なかよし枠&テレ朝土曜19時枠としてみたら『きんぎょ注意報!』の後継で、アニメの制作も東映動画だけど、きんぎょ注意報ってどの程度男のオタクが見ていたんだ?(当時小学生だったのでよく知らない。一部の女子は確かに見ていた)
ぶっちゃけwebとソフトウェアのほとんどは芸術であって工学ではない。
と言ってみることはできると思う。
小さな力で大きな見返りを得るのが工学で、大きな力で小さな見返りを得るのが芸術。
増田がよい
何か思ったこととかを書いてトラバが付くと、「なるほどこういう考え方もあるか」と多角的なものの見方ができるようになる
罵倒されても、慣れれば「こいつ何か言ってる」くらいにしか思わない
自分と自分の意見を切り離して考えることができるようになり、他人の意見は素直に吸収でき、くだらない揚げ足とりは無視できるようになる
"性的"なキャラクター(男女問わず)を愛でるだけじゃバツが悪いからカモフラージュを求める奴が多いんだろ。
それが作品毎に小難しい設定やグロや他のマニア趣味との結合や旧作リバイバルや危ないパロディや符丁を散りばめることだったりするだけで。
以前から写真を趣味にしている人に、自分の撮った写真を見せると象徴的だね、という一言をもらった。
ムードボード的だということだろうか?それともアート寄りだということ?そもそも写真とアートの違いとは?写真はアートに属するのか?
奥が深い。
いつも逃げてばっかりだな
よーし、当たって砕けて終わらせようぜ
Aqoursがμ'sより売れないのはAqoursやサンシャインがμ's、無印より劣ってるからじゃない。
曲は確かに劣っているが売上ほどの差はないし無印時代も後半はとても素面で聞けるレベルの曲なんてなかった。
では何が劣っているのか。
盲信的に金を出し声優や作品をひたすらに礼賛するラブライバーが減ってしまった。
無印時代にその層だった何割かがμ's原理主義と化して減ってしまったのだ。それが原因だ。
ファンの根拠のない絶賛と無謀な投資がなければ全く評価の対象になることはないどうしようもなく見所のない作品だ。
ファンが頑張らなければダメだ。頑張れラブライバー。みんなで叶える物語は魔法の合い言葉だ。
運営や監督、脚本家、声優なんかのせいにしてはいけない。運営や監督、脚本家、声優がクソなのは無印時代だって同じだろ。
変わったのはクソを絶賛せず金を出さなくなったラブライバーだけだ。
ただ名前がラブライブ!からラブライブ!サンシャイン!!、μ'sからAqoursに名前がちょっと変わっただけだというのに。
能力がなくやる気がなくコミュニケーション能力がなく常識がなく経験がないということ
人の話を聞いてるとどんな内容でもイライラしてきて不機嫌になる
どこの病院でなんて言えばいいかわからないし治らないし治っても意味ないし
病院行こうと思ったら仕事休まないといけないし、いつ休めばいいかわからないし、休みますっていうのめんどくさいし、理由をどう言っていいかわからんし
戦争は勝たねば無価値、という二次大戦の反省がやっと浸透してきたかな
立ち向かうことは勇ましく好印象だが、その後どうなったかは日本の戦中史戦後史を紐解けば分かる
日本はようやく、「戦った俺たちは正しい」という自己肯定のぬるま湯から目覚めつつある
戦うなら周到に準備し、勝てるなら戦い、負けるくらいなら逃げろ
っていうか、日本人って付和雷同癖があるというか長いものに巻かれやすいというか同調圧力がハンパないから、
ちょっとぐらい左巻きが鼻につくぐらいの方が社会の安定には良いと思うけどな
先の太平洋戦争前夜のことがかかれた文献を読むたびに、そんなアホなと思ってたけど、
あの話題の本のような状態じゃなくて(基本的に入りやすいものを設備している)もっとありがちな入れようとするとなえちゃうパターン。
それ以外はずっとたくましく頼りがいがあるくらいに立っている。
手や口やいろいろでお付き合いしている人は射精までいたりますが、時折、入れようとするのです。
でも入れようとしただけでダメ。
程度の物質変化。
「これはもしかして…?」
と今夜こそ今度こそと期待はすれどもそのうち砂のように両手からそれはこぼれおちるのでした(ちんこ)的な。
魅力ない?魅力ないの?
責めちゃだめとはいいつつも射精するということはそれで満足なのだとすればWin-Winとはならない話であるので結構大問題である。