「何を嘲笑うか」を選ぶなよ
携帯業界で働いたらソフトバンク部隊の他キャリアにケンカを売る営業方法というえげつなさ・モラルのなさには辟易してみんな大嫌いになるとかは置いておいて、
きょうも全国的大規模通信障害起こして、それでも何とも思わないですか?
それがソフトバンクは頻繁。
どんだけ技術力ないの。
ニンテンドースイッチが品薄だった時期にヤマダ電機で「ソフトバンクAIR契約しないとスイッチは売りません」とかやってたのも絶対に許せないし(ヤマダ電機はソフトバンクの子会社)
あと、ネットに繋がった体重計だデジタルフォトフレームだを「無料で差し上げます」と渡して、実はそれが携帯1台ぶんの契約になってるとか人を騙すような商売ばっかりやってるから
そういうお騒がせ起こすたびに総務省から怒られてハゲが「俺が命令したんじゃなくて部下が勝手にやった、教育する」と言うだけで何もやらず同じことを繰り返す。
ちんこって巷で言われてるほど悪いことしてないのにな…
本体もある
TVはある。昔はTVでやってたけどもう居間のTVでゲームってみっともないから部屋でやりたい
ゲームの為にディスプレイと台を買って、部屋のレイアウトも動かしてというのはなんか億劫だし勿体ない気がする。折角安くソフト買ったのに
もう医者にやってもらいなさい・・。明日の9時までに近所の肛門科を調べて。
ふんづまりがまんしつづけてものを食べられなくなり腹痛で苦しんで死んだ若い女性の医学論文あるぞ。
解剖したらおなかんなかがすごいことになってたらしいぞ。
京都御苑の周囲を歩いたが、電線は地中化されているものの街灯や信号の柱が歩道に立ってて歩道が狭い。
車椅子だと難儀するんじゃなかろうか。
横断歩道の周辺は歩道沿いの側溝が木の板で蓋されてスペースが確保されている。
人間が裸でいることを恥ずかしく思うようになって「他人の性器を目に入れたくない」って人が多くなったから罪になってるのかな?
あとは被害者がいない行為でも風紀を乱すと判断されたものは犯罪になるね。
このへんは為政者の匙加減かな。
ちょっと話はズレるけど、授業で英語を話しやすいのはどっちのクラスか。
いやどっちも笑うなよ、という話ではあるが、どちらかというとAではないだろうか。日本人ならジャパニーズアクセントは(話したくなくても)話せるし、むしろ発音が苦手な人はその方が話しやすい。まあそれでいいから、とにかく英語を話すようにしよう!ジャパニーズアクセントも悪くないよ!というのは、今の学校英語教育の方向性でもある。
話を戻すと、「英語の授業で発音が良いとネタにされる風潮」は確かによくない。よくないが、そう意見した同じ口であなたはジャパニーズアクセントを笑っていないだろうか?
この話で一番問題なのは、ちゃんと英語を話したい生徒がその絶好の機会であるはずの授業中に話せないという点だ。これはよくない。しかし、英語を話せないことの、何がよくないんだろうか?
C. 発音が上達しないこと
増田やブコメで問題にしていたように見受けられたのはCの方だが、平均的な日本人にとってより深刻な問題なのは、明らかにDだ。つまり、英語の授業で発音が「良い」かどうかを気にしすぎる視線が、そもそもの弊害なのだ。私には基本的に増田やブコメには同意する気持ちがある一方で、それぞれの意見に見え隠れするネイティブアクセント信仰のようなものには、やはり引っかかるものを感じる。そこじゃないんだよ、と思う。
もちろん、英語を話すことと発音は切り離せない。わかる。ネイティブの発音ができればネイティブが話す英語のリスニングも上達するし、あとスペルも覚えやすくなる。わかる。しかし、インドやシンガポール、フィリピンの英語を考えれば、日本人が英語を話すために必要なのは「良い発音」ではないことも明白だろう。英語を「話す」能力を身に付けるために、発音を強調しすぎるのは、本末転倒だ。
ちなみに私は高校で英語を教えているが、生徒の発音をネイティブアクセントにするのは非常に難しいと思う。それに比べて、生徒に(ジャパニーズアクセントでも)英語を話させることは、まだ可能だ。「この授業は英語を話す授業です」ということにして、ちゃんとステップを用意すれば(大変だけど)、生徒は英語を話す。少なくともそういう授業を受けている生徒の間では、「良い発音」がネタになっている様子はない。もしかすると、「誰もが英語を喋らざるを得ない時間」が少ない授業では、「良い発音」はネタにされているのかも知れない。授業中に生徒が英語を話す必要がない場合、例外的なアクセントの英語は「おもしろい」のかも知れない。
ただ難しいのは、誰もが英語を話す状況だと、例外的なアクセントが「おもしろ」くはなくても、「わかりにくい」場合がある。つまり、「良い発音」が「わかりにくい」と、やっぱり生徒はジャパニーズアクセントになる。コミュニケーション上の要請というやつだし、アジア諸国の英語がネイティブアクセントでない理由に相当する何かだろう。かくいう私自身も、職場でジャパニーズアクセントの同僚と英語で話すときは、英語の発音をカタカナ語に近づけることがよくある。恥ずかしさとか、下手に出る的な心情がそうさせる。逆に相手がネイティブアクセントだとリミッターを外して喋るが、こういうリミッターは、コミュニケーションの内容をも規定する。英語の力量に差がある生徒同士で喋るときなど、彼らは極めてシンプルな英語を話している。
まあそういうわけで、私は、日本人が本当に英語を話せるようになるためには、こうした傾向はある程度はしょうがないと思っている。それよりも大切なことがあると思ってやっている。
蛇足を続けると、(矛盾するようだが)私はネイティブアクセントの練習は、英語を英語圏で使いたいなら、必須と言っていいほど大切だと思う。だから、学校でちゃんと教えた方がいいという多くのブコメの指摘には頷く一方で、実感として発音指導は難しいんだよなあとも思う。
まず何より、発音には、スポーツや歌、楽器の練習に似ているところがあって、生徒の適性によって教育効果にものすごく差が出る。私は音声学とかが好きで自分でもアメリカ南西部のアクセントを意識して練習したりもしていたので、教員になりたての頃は生徒にその手法を叩き込んでやろうとフォニックスとか口の形のトレーニングとかをよくやっていた。が、一斉指導ではなかなかどうして生徒の発音はよくならない。もちろん自分の指導力不足によるところが大きいのだが、そうして躍起になっていつも発音にフォーカスしてやっていると、それこそ生徒に英語を話させることが疎かになってしまって、いつの間にか「正しい英語」を押し付けるような授業になってしまっていた……と今になると思う。
おそらく、「発音が良いとネタにされる」ことに嫌悪感を抱く気持ちは、「正しい英語」を追求する「正しさ」を否定された気持ちに近いのだと思うが、日本人の英語に「正しい英語」など、そもそもない。極論だとは思うが、私はむしろ、日本人が喋る英語は、日本人にとってはすべて「正しい」のだと考えている。(ただし、英語圏にはそれぞれに「正しい英語」がある。その人の望む場所における「正しさ」はあると考えた方がよい。)
話が散逸してしまった。まあ言いたいこととしては、少数の事例を除いて、日本人の英語は、今までもこれからも、多かれ少なかれ、良くも悪くも、ジャパニーズアクセントなのだろうから、それを前提として英語を話せるようになることの方が大切だ、というようなことです。
日本人は、発音がよくならないから終わっているのではなくて、英語を話したいのに話せないことの方が終わっていると思うんで、それをなんとかしていこうと思っています。
🐱にゃ、にゃあ〜🐱お兄さん許して〜🙀にゃあ、にゃ〜😻壊れる〜🙀壊れちゃ〜う😿にゃあ😸
「野良猫がエサに毒を盛られて5匹死亡」というニュースを見た。
「かわいそうだなあ」と思ったけど
よくよく考えると自分もさっき生き物を殺したんだった。
クモと猫の命の重さは違うのか?
病原菌とかフンとかの迷惑さでいうなら、たぶん猫の方がクモの何倍も上だろう。
合理的に考えれば猫を殺してクモを守る方が遥かに理にかなってる。
ぶっちゃけ俺自信スマホにそこまで興味ないんでオタク知識なんて無いんだけど、
「店の外に出たらテメーの店のフリーWi-Fiが切れた」っていう話で、