笑われること承知でいうけど、純粋にプリパラみてる。と思っている。
「あなた達おじさんは下心をもって見ている(のだろうから水着の抱き枕カバー出します)」
と突きつけられたような気分。
実際、この感情は、その様に決めつけられた悲しさなのか、下心を見透かされ恥ずかしさなのかは正直わからない。
でも穏やかではない。自分はプリパラを本当に純粋に見ていたし、子供心に戻った気持ちで見ていたから。
しかし本当はずっと下心があったのかもしれない。間違いなく最初は下心からだったから。好きなエロイラストレーターがエロい絵を描いていたから見始めたし。
下心があったが、段々と内容に引かれて、純粋に見れるようになった。そして、浄化されたのだとおもっていた。しかし、やはり根には下心があるのは消せない。この下心がなければプリパラには出会えなかったのだから。
多分、恥ずかしいんだ。裸にされたような恥ずかしさだ。
そして多分、買ってしまうんだ。
好きになるいろんな要素の中の一つに「エロ」があったでいいじゃない
うーん、なんだかな…エロだけじゃないって感じる。増田の言う通り、一つの要素なのは間違いないとおもうよ。多分、プリパラがそっくりそのまま全員性別が逆転したら見ていないだ...
今まで女性が「結婚相手は金や顔じゃない」って言うのを「言い訳」だとか「図星」だとかおもってたけど、今理解した。 いやそれは残念ながら紛れもなく図星だろ 居心地がどうとか...
ぼくは下心を持ってみてます^^