フランチャイズチェーンの内規に違反しまくり。不法行為もある。公衆衛生的に考えられない独自ルールも多い。
大日本帝国の戦争責任(認めるかどうか関わらず)は当然理解していることが前提での、あの話の展開であり、登場人物たちのセリフの数々だからな。
子供に見せるなら順番考えなきゃ
「解散」というワードが刺激的だったので、これにばかり気を取られてきたけど。
結局今回の出来事というのは
「SMAPのこれからの方向性についてメンバー間で意見が割れ、『1と4』に分裂することになった」
ってのでFAだよね?
まず最初は、今のジャニーズ事務所の体制では、飯島さん率いるSMAPは活動しにくくなることが見込まれたので、「のれん分け」の可能性について検討、ってとこから始まる。
いったんはそれで落ち着くかに見えたが、1が、あくまでも「本丸」にとどまることを強く主張。
本丸にとどまるためには飯島さんを切らなければならないが、それでも、本丸でSMAPを続けることができる、続けていきたい、と考えた1.
しかし4は、飯島さんがいない時点でそれはもうSMAPではない、と判断。
双方の考え方の違いはどうしても埋められず、結果、4は「SMAP」という名を捨てることを決意。
この1年は、モメてモメて、お互いへの不信も生まれ、でも、いちおうSMAPやりながらもそんな話しなくちゃならなくて、そのうちに「そもそも、なんで存続させなきゃいけないんだ?」ってわけわかんなくなっちゃったりしたんじゃないかなぁ。
基本的には「どうやってSMAPを存続させていくか」というのが主旨だったにもかかわらず、こんなことになってしまった。
だからこその、中居の発言、「誰も悪くない」ってのが出てくるのじゃなかろうか。
振り返ってみれば、この1年、ファンはずーっと葬儀やってたようなもんだよ。
300万もの花を摘んで捧げ、署名という記帳をし、生誕の地でありし日を語る。
そして最後に、たかだかと手を挙げたリーダー中居は、大きく5つ数えたあとに、瀕死のSMAPを袈裟がけにばっさりと斬ったのだよ。
自らの手で、SMAPを楽にさせてやったんだよ。
たぶんこの流れだと、早晩、4はジャニーズ事務所を出ていくことになるのだろう。
そして、残った1は、SMAPの「墓守」になる。
2016年って「マウントを取る」が流行ってたような気がする(ネット上の話ね)。
あるエントリにコメントが付いてたら違う視点から自らの優位さを誇示するようなコメントを付け、
マウンティングに勝利した者が全部を掠め取っていく「勝者全取り」みたいなムーヴが気にかかった。
わたしからすれば思いもよらない鋭いマウンティングを成功させる人もいて、
頭の回転が速い人がいるもんだと感心することもしばしばだった。
こうした行為を「マウントを取る」という概念として認識出来たのが2016年だったし、
そもそもエントリそのものが、被マウンティングの餌食にならないように留意していたりして、
その読み合い一挙一足に緊張感が走っていた気がする。
それは批判されることを過度に恐れているようにも見えたし、
慎重で誤解されないような物言いに気をつけているようにも見えた。
両親が統合失調症だが父親が通院しながらなんとか仕事をして子供二人を育ててた。一般的な常識とかを教わることがなかったので世間とのズレが大きくて、よく笑われるようなことをした。挨拶がきちんとできない。小学校で友達ができてもすぐに友達の親からのチェックが入って友達をやめさせられた。何人か友達でずっといてくれる奴がいたのが救いだった。誕生日会とかクリスマスとか世間のお祝い事の日に何も起きなかった。靴下を置いていてもなにも入ってなかった。中学生ぐらいになると自意識過剰になりボロアパートで過ごしてることや親のことが恥ずかしくて堪らなかった。家庭訪問とか地獄だった。毎日毎日母親がテレビに向かって殺すぞ!っと叫んでてうるさくて仕方なかった。家の誇りとか親子の愛とか理解ならぬ世界でした。高校ぐらいになったころ母親が通院するようになり病気が改善してきた。いつも怒鳴り散らしてて近所でもいろんなことをやらかしてきた母親が人間らしくなったことにしあわせを感じた。歯槽膿漏で腐りきった口も治療し入れ歯になって話しても臭くなくなった。パートにも出るようになった。父親が統合失調症でこういう方面の問題解決能力がないため、母の治療が遅れたことは残念で仕方ならない。今思うと母の兄弟などが公的機関に相談するなどしてくれても良かったのではないかと思う。うちは完全に見捨てられた一家であり、外部の人が助けてくれることはなかった。
それから数十年、私も結婚し子供を得た。ところでパートナーは境界性人格障害だった。外面はいいので外から見ると幸せな家庭に見えたかも知れない。だがな家は拷問だった。パートナーの意にそぐわぬことをするとパートナーが激怒して無言になりいつもしてることをしなくなる。どこかに出かける約束だったのに行かないなど日常茶飯事。家のチェーンロックがかかって家に入れない。全身痣だらけ。服を切り刻まれる。本を破き捨てられる。元恋人と会う。オーバードースで救急車に運ばれること数回。実家で過ごしてるときは私と一緒にいないでいることと、家事をしなくて済むこともあり安定していた。それで実家にお世話になっていたところ義母から離婚を要求され数ヶ月考えたが受け入れることとした。
今一人で暮らしている。とても暗く寂しい。思うんだが人生通して幸せの比率は全く変わってない気がする。2割幸福、8割不幸という感じで。子供の頃の不幸な時代は未来に希望があった。家から出て暮らせば幸せになれると。大人になって結婚して外面はよくなったが、家庭はメチャクチャだった。
ある種の運命のように私自身が幸せになれる量というのが決まってるような気がする。子供の頃が不幸だった故に大人になっても幸福になってはいけない、幸福になる権利がないようなそんな意識があるような気もする。
ウェーイ
AVはね、顔にかけるんだよ顔に!