はてなキーワード: 二島とは
2016年5月、安倍総理訪ロ。8項目の経済協力プラン提案して、プーチン氏に助け舟を出す
2016年12月、プーチン訪日。安倍さん必死にウラジーミル連呼するも、シンゾーとは呼んでもらえず
2018年11月、シンガポールで日ロ首脳会談。二島先行返還に方針転換を表明
2019年9月、東方経済フォーラムで伝説の「ウラジーミル、君と僕は同じ未来を見ている」ポエム披露
この安倍さんのトップダウンで行った北方領土返還・平和条約締結交渉に、ロシアによる北方領土実効支配強化・軍備増強の推移を重ねると、安倍さんがウラジーミル(笑)の意図を読み違えて、一方的に前のめりに譲歩を繰り返したことが見えてくる
2015年12月、ショイグ国防相が、択捉島・国後島に合計392の軍事施設建設予定に言及
2016年3月、北方領土・千島列島に地対艦ミサイル「バスチオン」、「バル」などの配備を発表
2016年11月、択捉島で「バスチオン」沿岸ミサイル大隊、国後島で「バル」沿岸ミサイル大隊が戦闘当直を行っている旨公表
2018年1月、択捉島の軍用飛行場である天寧飛行場、2014年に開港した新民間空港が軍民共用となる
2018年8月、戦闘機部隊(空軍)配備発表。Su-35戦闘機3機配備
2018年12月、東部軍管区司令官が択捉島及び国後島の宿舎を視察
以上を踏まえると、元外務次官の竹内行夫氏の次の論評が正鵠を射ていることが理解できる
プーチン氏は四島の帰属問題を解決して平和条約を締結するとした1993年の東京宣言を骨抜きにすることを目論んでいた
まず前提として、安倍政権は歯舞諸島と色丹島の二島返還でロシアとの領土問題を決着させ平和条約を結ぼうとしている、ものとする。
1. 日本はサンフランシスコ講和会議で択捉と国後を放棄している。よく言われる、「ソ連が勝手に宣戦布告して占領されてそのまま返ってきていない」というのは間違い。戦後処理を経て放棄している。
2. 逆に歯舞諸島と色丹島は戦後処理を経ていないので、未だ占領状態と言える。なので1955年からの平和条約交渉とその予備交渉において、ソ連は一貫してこの二島を返還するつもりでいた。
3. 上の平和条約交渉が最終的に頓挫したのはご承知の通り。最大の問題は日本側が予備交渉の当初から、歯舞諸島と色丹島に加えて何故か択捉島と国後島の四島返還にこだわったからである。
4. 鳩山一郎内閣が四島返還にこだわったのは、主に国民への人気取りのため。「ダレスの恫喝」は平和条約交渉期間内に起こったとされる出来事であり、大した影響はなかった。そもそも事実かも怪しい。
5. 日ソ共同宣言後も日本は面子を守るために北方四島を日本固有の領土とする立場を堅持している。ソ連やロシアとの平和条約締結は未だならず
ここでスーパーリベラル安倍政権の出番である。国内の歴史的な経緯や面子を無視して二島返還に舵を切ることができる安倍政権はとても評価できると思う。
## 追記
出典がなかった。
本文中の安倍政権の評価、鳩山一郎が四島返還にこだわった理由が脆弱な政権基盤を維持するための人気取りという推測は俺のものである。
それ以外は「日ソ国交回復秘録」にもとづく。この本は日ソ共同宣言までの予備交渉と本交渉において全権大使を務めた松本俊一の回顧録に注釈をつけたものである。原本は「ダレスの恫喝」の唯一の一次資料でもあるらしい。
原因・背景[編集]
1871年(明治4年)10月、宮古島から首里へ年貢を輸送し、帰途についた琉球御用船が台風による暴風で遭難した。乗員は漂流し、台湾南部に漂着した。船には役人と船頭・乗員合計69名が乗っていた。漂着した乗員66名(3名は溺死)は先住民(現在の台湾先住民パイワン族)に救助を求めたが、逆に集落へ拉致された。
先住民とは意思疎通ができなかったらしく、12月17日、遭難者たちは集落から逃走。先住民は逃げた者を敵とみなし、次々と殺害し54名を斬首した(宮古島島民遭難事件)。12名の生存者は、漢人移民により救助され台湾府の保護により、福建省の福州経由で、宮古島へ送り返された。明治政府は清国に対して事件の賠償などを求めるが、清国政府は管轄外として拒否した。翌1872年(明治5年)琉球を管轄していた鹿児島県参事大山綱良は日本政府に対し責任追及の出兵を建議した。1873年(明治6年)には備中国浅口郡柏島村(現在の岡山県倉敷市)の船が台湾に漂着し、乗組員4名が略奪を受ける事件が起こった[1]。これにより、政府内外で台湾征討の声が高まっていた。
開戦準備へ[編集]
宮古島民台湾遭難事件を知った清国アモイ駐在のアメリカ合衆国総領事チャールズ・ルジャンドル(リゼンドル、李仙得)は、駐日アメリカ公使チャールズ・デロングを通じて「野蛮人を懲罰するべきだ」と日本外務省に提唱した。
初代龍驤は台湾出兵の旗艦であり副島種臣と大久保利通をそれぞれ、中国に運んだ。
孟春(砲艦)は三本マスト・スクーナー型鉄骨木皮の小型砲艦で、台湾出兵に参加した。
外務卿の副島種臣はデロングを仲介しルジャンドルと会談、内務卿大久保利通もルジャンドルの意見に注目し、ルジャンドルは顧問として外務省に雇用されることとなった。当時の明治政府では、朝鮮出兵を巡る征韓論などで対立があり、樺山資紀や鹿児島県参事大山綱良ら薩摩閥は台湾出兵を建言していた。これらの強硬意見の背景には、廃藩置県によって失業した40万人から50万人におよぶと推定される士族の不満のはけ口を探していたことがある[2]。
1873年、特命全権大使として清国に渡った副島外務卿は随員の柳原前光を用いて宮古島民台湾遭難事件などの件を問いたださせたが[注釈 1]、清朝の外務当局は、台湾先住民は「化外」であり、清国の統治のおよばぬ領域での事件であると回答して責任を回避した[1]。その後、日本ではこの年秋、朝鮮使節派遣をめぐって政府が分裂し(明治六年政変)、また、翌1874年1月の岩倉具視暗殺未遂事件、2月の江藤新平による反乱(佐賀の乱)が起こるなど政情不安が昂じたため、大久保利通を中心とする明治政府は国内の不満を海外にふり向けるねらいもあって台湾征討を決断し、1874年(明治7年)4月、参議の大隈重信を台湾蕃地事務局長官として、また、陸軍中将西郷従道を台湾蕃地事務都督として、それぞれ任命して軍事行動の準備に入った[1]。
明治六年政変における明治天皇の勅裁は、ロシアとの国境を巡る紛争を理由とした征韓の「延期」であったため、ロシアとの国境が確定した際には、征韓派の要求が再燃する可能性が高かった。政変で下野した副島にかわって外交を担当することとなった大久保としては、朝鮮よりも制圧が容易に思われた台湾出兵をむしろ積極的に企画したのである。
台湾出兵に対しては、政府内部やイギリス公使パークスやデロングの後任のアメリカ公使ジョン・ビンガム(John Bingham)などからは反対意見もあった。特に、参議木戸孝允らの長州系は征韓論を否定しておきながら、台湾への海外派兵をおこなうのは矛盾であるとして反対の態度をくずさず、4月18日、木戸は参議の辞表を提出して下野してしまった。そのため、政府は一旦は派兵の中止を決定した。
水門の戦 最も激しい戦いであった。当時の日本人による版画[3]
国立公文書館が所蔵している公文書によると1874年4月4日、三条実美により台湾蕃地事務局が設置される。(以後の任命は当時太政大臣であった三条実美からの奉勅となっている)同年4月5日、台湾蕃地事務都督に西郷従道が任命される。[4]同年4月6日、谷干城と赤松則良に台湾蕃地事務局参軍と西郷従道を輔翼し成功を奏する事を任命される。[5]同年4月7日、海軍省から孟春艦、雲揚艦、歩兵第一小隊、海軍砲二門と陸軍省から熊本鎮台所轄歩兵一大隊砲兵一小隊の出兵命令が命じられる。[6]という経緯になっている。
5月6日に台湾南部に上陸すると台湾先住民とのあいだで小競り合いが生じた。5月22日、台湾西南部の社寮港に全軍を集結し、西郷の命令によって本格的な制圧を開始した[1]。6月3日には牡丹社など事件発生地域を制圧して現地の占領を続けた。戦死者は12名であった[1]。しかし、現地軍は劣悪な衛生状態のなか、亜熱帯地域の風土病であるマラリアに罹患するなど被害が広がり、早急な解決が必要となった。マラリアは猖獗をきわめ、561名はそれにより病死した[1]。
明治政府は、この出兵の際に清国への通達をせず、また清国内に権益を持つ列強に対しての通達・根回しを行わなかった。これは場合によっては紛争の引き金になりかねない失策であった。清国の実力者李鴻章、イギリスの駐日大使パークスは当初は日本の軍事行動に激しく反発した。その後、イギリス公使ウェードの斡旋で和議が進められ、8月、全権弁理大臣として大久保利通が北京に赴いて清国政府と交渉した。大久保は、ルジャンドルとフランス人法学者ボアソナードを顧問として台湾問題を交渉し[7]、主たる交渉相手は総理衙門大臣の恭親王であった[1]。会談は難航したが、ウェードの仲介や李鴻章の宥和論もあって、10月31日、「日清両国互換条款(zh)」が調印された[1][7]。それによれば、清が日本軍の出兵を保民の義挙と認め、日本は生蕃に対し法を設ける事を求め、[8]1874年12月20日までに征討軍を撤退させることに合意した。 また日清両国間互換条款互換憑単によると清国は遭難民に対する撫恤金(見舞金)10万両(テール)を払い、40万両[注釈 2]を台湾の諸設備費として自ら用いる事を願い出費した。[9]また、清国が日本軍の行動を承認したため、琉球民は日本人ということになり、琉球の日本帰属が国際的に承認されるかたちとなった[1]。
日本と清国との間で帰属がはっきりしなかった琉球だったが、この事件の処理を通じて日本に有利に働き、明治政府は翌1875年(明治8年)、琉球に対し清との冊封・朝貢関係の廃止と明治年号の使用などを命令した。しかし琉球は清との関係存続を嘆願、清が琉球の朝貢禁止に抗議するなど外交上の決着はつかなかった。
1879年(明治12年)、明治政府のいわゆる琉球処分に際しても、それに反対する清との1880年(明治13年)の北京での交渉において、日本は沖縄本島を日本領とし八重山諸島と宮古島を中国領とする案(分島改約案)を提示したが、清は元来二島の領有は望まず、冊封関係維持のため二島を琉球に返還したうえでの琉球王国再興を求めており、また、分島にたいする琉球人の反対もあり、調印に至らなかった。
また、明治政府は兵員輸送に英米の船会社を想定していたが拒否され、大型船を急遽購入して国有会社の日本国郵便蒸汽船会社に運航を委託したがこれも拒否され、大隈重信はやむなく新興の民間企業である三菱を起用することに決定したが[10]、この協力により、以降、三菱は政府からの恩恵を享受できることとなり、一大財閥になるきっかけとなった[11]。
日本軍の損害は戦死8名、戦傷25名と記録されるが、長期駐屯を余儀なくされたため、マラリアなどの感染症に悩まされ、出征した軍人・軍属5,990余人の中の患者延べ数は1万6409人、すなわち、一人あたり、約2.7回罹病するという悲惨な状況に陥った。
1871年(明治4年)、兵部省は、陸軍省と海軍省に分かれ、軍医寮は陸軍省に属し、軍医頭は松本良順(のちに順)であった。台湾出兵当時、軍医部は創立より日が浅く経験不足であったが、総力を挙げて事態にあたった。出征軍の医務責任者は桑田衡平二等軍医正(少佐相当)、隊付医長は宮本正寛軍医(大尉相当)であった。他に24名の医官を従軍させた。医官は全員奮闘したが、極悪の環境と猛烈な伝染病で病臥する者が多く、西郷都督からは薬だけでも兵士にあたえてほしいと要請された。医官の多くは漢方医で、熱帯病の治療にはまったく経験がなかったという。かれらは交代の22名が到着したため、ようやく帰国できた。宮内省からは外国人医師が派遣された。ドイツ出身のセンベルゲル(Dr. Gustav Schoenberg)は、東京大学医学部の前身にあたる大学東校お雇い外国人医師レオポルト・ミュルレルの推挙であったが、能力がなくトラブルを起こした。しかし、彼とともに送られた6台の製氷機械は大いに役に立ったといわれている[12]。
○朝食:プリンどら焼き
○夕食:すがきや
○調子
はややー。
明日も、新人さん二人に色々教えつつ、来週の準備をするだけかな。
●DS
わーい、わーい。
とはいえ、攻略サイトを解禁すると、どうもクリア後の裏ダン的なので、もう5Fまであるらしい。
でも、これで終わりでいいかなあ。
DSの下画面に地図を書いてダンジョンをマッピングしていくところが、とにかく楽しかった。
ちなみに、キャラクタの名前は「〜〜〜百合」と百合の一種の名前になる繋がり。
・ヒメ(パラディン)
敵が力を貯めたり、いてつくはどう(的なのね)食らった直後などはフロントガード、
「チェイス」という、味方の属性攻撃に追撃を加える、攻撃力No1で、攻撃の要。
ただこの、味方の属性攻撃を挟まないと攻撃できないのが、若干回りくどくて、ピンチのときは稼働できないこともあった。
とはいえ、準備万端のときの全体術式+チェイスは超攻撃力高くて、楽しかった。
・カノコ(バード)
自分かヒメに序曲で属性を付与して、コオニちゃんのチェイスの発火をさせるのが目的。
とはいえ、ヒメの防御陣形、ウケの医術防御で味方強化の枠が二つ埋まるので、攻撃力アップか、序曲かの二択になるのが面倒だった。
大体は、攻撃力アップ、防御陣形、医術防御をかけたあと、自分に攻撃力アップを外すように序曲をかけてた。
ぶっちゃけ、できることは色々あるのに、この強化枠三つのせいで、暇な時も多くて使いこなせなかった。
・ヤマ(アルケミスト)
大爆炎の術式、大氷嵐の術式、大雷嵐の術式、の三つを使い分けて全体攻撃を加える仕事の人。
敵が多い雑魚戦では便利だったけど、足が遅いからどうしても回復のTPも必要で完全作業にはできなかった。
あと、ラスボスやFOEみたいな単体で出てくる敵には、あまり効率が良くなくて、コオニのチェイス発火が目当てのことが多くて、TP節約のために最弱の呪文の火の術式を唱えることもよくあった。
・ウケ(メディック)
医術防御をかけたあとは、エリアキュアIIを連発するだけの簡単なお仕事のキャラ。
まじでやることがこの二つしかなくて、使ってて暇なキャラだった。
とはいえ、医術防御はかなり防御力がアップするし、エリアキュアIIはほぼほぼ全員が全回復だしで、強かったのは間違いなかった。
でも、道中のザコ敵では戦闘後の回復役って感じで、戦闘でなにもできないのが微妙。
こういう、キャラクタを育てるゲームは楽しかった、もうちょい感想を突き詰めたいな。
感想はそれはそれとして、次はどのゲームをプレイしようかなあ。
●3DS
普通にプレイ、すれちがいフィッシングの全島コンプがあと二島。
台確認のみ。
○ポケとる
・デイリー要素
をやっただけ。
デイリー要素のみ。
ログボのみ。
右翼側として北方領土は全島返還、現実ラインでもせめて二島返還確定が
望まれていたと思うが
お父ちゃんのやってきた日ソの平和条約に踏み込んだゾ!という安倍首相の感慨はさておき
右翼側からすると、アカに歩み寄り、金をバラマキ、北方領土は棚上げで、とくに褒めることはない
それどころかブチギレても良いはずだった
> 今回の日露首脳会談を受けて、北方領土問題が解決する前に北方領土で共同経済活動を行うことへの賛否を聞いたところ、
> 「賛成」との回答が59%で、「反対」の25%を大きく上回った。
> 今後の北方領土問題の進展に「期待する」は60%、「期待しない」は29%。
> 安倍内閣の支持率は11月の前回調査から3ポイント増の51%、不支持率は1ポイント増の32%だった。
バカ化だ
勝手に「保守の思想が根付いた」と好ましく思っていたのがバカらしくなる
思想なんてない、テレビで見てなんとなく良いと思えばなんとなく支持する
日本人の信念なんてないのかと
国民がここまでのバカの集まりとなると一体この国の何を保守すればいいんだ
経済協力で島が帰ってくるなら竹島・尖閣問題なんておきてないんだよ・・・
目を覚ましてくれよ
東郷茂徳の孫で、父親の文彦も外交官の三代続きで、外務省ロシア局長やってた
痴漢で逮捕されてたがそのことは隠蔽されており、その後ワシントンポストに転じてから再び
痴漢行為で逮捕されて以前からの数多くの行為が明るみにされてる。この
痴漢記者・東郷茂彦がワシントンポストでスクープしたのが雅子妃皇太子妃内定情報だった。
父・小和田が外務省だから、弟の和彦が、兄の名誉回復のために流してやったのかもしれないが、そうした私情からか、こういう
痴漢記者に情報扱わせたことが、思い返せば今に至る皇太子妃の回復不能な鬱症状の不吉な流れの発端だったのだろう。
兄の和彦も鈴木宗男と二島先行返還路線で突っ走った挙句に贈収賄事件にまみれて失脚している。そもそも日米開戦についても
祖父・茂徳の、ハル・ノートの扱いを含む、日米交渉能力の拙さに相当の責任があったことが自明である。こう考えれば、
東郷一族全体が、日本国に与えた損害は計り知れないと言えるが、この
東郷家は、実に、豊臣秀吉の朝鮮出兵時に日本に連行されてきた陶工の子孫なのである。
その苗字は日露戦争の東郷平八郎から借り受けたものなのか、日露戦争の結果として
太平洋戦争で日本が侵したミスのうち、前段の甘い判断「中国と米国を同時に相手にしたこと」
は現代戦略史において指導部の無能ぶりと、教訓を示す教材となっている。
ケンカでも武道でも戦争でも、またビジネスでも「1度に戦う相手はひとり」の鉄則がある。
『二方面への同時対応は絶対にやってはならず、
二者と戦うなら、一方との戦いが終わるまで片方とは手を結ぶフリをしなければいけない』
間違っても戦争にはならないが、日本が失うものは多く、実質的な発言権を削がれ
二島の問題を処理出来ないという弱みが明瞭になる。
今はすでに止められる雰囲気ではなくなっている。
■二方面対応を仕掛けて得をするのはダレなのか
今回、訪米中の石原都知事が尖閣の問題を持ち出したタイミングと
三国のだれが領土問題で得をするのかどうか、マスコミは全然報道しないし、討論もない。
中国が尖閣を欲しがっているのは事実だろうが、時期的には今である必要は全然ない。
むしろ自国の力がさらに上がり、日本がもっと弱ってからでよかった。
だから中国としては『なんで今やるのか!?』とかなりイラついている。
歴史的にずっと棚上げされてきた問題を、なぜこのタイミングで持ち上げる必要があるのか?
国同士の駆け引き、問題には必ず利得が絡んでいるが、現状で得をしているのは
せいぜい、国内問題の不満・うっぷんを向けさせる程度だろう。
具体的に言えば、
・日本 原発問題から目を背けさせたい原子力ムラの面々と支援者
・中国 慢性的になりつつある格差問題から目を背けさせたい党中央
いずれも紛争に発展しえる問題(リスク)を、メリットに繋げる理由としては弱い。
あえて領土問題を引き起こす理由に足りるのは、調停者として登場することで、
日本・中国・韓国の接近を阻み、極東での影響力を維持したいデバガメ的な米国の勢力だろう。
二方面対応にならなければ日本は困らない。調停者を呼ぶ理由にもならない。
歴史的に同じ轍を踏むだろうと見越した連中に、
二方面対応の罠をかけられ、まんまとはまり込んでいるのが今の日本の姿である。
自分は日本国民なので当然、尖閣も竹島も正式に日本国の領土であるとしてもらいたい。
現代の戦争は完全な経済行為だから、勝ったとしても恐らく赤字である。(弾>>>魚)
だから、勝つつもりなら最低でも50年計画くらいは建て欲しいと思う。
どの党も脱原発は掲げるんだろう。
「あっちが20%なら、うちは15%、なに、あそこは10%だと!ええい、0%だ!」
ってな具合なんだろうな。
空気読まずに石原閣下が「バカなこと言うな。原発なんか東京湾にも建設できる」
みたいなヤジを飛ばすだろうけど、くちだけくちだけ。
「年金制度は変えるけど、給付額は下げません、国民負担は増やしません!え?どうやってって?それはまあごにょごにょ、都合いい試算で100年安心だから聞かないでください。」
って感じなんだろうな。
「いえ、景気対策に使うべきです!」
あれ?年金改革どこいった?みたいなわけのわからない議論になるんだろうなと。
どこも似たりよったりの主張だろうけど、自民と民主と維新で小選挙区の不動票を食い合って、票が堅い公明が漁夫の利。
消費税増税反対以外になにも口にできない共産党は議席を失うだろうな。
韓国が騒いでくれてるおかげで、領土問題解決を唱えて選挙に望む党も多そうだな。
竹島はバカ騒ぎしてくれてるおかげで逆に取り返せそう。
北方領土は厳しいな。
二島で妥協しとけば安く戻ってきたのに、四島とかもう無理っぽいよな。
元島民が寿命をむかえたら、取り返すための大義も減るしな。
いいほうに転んだって
「どうしても欲しいって言うなら、土下座すれば売ってやってもいいよ、ただしすっげーふっかけるけど。」
竹島も北方領土も水産資源くらいだけど、尖閣は石油が莫大な量眠ってるわけで。
台湾も領有権主張してるから、中国の敵は味方って具合に日本側についちゃくれないしな。
領土問題対中国連合ってことでフィリピンとベトナムと日本でチームを組んだってなぁ。
ウルトラCで「竹島はやるから尖閣では日本の味方してくれ」って韓国と密約とか。
まんまと裏切られそうだけど。