言葉を持つことは、言葉の力によって「社会」を縛りつけること。言葉が法律を作り、経済活動を強い、技術を発達させて身動きのとれない世界を作る。そう、猫は言葉を持たないから、自由なのである。
描いてツイッターでアップしてRTやらいいねやら貰えるんだけど何だか物足りない
数値の問題なのかすら不明 だって基準がないからその人が思うように思うしかないんだもの
フォロー0の無交流にしてはほどほどの数字を貰えているんじゃないかとは思う 自信はない
そこでこれは一体どういうことなのかと考えていた
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理由①ガス欠
キャラが大勢いるジャンルでマイナーキャラ推しなので定期的に描いてるのは自分だけ
確実にツボを突いた自分の作品は最高なわけだが独り善がりになってきている気がして辛くなってきた
オレの心がお前の推しはそんなこと言わないと叫ぶ
はじめは萌えブーストがあって周りが見えてなくて気にならなかったんだけど
私にとって同人活動は 自分で描いて 人の描いたものを見る の2つで成り立っている
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理由②とにかく交流下手でぼっち(ただしわりと自分の意思でやってる)
RTやいいねの数値は(私的に)悪くないがいかんせんに生身の人間と関わりがない
だからなんというか虚しさの残りかすがすごい溜まってる
それでも人に話しかける気はない コミュ障のサラブレッドゴミヒューマンとは私のことだ
マイナーキャラも自分一人が好きでいればいい というタチなのでダイレクトに布教する気もない
というか絵文字いっぱい並べてワーキャー言っているの怖い
キャラの話をしているかと思えば原作からかけ離れた僕の考えた最強に萌えるホモの話してて超怖い
お前が推してるそのキャラは偏食でオムライスなんて食わんぞと言いたい お前には何が見えているんだと
でもそんな意味不明な周りが楽しそうにしてると猛烈に寂しくなる
同じアホなら踊りたいけどもう一人の私(原作厨)が肘鉄かけて止めてくれる
まぁ集団の中で孤立してて寂しくて貰った評価を素直に受け取る余裕がない感じ
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理由③熱が冷めた
絵を描く~ツイッターにアップする~評価される の3ステップで一番楽しいのは
一番初めの 絵を描く だと思う 最初からクライマックスというか
だからそれが終わった時点で熱が冷める(悪く言えば飽きる?)のかもしれない
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ツイッターだとこういった長々と文章で書けないけど吐き出す場所があるっていいね
PS.推しの故人率が増えてつらい
客商売だし、そこまで嫌なことは言われないけど
まあいろいろグサッと来た
そこはもう分かってるし良い
コース変更を再三勧められていた
確かに活動状況は悪かった、ここ数ヶ月はほとんど何もしてない、面談すら避けていた
けどまさか辞めることを勧められるとは思わなかった
「私達はサポートは出来るが引っ張ることは出来ない、自分でもっと前向きにやってもらうしかない」
ほんともう、その通りです
けどそれで無理だなんて
とりあえず今のまま続けてもしょうがない、というのは言われるまでもなく自分でも理解している
けど他に手段もない
どうしたものだろうか
天気はこんなに良いのに なんだかなぁ
しばらくして声をかけられ、商業誌の片隅で短期連載をさせてもらう事になった。所謂よくある二次同人からの引き抜きってやつである。
先週最終話を描き終えた。
自分はADHDのケがあるのだが、周りの人間に恵まれラッキーが重なりうまい具合に生きてこられた。
しかし運と根性だけのゴミ人間だという自覚があるので、ずっと自己肯定感が低い。だいたい明日死んでも良いと思っている(推しのイベントの前以外は)
一次創作をはじめるとそれがさらにひどくなってしまった。そんな事予想していなかった。
描けば描くほど、自分のトレーシングペーパーより薄っぺらい内面を直視することになり、締め切りに遅れがちな無能さに失望し続け、何よりゴミのような自分から生まれたキャラクターを愛することができなかったのである。
読んでくださった方に申し訳ない。面白いとゴーサインを出してくださった編集さんにも申し訳ない。いただいた数少ない手紙も嬉しいメッセージも、何故か怖くて読み返すことが出来ない。まだ作業が残っているのに描いたものを読み返すのが辛い。
覚悟も、才能も足りないのは分かっている。
けれどそれをやめる理由にはしたくない。まだ正しい努力や工夫をしきっていない。
流れで始めた事だが、このままでは終われないという意地が出来てしまった。
解決を試みることにした。
自分を肯定することが出来れば、キャラクターを愛せるのではないか、という事でカウンセリングを受けてみる事にした。
キャラクターを愛せずどうやって自分が面白いと思うものを描けるというのだ。
別の悩みも複数重なってもう立ってられないというのもある。
心療内科なんてはじめて行く。そもそも「自分を愛せるようになりたいです」なんていう理由で行って良いんだろうか。
でもお金を払い、仕事として話をしてもらうわけだし。プロですし。
やらない後悔よりやる後悔。
これでもしウン十年辛く感じていたものが解決に近づくなら、ラッキーである。
きっと世の中には自分を肯定できずにいながら創作をしている人ゴマンというと思う。