はてなキーワード: パティシエールとは
本店販売品、デパート販売品(ブランド名が付いてるが製造は別会社)、アウトレット販売品の3段階がある(もっと多い場合もある)
ちょっと買ってる人からすると、品物を見てそのブランドの中でもどのクラスを持っているか一発で分かるわけだ
当然GODIVAも同様で
専用リーフレットが作られるGODIVAとしての本流ライン(年ごとに出る新製品)
デパートの支店や祭事で売られる、パケだけ変えた中身は定番品のセカンドライン、
そりゃ分かる人にはどのラインだか分かるわけだ
そういう前提も分からない人が、
「GODIVAなんてコンビニでも売ってる」とか言っちゃうのは
ちゃんちゃらおかしいんだよ
しかし、話が難しくなるのは、
GODIVA自身の利益はコンビニブランドとしてはほぼ出ていない
味が分かる人だけに売りたいってのがGODIVAの言いたいことなんだろう
といっても、GODIVAのチョコなんてほとんどが工場生産の輸入品なんだけどな!!
味が分かる君たちは、パティシエールが作った
ハピネスチャージプリキュア!で10周年を迎えたプリキュアシリーズだけど、その後のGo!プリンセスプリキュア、魔法つかいプリキュア!を見ていると、コンセプトをわかりやすくしようとしているのかなって感じがする。
それまでのプリキュアはどちらかといえばテーマ性に沿ったタイトルが付けられる傾向があって、タイトルからプリキュアのモチーフが想像できるようなものではなかった。
でもそれは「プリキュア」という存在自体にオリジナリティがあったから成立していたのかもしれない。
ところが段々「プリキュア」という存在が揺らいできた。良い意味でいえば「拡がり」を持ってしまった。
だから、コンセプトをきっちり絞ることにした、のかもしれない。
ここで10周年以降のタイトルを見てみると、プリンセス、魔法つかいはテーマよりはモチーフと言った方が近いような感じがある。
Go!プリンセスプリキュアのモチーフはお姫様だけど、テーマは夢だった。(まあ「Go!」にテーマに沿った意味が込められているのだけど)
とっつきやすいモチーフをタイトルに付けてコンセプトが明確になるよう心掛けている?
そうなると、次のプリキュアはどういうモチーフになるんだろう、と予想がしやすくなる、というかすごいいろいろ考えたくなる。
女の子があこがれる何かをモチーフにするのなら、なりたい職業ランキングで上位の「パティシエ」「アイドル・歌手」あたりはありそうだなぁ。
「パティシエールプリキュア」……料理は定番かもだけど、未就学児に料理はちょっと難しいかな。
「アイドルプリキュア」は流石に最後の手段って感じがするけど、魔法つかいが来たのならそのうちやってもおかしくはないかな。
「お世話」も女の子には定番だね。生き物とお話して力を借りて変身するプリキュアとか。ナースとか。
セイントテール、ジャンヌ的な「怪盗プリキュア」とかあったら面白そうだけど倫理的にダメそう。
まあいろいろあるよね。
(書いてて「モチーフ」「テーマ」「コンセプト」の意味の違いがよくわからなくなった)
追記:今月のアニメージュ読んだらプリンセスプリキュアで「プリンセス」というわかりやすいモチーフがあったので今回も女の子が好きなわかりやすいモチーフをってことで魔法つかいにした、というようなことが書いてあった。
凄いプライドを感じる。
中身は同じなのに砂糖のことをわざわざ「グラニュー糖」だなんて
普通書かないし、ややこしい。
例えば、「プリン」作りますってレシピの時に、「簡単レシピ」と銘打ってる場合はどうだろう。
それをグラニュー糖に代えるとどうだろう。
カラメルソースの作り方はグラニュー糖に水を加えたものを熱したフライパンの上で絡めて湯を一滴入れると出来上がるという簡単レシピ。
何故ならグラニュー糖が用意できないためだ。
どういうわけか、このレシピブログを書いてる自称プロの方はわざわざ分けて書いてる事が多いので
逆に、砂糖では何故駄目なのかという事を書いてる所が少ない。
実際の所、砂糖とグラニュー糖の違いについて分かってる自称プロってそんなにいないんじゃないかと思う。
そもそもグラニュー糖って何?という所まで理解してる人達がいるとは考えにくい。
一つ考えられるとすれば、単に名前の響きとか格好良さで選んでるのではないか。
グラニュー糖と如何にもスイーツらしい名前を記載する事で、自称パティシエ(女性ならパティシエール)になった気分に浸りたい願望があって、
それが満足感に繋がる、要は自己満足したいだけのためにグラニュー糖が選ばれているのではないか?
これからも頑張って欲しい。
先日友人と話をする機会があったが、その中で共通の知り合いの女性の話をした。
女性は高校を卒業すると共にお菓子の専門学校に入り、パティシエールとなるも3ヶ月で辞める。その後音楽が本当にやりたいことだったのだと今音大に通っている。その女性について、その時にした会話の意訳がこんな感じ。
「夢を追いかけていると言えば聞こえは良いけど、親のお金を使ってやっている訳だよなあ、重圧で大変そう。」
「自分のお金で好きな事をやるのとは違うものね」
「それでいて夢を追いかけた先にきっちり何か出来るプランがある訳じゃないのに、凄いね」
「え、まあそりゃ何とかなる保障がある訳だから」
「ん?どういうこと」
「だって専業主婦になっちゃえば良い、そうすれば金にならない夢だって追いかけられるじゃない」
「あ、そういうことか」
そう言う概念が私には無かった。そんなん当たり前だろうが常識で考えろぬるま湯が、と言われればそうなんだろうけど、今までそんな当たり前の事が頭に無かった。
なるほどそう言われれば、女性の知り合いの何人かはどこか楽天的に社会に出ているように見えるのだから不思議だ。今まで女性と将来の話をする上で、何度か腑に落ちない会話をした事があったが、なんとなくすっぽりはまった気がする。あれらの余裕は、後ろに道がある人に許された特権なのだなあ。悪い事だなんて思わないが、男への負担は少なくなさそうだ。
女性が皆そうだと言うつもりは勿論ない。何故私が今までそう言う概念が無かったかと言えば、昔から仲の良い女性が男嫌い&仕事好きという人であった為、その人の指向が私に刷り込まれていたからだ。その他の女性も、男嫌いは珍しいものの、人生の失敗があれば結婚してしまえばいいなどと考える女性は知り合いには(見た目上は)そこまで居ないはず。が、結婚を後ろ盾にする女性がいるのも事実なんだという事は良く理解出来た。
ともあれ、その夢を追いかけて年数百万の音大に通う女性とは、別れて正解だったのだなあと思った。