はてなキーワード: クルマとは
どこでも誰でもそうだけど、合わないところにいくと本当にストレス。
元増田氏と似たようなところもある状況にあるが、私はクルマが元々好きだから東京にいても趣味として持っていただろうことでクルマのコストを割りきれることは救いなのかな。
私は仕事自体も今後望む方向からのずれが大きくなってきたし、会社内にいて修正できる可能性だけを信じるのはよろしくなくなったので転職活動してるけどさ。
自分も新幹線のぞみが止まる都市育ちで、20代前半で田舎に配属されてしばらくは辛かったな~1年働いてクルマ買って、3年ぐらいで慣れた。深夜思いつきでドライブして、500円のものを買うのに片道80kmのドライブもラジオや音楽を聞く時間として楽しめた。ちょうどガソリンが激安の時期だったし(リッター85円とか)
10年後に落ち着いたころに、こんどは東京飛ばされて、しばらくは辛かったな~。クルマは持っていったが、使い所が難しい。それでも10年居たら徒歩も電車も自転車も電車も東京でのクルマ活用も慣れた。今では首都高もほとんど迷わない。たぶんだいたいの東京生まれの奴より東京の道には詳しくなった。
仕事帰りにアングラな劇団やアングラなトークライブとかを楽しめるのは東京ならではだな。TVやメディアの中の人にも目の前で会えるしメディアには乗らないディープな話も聞ける。思いつきでフラフラできるのは東京の良さ。首都高は深夜走れば300円の夜景ドライブコースだしな。
んで、また飛ばされたわけだが、故郷を離れた頃は故郷が、田舎を離れた頃は田舎が、東京を離れた頃は東京が懐かしかった。どこも行った最初は辛かったのな。不思議なもんだ。たぶん次もそんな感じで馴染むんだろう。
バリキャリ女に対して「でも下方婚しないですよね」とか、男に対して「男らしさの内面化やめろ。自殺へらせ」とか言っても、無理があると思うんですよね。問題は問題なんですけど絶対解決しないであろう問題なんですよね、性的に考えて。
意識だけで男女平等を達成するのって無理なので、遺伝子操作して男女差を減らしていくしかないし、最終的には肉体と精神の性別をなくすことでしか、真の男女平等は達成しないと思うんですよね。
言葉がおかしいですね、言い換えると「男女平等は絶対に達成できない。達成できるとしたら性別という概念を消し去ることだけ」でしょうか。両性具有に進化するとか。あるいは分裂で殖えるとか。
交通事故が起きてもクルマが無くならないのは、もうクルマを止められないから。それと同じ。「性別」をやめることなんてできない。すぐにはできない。だから性別に起因する事故は起こり続ける。それで今まで人類は生きてきた。今までは。
最近は「置かれた性で咲きたくなんかない、性別をやめよう」とかいう壮大な社会実験・思考実験に付き合わされて高い代償を払わされ続け、もちろんそんな平等なんてぜんぜん達成できないままでいる時代、疲弊して残りリソースがわずかになってきていた。と位置づけられるんじゃないですかね?これから後年の歴史研究から見た現代は。「後年」があればの話ですが。
どうにもならない「置かれた性で咲くしかない」を受け入れた上で、そのうえで可能な範囲での自由とか幸福とかを追求して世の中の構造を構築していた昔のほうがよっぽど平等に近かったと思えるんですが。
オレんちと同じくらい田舎やったんねw
ウチでは、昭和の末期ごろに家を建替えるまでは、掘りごたつが現役だったね。四辺に足を乗せる板があるけど、中央部はそのまま炭火を置く構造だから、ヘタに足を突っ込むとテキメンに火傷するw
かまども(平常時は主にプロパンガスだったが)盆正月などに大量の料理するとか、味噌仕込むのに大豆を煮るとかのときは現役だった。
裏山に炭焼き窯があって、自前で木炭も作ってたし、風呂を沸かすのも薪で火を焚いてた。
農道は、そのころ絶賛建設途上で、クルマで行けない山の上から農作物とか木材とかをふもとに運ぶのは、架線(かせん)と呼ばれるケーブルカー的なものだったが、昭和50年代後半にはほぼ使われなくなったな。