理由は簡単。賄賂で辞めた猪瀬、政治資金の公私混同で辞めた舛添、いずれも金絡みで、
有休取得に法に触れる制限を課したうえにその制限に従ってもやっぱり休んだら評価が下がるというね
そこまでして休ませたくないっぷりを発揮しても辞める奴が多すぎて結局人手は足りない
見事に本末が転倒しているのだがバカはまだこれを推進するつもりでいる
こいつの言ってる社会ってのワードチョイスから見てもわかる通りリーマンや既婚者としての一般人の社会、結局は「俺のいる社会」のことを考えろよという自分の利益しか考えてないのがまるだしの典型的な村メンタリティの持ち主なんだよなぁ
こんなバカの言うことを鵜呑みにする若者がいたらマジメなんだろうけど視野が狭い馬鹿としか思わんわ
http://anond.hatelabo.jp/20160712111902
http://anond.hatelabo.jp/20160713012442
http://anond.hatelabo.jp/20160713182210
個人の選好が社会の繁栄につながるのは善だけど社会の繁栄のために個人の選好をねじまげるのは悪だという話を理解できない北朝鮮脳おじさんの極論返しっていい年して脳内ガキのまま育ってるんだなぁという感想しかわかないわ
よく知らん人達からの50のいいねより、誰か特定の一人からの1のいいねが嬉しい、むしろ1でいい、みたいな思いはよくあることなんだろうか。
各種SNSにおいてそういうことはありそうな気がしているんだけど、もしかして自分が50も100も評価されたことないからそういう気になってるだけかなあ。僻みに気づいてないだけかしらん。
http://anond.hatelabo.jp/20160712111902
まんまん
ま~んまん(まんまん)ま~んまん(まんまん)
おさ~るさ~んだよ~(笑)
ま~んまん(まんまん)ま~んまん(まんまん)
ひが~しのしまの~
まんまん!(まんまん!)まんまん!(まんまん!)
ちんぽがほ~しい~(笑)
ま~んまん(まんまん)ま~んまん(まんまん)
おさ~るさ~んだよ~(笑)
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「いくつになっても夢を抱き続けていたい」「年をとっても夢を語りたい」という台詞をふと思い浮かべた。決して若いとは言えない年齢だが「事業としてこうしたことを実現させたいんだ」という人を見るにつけ、「この人はすごいなあ」と思うようになったのはいつからだろうか。
小さいころは学者になるのが夢だと文集に書いてあった。“よくわからない薬品で遊んでボカン!”といった非日常的な世界に憧れていたからだろうか、Dr.スランプアラレちゃんの則巻千兵衛やポケットモンスターのオーキド博士のように、小さいころに見ていたアニメの世界の中にいたコミカルで気さくな学者キャラクターが好きだったからだろうか。当時なぜそうなりたかったのかという答えについて、今や断片的な記憶しか持ち合わせていない。
また、その夢を追いかけることはできただろうか。いわゆる理系の学者に憧れていたが、高校では理科よりも歴史が得意だったという理由から文系を選択した。そんな理由で大学に入ったものの「文科系の学問ってあまり面白くないな」と思い、理転をした。(幸か不幸か、いわゆる文理融合と呼ばれる大学にいたので、退学とか仮面浪人という選択肢は取らずに済んだ。)選択肢はいくつかあったわけだけど、その中でも分野的にはコンピューターが得意だなと思って、情報系に転向した。夢や目的よりも、ネガティブな理由だったりスキルとしてこっちのほうが適正があるなといった理由で自分の進路を決めてきたので、夢は追いかけられていないのだろう。
というか、そもそも夢って何だろう。夢を実現することをゴールとするならば、それに向かって努力をするというレールができる。それを研鑽していけば、夢を追いかけるということになるんじゃないか。つまり夢を抱くということは、ゴールを設定するということになるのだろう。仮に夢が「宇宙飛行士になりたい」というものだったらそれに相応した勉強をして、研究成果を出すことが夢を抱き、夢を追いかけることになる。そんな単純な論理だと思う。
だけど今の自分にはそのゴールが何なのかがわからない。得意な分野・必要とされる分野で求められる事を遂行してここまで生きてきた。いわば、夢の抱き方、ゴールの設定の方法がわからないのだ。
たぶんそれなりに評価されて生きてきたんだと思う。だから夢みたいな確固とした目標がなくても、なんだかんだ生きていけたんだと思う。だけど、いま後ろを振り返ってみると、何も残っていないような気がした。ステージとしてどんどん高いところには立てていると思うんだけど、まっすぐというよりはクネクネした道を通ってきていて、正直この先どうなるかもはっきりとはわからない。
夢がなくても生きてはいける。だけど、夢を抱いていたらどんな生き方になっていたのだろうか。この目で反実仮想の世界が見れるなら、見てみたいものだ。
芸人やミュージシャンが売れだした途端、それまで付き合っていた彼女や妻を捨てる。
昔はそういう男が大嫌いで仕方なかったし、理解もできなかった。
「はぁ? 売れる前から支えてくれるなんて最高だろ? なんでそんなの捨てるんだよ?」と思っていた。
しかし、それは彼らの立場というものを理解していなかったからかもしれない。
単に自分が浮き沈みを経験していないから、そんなのんきなことが言えるだけのような気がしてきた。
現実問題として、成年の男というのは、収入や社会的地位が上がれば、異性へのアクセス権が大きく増す。
つまり、それまで手の届かなかった女と付き合うチャンスが生まれる。
そういう時でも大半の男は踏みとどまるが、転ぶ人間が出ること自体はおかしいものではない。
あるいは、そうやって手のひらを返されていると、そのうち感覚が狂うのかもしれない。
女が金とステータスについてくるものならば、かつて自分がしょぼかった時代に手に入った女の価値が、
途端に疑わしくなってくるのかもしれない。
俺のことだけど。
収入はウンコ、人付き合いはウンコ、さらには仕事か寝るか飲むかウンコするかみたいな生活。
しかも、およそ社会人として生きていくだけのノウハウが何も身についていない。
貯金なんかない。
保険なんか入ってない。
何がダメだったんだろう。
どこで間違えたんだろう。
俺が生まれた意味は、ウンコを製造するためだけじゃなかったはずだ。
ただもう、どうしようもない。間に合わない。
どうにもならない。
映画みた
主人公たち、あのキレッキレの厨二衣装着て戦ってるわけなんだけど、
出てくる街は現実の世界のビルそっくりなんだよね。てか車とか完全に現実モード
あの実用性を完全に無視した厨二衣装と、実用性に振り切った自動車が同時に存在しているのってマジでCoolだよね
だけど映画見てて思ったんだけど、映画でもスーツ着てる人いるのよ。んで普通に会議とかしてんの。公務員だわこれ…
でもさ、実際のところスーツって実用性を完全に無視してない?これ現実の話。やばくない?現実やばくない?
そこまで考えると、魔法のある世界で社会が発展していったら、スーツのように、実用性のない厨二衣装が風習として残っちゃったりするのかなと思ってちょっと面白かったり…
って、そんなわけないじゃーーん
スーツならわかるけど、戦闘服だぞ!!!風習ってなんやねん実用性極振りに決まってんだろ馬鹿か!!
あれはファイファンだから厨二衣装ということなんでしょうね。そうでしょう
ということで、車も街並みももっともっと厨二に振って欲しかった
PS4は持ってないのでゲームは買いませんが、映画としては非常に面白かったです
おわり