確かに親というのは、子供の時には分からなかったが、全然万能でもないし、優しいわけでもない。
自分の子供をひいきにすることはあっても。幼少のときは自分が何も出来ないから少しでもできる親は尊敬に値する。
今でも自分が出来ないいろんなことが出来る自分の親は尊敬してるけれど100%すごいと思うのとは違う。
ネットに毒親についての不満やらいろいろあるのはいいことだと思う。
言われなければ分からないこともあるだろうし、ふと他人の意見を聞いて、果たして自分は他人を傷つけてはいないかとドキッとすることもある。
結構自分は他人を傷つけやすい、駄目な奴な予感。なので増田にて書く。
毒親に虐待(心身どちらかでも)を受けたという人たちが、そぐわない場所(親子を相互理解する会とかなんとか)に行って、「毒親にひどいことされていたのです!」と力説してもその場では共感は得られないどころか、多分理解不能なんだろうなあと思うんだが。
毒親に人格を認められず、親の言うとおりロボットのように指令どおりに動かないと叱られた、日常的に心を傷つけられたなんてことをいっても、親子関係が良好だと思い込んでる人の前では「あらーきっとあなたのことは自慢の子供におもってるはずよー!」ってシレっといわれるのは当然なので、そんなところには行かないほうがいい。
特にまだその傷を引きずっているのであれば余計に。
その傷が癒えて、自分と同じような人を守りたい、助けたい、さらに助けるスキルを身につけた、という状態になってから、そういった場所に出かけなければ余計に傷つくだろうと思う。
そんだけ赤の他人からいらぬこといわれて、傷ついてもなお、行きたいなら行けばいいけど・・・
ま、最近そういった話を良く見かけるので、子育てって大変だなと思う。
子供が傷つくのを気づかずに、しつこくからかう親もいるし、人様の前ではこうしろと無理な要求する親もいるし、子供がどうなっていてもケータイに夢中な親もいるし、叱れない親もいるし、叱らないのが正しい育て方とか思い込んでとんでもない子供が育つこともあるし、逆に怒りすぎて子供が萎縮しちゃうこともあるし。
子供が生きていくってのは、本当に大変なんだよねー。
とりあえず、心が傷つくかもしれない場所に無理していかないほうがいいのになあと思ったうららかな午後でした(オチはありません)