リン鉱石は枯渇するといわれている。枯渇しないにしても、日本の食の安保を考えるにあたって中国に依存しすぎることに問題がある。アメリカは安保のため、輸出を禁じている。
リン鉱石や石油をほぼ100%輸入している日本は、循環型・機械自動型の農業に速やかに移行できるような設備体制にするべきだ。
下水の屎尿からリンを取り出す技術も少しずつ研究が進められているが、古代から続いている「骨」を砕いたり焼いたりして肥料にする方が良い。
TPPで議論される稲作文化の保護についてもかかわってくる。現状の日本米は事実上、輸入品なのだ。
各家庭で魚や鶏の骨は生ごみに捨てずに、別の袋に分けて回収しよう。
腐女子はコスプレ好きしなくても見るのは好きっていう概念どうにかなんねーかな~~~~~~~
カップリング名入れてコスプレ写真アップする奴本当に消えてくれないかな~~~~~~~~~
ホモが見たいんであってブスは見たくねぇんだよな~~~~~~~~~~~~~~~~
登山って大変。
知識も経験もいる。
でもそれをすっ飛ばす人もいる。
山岳会にも所属したこともなく、ネットや書物だけでわかった気になり行動しちゃうアホ。
この前、とある登山者に人気なネットサービスで恐ろしい登山記録をみた。
この時期に行った理由が、整備された富士山を歩きたくない。冬山へ行きたかった。
夏の富士にも登ったことのない、登山を初めて2年の初心者だった。
恐ろしい。怪談を聞いているみたいだ。
しかも富士山は単独峰。雪は歯の立たない氷以上の物質と化し、四方八方から吹く風は天気図を読めるものでも予測不可な動きをし、
一旦飛ばされれば、急勾配を時速数十キロで降下。
止められるものはない。数百メートル、時には数キロも滑り落ち死ぬ。
海外の8000mの山より、冬の富士山は過酷だと言われている。
案の定凍りつき飲むことができなくなったことを反省していた。
どんな低山でも、冬の時期、水は凍らないように保温性のある容器に入れて持っていく。
やまで雪をバーナー(ストーブ)で溶かして使用する時の呼び水にも使用するから必須だ。
単独行や、こういった無茶なことをするやつらに、周りは言う。自己責任だと。
命がけで救助にあたる隊がいるからだ。
嫌油増田の対抗馬が出てきたのかと思った
その部屋にすき間があったら、そこをふさぐ。
タオルやスポンジでふさげるところはそれで塞ぐ。
外の冷気が侵入してこないようにね。
これを部屋中に拡散させることで速く温まる。
はてブされてる元ページの内容がおかしい時って、はてブ見ると大抵既にその指摘があるから先にはてブのコメント見た方が楽なんだけど
それに頼りすぎると、記事を先に見て内容の正当性を自分で考える力が衰えるような印象がある。
でもクソ記事な元ページをはてブより先に目を通した時の時間を無駄にした感は異常。
先にはてブでそれらの指摘のコメントを見ておけば元ページを開かずに他の記事とかに向かえる。
他のユーザーは
①元ページの本文を先に開く
どっちを先に見るようにしてるんだろう?
最初にWUG見た時は妙に悪趣味な演出があるなぁなんて思ったものだけれど、見続けていくととんでもなく真っ直ぐな作品であることがわかって、今ではすっかり好きな作品になっている。
で、その「悪趣味な演出」ってのは、ほとんど序盤だけの話で、不思議なことに話が進んでいくごとにどんどんそういうのが減っていって、続・劇場版にまで来るともはや神々しいまでの輝きを放つ作品になっている。
監督のいう「ハイパーリンク」によるものなのだろうか、WUGという魅力的な人間たちに引っ張られてそういう作品になっていったということか。
ある意味ではWUGに最も救われているのは監督なのかもしれない。あるいは辛矢凡氏か。フラクタルあたりから抱え込んでしまったものがどんどん和らいできているような。
まあそんなことを考えながら、序盤に自分の感じた「悪趣味な演出」についてあれこれ考えていた。
WUGの劇場版第一作だったり、TVシリーズ第2話だったりは、言ってみれば「下品」な演出がところどころにある。
ラブホだとか、処女だとか、パンチラだとか、いかがわしい営業だとか。
でもまあ、完全にWUGファンとなった今になってあれこれ考えてみれば、そういう演出もいろいろ意図があったように感じられるようになるものである。
これはいったいどういう目的でやったんだ、と長いこと疑問に思っていたんだが、最近になって自分なりに納得する答えに辿りつくことができた。
これは「小さな少女の第一歩目の決心」とその裏にある「未熟な少女の愚かな危うさ」を表現したのではないか。
WUGが七人そろって初めてステージに立つまでを描いたのが「七人のアイドル」で、つまりはスタートラインに立つまでの話である。
そんな映画のクライマックスにおいて「初ステージ」が気合の入ったダンス作画で描かれる一方で、なぜかパンチラまでもがきっちり描かれており、見た人の多くは困惑したことだろう。
でも、それでいいのかもしれない。
「彼女らの初ステージ!素晴らしい!ここから物語が始まっていくんだね!」というシンプルな感動を狙っても良かったのだろうが、この時の監督はそういったシンプルな描き方をしなかった。
その裏にある危うい面を描きたかった。これは第2話の営業にも繋がっていくことで、少女が覚悟を持って前へ進むことをただ美しいものとして描かなかった。
「思い切って飛び込んでみること」や「あきらめずに続けること」は必ずしも良い結果につながるものではないのだと。
初ステージのパンチラライブは、最終的にはWUGというアイドルユニットの伝説的な第一歩目ということになるのだが、その一方でどうしようもないところまで堕ちていってしまうきっかけにもなりえた。
その一つの可能性として現れたのがゴロツキプロデューサーの須藤だったりするわけだ。
彼女たちがそこでもし間違った決心をし続けていったら、最終的にどうなっていただろう。
だからこそ、そこで一歩踏み出すということは称賛されるべきものでもあるし、危険なことでもある。
島田真夢がI-1clubでしてしまったひとつの決心も、そういった2つの側面を持っている。
それを証明したのは、迷いながらも道を歩み続けた彼女たち自身である。
1.はてなを知ってるだけでアウト
2.旬の話題を知るためにはてブ(はてブ関連ツイッター垢等も含む)ホッテントリを利用
3.ホッテントリを見るだけじゃなく、各話題のはてブコメントを読む
4.はてなIDを持っておりブコメしたりスターをつけたりしている
5.増田を書く
すまないが、言いたいことがわかりにくい。増田があげている項目の内容も変だ。