あれは40年近く前。
母親が妹を妊娠中、あまり経過が良くなかったらしく度々入院していた。
その時、俺は3歳。
親父が「祐くんが頑張らないとお母さん死ぬかも知れないんだ、だから頑張れるよな?大丈夫だよな?」と言いつつ俺を家に放置して浮気相手の所に通っていた。
ずっと1人でパン食って、1人で寝て1人で起きてTV見て両親が帰ってくるのを待って。
母親も祖父母も親父が俺を世話してると思っていたんだよ、でも俺は1人放置されていたんだ。
病院に行っていたのでは無かったと両親がゴタゴタして知ったとき、絶対に親父に復讐してやると誓った。
「あんたも3歳の俺を放置してたじゃん。」つったら何も言ってこなくなった。
もう亡くなった母もきっとそう望んでいる。
「映像の世紀プレミアム」は、1995年度に放送された「映像の世紀」と2015年度に放送された「新・映像の世紀」を合体させ、さらにこれまでの放送にはなかった新たな映像を追加。
各回90分という長い時間をかけてたっぷりとお見せする豪華版です。
新旧2つのシリーズでは映像が誕生してから100年余りの歴史を編年体で描きましたが、今回の番組では芸術・女性・兵器などのテーマ毎に年間4本を放送します。
なんとかこの日までは生きてみようと思ったんだ。
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別に子どももいないが、もし子どもが自分の嫌いなものを好きになったらどういう態度をとろうか迷う。
ここで嫌いなものとは、食べ物とかそういう社会生活に必要不可欠なことではなくて、娯楽とか思想とかそういう場合。
もちろん一番良いとされるパターンは、子どもの好きなものは出来るだけ肯定して親がなるべく不干渉になることか共感してあげることだろう。
でも、自分の親を思い出すと俺が好きだと言ったものに対して、わりと普通に親は好き嫌いを表明していた気がする。
俺が「××が良い」と言うと、「えー、××のどこが良いの?」という風に難色を示していた。
ではそういうことをされて俺が親のことをどう思っていたかというと、別にイヤじゃなかったし、
どちらかというと親が親自身のパーソナリティな部分を持っているように感じられて、ある意味そういう部分を尊敬していた気がする。
そういう親の親個人としての感性を子どもとすり合わせずに独立させることで、また別のつきあい方が生まれるだろう。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
“そのテの活動”ってマイノリティセクシャルを「認知させる」のが目的であって、「増やす」ためのものではないよな?
例えば、同性愛を認めるために、私自身が同性愛者になる必要はないということだ。
でなければ、過去に抑圧されてきたマイセクの立場を逆にしただけでしかないということになる。
実際のところは知らないが、それと紙一重に感じる人が多かったから、批難の声があがったのだろうな。
それを矛盾しているだとか、差別だというのなら、この世のほとんどの人間は差別主義者さ。
そこを勘違いする人が同性愛者にもいるというのは、ある意味で「同じ人間」であることを実感させてくれるという側面はあるので、その点では評価したいかな。
今回、学ぶべき教訓はこうだ。
世の中には、YESでもNOでもないことが多い。
仮に「YESではない」と答えたとして、それが「NO」に直結するわけでもないということだ。
何かを認知するのに大事なのは、「NO」を無理やり「YES」にすることではなく、「NO」を「YESでもNOでもない」ことにすることさ。
余談だが、私はス○ワールドの温泉エリアで見知らぬ男からアレな話を聞かせられながら、あそこを触られたことが軽いトラウマだ。
まずReactの特徴は、「状態データから変換してビューを生成する」スタイルに統一されることにある。
これはjQueryをはじめとするDOM操作モデルでの、「初期状態ビューの作成」と「(イベントに伴う)状態変化からの部分ビュー変更」で構成するスタイルから脱却され、たとえば部分処理の積み重ねから想定外の状態が生まれることを防ぐ。
SPAは、クライアントが自立した1プログラムとして状態を管理する。サーバはUIと同様の非同期なイベント発生源/イベント発行先の一つとして扱う。またReactとReduxの組は、データベースサーバとサーバサイドページ生成のスタイルを、サーバとブラウザでやるようにシフトさせたものともみなせるだろう。
そしてReact自体には、JSX構文もbabelもいらない。JSXタグを書くよりむしろReact.DOM.div({...},...)等で書いたほうがプログラミングでは扱いやすい。JSXはサーバサイドページ生成のテンプレート言語利用文化に寄せた表現に過ぎないといえる。そして今ではbabelで変換する対象もES6 modulesのexport/importだけだ。これも分割ファイル対応のためにwebpackあたりを使うなら、ついでにbabelでES6 modulesも、といった程度のこと。
すでに一般に忘れられつつあるprototype, Dojo, Mooと同格であるjQueryのほうが五年後も活発にメンテされるのかどうか怪しいだろう。もちろん、レガシーなものとしては残り続けるだろうが。
Reactのモデルは関数型プログラミングのモデルそのものであって、そういう観点ではすでに何年も続いたものであり、React自体は消えたとしてもその手法は長く続くことになる。
1巻から通して読むと3巻の表紙をはじめ絵のクオリティが上がっていることがよくわかる。
話も洗練されてきてはいる。
3巻はまるまる妹編。いい感じで主役やワキに配置しておりいいアクセントとして機能させながらも展開し姉と妹の確執もなくなるという見事な収束。
ただクール教信者の悪い癖が出てきた。
彼はたくさん書いている作品を繋げたがる。登場人物が被ったり知り合いや血筋がいたりとか。
ゼルダの伝説やらドラゴンクエストやはては過去の作品などによくあるやつだ。詳しくは知らない。なぜなら嫌いだからそういうの。
ナシでも楽しめるが知ってるとニヤリとするという感じの遊びが嫌い。その作品を100%楽しめなくて損をした気持ちになるから。
そういった気持を持ったのでクール教信者の作品は徐々に買わなくなり、ついにはそのお遊びがない「おじょじょじょ」と「小森さんは断れない」だけ読んでいたのだけど3巻でついに悪い癖がではじめた。
4巻で最終巻ということだから我慢して買うけどもそろそろ控えてほしい。
あともうひとつの悪い癖としておっぱいの大きい女性を出さないと気がすまないほうは別に嫌いじゃなくてむしろ大好きなのでどんどんやってほしい。