はてなキーワード: あらーとは
お世話になっていた身としては、一様に無能と決めつけることは、非常に心が痛い。でも僕はあえてここで言わしてもらう。ハローワーク職員は百害あって一利なしだ。
というのも、ハロワってみんな何しに行きますか?職を探しに行くわけですよね。当たり前ですけど。でもその職探しに僕は警鈴を鳴らしたい。
遡ること大学4年生時代。僕は就活がうまく行かず、救いを求めてハロワに行ってみることにした。自分が何がしたいのか、何がやりたいのかぼんやりとしている中で、漠然とIT業界で働きたいという想いを抱いていました。とにかく内定ないし、社会も自分のこともよくわからなくなって迷走していた僕は、救いを求めるように、どうしたらいいのでしょうか?とハローワーク職員に漠然と問いかけた。。
すると募集一覧とワークシートを渡されて、次回までに興味ある会社とその志望動機や自己PRを考えてこいと言われた。言われた通り、漠然とその募集一覧から会社を選び、わからないながらも志望動機と自己PRを書いて提出した。何回か添削した後は面接の練習になった。
失礼しますとかハキハキいうとか背筋をピーンととかそんな練習。どうでもよくない?面接の練習を無駄にさせられたのだけど、どうなんだろうと思った。元気よくハキハキ相手の目をみてしゃべる!とかさ。これがいつもできる人はいいと思うんだ。でもいつもの自分はこうじゃなくて、あんまりハキハキするのとか苦手で、いつもテンション低いタイプ。よく言えば瑛太タイプwだとするならさ、面接だけそんなハキハキして元気ハツラツキャラ演じてもどうなの?って思うわけですよ。
それでまあ、面接受かって会社に受かるとしましょう。会社で苦しむことになるよ。だって無理やり演じて、本来の自分にないもの出して、受かったんだもの。僕はそれで、超文化系なのに、面接で元気ハツラツな体育会系で臨んだおかげで、超体育会系の会社から内定もらってそこに入社してしまいました。
結局さ、ハロワってただ就職率上げたいだけなのよ。就職してからのこととか何も考えていないわけ。これね、お前が無能だよって思う人いるかもしれないから書くけど、全く社会のことがわからないで、自分がどういう人かもわからない人が救いを求めてハロワに相談するわけでしょ。自分一人で就職できる優秀な人はそもそもハロワなんかに頼らないだろうし。僕らブラック企業の見分け方すらわからないのよ。そういう人たちがさ、救いを求めてハロワに行ったのに対して、面接や履歴書で好印象を与えて内定ゲットしようって取り組みされても、それは違うんじゃない?って思うのよ。
圧迫面接に遭遇して、面接官に一発芸とか、腕立て伏せ50回やらされたり、罵倒されまくったときに、それをハロワに相談しに行ったときがあったのよ。そしたらその会社のホームページ見て、「あらーちゃんとしてる会社じゃない?」とか言う訳?バカかと。そりゃブラックな雰囲気をホームページ上で出さないでしょ。ホームページ上は綺麗に見せるでしょ。警告とかなんか対処してくれたり、僕の他に圧迫面接の被害に遭わないようにと相談したらこの有り様ですよ。
僕は気づいたんだよね。ハロワに相談しても何も得られないんだ、と。ハロワに頼って、何か救いを求めていた僕がバカだったんだ、と。
162cm72kg吊るしのスーツを買うのは似合わな過ぎる。最近はイージーオーダーが安くて嬉しい。すばやい動きや大きな声は過去のこと。ふよふよしたお腹周りがかわいいと自分で納得している。日帰り旅行の仲間はずれにされて、もう若い子なんかと遊べないんだってショックもありました。でも居酒屋にひとりで行っても、サボって映画館に行っても、パチンコで負けても似合いすぎる。
スーツで外出するとみんながやさしくしてくれる。映画館のチケット売り場のお姉ちゃんも特別笑顔で「ありがとうございました」って言ってくれる。デパートの店員さんに見るだけだよって言っても「どうぞどうぞ」って笑顔。街のパン屋さんでカレーパン一個でも「あらーうちのカレーパン美味しいからねー」って笑ってくれる。
増田をつらつら見てて、愛情の反対は無関心っていう言葉を見つけて、そういやそんな考え方もあったなと思って、ひるがえってコンビニ店長に絡みまくってついに音を上げさせた増田の有名人(?)について考えた。
嫌なら見るなができずにしつこく粘着して、でも自分が特定されない増田にしか書かないような、安全圏から叩きたいだけのひねくれた人間。
こいつのせいでコンビニ店長の文章また読めなくなったと思って最初はムカついてたんだけど、考え方を変えてみれば、俺よりもコンビニ店長への「愛」を持ってる人間なんだよねアイツ。
アンチは単なるファン以上の愛がないとできないとか言うアレよ。
学がないだとか考察が浅いだとかいろいろ言ってたけど、いちいち読まないとそういうねちっこい批判につなげることはできない。
無意識的になんとなーく持ち上げるファンよりもよっぽど「愛」があるといえるんじゃないか。
店長がエントリ上げるたびにチェックして、鼻息荒く重箱の隅をつつくようにあら探しするような「愛」。いやお前もうそこまでいくと逆に好きなんだろwwwみたいなね。
そう思うとひねくれ君を憎めなくなってきた。結果的にコンビニ店長が勘違いしてブログ休止しちゃったのは残念だけど。
あらーまた噛み付いちゃって、そんなに人気のある店長が羨ましいのね~このコかわいー♪みたいに思うようになった。
穿ち過ぎかなあ・・・
確かに親というのは、子供の時には分からなかったが、全然万能でもないし、優しいわけでもない。
自分の子供をひいきにすることはあっても。幼少のときは自分が何も出来ないから少しでもできる親は尊敬に値する。
今でも自分が出来ないいろんなことが出来る自分の親は尊敬してるけれど100%すごいと思うのとは違う。
ネットに毒親についての不満やらいろいろあるのはいいことだと思う。
言われなければ分からないこともあるだろうし、ふと他人の意見を聞いて、果たして自分は他人を傷つけてはいないかとドキッとすることもある。
結構自分は他人を傷つけやすい、駄目な奴な予感。なので増田にて書く。
毒親に虐待(心身どちらかでも)を受けたという人たちが、そぐわない場所(親子を相互理解する会とかなんとか)に行って、「毒親にひどいことされていたのです!」と力説してもその場では共感は得られないどころか、多分理解不能なんだろうなあと思うんだが。
毒親に人格を認められず、親の言うとおりロボットのように指令どおりに動かないと叱られた、日常的に心を傷つけられたなんてことをいっても、親子関係が良好だと思い込んでる人の前では「あらーきっとあなたのことは自慢の子供におもってるはずよー!」ってシレっといわれるのは当然なので、そんなところには行かないほうがいい。
特にまだその傷を引きずっているのであれば余計に。
その傷が癒えて、自分と同じような人を守りたい、助けたい、さらに助けるスキルを身につけた、という状態になってから、そういった場所に出かけなければ余計に傷つくだろうと思う。
そんだけ赤の他人からいらぬこといわれて、傷ついてもなお、行きたいなら行けばいいけど・・・
ま、最近そういった話を良く見かけるので、子育てって大変だなと思う。
子供が傷つくのを気づかずに、しつこくからかう親もいるし、人様の前ではこうしろと無理な要求する親もいるし、子供がどうなっていてもケータイに夢中な親もいるし、叱れない親もいるし、叱らないのが正しい育て方とか思い込んでとんでもない子供が育つこともあるし、逆に怒りすぎて子供が萎縮しちゃうこともあるし。
子供が生きていくってのは、本当に大変なんだよねー。
とりあえず、心が傷つくかもしれない場所に無理していかないほうがいいのになあと思ったうららかな午後でした(オチはありません)
そこで受けた扱いは衝撃だった。知的障害や精神障害の人たちと一緒にクラッカー詰めの作業をさせられた。
それで月に数千円の「給料」を貰うのだという。
デイケアをすすめられたが見学に行ったらもう治療や社会復帰をあきらめきった感じが嫌だった。
金のことをガタガタいうなといわれそうだけど、福祉のレベルではまさに「娯楽はちりがみに短歌でもかいてろ」ってレベルの生活しか送れない。
障害者=清貧な人が社会とつながることを喜びに思い作業に励まなければならないような風潮が嫌だ。
社会参加っていっても志ある人達しか購入層がないような製品ばっかりだし、
トレンドを追うつもりはないけど、周囲に侮られない程度の身なりは維持したい。
親に子どもは自立しているんだって安心させて歳を重ねてもらいたい。
衣食住足りてネットに接続可能な環境で得たい知識を満足できるように書籍や文献だって読みたい。
自分はもう一生結婚もできないけど、友達の結婚や出産にお祝いの意を伝えるための金銭だって欲しい。
野心が強すぎる、強欲だといわれるけど、「障害者=清貧な人」でいるつもりはない。
だから、医療や福祉の範囲外ではあるけどSSTと体力UPを兼ねてスポーツクラブのプログラムに参加している。
発達障害と言われた。
失業してしばらく引きこもって生活してたら、親が心配して心療内科を進めてくれた。別に、うつでもなんでもないので、行く気もなかったが、しつこいので根負けして受診してみた。
2回目の受診。親同伴で、いろいろ生育歴とか聞かれて、その後いろいろな検査を受けた。知能検査というやつも受けた。結果はIQ120半ば。学歴から考えて妥当だと言われた。ただ、検査項目でいくつか妙に低い項目があった。(codingという検査であるのをあとで調べた)
結果、発達障害といわれた。
厳密にはアスペルガー症候群。
今後の対応で、医師が言うには、なにやらそういう人を受け入れるNPOがあるというので、そこへ入ってみてはどうかというものだった。とりあえず、そういうものなのかと思って行ってみることにした。
そこで受けた扱いは衝撃だった。知的障害や精神障害の人たちと一緒にクラッカー詰めの作業をさせられた。それで月に数千円の「給料」を貰うのだという。猫なで声で職員の人から「あらー作業早いですねー」とかいわて、答えに窮した。
失業して、それなりにきつい時に、追い打ちをかけるように障害者施設に入れられるとは(別に強制じゃないが)夢にも思わなかった。
心療内科で、それを言うと、発達障害者支援センターというのを今度は進められた。今度は行く前に色々ネットなどで情報を収集した。その結果、なにやら社会生活を送る上で重要な規則正しい生活をおくれるための訓練をする。みたいなことがかいてあった。これはやばいと感じた。ネットの書き込みを見ても明らかに職業訓練所とは違うようだった。否定的なことを書いているが、これで救われている人も多いのだろう。
いろいろ調べて、そもそも「発達障害」という概念がすごく胡散臭く感じた。こんなもの認めると人類の半分は障害者になるだろ。
こんな扱いを受けるのは嫌なので、働いたときに貯めた500万があるので、この福祉という名の「牢獄」から逃れるために海外へ行く。
バス停でバス待ちをする私の前に一人の老人が並んでいた。わたしの後ろには既にたくさんの人たちが並んでいる。
私の前の老人のところに、別の老人(知り合い同士なようだ)が「あらーこんにちは」と駆け寄ってきて、話を始めた。二人ともそのまま話を続け、そのまま到着したバスに乗り込もうとした。
私は後からきたほうのかたに声をかけ「もしもし、順番は守ったほうがいいですよ。後ろに人がたくさんならんでいますから」と言ったが、そのお二人は、何言ってるんだこいつ、と言わんばかりの態度でバスに乗り込んでいった。その後も「なんなんでしょうねあれは」「いやですわねえ」的なことを二人で話していた。
それはこっちのセリフなんだけどな。
これは、その日だけたまたまバス待ちの順番を守らないご老人がいた、という話ではない。「公共マナーのなっていないご老人」は結構な頻度で見かける。
公共のマナーが悪い、自分勝手な人が増えた、という声は昔からあり、子供、学生、主婦、サラリーマンなどがやり玉にあがるが、確かにそうだよね、と思う。年長の世代が公共のマナーを守っておらず、注意されてもご自身の行動を改めることなく、注意した人を逆恨みしているんだから。しかも老人世代のマナーの悪さが「マナーを守りましょう」ポスター等で指摘されることもない。
「自分勝手な振る舞いをしていたら他人(年下の人)に示しがつかない」という躾や教育は受けなかったのだろうか。年齢の数だけ増えさえすれば自分勝手な振る舞いをしても許されると思っているのだろうか。「公共の場でマナーなんて守る必要はない」と自分の子供や孫に対して教えているのだろうか。
そして、私も、マナーを守らないご老人を見かけたら「あなたは親や周りの大人にどんな躾を受けてきたのですか?」「お子さんやお孫さんにも『バス待ちの順番なんて守らなくていい。自分の都合優先だ』と教えているのですか?」ということまで言わないといけないのだろうか?
●追記 先に並んでいた老人は「席とり」をしてたんでしょ、というコメントがあったけど、二人とも「あれ?あなたこんなところにいたの?」みたいな反応をしていたのでそれは違うと思う(あらかじめ二人で示し合わせてやっていたようには見えなかったし、席とりならば「ありがとう」とか「おつかれさま」と声をかけるんじゃないだろうか)