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はてなキーワード: 琵琶とは

2020-03-26

Youは何しにTV業界に?

クソどうでも良いんだけど、芸能って、

映画演劇歌謡舞踊落語など、大衆的娯楽の総称演芸。」だとか、

学問芸術技能などについての(優れた)能力。」ってGoogleで調べても出てくるように、

基本、あくま大衆向け娯楽の総称なんだよね。

しかも、文字から語義の成り立ちを考えれば、芸術技術総称と考えるのが筋だよね。

まり元々は「自分の持つ芸術能力を売りにする」人が居て、そういう人が芸能人と言われてた訳で。

それが転じて大衆娯楽という意味に捉えられるようになったワケで。

今のTVに出てる人ってのは、あくまで「お笑い芸能」を売ってる人に過ぎないんだよね。

から言うなればYouTuberとかも一種芸能人だし、学者とか技術だって一種芸能人。

ましてや琵琶なんて昔からの娯楽であり芸術、古来日から江戸時代まで二重の意味芸能として使われてたワケで。

それを何も知らない素人さんが笑うのって、二重の意味ダメだよね。

お笑いは基本、素人弄りは御法度なんでしょ?

んで、琵琶を作る人なんて先輩の先輩……それこそ吉本なんかの興行が出来る前から昔の、大々先輩がお世話になった偉大な人物なんじゃないの?

ビートたけしとかさんまとか志村けんより更に上の先輩が世話になったかもしれないとは思わないのかな?

お笑い世界は、先達に敬意を払わない芸能人でも出世できる、そんなチョロい業界だったっけ?

そりゃ逆に、学者やら芸術家が素人バカにするのも御法度だよ?

そんな学者芸術家はdisられても仕方ない……ていうか、何様ってなるでしょ?

でも、だからと言って他の業種を軽視したりして良いワケじゃないよねぇ…………


ま、どうでも良いんだけどね。

2019-10-03

見なし芳一

今日は芳一の姿が見えないが、素晴らしい琵琶の腕前であったから、三日三晩琵琶を弾き続けたものと見做してやろう」

というネタを考えたが

そもそも芳一は盲目なので、そもそも『見無し』だったわ、ワハハハ

ちゃんちゃん

2019-08-17

琵琶湖にバレないようにちょっとずつ塩を混ぜて行ったら琵琶海になるかな

いっちょやったるか

2019-06-24

今夜アニメどろろ』が終わる

アニメのもの面白かったけど、Twitterでのファン同士の交流お祭り騒ぎで楽しかったなぁ。昔の漫画原作だけどファン層がやや若めなせいか、皆元気だし発想が奇想天外なので愉快なTLだった。

そんな『どろろ』オタライフだった。

ともあれアニメどろろ本体感想などを気がはやいけどつらつら書いとく。

あ、ちなみに私のスペックはというと、原作未履修のまま生き長らえてしまった、最近はあまりアニメに熱烈にハマれなくなっていたオタク自称するのは気が引けるほどの者。『どろろ』を見始める前に履修したのは『BANANAFISH』で、もう当分こんな悲劇的な作風はいいや、と言った舌の根も乾かないうちにどろろ沼に転落した。なお『どろろ原作アニメ前半期が終わるくらいにやっと履修。

では以下感想

タイトルは『どろろなのだがとかく目を惹かれてしまうのは百鬼丸である。なんせ顔がいい。

・初期の頃の百鬼丸は表情がまるでないのだけど、カメラワークによっては、うるさくまとわりつくどろろにすごく迷惑そうにしているような表情に見えるのがツボだった。単に角度の問題で実際そんなに迷惑してるのかどうか分かんないところが良い。

百鬼丸身体のパーツをあちこち奪われた重度の身体障害者であるという設定が、このアニメではリアル描写されててよかった。身体のパーツを取り戻して当人が感じるのは喜びだけじゃなくて戸惑いや煩わしさもある(むしろ喜びよりそっちの方がフォーカスされがち)という描写がいい。耳を取り戻す瞬間子供みたいに地団駄踏んでたのが印象的。

特に耳を取り戻したら世界に溢れる音が煩すぎて知恵熱出しちゃうとこがよかった。

百鬼丸身体を取り戻す度に、百鬼丸視聴者が思ってた以上に何も出来ないし何も知らない・分からない赤ちゃんであるというのが発覚していくのが面白い。しかし、発覚するごとに「あっ、なんかごめん……」と一視聴者百鬼丸謝罪がしたくなるのであった。

百鬼丸が16歳の赤ちゃんだと発覚してからは、彼が徐々に成長をしていく様に一々感動してた。つい自分の子供を見守るような目線で見てしまった。

・前半期でいちばん気に入ってるのが『守子唄の巻 上・下』。そのストーリー悲劇性もさることながら、最初から最後までテンポよくタイトにまとまっていて、とてもよい良い。

・ということにことのほか感動してしまうのは何故かというと、アニメどろろ』、全体的に面白いんだけど変にテンポが悪くてかったるい印象があるのが否めないからなのである90年代後半のロードムービーアニメ雰囲気がうっすらとあって若干時代遅れな印象も。

アートと娯楽の境目を綱渡りで進んでいてたまに足を踏み外して落っこちている、そんな感じのアニメどろろ』の全体印象である

百鬼丸から見れば敵サイドである弟・多宝丸が物凄く良い子に描かれていて好感度高いところが良い。そんな良い子が悲劇に巻き込まれていく鬼畜脚本シリーズ構成さいこう。

・今までアニメを観るのに監督には注目したことはあっても脚本家に注目したことはなかったのだけれど、小林靖子という脚本家に期待と信頼を寄せるようになってしまった。

・確かアニメ開始直後くらいは監督が例のあの人なのでどうせ地獄み溢れる展開になるとか、少し経つとどうせミオは梅毒死ぬんでしょとか噂されていたが、結局、監督が例のあの人だからどうということはなかったような気がする。ま、ミオが梅毒で死ななかった代わりに他のキャラが疫病にかかって大変なことになったのだが。やっぱり監督持ちネタなの?

悲劇の全ては小林靖子様のせいに違いないと思ってごめんなさい。そんなことはないよね、常識的に考えて。

琵琶丸カッコいい。

どろろコロコロと丸っこくてとても可愛いのだが、後半期にどろろ身体が実はガリガリに痩せ細っていることが発覚してヒィッてなる。あんまり食えてない設定なので当たり前なのだが、しかし、あの顔の丸さ加減はお肉ではなく頭蓋骨のものの丸みだったのか……そんな……。

醍醐夫妻の毒親っぷりに真面目に憤ってしまった。空想上の人物にそんなに真剣にプンスカしても仕方なくない?と思いつつも、つい。あの二人には天誅が下って欲しいと、いまだに思っている。

・やたら母性というものフォーカスの当たる本作。正直、今時それ?と最初は思ったんだが、登場する母親母親役のキャラが皆それぞれ人として未熟な部分があり葛藤を抱えているので、OKです。超絶母性愛で全てをミラクル解決するような話ではなくてよかった。

登場人物がそれぞれ目の前にしている相手勝手理想を見出だしているような描写がちょくちょくあるのがグッときた。例えばミオから百鬼丸おかかちゃんからどろろ、など。相手虚像に癒されてんだな……。

どろろ百鬼丸にかなり雑に扱われているのにも関わらず、それでも必死に彼についていく理由が、よくわからなくはある。

・親とはぐれた子犬子猫通りすがり人間必死についていくのと似たような心理なのだろうか。

どろろ百鬼丸の絆が深まっていくのを描写するのには、24話では尺が足りないのではないかと思う。

鈴木拡樹天才だ!絶叫の演技が特に良い。「地獄変の巻」で背骨を取り戻すシーンなど秀逸だ。

・後半期でいちばん何度も観てしまったのが「地獄変の巻」。演出家個性なのか単に制作時間と人手の欠乏かなのかわからないが、異彩を放ちまくりの画面に目を奪われてしまった。この話を担当した演出家総監督する『どろろ』を観てみたい。ただしちゃん制作費をかけて。そしたら私も微量ながらお金払うし!

・後半期の膝から崩れ落ちるようなあのOPは一体なんなの。曲そのものはいいと思うけど内容と全然合ってないじゃないか原作漫画そっくりそのままアニメ化したものOPというなら納得するんだけど。アジカンにどういうオーダーしたらこうなるんだ。

・そんなOP曲に映像を作ったスタッフもびっくりしたらしいが、いい感じの動画にまとめてくれて一視聴者としては感謝しかない。

・でも『鬼滅の刃』なんか観ると羨ましくなってしまうよなぁ。こんないいOPつけてもらってていいなぁ、と。

・『天邪鬼の巻』は楽しかった。おこわちゃん可愛い普通あいポジションキャラって性悪に描かれがちだと思うけど、おこわちゃんはしっかり者の良い子で素敵だった。

・『鵺の巻』の上げ落としが酷い(誉め言葉)。中々懲りない百鬼丸ェ。

身体のパーツを取り戻していき、喋れるようになって感情表現出来るようになっていった百鬼丸だが、実は優しい顔に反して内面もしかして結構、うん、性格悪い?将来ものっそいDV男になりそう。そんな危うい奴だったことが判明していくのがつらい。近距離にいるどろろがモロに精神ダメージ喰らってるのがとても可哀想まだ子供なのに……。

社会的弱者KKOに同情出来るか問題様相を呈してきた。なんて現代的で重いテーマなんだ。

・多宝丸と陸奥兵庫の絆がグッとくる。なのにあんなことになっちまって……。

百鬼丸と多宝丸の兄弟対決は、もはや和解の道が全然見えなくてしんどい。が、うまく和解したらしたでそれはぬるすぎる展開なのではないかと思ってしまう。

百鬼丸身体のパーツを取り戻すことの是非については、私個人としては、一度きりの人生なんだし他人とかどうでもいいから取り戻せば?と思う。どうせ死んだら人からまれようが関係なくなるんだし。

と、こんな感じの感想

最終回、何とか色々片付いて百鬼丸どろろには幸せになって欲しい気持ちもあるが、そうなってはぬるいという気もする。

しか百鬼丸がコロッと死んだり重い業を背負って生きてくというのもなんか違う気がするしな。

ともあれ、今夜の最終回を心して待つことにする。

2018-11-29

寿命環境で買える。環境は金で買える。

身バレ防止のためフェイク混ぜて書く。

先日、アクティ琵琶という有料老人ホームに行った。嫁の祖母(95歳)が一人暮らししており、定期的に訪問しているとのことで初めて訪問した。何の予備知識無く行ったら、想像を超えて豪華な建物だった。共有するスペース、居住スペース全てが凄く綺麗。琵琶湖を一望できる景色ご飯普通に美味しい。驚いていたら、ここは特別に豪華な老人ホームらしい。金がある人専用だ。なるほど、納得いった。だって施設内で会う人会う人、全員が皆年寄りなのだが、皆、気品がある。着ているものがお洒落な感じなのだ。喋った感じも、とても親切で余裕がある印象がだった。変な人が1人もいないのだ。皆、穏やかな感じなのだ。そりゃそうだ。金持っているという条件でもの凄くフィルタリングされた人間達だったのだ。嫁の祖母はなぜそんなにも金持ちなのか?それは違った。祖母の息子が金持ちなのだとある会社取締役だ。夫を先に亡くして、80歳ぐらいまでは一人で暮らしていた祖母だったが、少しずつ元気が無くなっていたらしい。(詳しくは書かないが、持病が2つぐらいあるのだ。高齢で手術もしている。)その様子を聞いて、仕事ばかりに打ち込んでいた息子が、いままでなんの面倒も見ずに一人暮らしさせていた事を悪かったと思い、高級老人ホームで住む事を勧めて、ポンっとお金を出したのだ。(この金額がとてつもない。ググれば分かる)祖母最初は「そんな知らない場所で住むのはいやだ。この家で最期まで住んで死ぬのだ」と言っていたけれど、見学に行ったらとても気にいって、すぐ入居したらしい。そりゃそうだろう。周りの人が皆いい人なのだものストレス無く楽しい。定期的なレクリエーションもある。食事バランス取れていて完璧文句のつけようが無い。そこに入居してから、一気に元気になったそうだ。そして現在 95歳。凄すぎである

別に長寿になるには金が必須とは思わないけれど、「金が十分にあって使い方を間違えなければ健康寿命は延ばせる可能性が高いのだな。」という当たり前の事を実感する経験だった。

2018-04-29

https://anond.hatelabo.jp/20180429024003

すまん、一般論ではないのだが、元増田は、声が単調で芸が感じられないのは

マツドウヤ・ユミでも受け入れられない

ただ琵琶浪曲とか演歌面白いのがある

2017-12-11

anond:20171211191736

あーわかるわかる、

俺もこの前仕事帰りに

正倉院歩いてたら螺鈿紫檀五絃琵琶

買っちゃったよ、カッコよすぎだろ

2017-11-01

葡萄美酒夜光

欲飲催琵琶馬上

酔伏沙上君勿笑

古来征戦幾人還

2016-09-19

ペアできた

元ネタ孤独北海道

  http://anond.hatelabo.jp/20160918023926

  

ブコメ:ペアできた

wrss 青森岩手/秋山形/宮城福島/新潟群/栃木埼玉/茨城千葉/東京神奈/静岡山梨/長野岐阜/愛知三重/石川富山/奈良和歌/滋賀琵琶/京都福井/大阪兵庫/鳥取島根/岡山広島/香川徳島/愛媛高知/山口福岡/大分宮崎/佐長崎/熊鹿/沖縄北海道

 

改変案

 http://anond.hatelabo.jp/20160919142837

北海道青森青函トンネルで繋がる仲

秋田山形東北地方日本海

岩手宮城東北地方太平洋

福島東北地方の余りもの

茨城千葉チバラキコンビ

栃木群馬北関東田舎

埼玉東京片思いするが東京神奈川を選ぶ

東京神奈川日本最強の京浜コンビ

山梨静岡富士山を挟んで喧嘩するほど仲が良い

愛知三重親分と舎弟

長野岐阜中部地方内陸組

新潟富山→米どころコンビ

石川福井北陸の雄とその通り道

滋賀兵庫京阪の別荘コンビ

京都大阪日本最古の喧嘩ップル

奈良和歌山近畿地味組

香川徳島関西寄りコンビ

愛媛高知関西寄ってないコンビ

鳥取島根山陰

岡山広島山陽

山口 →嫌われてそう

福岡大分大友勢力圏

佐賀長崎龍造寺勢力圏

熊本宮崎→挟まれてるコンビ

鹿児島沖縄島津勢力圏

 

 

さらに改変案

  http://anond.hatelabo.jp/20160919161927

福島新潟

富山石川 

福井滋賀 

兵庫岡山 

広島山口

2014-02-08

鬼武者サントラ収録時、指揮をした 新垣隆による楽曲解説(当時、佐村河内守作曲)と寄せ書き

多くの目に触れるようになる前から価格が高騰し、入手困難なCDであるため、これを引用公開することで、多くの人の目に触れることは、昨今の事情に照らし、有用だろうと思い、ここに記しておきます。じゃあ増田で書くなよ、というツッコミは効きません。たぶん期間限定

奇跡目撃者    指揮者 新垣隆

佐村河内スコアを詳細に眺め評価することは、近頃の劇音楽に屡々見られる基本的技術不足や、必要以上に技を凝らそうとする過剰なテクニックの持て余し。

これらとは明かに一線を画しているという事だ。

第一楽章邦楽静謐な、それでいて熱いエネルギーを内に秘めた佇まいから戦いを表現する大オーケストラへの見事な転換、目の眩むような、あたか生物細胞分裂の様な声部の増殖の緊張は、来たるべく英雄の出現(心に強く刻み込まれる主題[テーマ])を準備しているのだ。

第二楽章では、一楽章の主要な動機[モティーフ]や主題[テーマ]を巧みに変奏発展させてゆく、限られた時間の中で超絶的展開能力

神業である

そして遂に圧倒的なクライマックス突入する。

全く隙の無い構築力と完璧オーケストレーションには唯々感嘆するばかりだ。

これらの事が自然に在る、ということ、技術はその為にこそ使われなくてはならない事をこの奇麗なスコアは私達に示してくれている。

そしてこれこそが天才仕事なのだ

そんな氏の天才物語エピソードがある。

私がコーダ部の総譜を受け取りに氏宅に伺った日のこと。

着いてすぐ筆談で、まだ出来てないので待てとのこと。

以降氏は黙したまま延々4時間が流れた。

と突然立ち上がり、未だ見た事も無い80段はあろう巨大な五線紙を取り出し席に着くや否や、嵐の如くペンを走らせ始めた。

それは神憑り的な速さといった感じだった。

何やらスケッチでも書き写しているようだった。

10分も経った頃、「写譜なら手伝おう」と立ち上がり氏に近づいた私は思わず目を疑った。

氏が書き写している筈の五線紙の向こうには何も無かったのだ・・・・。

その恐ろしい光影に立ち尽くすばかりだった。

写し取っていたのは頭の中のスケッチだった、以降ペンは一度と止む事無く僅か20分で全ては終わった。

氏は見直しもせず「ポイ」と私に手渡した。

後に私が見直したところ、何の落度も無かった事は言う迄も無い。

こうして私は奇跡目撃者になったのだ。

注:引用者により、ルビを該当する熟語のあとに[]で読みを挿入してある。また、句点ごとに改行し、アラビア数字は半角に変更した。

交響組曲ライジング・サン』徹底アナリーゼ(分析)

遠い古からの声―長い間日本風土の中で培われてきた都節と呼ばれる伝統的な様式からこの曲は始まる。

この尺八の「息」が、はじめは琵琶の力強い一打や笙の開放的な響きを導き、外に開かれていく空間を形づくるが、つづく締太鼓合いの手を橋渡しとして、今度は逆に人間の持つ陰の部分、尺八の内に籠った響き、そこに影を落とす琴の不穏な調弦や笛の虚ろな息づかいなどが、前との微妙コントラストとして対置される―ここで提示された様々な要素(おもにコントラストという概念)がこの作品の全体を紡いでいく上での重要ポイントとなっている―。

やがて一本の竹のひびきは12もの竹(尺八)を呼び(ff)、静かに、しかし豊かにひびき渡る和太鼓の一打が大オーケストラを迎え入れ一転としてスペクタクルな場面に突入する。

前の部分と全く別な世界の様にみえるこの部分は実は冒頭の尺八旋律と深い関わりを持っている。

譜面を見てみよう。

(譜例1)ここでフレーズの後半にあたるAという部分にオーケストラ対応する。

(A')。

いわば西洋的に解釈―拡大される、という「複写」が行われる。

そして英雄の出現を伝えるファンファーレ(これは西洋で培われてきた伝統だ)につづいて(やはりこれも西洋伝統的な)ハーモニーのゼクエンツ(鎖)に乗って英雄テーマ提示され(譜例2)クライマックスを迎えた後、譜例1のBの和音の固定(オスティナート)による経過句に入る。

ここで邦楽の冒頭部分が新しい状況の上で再び現われる。

尺八サキフォーンに、笙がヴァイオリン群に、また12本の尺八は今度は虚ろで怪しげなハーモニーを醸し出し、三味線は乱れ(冒頭の拡大)、琴はますます不穏なアルペジュを掻き鳴らす、一瞬の閃光、地底から沸き起こったかのような轟音から出現したもの英雄テーマヴァリエーション、そして輝かしいマーチ(ファンファーレの変奏)―ここで西洋ハーモニーコントラスト(長三和音と短三和音)を挙げておく。(譜例3)

そして再びスペクタキュラーなシーンが登場し、コーダ(ゼクエンツ部分の変奏、このモティースがその後の楽章で大変重要役割を果たす)(譜例4)。

楽章は前半の静かな部分「夜の音楽」(佐村河内談)と後半の激しいアレグロからなるが、前章であらわれた様々なモティーフによる更なるヴァリエーションである

(一楽章ソナタ形式に於ける提示部と捉えるならば二楽章は展開部、三楽章は再現部とみなすこともできる)

楽章は前の余韻を受けて「能楽」の囃子コラージュ的部分を経て尺八の冒頭が再現される、ここでは笙のか代わりに弦楽器が増四度上で現れる、実に美事である

メインテーマがアダージュで(本来の姿で)再現され圧倒的なコーダで締めくくる……

以下は若干の譜例による指摘にとどめるが、この作品は様々な要素を複雑縦横に織り込んだ大変興味深い大曲であり、聴き手は注意深く聴き込む毎に新たな発見を見いださせる至宝の逸品と言える。

(譜例5)(譜例6)これは、まさに作曲者の静寂という苦悩の地より我々に届けられた一通の手紙なのだ……。

指揮者 新垣隆

引用者注:譜例3には『マーラー交響曲第8番(第6番かも、とにかく字が小さくて読みにくい)が想起される!』と書いてあるので、もともとマーラーが好きなんだろうと思う。また、誤字と思しきもの原文ママにしてある。

交響組曲ライジング・サン 参考動画

www.youtube.com/watch?v=ukFtX9iZPjU

余談だが、このサウンドトラックは贅沢にもxrcd2を採用している。ネットにある音源とは比べられないぐらい素晴らしい音楽が堪能できる。

2013-05-13

ギターのおなか(背中?)がえぐれてる

なんかさ、昨日ライヴビデオみてたら、

真っ白なギターのおなか(背中?弦が張られてない側)の真ん中あたりが

15cm四方くらい(推定)えぐれてて、素材の木が見えてた。(穴まではあいてない)


何をどうしたら、ギターのあそこが

あんなふうにえぐれるんだろう???

そりゃあさ、琵琶みたいに膨らんでる形状なら、わかるよ?

でも、ギターのおなか(背中?)って、フラットじゃん??


誰かわかるひと、いない?


ちなみに、エレキ関係いかもだけど。

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