はてなキーワード: ゴキブリとは
まだそんなに長く生きてないけど人生の3分の1くらい悩んで付きまとってくる問題
私は元々ツイッターのアカウントは一つだった ファンアートを描いたり日々の事柄を垂れ流したりしていた
美大を受験するにあたって身の回りに絵を描く友達が小中高の時以上にドワッと増えた。でも絵を描くからといって皆オタクなわけじゃないので、しばらくツイッターの存在は隠して友達との会話は日々の課題についてやら人間関係についてが主だった。
近年若者の友達づくりはSNSが結構大きな役割になってるような気がする 。ツイッターで気になってたんだ〜みたいな話はよく聞く snsをやってた方が絶対に友達は増える
それは置いといて、仲良くなると、プライベートな部分にもお互いに足を踏み入れると思う その友達はオタクではなかったけれどツイッターを教えて2人だけでふぁぼをしあったりしていた。その友達経由で周りの友達からもどんどんフォローされるようになった。
でもイラストを描くのはやめれなかったので別のアカウントを作った。その垢でハマったゲームのキャラやオリジナルやらをちょぼちょぼ描いていた。しかしなんでかそれも段々と知り合いにフォローされるようになり(どういう経緯だったか忘れた)
イラストは描くけど、女の子が微笑んでいる感じの、親に見せてもちょっと恥ずかしいくらいのイラストを載せるアカウントになった
大学生になってしばらくして制作への鬱憤みたいなのが謎に爆発して爆爆ドエロBLがどうしても描きたくなってしまい新しくアカウントを作った
・この世は美しい…みたいなのをコンセプトにしているイラスト描き
人格は2人でも描いている人間は1人なのでどうしても絵柄や色の癖等でバレたりする。でも、このバレは大体同じ穴の狢であることが主なので、バレた瞬間は割とショックだけどこれについてはしょうがない
同じインターネットの星の仲間
頑張って現代社会で生き抜こうね
オナムナ(同じ穴の狢)達は配慮のある人が多く、アカウントを見つけたとしてもソッと見なかった事にしてくれたり無闇矢鱈に言いふらしたりしない多分 そう信じたいだけかも 言うとしてもまたオナムナに言うくらいだと思う(自分がされて嫌なことは人にしてはいけないって幼稚園で習ったから…)
私の経験上、腐女子忍者は現実の話をしても雲のようにフワフワと掴み所のない話をする人が多いのとリア垢の更新頻度が4日か5日感覚(これは本垢の更新に重きを置いているためリア垢が疎かになってしまう)で微妙にインターネットで生き抜いてきた匂いの漂う語彙のツィートをする…気がする…
同人活動してて思うのは生きてる時間、思考をかなり費やしてしまう。生活の大半がオタクなので日々の話のネタもオタクオタクオタクになってしまい、普通の会話をしようとするとゴキブリが出たとかセブンの親子丼がうまいとか部屋に羽アリが湧いて最悪とか虫コナーズはすごいとかなんかそういう…そういう話しかできない…
オタク話だったら限界原稿女だから描き文字のドキ…を間違えてゴキ…って描いちゃって1人で笑っちゃったよみたいな話ができるんだけどな
最近は大学の友達と会うと虫の話か進路の話しかできなくて困った
もっと面白い話のネタたくさんあるのに!聞いて!同人の印刷代がやばすぎてサラ金に手を出そうとしたら審査普通に落ちてワロタとか言いてえ
とまあオタクとリアルの距離が、美大系は近いためバレの確率が高くBLにさして興味の無いひともオタクアカウントを見つけてしまう確率が高いというぼやきでした
他の人はどうしているんだろう
私の場合はセキュリティがガバガバなのと、自分の快楽優先で描きたいものを描いてるため2つの人格の絵が全く別物の作品に切り離せないところです なるべく別物になるように意識はしてる
生きていることは恥ずかしいなあ
ゴキブリでも居るんじゃね?
タイトルまんまだがホウキ、チリトリ、ゴミ挟みは買え しっかりしたもの揃えても千円ちょい、安くていいなら100均で全部買えるから
引っ越し当日にあるようにしろとは言わんが住み始めて1週間以内ぐらいにあればベスト
お前がゴキブリ、デカイ蜘蛛、カナブン、なんだか分からないグチャッとした謎のゴミ、その他諸々をティッシュでつまみ上げる事が出来る人ならば必要ない
出来ないというのであればホウキチリトリゴミ挟みをなるべく早く買うんだ
部屋の中にゴキブリ出て退治した後に途方にくれたり、台風や風の強い日にベランダに飛んできたデカイ虫の死骸や謎のゴミの処理に必要だ
うちは高層マンションだから必要ありませんなどと言わずに用意しておくと便利
お前はゴキブリを倒した後に触ることができず一晩死んだゴキブリと過ごしたり、ベランダに出現した謎のゴミの塊の処理に困る羽目になるなよ
また、家族に言われて仕方なく「なか卯」に行ったら、ゴキブリよりN国より大嫌いな「ラップ・ヒップポップ」が掛かってた
以前、「なか卯のラップ・ヒップポップが大嫌い。昭和な音楽脳が受け付けない」と投稿したら、
「昭和でも、●●のようなラップ・ヒップポップがある。こいつは嘘つきだ」的な投稿が、はてなとツイッターでなされて、悔しい思いをした。
人間の脳には、「カクテルパーティー効果」というのがあるが、恐らく「逆カクテルパーティー効果」というのも、あるんじゃないか?
昭和時代は、ラップ・ヒップポップは、100曲の中で1曲程度だった。
そういう世界だと、自分のように「ラップ・ヒップポップが、ゴキブリより大嫌い」という人間は、脳が自動的にラップ音楽を排除して、「存在そのものを覚知しなくなる」
が、令和のように、「BGMの3曲に1曲がラップ」になると、逆カクテルパーティー効果も限界突破してしまって、強烈な不快感になる
一方でラップが「好きな」人(自分からすれば、同じ人類とは思えないが)は、「正の、カクテルパーティー効果」が働いてるから、「昭和な時代から、ラップってあるじゃん」となるんだろうな、、