今まで、一度もセクハラに対して本気で感情を高騰させることはなかった。
比較的セクハラ発言を受けやすいのか、それはもう色んな事聞き流し、聞き入れてきた。
下ネタ振られても、距離が近くても、際どいお触りがあろうとも、お誘いがロコツでも、
経験値と場の雰囲気読みで、時には怒り、笑い、たしなめ、冗談も交え、ガチ切れしたりでやり過ごしてきた。
なのに、40過ぎて人生で初めてセクハラを気持ち悪いと思った。
「可愛いですね。」
この一言が、今までの人生で受けてきた数々のセクハラより、何より気持ち悪いと思った。
発言主の事は嫌いではないし、気持ち悪いと思った事もなく、変な人でもない、嫌悪感もない、イイ人だ。
セクハラとは受ける側が決める事。
本当、これに尽きる。
それもあるのでzaimにはレシートを極力保存するようにしてます
意外な効果として、先週買った食材を確認するために利用できるってのがありますかね
というかノートにセロテープで貼り付けてるからなのか、劣化があまりない
スマホ決済だとレシートいらずなんだけど、これだと連携もできなければ探す手間のほうが多いので結局は物理的なレシートがよいという結論に達しました
かるさりかんに
物理で溜まることが「効く」人なんだと思うわ
暴力がよくないとされているのは、暴力にある圧倒的な加害性のためだろうが
では加害性のない、あるいはごく微量である、または加害性よりも有用性が上回る暴力などについても裁くべきなのか?
強者が弱者を虐げる、心身を著しく傷つける場合でない暴力はどうなのか?
例の件に関して言えば彼らはパワーバランス的には平等であり、身体的損傷はほとんどなく、精神を傷つける類いのものでもない。むしろ平手一発食らったほうが一方的に差別者として謗られるよりもマシな結果になっているのではないか?
それでも暴力はいけないと言い続けることに意義があるのはわかる。
そういう言い訳を盾にして馬鹿をやるやつは絶対いるし、馬鹿には暴力はとにかく悪いものなんだと教えたほうが早い。絶対的に良い暴力なんてものはない。口が回るやつは口で言え。
でも個別事例として考えた場合、たとえば背景とかは無視して例のあの場面だけを見た場合でも暴力は駄目だと思う人は何を駄目だと考えるのか教えてほしい。
それまでは完全に「いくらでていくら残ってるか」程度をざっくり管理していたから、かなーり悲惨だった
スマホで使える家計簿としては国内で2番目くらいに使われているらしい
一番のアプリはどちらかというと資産形成を軸にしているからあまり自分の肌には合わなかった
いまは家族も増えて自分だけのお金じゃないけど、ほぼ自分だけで管理している状態
この3年間でやってきたことはだいたいこんな感じ
レシートのノートは10冊近くになってるしだいぶ続いている方だと思う
家族が増えて自分だけのお金ではなくなったことも大きいし、自分のマインドとして節約志向というわけではないから
とりあえず記録して家計の弱点を探っていたら3年経っていた
その間に自動車保険は見直したし、携帯も大手キャリアからahamoとかに乗り換えたし、積立NISAはじめたし、実家を頼って米などを貰うようにした
それでも引っ越しをしたり家電を買ったりが続いて、あまり節約になっていない
課題が多い
おっちゃんねるへ行け