はてなキーワード: 仙人とは
先日ホッテントリにあがってた韓国の偏向報道はこんなにやべーんですよ(超訳)って言ってる韓国ウォッチャー増田を見て、じゃあ俺が韓国人に生まれていたら、俺は馬鹿だから、みんなが、国が報道がネットの意見が周囲の大人が同年代の友人が、何かにつけて日本が悪いって口を揃えて言ってればそういった思想になってもおかしくないし、それを疑問に思うこともそうそうないだろうなと思った。だからそんな立場にいる韓国人がどうだこうだとかそういう話がしたいんじゃなくて。
もし仮に、というか勿論ずっと昔からある程度以上はそういう部分は存在しているけど、日本も韓国と同じように間違った思想を報道だの国から直でだの何らかの手段を使って押し付けてきたらいったいどうすりゃいいんだ?人間が報道する以上なんらかの思想が混じるのでフラットな情報だけを得ることは不可能と割り切るしかないのか?
一応今のところの自分のスタンスとしては六信四疑ぐらいの塩梅で報道をみているつもりだけど、あくまでつもりだから気を抜いてしまうこともあるし、そもそもそんなん疲れるわ。かといってじゃあ何もかも無視して楽になってしまうかって言うとそれは違うなと感じる。
当たり前の話だけど、情報の取捨選択ってめちゃくちゃ難しいよな。けどやっていかなきゃいけねーよな。どうすりゃええの。見聞ってやつをめちゃくちゃ深めなきゃいけないんですかね。教えて仙人。
まだ大丈夫って言葉を時々聞くけど「まだ」ってことはいつか大丈夫じゃなくなることが皆無意識にわかってんじゃねーのかって不安になるよ。ここは蛇足か。
DMM の千年戦争アイギスやってて、基本「西洋風ファンタジー」なんだけど、アーチャーやらビショップで名前などが和風のやつがいるんだよね。
でクラスでも「サムライ」「忍者」「ぬらりひょん」「鬼」「妖狐」「天狗」「雷公」「風公」「シャーマン(カタカナだがすべてのキャラが「巫女+日本名」)」「陰陽師」「猫又」などが和風。
なお、全て基本職でたとえばクラスチェンジすると「サムライ」は「ショーグン」とか「黒鋼大鎧武者」になる。
あ、クラスとしては「キョンシー」や「仙人」「真人」「邪仙」みたいな中華風のもいて、あと独自クラスはないけど「砂漠の民」あたりがエジプト兼アラブ風かな。
こういうベースは「西洋風ファンタジー」なのに忍者とか侍とかの和風要素入れ込んでくるって日本のRPGでよくあるけどどういう経緯なんだろ?
D&D のオリエンタルアドベンチャーとかあるけど、あれはあくまで複数ある設定の一つって扱いだし、やっぱり Wizardry がパロディ要素があまり需要されず真面目なファンタジーとして受け入れられたのが大きいのかな?
1987年発売の FF は職業に忍者がいて、最強の武器は「マサムネ」で以降のシリーズも源氏装備やらジョブで忍者や侍いるし、これで定着かな?
1988年発売の DQIII も職業こそないもの「ジパング」やら、「やまたのおろち」、「くさなぎのけん」出てきて町やら待ち人も独自グラだけど、DQIII 自体はワールドマップも世界地図モチーフだから、そこまで和風要素は強くないかな?
PCだと1989年の「Rance-光を求めて」に女忍者出てきたたよね。
だいたいこのあたりで固まってきた感じかな?
後に福禄寿と寿老人が加えられ、七福神が誕生することとなった。この際、五福神に福禄寿を加えただけでは六福神になるため、「福」と「禄」を福禄寿とし、「寿」だけを独立させて寿老人を作り、無理矢理七福神としたと伝えられる。
福禄寿と寿老人は神様ではなく仙人であり、元々数合わせ的に参加させられたためか、元禄10年(1697年)の『日本七福神伝』には、「福禄寿の変わりに吉祥天を七福神に加えてもよい」と記され、また享保年間(1716-1735年)の『書言字考』では寿老人に代えて猩猩が七福神の一柱とされている。また、寿老人と福禄寿はともに南極老人星の化身とされることから、この二神は本来同一とみなし、寿老人の代わりに吉祥天や猩猩が入れられた時代もあったといわれている。