はてなキーワード: 楽天的とは
使わなかったらもっとひどいことになるからって使い方を正当化できるの?
「あの使い方は間違っていた」という根拠がないんじゃない。
使わなかったらもっとひどかったってことは、使った方がよりよかったんだろ。何言ってるかわかってる?
あんだけばら撒いて回復しなかったらそれこそおかしい。
おかしい使い方をしてるのが現政権。
効果がわかるのが今年度後半から来年度にかけて。
違うっつーの
エコポイントなりエコカー減税なり高速1000円は即座に効果がある経済対策であって、とっくに効果は現れている。
金融危機以前の水準にはこれから数年かけて戻るよ。
個人はともかく企業の上の方は。
本当にそう考える楽天的な人が多いんだけどね。
ユーロ圏沈降のほうが先じゃないの?
たった数年間じゃ戻らないって。
使ってしまったなんてことはわかってるはずなのに「まだあるんです、まだ隠されてるんです」とウソついて選挙に臨んだのが民主党でしょ。
いまさら「できるわけねー」なんて通るはずがない。
それでも敢えて話すというのならそれは相手はこれを話しても傷つかないだろうという前提があるからであって、
その前提は「うまくいっているカップル」であれば互いの意志の疎通がちゃんととれているのであるから、問題ない。
これは…
楽天的と言うか甘いと言うかちょっとおかしいと思うよ
うまくいってる人間関係が、疎通ミスや前提の食い違いで酷いことになるなんていくらでもあること
ただ、あなたは「具体的な内容を詳しく話す」レベルのみならず、
二行目が根っこのレベルの議論で、
一行目は二行目の行き違いの発展系
段階の話だね
当然とは思ってない
単に「そういう価値観、というか感情を持ってる男はどうも大分一杯居る」ということを指摘してる
(一貫してこれしか言ってないんだからいい加減もう話の要旨の解説からは開放して欲しい)
「当然」がないのと同じ様に、NGの話なんかしていない
そういう運用や社会的コードの前に、そういう感情が存在すること自体否定してどうするの?と思っている
「性の自己決定権を尊重しない」って言うのは相手の行動を強制したり縛ったりすることでしょ
単に相手への感情として
「この人は収入が400万円以下だと聞いて魅力が低下」
「この人は実はこういうとこ気が効かないからかなり嫌になった」
「笑ったら汚い歯があったから一気に好感度が0へ」
というのが、気分の良い話ではないながら許されるように
とずっとこれしか言っていない
交流分析やってみました。うつ傾向になりやすいタイプですと出ました。自分自身は楽天的な人間だと
思っていたので、意外でしたが。そう言われてみれば、昨年、妻との関係に悩み果てて自殺未遂を図っ
たことがあるので、やっぱりあんまり楽天的な人間ではないのかもしれません。
確かに私はよく空気が読めない人間と言われるので、知らず知らずに妻を傷つけているのかもしれませ
んが、それでもそこまで激昂させることも言っていないつもりなんですけどね・・・もう少し言動に気を
つけたいとは思います、再構築するなら。
専門家への相談も考えました。しかし、妻が産後に明らかに精神的におかしかった時に、産後うつじゃ
ないのか?と心配になり、専門家に相談しようか?と言ったところ、人を病人扱いするつもりか!と烈
火のごとく怒られたことがあるので、多分、カウンセリングとかは絶対に受けないと思います。
DVするような人間は子供にも、というコメントがありましたが、確かにその通りです。お尻とか頭を
ですが、怒った時は反射的に叩いているのを何回も見かけました。その後に妻が激しく落ち込み子供
にも謝っている姿を見ると、むげにも攻められず、どうにも出来ない自分の力不足に悩みます。
子供に対して、という意味で少し最近気になっているのですが、妻がよく「○○(子供の名前)はお母さん
のこと嫌いだもんね。」とか「(当て付けがましく)○○は本当にお父さん大好きだね~」とか子供の目の
前で言うことです。本人曰く、私が愛情を注いでいるのに、子どもが応えてくれないという点に不満の
ようなのですが、傍目から見ても十分子供は妻に懐いているのに、何が不満なのか理解できません。
多分、親に虐げられて育ったという被害者妄想(決してそんなことはないと思うのですが)があるので、
常に自分は人に嫌われていると思う癖があるようです。こんなことをしょっちゅう言われている子ども
が不憫であり、精神的な発達に問題が生じないか、実はかなり深刻に心配しています・・・
それらの言い回しが真実なのかも、と思わせる経験を先日してきた。
しかし実感としてはロストバージンというよりも、
捨てたら可哀想だろ!って言われた童貞をミカン箱に入れて川に流した気分。成仏して下さい。
仔細は伏せるけど相手もタイミングも内容についても良かったと思っている。
ただなんだろう。
あれ以後なぜか創作へのドロドログネグネした情熱が湧きづらくなっている。
単なる欝期から来る怠慢かもしれない。もっと不可逆的な変化なのかもしれない。
今のところ、自分にはそこの判断が付かない。
そもそも、あの人といつまでも恋人で居られると思えるほど楽天的にもなれないんだよなあ。
そして次が見つかるという気もしない。なんかこれが生涯で最初で最後の恋愛経験になりそうな気配がしている。
関係が終わりを迎えたら何もかもを無くしてしまっている可能性に思い至り、今ゾーっとしている所。
さあプロットから先に進まないエディタ画面の前で頭を抱える作業に戻ろう……。
(追記)
待ちに待った三連休、なんて書いてみたけど予定なし。10時に目が覚めてベッドの中でなく。
オレンジジュースを一杯飲んで、資格の勉強をしようとテキストを開く。集中して問題を解くことが出来ない。まだ頭が働いてないのかな。
しばらくしてからお昼ご飯を食べる。パスタおいしくできなかった。
外は晴れ、部屋に日が差し込んで家に居ちゃダメだよーって言われてる気がする。洗濯物は溜まってないし、ドラッグストアに行って
途中まで書いたけどもうだめみたい。寂しい。苦しい。
今日のこの気持ちを救ってくれたのはめちゃイケだけ。エガちゃんありがとう。
明日は彼氏とドライブ。本当はなにもしたくない。形だけの彼氏。
お金もない。親にも頼れない。というかいない。
楽天的な時もあった。笑いが止まらないことも、幸せを感じることもあった。
最近はどうしたんだろう。甘ったれてるだけだよね。
明日こそ頑張らなきゃ。
増田に書くのは初めてです。これ本当に匿名で表示されるんだよな・・・と不安になるUIですね。
以下はある夫婦の朝のやり取り(実話)です。私は夫です。いつも良くある夫婦喧嘩なのですが、本気で妻の怒るタイミングとその思考ロジックと対処方法が分かりません。
妻の悪い点はいらないので、私の悪かった点、妻の気持ち、どうすればうまくいきそうかなどアドバイスをもらいたいです。特に既婚女性の意見が聞きたいです。(はてなにはあまりいない気もしますが)
1.朝食中に娘が咳をして喉が痛いと泣き出す(咳は1~2週前から少しだけしている、熱はない)
2.私が病院にいくか?と娘に聞いたら娘は「うん」と言う
3.私が病院に電話する。(残念ながらすでに予約はできなかったのだけれども。)
4.妻が怒って「そんなに喉が痛いんだったら幼稚園休むか?」と娘にきつく言う。
5.私が娘をかばって、病院にいってから決めれば良いと妻に言う
6.俺が病院に連れていくと言う
7.「そうしたらいいよ、どうせあんたは自分のしたいようにしないと納得しないんだから」と妻が怒って言う
8.じゃあどうしたいんだ、と聞くと、「病院にいくくらいなら幼稚園をやすませる、そうでなければ幼稚園にいかせる」と妻が言う
9.娘に聞くと、「幼稚園にいく」というので幼稚園にいかせる事にする
10.着替えなどできる範囲の準備をしたあといつもどおりに出社しようとすると妻が「自分で連れて行くんじゃなかったのか」と怒る
11.「時間がない」と妻が言うので、準備だけしてくれたら俺が幼稚園まで送っていくよというと「ああ、そうしたら優しいお父さんだねって言われていいでしょうよ」と妻が言う
おおよそこんなやり取りでした。ここまで細かく書くと妻が見ると完全に特定できてしまうのですが、まぁ、それはいいことにします。でも、人間の記憶はあいまいなものですね、かなり正確性が失われている気がします。6で私が病院に連れて行く、と言ったのも、妻がなにか喧嘩口調で言ってきたのでそれに対する反応だったのですが、どういう会話をしたのか忘れてしまいました。
ほかにも色々話はしましたが、妻としては「勝手に物事を決めて進めるのが気に食わない」という事を言っていました。3の部分の行動をする前に相談するべきだろうと。でも、同じ食卓についていたのであり、普通に話は聞こえているし、診察券は妻のかばんから出してもらったし、その場で言えば良いわけで私としては「え!そんなことで怒ってたの!」という感じです。
根本的には、このようなことがおきるような夫婦間の人間関係、下地があるから・・・という事だとは思います。ですが、毎日機嫌を損ねないように本気で気をつけていても予期せぬタイミングで怒り出してしまうので本当に悩んでたりします。本気でどこに地雷があるのかわからないんです。日々の生活を普通に送るのがちょっとした恐怖です。
「妻がなぜ怒るのか理解できない夫」に対して何か夫婦関係改善のためのアドバイスなどあればください。
(追記)
色々とコメント、アドバイス等ありがとうございます。普段はあまり反応をもらえない日記、ブログ等を書いているので、反応を沢山もらえて嬉しいです。勉強になります。
より適切なアドバイスがもらえるように、不足していた(かもしれない)情報を付け加えておきます。
「仕事よりも何よりも自分の人生にとって大事なのは家庭、そのなかでも育児というのは人生の中でももっとも大事な仕事」そういう風に思って日々頑張っています(いるつもりです)。でも妻はそういう私を否定します。「自分がなんでもできるとおもってるんじゃないのか、そういうのが傲慢なんだ」「自分がやりたくてやってるならそのことで偉そうな態度をするな」と。
もらったコメントに関してそれぞれ追加で聞きたい事があったり感謝の言葉を述べたりしたいのですが、今は時間がないので、今夜にでも時間があるときにさせてもらおうと思います。
引き続きアドバイスあればお願いします。可能であれば自分の状況(既婚女性であるとか、独身男性であるとか)をコメントに書いてもらえると参考になりうれしいです。
(さらに追記)
「妻に病院に行くことについて相談すべきだった」という意見が多く、私も思い返せば全くその通りだと思います。それに関しては完全に私が悪いと思います。妻にはこの点は非を認めて謝りました。でも、今回の件は分かりやすいのですが、他の件ではもっと微妙なこともありますし、そもそも私がその時にそれに対して思い当れないのです。この点についての改善方法、あるいはそれをしてしまった時の対処方法、アプローチの仕方などについてアドバイスがあればほしいです。
全く悪意なく、思いもつかず、妻にとってひどいことをしてしまうのです。それはたいていの場合私が逆の立場なら全く問題にしないことなのです。今回の件でも「普通にそう言えばいいじゃん?悪気はないんだから、それを指摘してあげればいいじゃん?」と思ってしまうのです。だから気が付けないのだと思います。これはどうしたらいいんでしょうか…。
(もうひとつ追記)
先ほどまで妻と話をしていました。今回の件については私から謝り、妻もちょっと落ち着いて話をしてくれて妻の気持ちをもうちょっと聞くことができました。おおよそ以下のような感じでした。
娘、息子が早く寝てくれて、家事もひと段落ついていたので気持ちに余裕があったから話ができたと言ってました。
数人から指摘をしてもらった「妻に確認せずに病院に行くことに決めて手続きを始めたこと」自体に関してはそれほど怒りを感じなかったそうです。私の経緯の書き方がそういう意見に行きやすいような書き方になっていたのだと思います・・・。
妻の今日の話を聞くと「たしかになるほど」と思いました。私が考えていなかった発想もあります。私の理想としては喧嘩するのではなく、このように思うんだけど・・・ということをお互いに話し合って物事を平和に進めていけたらと思います。「怒らないでそういってもらえたら良いのに」というように今でも思いますが、怒ってくれるだけ幸せなのだと思わないといけないのかな・・・と思います。
妻としては気持ち、直感、感情はあっても、それを言語化することができないことが多々あり、言語レベルでの話では私のいうことの方が説得力があって筋も通っていて、話してもわかってもらえないと思うからそもそも話さないのだそうです。
自分が怒り出したときに無視されるのはしてほしくない悪い対応だそうです。でも、だからといって、怒っているときに「どうして?」「理由を教えて」と聞き出して理解しようとすることも、してほしくない悪い対応だそうです。その間のどこかに適当な対応があるはずですが、それがどういったレベルなのかは自分でもわからないそうです。
このような話を妻と落ち着いてできると、一時解決したように思います。ここまで読むと「解決してよかったですね。」と思う人もいるかもしれません。でも、間違いなくまた同じように喧嘩、あるいは妻が一人で怒ってしまい(自分の何かがいけないのだとは思いますが)、「なぜなんだろう?」と苦悩することになります。これはもう7,8年繰り返されてきました。本気で事前に、あるいは渦中に気づけないのです。
もしもあれば、引き続きアドバイスいただければと・・・。
(さらにもうひとつ追記)
皆さん色々沢山のコメントを頂き本当にありがとうございます。あんまり沢山反応をいただいているので、返事がまったくできておらずすみません。
トラックバックツリーを上から眺めて、いただいた回答や自分がした返信を何度もできるだけ客観的に読み返したり、妻のつもりになって読み直して見たりをくりかえしています。ツリーを見てもらえばわかると思うのですが、返信は上から順番にしています。でも、せっかくいただいたコメントにずっと返信できていないものが多くなってしまったので、ツリーが深くなってしまったところは後に回すこともしようと思います。時間はかかると思いますが全部に返信します。今後の夫婦生活で何度も同じことがあると思うので、そのときに読み返しては反省できるように、今回は徹底的にやろうと思っています。(非常にうざいと感じる方も多いと思いますが、増田ですので、増田くらいでしかこのようなことはできませんので、どうか本気で悩んでるんだな、と思って許してやってください。すいません。)
「アスペルガー症候群ではないか、病院にいったほうが良いのではないか」というアドバイスもいただいておりますが、すでにマルチに対して思い悩んだ時に精神科に一度行っています(人生初)。マルチの問題に焦点を当てて話をしたからということもあるかもしれませんが、「それはもう周りの環境の問題だから、それを取り除かなければ精神科でどうこうできる問題ではない」と言われただけでした。カウンセリングも希望したのですが、「必要ないだろう」ということでした。よくない医者だったのでしょうか?そうではないと思っていますが・・・。ただ、自分自身も「こういった部分はアスペルガー症候群っぽいよな」と思うところは昔からあります。だれでも多かれ少なかれそういった面があるのでは?と思ったりしますが、皆さんそうでもないんでしょうかね・・・。
現在の状況も報告しておきます。幸い一度仲直りしてからは妻を怒らせることなくすごしています。ここ数日はかなり平和です。これは皆さんからいただいたアドバイスのおかげだと感謝しています。本当にありがとうございます。
娘はまだ毎日咳をしています。1日中ずっとではないですが、朝、夜はそれなりに(1分~2分くらい連続で)。嫁はやはり病院にいく必要性を認めていないようなので、私からは言わないように今はしています。「こう思うんだけど、どう思う?」と聞きたいのですが我慢しています。本心では「病院に連れて行って医者に見てもらって、なんでもないならなんでもないと言ってほしい」と思っています。夜娘が寝ているときに咳き込んだりしているのを聞くと心苦しいですが・・・。明日土曜日なので、寝室の掃除をがんばってして、それでも改善なければ、嫁の機嫌がいいときに相談しようと思っています。
嫁はちょっと前から幼稚園のイベントのために手作りの品を作っており、その作成が前から気にかかっていたようなのですが、先日完成し、ほっと一息ついているところのようです。毎日の朝の「おはよう」の声が元気です。機嫌が悪い日は朝起きたら挨拶もまともにしてくれない日もあるので凄く嬉しいです。
(10月19日追記)
また今日の朝も妻を怒らせてしまいました。これだけ毎日夫婦のことについて考えて、関係を改善しようとしているのに、です。想いばかりでまだまだ行動が伴っていません。悔しいですが、またがんばります。仕事から帰ってきたら機嫌が直っていたのが救いです。
先日妻から、「ここまで咳が継続しているから私もこの新型インフルエンザの状況じゃなければ病院に連れて行きたいんだけど・・・」という話がありました。ただ近所のいきつけの小児科が今新型インフルエンザの影響で患者があふれているらしく、素人判断ながら「今はやめておこう」という話になりました。娘の咳はちょっとよくなったようです。気合を入れて掃除したのがよかったのか、以前に比べれば夫婦喧嘩の頻度が少なくなったのがよかったのか。
(2011/04/06追記)
ものすごく久しぶりに更新します。ここの事は妻を怒らせるたびに思い出して自分の未熟さを再認識するために、数か月に一度程度読み返してました。色々トラックバックをいただいた皆様、本当にありがとうございました。きちんとお礼も言わずすいませんでした。おかげさまで家族一緒に山あり谷ありながら楽しく毎日暮らしています。そして、妻のお腹の中には3人目の子供がいます。あいかわらず妻が怒り出すことはよくあるのですが、この日記を書いたときよりも、妻の気持ちがわかるようになっていると思います。
震災があって、原発の問題があって。あまりの惨状にまだ日常生活を取り戻し切れていません。被害に合われた方に心からお見舞い申し上げます。
我が家は原発から200Kmほどのところに住んでいます。一連の流れを読んだ方なら想像に難くないと思いますが、私は放射能の影響をすごく心配しています。本当は妻と子供には親戚のところに疎開してほしいです。一方、嫁は楽天的で意見が合わないです。そしてやっぱり喧嘩にもなりました。妻は「乳児は飲んではいけない」という水道水ですら妊婦の自分ものみ、2歳と5歳の子供にも飲ませ、最悪子供が癌になっても構わないと言います。やはり私はまったく理解できず戸惑う日々です。が、なんとかお互いの許容できる範囲で行動のすり合わせを行っているところです。
まさか自分でも入院するとは思っていなかったので驚いた。しかし、生来そんなに思いつめる方では無かったので、すぐに楽天的に考えることができた。これは、会社を休んでゆっくりできる良い機会であると。
入院中は、一日三回の体温検査と血圧検査を行う以外は、基本的に自由行動であり、気ままに本を読んだり、PSPでゲームしたりした。また久しぶりに朝からワイドショーを見たりして過ごした。たまに友達や同僚、家族が面会に来てくれ、世間話などを行った。こうして、瞬く間に一週間が終わり、とうとう退院した。概ね楽しく、ゆっくりできた一週間だった。まるで大学生に戻ったかのような錯覚に陥った。
そんな中、現実に引き戻す一件の電話が入った。祖父からだった。
「二度と同じ過ちを繰り返すんじゃないぞ」との一言をもらった。この言葉を聞いた瞬間、嫌悪感と共に、吐き気と眩暈に襲われた。
その後も、「気が弱っているから病気になる」「病気という経験から、学ぶように」と色々なアドバイスをいただいた。確かにどれも正しいことなのかもしれない。しかし、愚かな僕は素直に言葉を受け取ることができなかった。
なぜなら、僕が欲しかった言葉はこんな言葉ではなかったからだ。確かに酷い病気ではなかったのかも知れないが、「無事でよかった」という一言が欲しかったのだ。
これは甘えだろうか。もう退院して健康になったにも関らず、まだ僕はねぎらいの言葉を求めていたのだ。確かに祖父は正しい。もう病気からは回復したのだ。今は病気を反省し、自分の行為の何が問題点として摘出できるか、考えるフェーズに入らなければならないのだ。
社会は僕が思っているよりも厳しいところで、病気は過ちとなり、なってはいけないものなのだろうか。そもそも病気は人の意思でコントロールでき、二度と繰り返さないように努力可能なのだろうか。
僕は明日から強い意志で病気にならないように過ごすだろう。だが、病気にならないように強い意志を持つことは、最も病気になる可能性を秘めているのではないか、と思わずにいられないのだ。
来月、実家に帰るのを急に迷いだした。
「では、なぜ祖国に帰らないのか?」
帰ってきたのになんで助けてあげないの?
それと同じだと思う。
3世、4世の代になったらさ、
「夏休みどこ行くの?」
「親の実家に帰ります」
「あ、韓国?」
「いえ、愛知です…」
みたいな話は普通にあってだね。
って聞かれてまともに答えれる?
米国だってWW2戦時中は日系移民を拘束したり,9.11後はアラブ系住民を監視したりしたわけで。日韓関係が悪化したときに本当に日本側につくのかって懸念は完全に同化されるまで消えないと思う。
えっと、それらの行為が正しいと思って書いているのかな?
もしそういうことをされても、なお日本側に付けって言うのだとしたら楽天的過ぎないかね?
不信には不信で応えるしかない。
信じないと思うけど、もし万が一悪化したら、僕らが一番ニュートラルだと思うよ。
両方の意見を見聞きすることが出来るし、上記のような対応をされかねないから、一番困る立場にいるわけだ。
「上海株式指数が年初来、30%上昇し、鉄鋼価格が20%あがり、運輸の移動人口が急増している。政府の景気刺激策は天文学的であり、まもなく景気回復へ」と。
一月の貸し出しは1兆6200万元に達し、資金需要が旺盛なことは確実だが、これは中国の企業が金利安を見越して、一月まで待って集中して借りたからだ(ウォールストリートジャーナル、2月27日付け)。
同様に鉄鋼価格の一時的上昇は、政府のプロジェクトを見込んで投機筋がまた買い占め行為を行ったからで、先週ふたたび6・3%の下落を示した。
上海の株式指数も同様で再下落傾向にあり、回復の兆しはない、と同紙は予測している。
輸出は対米、対EU向けの激減が回復しておらず、上海の工業生産指数は12・7%下げている。
この注意の意味するところは、別に偏見や先入観を無くそうってことじゃない。
ああ、このフレーズ……
やな響き(笑)
ボクの言う注意とは、↑のような敵対、対立を意味しない。
だって、偏見や先入観と対立する概念って、正しい物の見方だろう?
もうね、ボクはね、正しいとか本当とかいう言葉が出た時点で
脊髄反射で拒否反応をおこしてしまうタチなんだ。
だって、頭が悪くない?アメリカは鬼畜、日本は神州。あれが悪くて、こっちは正しい。この構造。
本当の友情。正しい教育。そう、偽善の匂いがするのも、気に食わない理由の一つ。
『目からウロコが出ることと、目にウロコが入ることは、どうやって区別するんだろう』
じゃあ、ボクの言う注意は何を意味しているのか?
そして、複眼的なものの見方
この二つに、尽きるんじゃないかな。多分。
さっきの、偏見や先入観と敵対する考え方は、単眼的思考だよね。
偏見は間違っている!だもんね。視野が狭いって、うまく言ったもんだよね。
また、ボクは相互理解が平和をもたらすという考えも、極めて疑わしいと思ってる。
だって、もし、極論すればだよ?自分のすべてを他人が理解したとして、その人たちはボクを好きになってくれるかしら?
好きにならなくてもいい。憎まずにいられるだろうか?
人間という生き物の、欲望がもうちょっと少なければ、相互理解は平和をもたらすかもしれないけどね…。
知れば知るほど嫌いあう可能性だって、十分ある。
ボクはさっき、↑のフレーズを視野が狭いといった。こういうことを本気で考えてる人がいるなら
そのひとは幸せである。視野が狭いということは理解の及ぶ範囲が狭いということである。
彼は理解の困難さを理解していないがために、相手方をたやすく理解する。
理解の正体は誤解である。自分が理解していると誤解しているひとは、そうでない人より、ずっと楽天的に
相手と向き合うだろう。そのことは、少なくとも楽天的でないよりは、平和共存に近づくのかもしれない。
ただしその平和は、あくまで利害の及ばない範囲での、蜃気楼のようなものなのだが。
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追記
もうね、ボクはね、正しいとか本当とかいう言葉が出た時点で
脊髄反射で拒否反応をおこしてしまうタチなんだ。
しかしボクは、一方が正しく一方が間違っているという論理に、驚くほど浸っている
失敗しているとき、人は自分が失敗していると気付かない。
だから、対話というものは、やはり重要ですねー
緊張すると、しかめっ面になり、傍から見ると嫌われているようにしか見えない。話かけても無視する事も多々(内心、困惑してるだけ)。
話の共通点がある人位しか話せない。話のウマの合わない姉とは、結婚してから話せていない。
所謂、1つの非コミュである。だが、親父は社会的地位を利用して嫁を手に入れている。
基本、厭世家だ。生きていても良い事なんてないと思っている。無駄に自分を謙遜する。自分がどれほどダメ人間かを、他人に語ってしまう。
ややウツ気味なところ。
もうどうにかして、この親w
育ててくれたのは感謝してるけど、こういう性格なのはちょっと恨んでます。
割とスポーツマンという、良い点は似なかったのにね。
楽天的な母に似たかった…
うーん。「何がしたいのか」は自分なりにもある程度理解できてはいるんですけど
「そのために何が問題か」、「何をどのように改良すればOKか」というところはまだどうすればいいかわからない…です。
とりあえず、今日メインの指導教員のところへ相談に行ってきました。
「他の指導教員は修論かけるか不安がっているようだけれど、僕はそんなに心配していない」という返答だったのが唯一の救いだったかな、と。
研究に関する話題で相談できる相手、アドバイスを求められる相手がメインの指導教員しかいない、
自分で「ゴールへ向かって前に進んでいる確証」を持って研究してると(少なくとも今は)思えない、
などのように、色々不利なところがあるけれど…やるしかないんですよね。
がんばれば、きっといつか結果が出るはずだから…。
と自分に言い聞かせながら、今は研究室で論文のサーベイとかやってます。
卒業研究のときは、なんだかんだ言って比較的楽に研究できたはずなのになー…
やっぱり悔しいのは変わらないや。
けど、返答ありがとうございました。
なるほど。
楽天的に考えるためのお答えをいくつか返しておくと
・就活ははったりで意外とのりきれる。その気になれば。「難しい研究内容にとりくんでいるため、現時点ではわかりやすい成果は見えていませんが、将来的には周りの連中なんざ、勝負にならないほど重要な研究をしてますぜ」的な。あとは、研究内容とか、就活にとっては意外とどうでもいいことも多いからね。そんなに気を重くする必要はないと思われ。
・基本的に、「自分に能力がない」と考え始めるのは、負のサイクルに陥って、憂鬱スパイラルなので、考え方をかえるのが無難。研究というのは、研究者の能力だけじゃなくて、研究課題の難易度や、研究している環境、タイミングといった外部要因もかなり絡むので、あなたに能力がないかどうかは切り離して考えたほうがよい。難しい研究内容に取り組むと、どんな人でも時間もかかるし、どうしようもない。そこで、課題を「解ける課題」に設定しなおす能力が研究者としての素質だったりするけれど、まあそれは修士課程なので、そこまで無くても仕方がない。修士課程ぐらいで、課題設定がさっくりすすむような研究をしている人というのは、基本的に、課題設定がしやすい枠組みがすでにできあがっている分野で勝負しているだけなので、別にそこで課題設定ができるのはそんなに偉いことではない。逆に課題設定がしにくい分野で、どう課題設定/研究計画を創るか、ということを考えることのほうが、ある意味ではよっぽど研究とは何か、ということの本質に関わる訓練をしていると言えなくはない。これは就活のときにも、おそらく重要で「すぐに答えが出るような問題に取り組んで、「作業」として研究をするのではなく、どうやってオリジナリティのある課題を、ほとんど何もないところからものにしていくことができるのか、ということに取り組みたいと思ってやってきました。そのことのほうが、よっぽどおもしろいし、よっぽど得難い試行錯誤だと思っています。もちろん、成果がでなければ、ただの若造のたわごとになってしまいますが、どうにかして、難しい分野で成果を出すための方法を模索していきたいと思っています。こうした経験は、研究だけでなく今後の多くの仕事において活かせるだろうとも思っています。」とか言えばよい。
まあ、自分が難しい分野にとりくんでいるのだ、という誇りを持てれば無問題。
それが難しいのであれば、研究課題を変えて、教授の指導してくれそうなテーマとかで無難に変更したら、問題は解決すると思われ。
自分で課題設定するのは大変だからね。修士一年のはじめ数ヶ月なんかで、自分の能力に結論だすのははやすぎる。自分の能力に関しては、もっと楽観的になっていいと思うよ。
楽に生きる3つの方法
http://anond.hatelabo.jp/20081213101605
「知ろうとしない事」「あきらめる事」「持とうとしない事」が楽だと言うが、全くの大間違いだよね。
人生の一番の敵は暇。この3つの方法を実践したら、ひたすら暇すぎて、かえって苦痛。病院の待合室のような人生は御免だ。
むしろ、暇が少ないほど充実しているほうが楽。だって、楽しいことはあっという間に時間が経つ。人生があっという間に過ぎて、「あー、この人生は大変だったけど面白かった」と死んでいきたいものだ。
本当の楽に生きる3つの方法は「小さな知識や成果に喜びを感じること」「いつでも楽天的で前向き」「持つこと&すぐに捨てること」ですな。詳しく書く暇が無いので、この辺でやめておく。
最近ホッテントリのはてブコメ群を見る度に、自分には余裕がないのだろうかと不安になる。
エントリを読んでこれはダメだろう!とかこんなん書いていいのかよ!と自分の感想を持ち、ポチっとはてなバーをクリックしてブコメを見ると、自分が抱いていた怒りや居心地の悪さなどに誰も言及せず、そこそこ和やかな空気が漂っていたりする。
以前はこんなことはなかった。自分の感想は平均的には、ブコメ群と一致していた。今思うと、そこには自分の中の常識感覚ははてなブックマーカーの皆さん(もしくは世の中の皆さん)と一致しているという、そういう安心感があったのかもしれない。
今はない。齟齬がある。なんか焦る。なんか実生活の余裕のなさが、そういう所で表れているような気がする。
まぁ九月なのに未だ就活してない大学四年なんで当たり前なんですけど。ぐああネットやってる場合じゃねぇですよね?
ブクマやトラバをしてくれた皆さん、どうもありがとうございます。まさか自分がホッテントリ入りするとはついぞ思わず……。戸惑いつつも、そこはかとなく夢見ていたホッテントリ入りを果たしたことに、ちょっと感動もしています。
そして数々のはてブコメありがとうございました。自分はエントリに対して意見や感想を出すことはあっても、自分の意見に対して様々な意見をもらうということがネット上ではほぼなかったので、思いも寄らぬ視点からの意見をもらうということがすごく新鮮です。
それで皆さんの意見を受けて色々と考えてみたんですけど、やっぱり空気を読めないことに対する恐怖があったのかもしれません。(と、いうかおまえはそんなこともわからないで書いてたのかとお叱りを受けそうなんですが。)
自分は基本的には楽天的でぼへっとしていて、空気を読まない行動をしてもなんとかなるさ、みたいな性格なのです。例えばブコメで一連の流れの中であえて「でも、これって○○なんじゃね?」と指摘するみたいなことをするとか。でもそれは、場の共通理解としての空気を読んだ上であえて場から一歩外れた行動をとるということであって、前提としては空気が読めているという安心感があったからこそできていたことかもしれません。自分がこのエントリで言いたかったのは、前提としての空気を読みとるということでさえできないくらい余裕がなくなっているのではないか、ということで、そして自分は空気が読めてないという結論に至ることが怖い、ということだったのだと思います。
長文になってわかりにくくなってしまい、というか上記のエントリでは自分の言いたいこともわかってなかったのかとお叱りを受けそうですが、自分のもやもやした感覚をハッキリとした言葉にできたのは皆さんのお陰です。至らない自分に声をかけてくださり、ありがとうございました!そしてこれからはブコメを恐れない人間になります!余裕がなくても容赦呵責ないブコメができるような人間に!YATTA!
というわけで就活を頑張ります。
それでは。繰り返しになりますが、ありがとうございました。
http://anond.hatelabo.jp/20080816045217
を読んで、ふと思い出した話。
ある日、友人Aから、とんでもない話を聞いた。
「BとCが結婚するらしいよ」
A、B、Cは大学時代の友人で、仲がよかったグループのメンバー。基本的にサークルの同期で、彼ら以外にも男女で数人いたりする。全部で10人くらいになるのかな。
文系理系まちまちで、ちなみに僕とAとBは文系。Cは女性なんだけど、珍しく理系だった。
なんで、BとCの結婚がとんでもないかといえば、僕らのグループはつるむようになってすでに10年近く経つというのに、この中ではほとんど色恋の類がなくって、ましてやまして、BとCが付き合ってるなんて、話はついぞ今の今まで聞いたことがなかったからだ。僕とAは結婚してるけど、それぞれグループとは関係ない人間と結婚して、共に奥さんをグループの飲み会とかにも連れてくるような感じ。
「なんだよ、それ。付き合ってるなんて聞いたことも無いよ」
「あー、お前、この2年くらい飲み会とかご無沙汰だったしなあ」
「そうだけどさあ、まあ、BもCも結婚願望はあるけど、全然、出会い無かったってのも知ってるけどさあ、あー、なんか、理由とかあったりするの、できちゃったとか、そーゆー類の」
「全然、そんなこと無くって、いたって普通に1年くらい付き合って、まあ、友人付き合いは10年になるから、お互い知り尽くすくらい知ってるしってところじゃね」
まあ、おめでとうってことか、結婚式楽しみだなとか言ってたら、その当の本人のBが来た。言い忘れてたが、今日は僕とAとBとの男3人飲みだ。
僕がおめでとうって言うとBはちょっと憂鬱そうな顔で話し始めた。
「実はねえ、全然おめでとうっていえないんだよ」
「何それ、まさか反対とかされてんの?」
僕とAが半分笑いながらきくと、
「大当たり。もうねえ、向こうの一家盛大に大反対」
とBは苦笑して応えた。
「えーっ、なんでよ、なんで、そんな付き合いだって長いんだし、別にCだって、一人娘は嫁にやれんなんて反対されるような年齢じゃないでしょ」
僕らは大学の同期なので、もう30を少し過ぎている。
「いやいや、もうねえ、どうしたもんか、相談したいくらいですよ。まずもってね、オレの経歴を見て、大反対ですよ。怪しすぎるんだってさ」
ああ、そういわれれば、確かに怪しい。
Bは実は大学を1年で中退している。その後は、少しフリーターっぽい生活をしつつ、IT系の専門学校に行き、そこから、就職した先の中規模のSIの会社から、上司が独立した時に引っこ抜かれて、ネット関連のベンチャー会社(業種は僕もその分野はよくわからないので、知らない)の開発部門のリーダーになり、さらに今はその会社の営業担当役員になっている。しかも、大学は2浪で入ってる。普通の人から見れば、ちょっと怪しい。ツリ書きにすると空白がやたらとあって、実働時間がやたら濃密なのだ。
さらには、Bの家族が水商売系の自営業(別に変な仕事ではない。普通にそこそこの飲食業だ)というのもちょっとネックになってるようだ。
父親は大手企業の次長クラス。母親は中学校の教師を数年前に中途退職の専業主婦。一人いる兄もかなり良い大学をでて、大手メーカーの営業マンだ。
彼女自身も、大学は現役で合格して、理系なので大学院まで出た後、大手の電機メーカーの開発部門に就職している。何気に彼女の経歴を履歴書という形で見るとものすごく順当だ。
正直、つりあわないと言われても、おかしくない。
娘の彼氏が、若くして役員とはいえ、仕事はネット関連ベンチャー。将来性がどの程度あるのか、よくわからない。ちなみに結婚時点で両方の年収はどっこいどっこい。しかも、その親は自営業。自分たちのような厚生年金ではないので、今の年金崩壊とか言ってる状況で、一番アブナイ状況の人たちかもしれない。
いくら、長年付き合いのある友人からはじまった関係とはいえ、結婚となると色々意味が違う。
僕が親でも、反対しないでもちょっと躊躇する。
ということで、大反対だそうだ。
さらには両親が一人娘を予想以上に(彼女も思ってなかったほどに)溺愛していたこともあり、バイアスさらに倍な状況。ちなみに個人的にはBの外見が、典型的なオタクっぽいのもバイアスをかけている気がしないでもないが、それはまあさておき。
僕とAは、まあ、これは丹念にときほぐすくらいしかないよ、両親の顔合わせの機会を何回か作ってみるのもいいんじゃない、お店に呼んでみるとかさ、とかアドバイスになるのかならんのかわからんことを少し言って、慰めるしかなかった。
で、その2ヵ月後、BとCから結婚式の招待状が届いた。
ああ、なんとかまとまったんだ、おめでとうと思って、Bに電話をすると、Bは苦笑して
「実はほぼ強行着陸。Cがね、ぶちきれて両親の目の前で、仮予約の式場に電話をして正式決定を入れたんだよ。で、オレも何度も何度も、頭を下げて結局、お父さんとお兄さんの了承は得たって形」
「ええっ、じゃあ、お母さんは?」
「お母さんは顔すらだしてくれない。いまだにね。最悪、お母さんは出席しない可能性すらある。お父さんとお兄さんも説得にあたってくれてるんだけどね」
「うわー、大丈夫かよ」
「まあ、がんばるよ」
そういって、電話を切ったBは思ったよりも楽天的だったが、僕は他人事ながら少し不安だった。
父、兄らが熱心に説得に当たったが、結局、母親は実家に帰って、親族を味方につけたらしく、母方の親族は誰一人としてこないという状況の結婚式だった。
まあ、それほど気になるものではなかったにせよ、微妙に背景を知ってると、もやもやする結婚式だった。
で、結局、その後、BとCはどうなったかといえば、色々あって3年ほどで離婚した。理由はよくわからないが、友人とも恋人とも違う家族というフレームになると、色々なストレスが蓄積することになったのだろう。BからもCからも面白くない愚痴を何回か聞いて、まあまあとなだめはしていたものの、最終的には修復できなかった。ちなみに結婚期間中、終始、Cの母親、および、その親族との関係が和解することは無かったらしい。最強の説得材料であろう子供ができなかったのも大きいのかもしれない。
ちなみにCと母は婚姻中も別に仲は悪くなかったらしい。2人で旅行に行ったりもしたらしいし。でも、旦那であるBとは、最後まで一言も口をきかなかったらしい。Cも途中から説得はあきらめたらしい。
Cの親父さんがBの両親の店にたまに飲みに来る程度には良化していたが、当人同士が離婚ではもはや店に行くことはないのだろう。
今は2人とも独身のまま。もういちど結婚する気があるのかどうかは分からないし、Cの母が結婚に賛成していたら、うまくいっていたのかどうかもわからない。
http://anond.hatelabo.jp/20080604003333
長年の友人に告白をした。
結果は「少し時間をください」。考えたこともなかったってことで。
以前、オレもそういう経験があった。
で、付き合ってみたけど、
相手は恋人とまで見てくれなかった。
それはそれでなかなか辛いんだけどな。
告白する瞬間の喉の渇き、言った瞬間に目が合って、最初のしどろもどろな返答。あんなに慌ててるの初めて見たよ。面白かった。あれを見られただけで告白した価値があったかもしれない。
それはねえ。オレも同じ
その気持ちを大切にしていれば、
なんだかいいことがありそうだね。
先日友人と話をする機会があったが、その中で共通の知り合いの女性の話をした。
女性は高校を卒業すると共にお菓子の専門学校に入り、パティシエールとなるも3ヶ月で辞める。その後音楽が本当にやりたいことだったのだと今音大に通っている。その女性について、その時にした会話の意訳がこんな感じ。
「夢を追いかけていると言えば聞こえは良いけど、親のお金を使ってやっている訳だよなあ、重圧で大変そう。」
「自分のお金で好きな事をやるのとは違うものね」
「それでいて夢を追いかけた先にきっちり何か出来るプランがある訳じゃないのに、凄いね」
「え、まあそりゃ何とかなる保障がある訳だから」
「ん?どういうこと」
「だって専業主婦になっちゃえば良い、そうすれば金にならない夢だって追いかけられるじゃない」
「あ、そういうことか」
そう言う概念が私には無かった。そんなん当たり前だろうが常識で考えろぬるま湯が、と言われればそうなんだろうけど、今までそんな当たり前の事が頭に無かった。
なるほどそう言われれば、女性の知り合いの何人かはどこか楽天的に社会に出ているように見えるのだから不思議だ。今まで女性と将来の話をする上で、何度か腑に落ちない会話をした事があったが、なんとなくすっぽりはまった気がする。あれらの余裕は、後ろに道がある人に許された特権なのだなあ。悪い事だなんて思わないが、男への負担は少なくなさそうだ。
女性が皆そうだと言うつもりは勿論ない。何故私が今までそう言う概念が無かったかと言えば、昔から仲の良い女性が男嫌い&仕事好きという人であった為、その人の指向が私に刷り込まれていたからだ。その他の女性も、男嫌いは珍しいものの、人生の失敗があれば結婚してしまえばいいなどと考える女性は知り合いには(見た目上は)そこまで居ないはず。が、結婚を後ろ盾にする女性がいるのも事実なんだという事は良く理解出来た。
ともあれ、その夢を追いかけて年数百万の音大に通う女性とは、別れて正解だったのだなあと思った。
http://anond.hatelabo.jp/20071221183915
うん、思いのたけをぶちまけた後になって思うと、抽象的に提示するしかないのはしかたないのかもって思った。
でも、努力でどうにかなるっていう楽天的な発想は出来そうにない。
ひたすら女の尻を追いかければ、そりゃあ彼女くらい出来るんだろうけど、
そこまでやるのは、今までの自分のキャラに反するし、やりすぎれば男からも女からも蔑まれるし。
それを怖いと思って努力できないのは、「努力が足りない」ってことなのかな?
「やりたいことならやればいいじゃん」ってことなんだろうけど、それってもはや人生観の問題で、他人に言われてどうこうできない問題だと思う。
普段からネチネチ考えてるわけじゃないけど、ネットとかでモテがしたり顔してるのを見るとカチーンってなるよ。
それって仕方なくね? 自分をいじめてた(主観的にだけどね)相手がのうのうとしているのを見て、何も思うなってのが無理ぽ。
http://anond.hatelabo.jp/20071221184615
具体的には出来ないってのは確かにそうだったかもしれない。
だけど、何の知識もなしに、本当にあの心構えだけで問題解けるかって言ったら、解けないわけじゃない。
あれは知識があることを前提とした上での話だから。
じゃあ知識はどこで入れるのって話。
俺のような非モテは、恋愛に関する知識がないどころか、知識をどうやって自分のものにするかという方法論さえ確立されていない状況だよ。
勉強だったら教科書があるし、参考書だってあるし、なにしろ学校だったら先生という大先達がいるんだからそれに聞けばいい。
人間関係や恋愛には教科書がない(恋愛のバイブル、とかいう名目の、スイーツ(笑)な漫画くらいしかない)。
非モテに、先達な知り合いがいようはずもない。
心構えだけでうまくいくようになるだけの知識はどこで入れればいいんだ、っていう。
本来なら、恋愛を経験していく上で知識を入れていくのが筋なんだろうけど、
それはある意味「ヘルプの見方が分かりません」というヘルプのようなものなわけで。
別に、女の子をライオンだと思ってたとえに出したわけじゃないけど。取って食われるなんて思ってないし。
100倍に薄めてみてくれとは言ったけど、さすがにそこまでじゃねーよw
意思疎通くらいは出来る。でも何もないと心理的には対話が難しい。
「女と普通に話す」のが難しい奴がいるって発想、なかったですか。実は俺そうなんですよ。
どうしてもただでさえそうなのに他人だからあがっちゃうし、どういう話題を振れば盛り上がるかなんて分からないし。
で、なりふり構わずやれば、どうせ皆(しかもモテ連中)から蔑まれるんでしょ。
そういう経験あるし。
それくらい乗り越えろってことなんだろうけど、モテ、しかも生まれながらに何の不自由もなくモテになったような奴には言われたくない。
てかまあ、別に俺にアドバイスをくれって言ってるわけじゃなくて、「努力でどうにかなる」ってのならそこまで考えて主張して欲しいってことっす。
元増田ですがね。
うれしいもんですよ。ありがたいことです。
もっと批判がバンバン来るともっと嬉しいんですがね。きっと事情通の頭のいい人たちは「楽天的でいいな庶民は」とか思ってるのかもしれませんやね。それでもいろんな視点やらつっこみがあって。うれしいもんです。少し頭が良くなった気がしますよ。
で、何がいちばん嬉しかったって、はてなの誇る(邪悪な)知性、id:KGV先生に「お前の文はレディオ・ヘッドの0.4%くらいの価値はある」と言ってもらえたことで。ちょっと増田日記を書き続ける励みになりましたよ。ありがたいことです。
この失敗した山形浩生のような文体には3円だな、払えるのは。