はてなキーワード: 自己肯定感とは
先日初めて彼女ができた。
20代前半の今まで彼女いない歴=年齢だったからすごく嬉しいんだけど、こういうことに慣れてないからまだうまく関係を深められていない気がする。
というのも付き合いたてとはいえまだ手も繋げていない。
次は手を繋ぐぞーと思っているけど、ちゃんと出来るだろうか。
こんな調子じゃ先は長いなぁと思う。
自分は自己肯定感が昔からめちゃくちゃ低くて、どうしようもない人間だとか思っていた。
人と付き合えば自信ができるかなぁとか付き合っていない頃は思っていたわけだけど、付き合えたら付き合えたで自分にはまだできていないことを考えてしまうので、結局自信がそんなに出てこない。
自己肯定感が低く、自信が持てずに悩む人は少なくないと思う。
私もその1人だ。
しかしあらゆることに肯定感や自信を持っていないわけではなく、自信を持ってできることだってあるにはある。
ここでふと思った。
一生懸命努力するなどして、自己肯定感や自信を持つことができたとする。
自信がなかったことに対して自信を持って行動することができるようになった私を見て、「なんだあいつ自信満々で感じ悪い」みたいなことを言い出す奴が現れたら…?
個人差によるところも大きいだろうが、私だったら別の問題で葛藤しそうである。
自己肯定感なんてつけるのは全く簡単で毎日「俺はえらーい最高!」「今日も概ねよく生きてました!」「なんかいい感じー」って呟いていれば身につくんだよ。
むしろ問題は別のところにあって、この手法で身につかないってのは、このメソッドそのものがダメなわけじゃなくて、その当人の中に「自己肯定をする(しすぎ)はまずい」みたいな、変なストッパーがあるせいだよ。
そのストッパーがあるせいで「よくできたー俺最高!」ってつぶやく(自己催眠)の効果が十全に現れないってのもあるし、もっと手前の問題として「よくできたー俺最高!」って呟く高位そのものをバカバカしく感じたり、くだらなく思えたり、危険に感じたりもする。
おそらくこういう書き込みをすると、「そういう変な自信をつけると足元をすくわれる」とか「暴走してまずいことをしでかしたらどうする?」とか「自己批判は成長に必要だ」とか賢しげなレスがつくと思うんだけど、じゃあ、いい年した成人になったのに何をするにも自信が持てなくて、自責の念で一歩も動けずに、布団の中で芋虫みたいにまるまって、どうしてこの世に生まれてきちゃったんだろう? って泣きながら仕事をするでもなく、かと言って自殺も出来ずに、履歴書の空白だけを延長していくような人生において、そういう「賢いアドバイス」が何をしてくれるかって言えば、「黙ってそこで死ねよ」以上の声ではない。
そもそもその「自信持って生きてはいけない」「謙虚でなければいけない」「天狗になるな」「和を乱すな」みたいなのが、日本の社会による幼少時からの同調教育だ。繊細で真に受けちゃうタイプの人間にとって、現代日本では自己肯定感が欠乏する方が当たり前だよ。
だから、変な罪悪感なんて持たずに、「本日はなかなか良いことしました」「昨日よりましでした!」「ちゃんと手を動かしたぞー」って毎日呟いて生きていいんだよ。天狗になったら大バンザイだ。天狗になっていいんだよ。他人を褒められる天狗ならもっと最高だ。周囲の人間を褒めて生きていけばいいよ。
あと、上記のような理屈なので、他人を否定ばっかする人(そういうコミュニティや社会)からは、距離取ったほうがいいよ。自己肯定感を増やす速度よりも、減少する速度が大きい環境では、当たり前だけど、自己肯定感の増加を観測することは出来ないよ。そういう意味でも、毒親 with 実家暮らしとか脱出すべきだよねー。
自己肯定感がある人は活力を生む反面、自信過剰になって失敗しがちみたいな負の側面があるけど
自分も、育ちがアレで自己肯定感が全くなくて、もう死ぬかもなレベルまで自分に追い詰められていたのだけれど、
ひょんなことから猫を飼ったら、すっかり変わった。
うちの猫ほんと可愛くて、毎日「ごはん全部食べて偉いねー」「トイレちゃんとして偉いねー」「いっぱい寝て偉いねー」「毛繕いいっぱいして偉いねー」って褒めまくっていたら、いつの間にか、自分が自分を追い詰めることをしなくなった。
なんでかはわからないけれど、
「こんな可愛い猫のお世話をしている自分はそれなりに尊い」になったのか、
「自分もごはん食べてトイレして寝て起きてるから偉い」と思うようになったのか、
なんかそんな感じじゃないかと思う。
とにかく、毎日生きることが苦しくなくなって、すごい驚いてる。
日頃、自分の興味のあることに関する課題を発見し、それを解決するためにアプリ(小規模だけど)を開発し公開している。作ったものがたまにバズることがあって、その結果1日の広告収入が1万円を超えたこともあった。しかし、定期的に作ったアプリに対して使った技術要素やコーディング量を見返した時、これぐらいのものはxxさんなら自分より短時間かつ高クオリティで開発できるなと思うことがあるのだ。
興味があることに自分で課題を発見し実際に手を動かしているのですごい!みたいな話を聞いたことがあるが、理解はできても共感ができない。
常にネガティブな感情を抱いているわけでもなく、難しい箇所をうまくコーディングできた時は自分のことを天才だと感じることや、ミドルウェアを含むバックエンドからフロントエンドまで1人で開発できるようになり、昔の自分と比べて成長したと感じることはある。ただ、これらのポジティブな感情は一瞬で終わり、あっという間に上に書いたようなネガティブな感情が自分を支配するようになる。
レッドコーダーやKaggle Masterになるか未踏に採択されるなどのレベルに達すれば、自分を認めることが出来るような気はしているが、あいにくそこまでの能力は持ち合わせていない。
https://anond.hatelabo.jp/20180311003723 を見て書きたくなった
自分の思った通りにはならなかったし、自己肯定感も上がらなかったけど、それでもその身体を褒めてくれる(お世辞・社交辞令含む)人もいたから悪いことばかりじゃない。
自己肯定感は、他者からの「承認欲求」と自分の成功体験からなる「自信」によって生まれる。
まず「承認欲求」を満たせるなら、権利と責任を考慮した上で適切な場所や人を探すといい。そのような人といると肯定的でいられる。同じ意志を持った人と関わるのも良いかも知れない。人を褒めると褒め返してもらえる可能性があがるのでやるといい。ただ、八方美人になると痛い目を見るので信条にあったものを褒める。
もし、自分の生き方に他者からの介入で生きづらいと思うなら、「自信」を高めると良い。もしくは「対話」によって理解を求めることも「自信」に繋がる。
バランスが大事だ。いま偏っていると感じるなら生き方を意識して変えてみると良い。「自信」を高めるには目標に向かうための習慣を身に着けるのがオススメだ。成功したかどうかは自分が決めるので、これをやったので今日は成功に近づいたと思えれる。
伝統指向、内部指向(能力重視)、他者指向(集団重視)の考え方が交わる中で生きる私たちとしては、内部指向と他者指向のバランスを取って生きるのが最前かと思う。環境を考慮しつつ目標達成を目指す的なね。
乳幼児はとにかく自己肯定感を高めることが大事だと児童心理に詳しい伯母が言うので、
うちの幼児に、ママはあなたがすごーく大好きなんだよ、大事な大事な宝物だよって話を初めてした時のことを思い出した
息子「…ぼくだいじ?」
↑ちょっと口に出してうるっとする私
息子「お金みたい?」
私「えっ」
私「えっと…(涙引っ込む)お金も大事だね。でも息子くんはお金よりもーっと大事だよ!」
私「そうだね、息子くんの勝ち」
息子「じゃあ、お金さわってもいい?」
私「えっ」
私「お金どうするの?」
息子「ジュースのやつにいれる」
私「そう…」