2021年02月01日の日記

2021-02-01

anond:20210201212249

他の難病と大してかわらないのにアルコール依存症だけ目の敵にする意味がよくわからないので皮肉を言っただけなんですが

やべーやつに対してはそれ以上にやべーやつになって対抗するしか術がないと気付いた安アパート暮らし

いつかお金貯めて静かなところに住むんだ

職場集団接種することで、産業医連携して「会社にとってリスクになる人」を抽出できるから便利だね。あとは、いか労組と分断するかで。

やりたいことってなんだ

やりたいことが見つかって、それになる為に転職活動してるけどそれが本当にやりたいことなからなくなった。

今の現場はめちゃくちゃ辛い。

自信を持ってタスクをこなすことができない。

からないことだらけで、タスクを振られるたびに自信を無くしてる。

この現場を辞めたいですって言っても、会社面子があるからやめれない。

じゃあ、退職してやるって思っても、お世話になっている人がいるか簡単にはやめたくない。

負のループに落ちて何かしたいかからない。

いっそのこと体調崩してフェードアウトしたい。

anond:20210201212150

自分に不利な証拠は隠して良いんだよ

なんのために他の学者とかがいるとおもってんだ。

他のやつが、この嘘つきめって証拠を出す

それが社会常識

anond:20210201211432

ケースバイケースじゃね?

吾妻ひでおアル中マンガ読んでたら、

そんな簡単解決しそーにない人たちの話いっぱい載ってるで。

anond:20210201211448

最近刑事映画ってやらんのか?

逮捕されたとき黙秘権説明は受けるだろ

あなた自分に不利な証言拒否する権利があります

そうさするのは警察仕事であり

被告人はそれに反論する権利があるのであって

警察調査漏れにたいして証拠提示する義務はないどころか黙秘する権利がある

[]リップルやべえ

土曜深夜からやばかったけど、まさか今日70まであがるとかわからん

ぜってー手を出しちゃ遺憾素人

ギャンブルがすぎる

anond:20210201211448

いや、上野研究者なのにパフォーマンスレベルで不利なデータさなかったら

研究者エビデンス隠してるだけじゃん

「今は活動家からセーフ」という言い訳が通ったら

任意研究者が同じことできちゃうからエビデンス隠し放題では

流石に意味不明すぎる

anond:20210201211713

リコール活動詐欺を働こうとしたんだよなこれ。

不正した奴らには裁きを受けてもらおうや。

司法には頑張って欲しいわ。

anond:20210201211448

🙅「...ポチっ!アンタまたそんなキチャナイの拾ってきて!ナイナイしてきなさいっ!」

ココデスンナヤー

anond:20210201211448

今の社会学叩きは社会運動から不利なデータを隠すんだよ、もちろん。

anond:20210201211713

でも市議会の時は見過ごされたわけだしなあ

そっちとの整合性とかどうなるんやろ

anond:20210201211503

ばっちり健康体の若者らしいのでたぶん違います

ウーバーイーツは無いけど出前館ならかろうじてあるからしかしたら出前館をやってるかもしれません

知事解職署名、8割超無効か 法的措置視野愛知県選管時事ドットコム

https://www.jiji.com/jc/article?k=2021020100911&g=pol

意地でもこれをなかったコトにしようとする力が半端ない

絶対黙殺は許されない重大犯罪だろこれ

anond:20210201211440

ただ休業とコロナ収束第3回めが関連しているというのは非科学的の極み

街の状況をみても自粛は2回めほどではない。にもかかわらず、より大きな第3波が収束携行というのと

濃厚接触がいつのまにか、つば1適で感染というデマ肺炎感染防止に手を洗おうを筆頭に医学的に正しいかどうか謎の噂の流布)みたいな流れを考えると

 

まぁ、人殺しでいいとおもう。

とくに生まれてこなかった子たちにも謝れ

anond:20210201211309

全部閉まったら困るんだけど。

明日から何食べていけばいいんだよ。

anond:20210201205718

好意的に考えたら肢体不自由車椅子利用者クルマでの移動のほうが便利なのかもしれんし、

めっちゃ悪意を持って考えたら、

例の母子ひきころしといて「クルマ不具合からワシ悪くない」ジジイみたいに、老化で歩行に支障を感じてクルマ移動ならできるできる!マン、なのかもしれない。

社会学者たたきが日中から行われている件について

社会学者はどのように説明してくれるのだろうか、気になります(笑)

上野千鶴子は本当に「不利なエビデンスは隠す」と言ったのか

最近社会学バッシングにおいて「査読がないこと」に並んで使われがちな「社会学者の上野千鶴子が『自分に不利なエビデンスはもちろん隠す。それを悪いと思ったことはありません』と発言した」というエピソードについて。

※その件についてのTogetterまとめ

https://togetter.com/li/1214735

Twitter検索したところ、2018年4月2日にこのエピソード話題になったようだ。(元ツイート現在アカウントが凍結されているらしく、現在閲覧することができないため、元ツイート最初言及したと思われる閲覧可能ツイートリンクを以下に示す)

https://twitter.com/rionaoki/status/980726397747408896?s=19

まとめの中で貼られている画像は何度か引用されているらしく、高村氏のツイート以前にもこのツイート引用されている。(https://twitter.com/silver_fishes/status/980840049842401280?s=19) ※おそらくだが、元ツイートに貼られていた画像だと思われる

では本題に入る。

この引用箇所をもって、「上野氏が『不利なエビデンスは隠す。それを悪いと思ったことはありません』と発言した」と言えるのか、検証する。

画像で示されている箇所をまとめるとこうだ。

古市氏:戦略としてデータを出さないこともあるのか。

上野氏:パフォーマンスレベルの話としては当然。ただし研究者としては自分達の議論の弱点について正しく理解し、それに目を瞑ることがあってはいけない。そのことについて、小熊さんには「社会運動家としては正しい選択だ」と評価された。

ここで重要なのはパフォーマンスレベルにおいて、つまり社会運動の中で示すデータと、研究者として理解しておくべきデータは異なるということである

社会運動他者に対する啓蒙、啓発を目的に行われるものである。あるイシューについて無関心な他者理論を説き、自分陣営へと引き込むこと、そして同じ考えを持つ人々で連帯して社会を変革(もしくは維持)させていくことが社会運動目的であり、それ以外ではありえない。

この「社会運動」の他者への啓蒙において、戦略として(不利な)データ、つまり議論の“弱点”を示さないこともある、と上野氏は述べているのである

例として、反表現規制運動という社会運動について考えてみる。「あらゆる表現への規制は不当であり、反対すべきものである。」といった立場啓蒙しようとする場合はどうか。(文脈上、その主張を仮定せざるをえないため論点先取になってしまうが、J・S・ミルの「自由論」における議論を元にしていることを了解いただきたい。)

この立場には「誹謗中傷ヘイトスピーチ表現自由によって擁護されるべきものなのか」という疑問が生じうる“弱点”がある。そしてこの弱点について反表現規制陣営はこう説明するだろう。「我々は誹謗中傷ヘイトスピーチを推奨しているわけではない。それらは法によってではなく、人々のモラルによって抑制されるべきものである。」しかしそれでも疑問が生じうる。「表現に法による制限を全くかけない場合誹謗中傷ヘイトスピーチが(法によっては)放置されているというデメリット果たして“人々のモラル”だけで解決するものなのか、表現自由が“完全に”行使されているというメリット釣り合うものなのだろうか」

ここに「あらゆる表現に対する規制は不当である」とする立場の決定的な弱点がある。「もし自分家族些細なきっかけで不当な誹謗中傷に晒されたとしても、法によって罰することが出来なかったとしたら…」「人々のモラルによって解決されるべきものとは言うものの、誹謗中傷によって村八分になってしまえば誰にも助けてもらえずじまいなのではないか…」啓蒙された人がこのような不安を抱く可能性は大いにあり、そうなればその啓蒙は失敗に終わってしまう。

このような“弱点”を伝えるよりも、表現規制の恐ろしさや自由発言が出来なくなることへの危機感を説くほうが「(啓蒙によって連帯形成するという)社会運動目的を達成するための戦略」としては当然だ、と上野氏は語ったのであり、小熊氏もそれを「社会運動家としては正しい選択だ」と評価したわけだ。

ただし研究者としては別だ、とも上野氏は語っている。先述のような議論の“弱点”は研究者として知っておくべきで、それに自覚的であらねばならないというのは、研究者の矜恃としてごく真っ当なものであるように思える。ここに批判を加えるのは難しいように感じるが、どうだろうか。

さて、上野氏は「『不利なエビデンスは隠す』と発言した」と言えるのだろうか。

しかに、研究者として自身議論の弱点を知っておきながら、社会運動においてはその弱点を示さない、というのは不誠実な行為に思われるかもしれない。しかし、社会運動の中で議論の弱点をそのまま晒すということはすなわち社会運動の失敗を意味するのであり、そうならないためにも積極的メリットを伝えるほうが効果的だ、ということは先述した通りである

そもそも研究レベルにおいては“不利なエビデンス”も網羅し把握すべきである、ということは上野自身が語っていることであり、ここに誤解があるように思われる。もし研究において“不利なエビデンス”を意図的無視することがあったなら、上野氏はそれを許さないだろう。しかパフォーマンスレベルにおいては当然のことだと語ったのであり、この前後混同した誤読によってこのエピソードが「社会学エビデンスをないがしろにしている」という社会学批判に利用されているのだと推測する。

以上から、この記事結論としては「上野氏は不利なエビデンス研究者としては把握すべきだが、社会運動においてはそれを示さなくても許容されるうるものと語った」とする。

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