2019-02-02

何となくが共有されない

一文でいうと自分価値観世間一般価値観の線引きって難しいなあって話。

ロフトバレンタインがそこそこに燃えている。

いつも企業プロモーション女性に対する姿勢に関して敏感なひとたちを中心に燃えている感じ。お正月パイ投げポスターというほどではないけど、これから燃え広がっていくのかも。

こういう炎上って、燃える前に何とかならんのかと毎回見ていて思っていた。そういう炎上をするときは、大抵「そりゃ燃えるよこんな価値観」と思うことが多かったから。

でも、「そりゃ燃えるよこんな価値観」と思うことに対して、私はその理由を「何となく」以外にうまく説明できないんだよね。何となく意味なくパイ投げされている女性を見るのは嫌。何となく25歳以上の女性を「女の子って呼べないでしょ」と罵るのは嫌。何となく「女ってこういうドロドロした友情なんでしょ」って言われるのは嫌。

その「何となく」が大事だということはわかる。

例が極端で申し訳ないけど、「人を殺すこと」だって究極「何となくだめだ」と思うことが大事からだ。殺したいほど憎む理由があっても、この社会の中で「何となく」だめだから人は思いとどまることができる。それが倫理だと思う。

でもこの「何となく嫌」が、企業プロモーションと私とで、いまの社会ではどうしても合致しない。相変わらず女子大生はおじさんの性的対象だし、20代後半女性女子として振る舞うと「イタい」とされる。果ては「女とか関係なくわたしわたし」を要求される。そんな価値観広告が溢れかえっている。

で、それを「嫌」と思うひとたちは声を上げる。当然のことながら、そういうひとたちは大抵怒っている。怒る声は大きい。そして嫌という声は受け入れられたり、押し退けられたりする。

でも、それが世間一般の「何となく嫌」になるかっていうと、それは残念ながら違う。

だってそういう広告は消えない。あんなに燃えたと思ってたけど、今回のロフトバレンタインは起きたから。「何となく」嫌とと思うひとたちがいなかったからゴーサインが出たわけだし。

当たり前だけど、「私」が嫌、と思うことは「世間一般」の嫌ではない。そう思いがちだけどね。そして逆もしかりになる可能性もあるわけで。

難しいなあと思った。結局何がいいたいか分からんくてごめん

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