルバインドとは
コイツはそういうのがコンプレックスなんだろうなあと思って不快感を和らげる程度の余裕はある。
チー牛とか弱者男性とかも効かない。
ネットの流行り文句を適宜鳴き声に取り入れるチンパンジーだなと思う。
自分はそこまで気にしてもいないし、おれを知っているはずもない奴がネットの向こうで適当に言ってるだけだから。
「効いてるw」みたいな言い返しても言い返さなくても有効判定されるダブルバインドあるけど、それも効かない。
ゴキブリに付き纏われたような不快感はあっても効いてはいない。
自分を見せようともしないで自分を分かってもらおうとしてる。それで作られた自分に対するイメージに対してほんのりと勝手にイラついてる。
全力出した事ない癖に「天才と秀才」みたいな物語の秀才側に自分を投影してる。
人間関係なんて社会性をまとえばいいだけの事だろ、自分はそれが出来てる。とか思ってるけど、傍から見てあんまり出来てない。やってないんじゃなくて出来てない。
自分は何もやってない割に高みの見物気取って、周りの挑戦の失敗を願ってる。別にそこで勝負してないし、とか思って余裕こいてたら本当に差をつけられたくない部分でも周りに差をつけられてる。
とか言われたら割と効くと思う。
でもまだ本当の本当の本当に「効く」ことはあると思う。囮の弱みを差し出して、敢えて見せた「隙」に飛びつくチンパンジーをあしらって真の弱点は隠す。そういう小賢しい生き方だけどそれなりには楽しい。
ダブルバインドの状況を作って間接的に追い詰めるやり方っていうのは、中高生の部活動内での指導なんかでは下手に叱責したり真面目に欠点を指摘するよりもうってつけなんだよ。
何故なら真正面から指摘を行った事で揉めたり後輩がショックで休んだりすると「部活内いじめ」として問題になる可能性があるし、話が大きくなると進路にも響くおそれがある。でも複数の先輩の指導内容が矛盾していてツラい、なら基本的に問題にすらならないからね。それこそ本文のような「ただ単に本人がセンスがなく活動に付いていけないので辞めました(=部活動内でいじめはありませんでした)」という主張が通用する。
↑の増田の例が問題になるとしたらメンバー同士で「双方向から真逆の指導を行いストレスをかけよう」という具体的な計画を立てていた事が明るみになるパターンだけど、後輩が部内で迷惑がられていて大勢から嫌われていたと書いてあるからそこも全員口裏合わせ済みだったと思うよ。
自分はどんな人にも優しくにこやかに接して、友達のいない人にはあなたが友達になってあげて、人を孤独にしないで、気持ち悪がったり嫌ったり属性を差別してはいけないと小さい頃から教えられてきた。
その結果はどうかというと、幼稚園の頃からクラスにいる障害児のお世話係にさせられ、障害とまではいかないけどヤバい同級生の男に小学校〜大学までストーキングされ(今は私が姿をくらましているが、彼のTwitterには今日も私への思いが綴られている)、近所の誰からも理解を得られない可哀想な女装おじさんには影に連れ込まれそうになったりと散々だった。
さすがに高校卒業する頃には誰にでもにこやかにやさしく接するのは自分の身に危険が及ぶ、まずい、と認識し塩対応を学んだため以降はやばい人間が寄ることはなくなった。
がしかし、親の教育は人間の在り方として間違っているかと言うとそうでは無いとも思う。
子供にはみんな仲良く、人を嫌ったりそういう属性の人だから避けるなどといった差別はいけないよ、と教えるのは正しいだろう。