はてなキーワード: 銃社会とは
洋画だったり洋ゲーの本編やフレーバーテキストで英語のダジャレが出てきたりするが
英語でボケられても一体なにが面白いのかよくわからないがそれは文化の違いとして納得はできる
例えばスタートレックや銃社会に幼児の頃から触れていない文化圏の人間にそれらに関する皮肉やダジャレを秒で解釈する脳の部位は育っていない。
だからそれはしょうがないのだ。ネイティブの人はクスっとしてるんだろう。
日本語版が実装されたりすると本編もフレーバーテキストも当然日本語になる。
ダジャレが出てくる場面を直訳してもそのままではダジャレが成立しなくて日本語のダジャレを無理やりする場合がある。
日本語版になったら少なくとも日本語話者には面白いと感じられるクオリティのものをやってほしいものだが
なぜかとんでもなく面白くないダジャレになっていることが多い。
安楽死の話題になるとすぐ、「そんなに安楽死がしたいならば自殺すればいいのに」という声が湧いてきて
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/blog.tinect.jp/?p=85698
それが如何に的外れな難癖なのか、自分達で言っていて分からないのか?
銃社会ではない日本で実行出来る自殺方法は、失敗する可能性が高いものが多い。
自殺に失敗して後遺症を負い、再挑戦も出来ない状態になったらどうするんだと思うと簡単に実行なんて出来る訳ないだろ。
2.自殺は痛い、苦しい、怖い
安楽死を望む人達は文字通り「安らかに」「楽に」死にたいんだよ。
死ぬ時に痛い思いや苦しい思いはしたくない。当たり前だろ。
苦痛無く楽に死ねる自殺方法が身近に溢れているならば、それは既に安楽死が実現しているのと同じ事じゃないか。
首吊りなどは上記問題点が少ないと聞くが、それでも死体の処理で関係ない人達に迷惑をかけるのは避けられないだろう。
糞尿を垂れ流して部屋は事故物件になる。
仮に上記三点をクリアしたとしても、自殺して救われるのは自分だけでしょう?自分さえ良ければいいというのは利己的な思考。
この社会において今苦しんでいる他の人達のために、安楽死の実現を叫ぶ事の何がおかしいんだ?
それ以外の社会運動に対しては「自分だけ良ければいいだろ?」なんて言わない人達も、安楽死に対してだけは何故か平気でこれを言うのはどうして?筋が通っていないにも程がある。
やっぱり怖いスね銃社会は
銃社会じゃなくてよかったね…
自分の中の怒りのゲージとか堪忍袋とか、言い方は何でもいいんだけど、
あらゆる負の感情を溜め込む容器があるとしたら、自分はこれまで生きてきた数十年分の人生の怒りや屈辱みたいなものを全部その中に溜め込んでいて、満杯ギリギリ表面張力すれすれの状態になってるんだと思う。
目の前の嫌なことをする相手に自分の人生上抱えた怒りの全部をぶつけるのはおかしいと頭ではわかっているんだけど、全てを吐き出してぶつけてしまいたいという気持ちを抑えれそうにない。
自分は信念もなければ失うものもほとんど無いので、積み上げたものを全部ぶち壊しにして、なりゆきに任せて人生破滅してもいいと半ば思っているところがある。
唯一のストッパーは両親が悲しむってこと。
それでようやくいまは抑えている。
だけど抑え続けるのがあまりにも苦しすぎる。
誰にも言える人がいない。
両親も心配させるだけだし、
言うとよけい孤独になって怒りが嵩増しする。
ニュースで常軌を逸した暴力沙汰を見ると、次にやらかすのは自分かもしれないと思う、
銃社会で銃を所持できてたら、衝動的に自分か他人を撃ってると思う。
憎悪に取り憑かれて呪われていると思う。