これはきれいごとかも知れないが、
今のあなたの状況を心配して、なんとか今の状況からうまくいってほしいと願っている人がここに複数人いる、ということを信じてほしい。
Are you unko?
やっぱサザエは平成の内に放送終了した方がいい。いや、すべきだ!
夜食べると太るのだ。でも、カロリー至上主義の人は、一日の総カロリー量が一定であればいつ食べようが変わらないと言う。様々な解説サイトはあるけれど、なるべく専門用語を用いず簡単に『なぜ夜食べると太るのか』を説明したいと思う。
まずはここが重要。脂肪がつくと太って見えるわけだけど、その脂肪を貯めるのか分解するのかは肝臓にかかっている。
当たり前だけど脳が決める。脳は糖を栄養とする。
血液中に糖があったら脳は安心して余っている糖を脂肪に変えるように肝臓に命令する。
血液中に糖がなければ脳は心配して足りてない糖を脂肪や筋肉から分解してでも作るのだと肝臓に命令する。
血糖値。血液中の糖の量。糖質を取ると血糖値が上がる。 血糖値は満腹だと高く飢餓だと低い 。
寝る直前の状態が目覚めるまで続く。
なので、
寝る直前に満腹だと寝ている間の肝臓への命令が『脂肪を貯蔵せよ』となる。
寝る直前に空腹だと寝ている間の肝臓への命令が『脂肪を分解せよ』となる。
以上から、夜食べると大抵の場合は脂肪貯蔵モードが朝まで続くので太ってしまう、ということが分かってもらえたと思う。正確に言えば夜食べると太るというよりも、『寝る時点での脳の命令が脂肪を貯蔵するかどうか』というところに注目してほしい。
そういうわけで、糖質制限してると脳が『栄養足りないから分解しなきゃ』ってずっとなってて筋肉と脂肪が分解され続けるので痩せる。糖質制限するとすぐリバウンドすると言われるのは脂肪と一緒に筋肉が分解されて代謝が落ちるせいだな。
あと、脂肪の分解云々の前にアルコール飲んでると肝臓は最優先でアルコールを分解するから、アルコール大量に摂るといつまでたっても脂肪の分解に入らない。だからビール腹になるわけだな。だから、糖質ゼロwwwとか言いながらストロングゼロを飲みまくるのは結局太るからな。
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刃牙といえば国民的漫画といっていいほど知られてると思うが、今読むとこの漫画はかなりやばい。
死刑囚はみんな武器もって口から手榴弾とかだすし空手家は手刀でピアノ線切るし、仕事と暴力の解消が不可分になっている。
これがある種の世代のメンタリティになってると思う。公園いればそれが免罪符になって本部以蔵が強くもいいだろうと。
というか、前シリーズにおける強キャラがカマセ的な扱いになっていて、仕事のストレスは草や木(愚地独歩です・・・なんだァ?てめェ・・・)で発散、みたいな構図になっている。
刃牙は漫画だけど、でもこれってある種の現実を反映していると思うんだよね。最強の受刑者であれば、刑務所をどう出入りしていいと思っている人って、いるでしょう?
今だって力士や中国拳法に手を出したり、武蔵をイタコで復活させ対戦相手にしたりといった話はいくらでもあるのね。で、昭和はもっとやばかったんだよね。
昭和の日本ってやばい国だったんだよね。地上最強の男がセクハラして愛人作って、それでジャック・ハンマで、アメリカ大統領が宣誓だぜ、ってとんでもないアナーキーな国だったんだよね。
『ストリートファイター ザ・ムービー』って映画があったけど、かつての日本って国全体があの映画みたいな状態だったわけだよね。
刃牙って今後はそういう風に読まれるようになると思うよ。経済成長していたころの日本がいかに無秩序だったか、って。極東のアジアに、とんでもない国があったんだよね。
ゼクシィの車内広告のコピーに、「結婚するとか、しないとか、それよりもただ、愛してる。」とあったがどういう意味だろうか。
オレンジレンジのヒット曲「花」(2004年)の歌詞では、「愛しあって ケンカして」と愛とケンカが同列に扱われていたが、この場合、愛するとはセックスをするという意味だと推測される。
それもあるんだけど
今の生産性っていうのは言葉を変えてるだけで1人あたりのGDPとほぼ同義
一文でいうと自分の価値観と世間一般の価値観の線引きって難しいなあって話。
いつも企業のプロモーションの女性に対する姿勢に関して敏感なひとたちを中心に燃えている感じ。お正月のパイ投げポスターというほどではないけど、これから燃え広がっていくのかも。
こういう炎上って、燃える前に何とかならんのかと毎回見ていて思っていた。そういう炎上をするときは、大抵「そりゃ燃えるよこんな価値観」と思うことが多かったから。
でも、「そりゃ燃えるよこんな価値観」と思うことに対して、私はその理由を「何となく」以外にうまく説明できないんだよね。何となく意味なくパイ投げされている女性を見るのは嫌。何となく25歳以上の女性を「女の子って呼べないでしょ」と罵るのは嫌。何となく「女ってこういうドロドロした友情なんでしょ」って言われるのは嫌。
例が極端で申し訳ないけど、「人を殺すこと」だって究極「何となくだめだ」と思うことが大事だからだ。殺したいほど憎む理由があっても、この社会の中で「何となく」だめだから人は思いとどまることができる。それが倫理だと思う。
でもこの「何となく嫌」が、企業のプロモーションと私とで、いまの社会ではどうしても合致しない。相変わらず女子大生はおじさんの性的対象だし、20代後半女性は女子として振る舞うと「イタい」とされる。果ては「女とか関係なくわたしはわたし」を要求される。そんな価値観の広告が溢れかえっている。
で、それを「嫌」と思うひとたちは声を上げる。当然のことながら、そういうひとたちは大抵怒っている。怒る声は大きい。そして嫌という声は受け入れられたり、押し退けられたりする。
でも、それが世間一般の「何となく嫌」になるかっていうと、それは残念ながら違う。
だってそういう広告は消えない。あんなに燃えたと思ってたけど、今回のロフトバレンタインは起きたから。「何となく」嫌とと思うひとたちがいなかったからゴーサインが出たわけだし。
当たり前だけど、「私」が嫌、と思うことは「世間一般」の嫌ではない。そう思いがちだけどね。そして逆もしかりになる可能性もあるわけで。