ウ~ン、好きな人は好きなんかな。ワイはマックに移動してマイクロソフト製品といったらオフィスとアズレしか使ってないなあ。... めちゃくちゃお世話になっってんんなー。
なんとなく中高一貫・全寮制・男子校の新設校ってことで愛知県の海陽を思い出させた。あちらは私立(というか事実上の企業立)で、そもそも全国志向(東海地方は公立王国(愛知は旭丘・岡崎が神で、東海だけ対抗。近隣県は東海に相当する私立もない)で、受験生にもあまり相手にされていない感)で進学実績はそこそこあがっているようなので、その点は異なるが。正直このカテゴリの中学・高校に全く良い印象がない。
生きづらい系創作物に自己を重ねるのはやめなさい。あれはエンタメなんです。商業製品なんです。"読ませてしまう"魅力がある。人に伝える技術がある。たくさんの人に愛されている。その時点でもう自分と違うのだ。本当に無価値な自分と同じであると錯覚するな。
私はサブカルチャーが大好きだった。ありがちな話で、発達障害を持っており、人の輪に馴染めず学校では友達もできず孤独に耐えていた。その現実と同期してガロ系の漫画が好きで、特に、生きづらい人間ここに極まれりみたいな山田花子という作家がいるのだが、その人の作品を見て"これは私だ"と耽溺した。
現実世界があまりに空虚だと、エンタメとして割り切って消費することができないくらい作品の世界観に没入してしまう。そして傲慢なことに作者に共感して漫画家や作曲家の人となりにすら「自分の気持ちを言語化してくれた!自分と同じなんだ!」と同一視してしまった。
一介の消費者はただの消費者にすぎない。同一視するのはおこがましい。しかし、普通のエンタメならわかっているはずのことがこれが苦しみの最中にあるとバグってしまう。ただの苦しんでいるだけの凡夫が、クリエイター妄想に取り憑かれてしまった。自分がこんなに苦しいのは、感性が普通の人と異なるのは、実はクリエイティブな才能なんだと。そして、曲や漫画を作ろうとした。
作ろうとして初めて、あれらは感性の世界のものではなく、現実的な技術によって作られたものだと知った。普段脳内世界で目まぐるしく動く妄想の漫画ストーリーやメロディーと、あれらは全くの別物であった。まずリズムを打ち込もうとしてもカッコいいドラムのパターンも知らない。漫画を描こうとしてもデフォルメの体ですら見本がないとどういう構造なのかわからなかった。
そして、より根本的に、どれだけ下手でも自分のものを作りたい!と思えるほど作ることに楽しみがなかった。人様の作った出来のいい作品を読むだけでもう十分満足していたのだ。愚かな私は、そこでようやく、自分はただの変な感性を持っただけの凡夫でクリエイターなどという価値のあるものではないと知った。
現実逃避の深みにハマっていくと、どんどんと現実と妄想が曖昧になっていく。登場人物と自分を重ねて今は苦しくても将来は成功するぞー、という妄想。ありのままでいいんだ。孤独や怠惰ですら物語世界では肯定されている。自分は特別な感性と才能を持った人間で、目の前の人に無理に自分を作って話しかけなくてもいいし、つまらない社会の歯車になるためにやりたくないことをコツコツ勉強とかもしなくていい。と。
そして、また現実が上手くいかなくなり、どんどん物語にのめり込む負のループにハマっていく。体も動かしてないのにダイエット本を読み漁ったって痩せるわけないんだよ。それが分からなくなる。
書いていて本当に自己嫌悪だ。
ようするに、感性だけ変でなんの才能もない人間は、自己が自己であることへの執着をやめ、感性を大衆寄りに矯正して社会適合への努力をするべきなのだ。
彼女自身はそういうの吸わないし、吸ってたら止めればいいから楽なんだけど、
前提条件が違いすぎるだろ
ふーん。サンクス!Springフレームワークって好きになれなかったけど、我が国でも使っている人がいるみたいでよかったよ。JSP ゴリゴリという世界だと思ってたし。
ガチ向けの機能は素人さんにはいらんからプロで大規模できついのやってないとわからんと思う
ちょろっと作るならLaravelとかのが多分はるかに楽だよ
そのためのもんだし
実を言うと地球はもうだめです。突然こんなこと言ってごめんね。
それが終わりの合図です。程なく大きめの地震が来るので気をつけて。
それがやんだら、少しだけ間をおいて終わりがきます。
当たり前のように、悲しい終わり方です。