はてなキーワード: thinkpadとは
再生品のThinkPadを使い始めてから、なんだ、これでいいじゃん、と思っている。
PCの用途は主にネットで調べ物をしたり、文献を読んだり、文章を書いたりすることなので、第3世代のCore i5にRAM8GBの構成で今のところ何の支障もない。ThinkPadのキーボードは、やはり打ちやすい。
5年以上前には20万くらい出してMacBook AirにCore i7と256GB SSDを積んだりしたこともあったが、なんかもう、ちょっと前のThinkPadも大して変わらない、と今では思える。
ThinkPadにしてよかったな、と思うのは、気温が下がってきた時だ。
筐体が樹脂製なので、金属製のMacと違って、手触りの冷たさを心配する必要がなくなったのだ。
今になって思うと、冬の朝のMacのヒヤッと来る手触りは、相当なストレスだった。
よくあんなに冷たいものを毎日頑張って使っていたものだと思う。
Macのあの金属感はいったいなんなのだろう。あれは「ずっと触っていたい手触り」を意図して作られているのだろうか。
それとも、高級なブランドの服のように、ちょっと無理をしてでも、スタイルの良さのためには維持するべきものなのだろうか。
よくわからないが、今の自分にはもうあの冷たいMacの手触りを手のひらで感じながら、冬の朝にトラックパッドを操作することはもう無理だ。
まあでも
エントリーモデル『ThinkPad i Series 1424』は、CPUにモバイルCeleron-400MHzを採用する。そのほかのスペックや機能等は現行モデル『1456』と同じで、64MBのメモリー(SDRAM)、最大24倍速のCD-ROMドライブ、4.8GB(E-IDE対応)のHDD、DSTN液晶パネルの画質を向上させた13インチHPAカラー液晶ディスプレー(800×600ドット/1677万色)などを搭載する。
このスペックでよく頑張ったと一応は褒めてあげたい
興味深い例だと思う。機械がある程度改造できる余地があってはじめて、創造性を発揮することができるように見えるから。
機械の部分をいじって、全体の動きを変えることができるには、部分と全体の関係をある程度理解している必要がある。
そして、それぞれの部分は、人間の手でいじって、壊さずに変えることができるくらいには、単純なものでなくてはいけない。
最近のPCで失われてきているのは、この部分と全体の関係じゃないかという気がする。
Macみたいに製品が高度化して、部分と全体の有機的な結びつきが、ものすごく緊密になっていくと、部品をひとつづつ取り出して交換したり、改変したりすることが難しくなってくる。
ぜんぶひとつのボードにはんだ付けしてあったり、糊付けしてあったり、フィルムで覆ってあったりするので。
素人の手で分解修理することができないから、お店に持っていくしかない。預かった側も、複数の部品が一つのボードに合体しているので、多くの部品を、あるいは本体そのものを交換ということになる。
作り手の企業が意図したとおりに動くよう、PCを設計すればするほど、ユーザーにとっての遊びの要素がなくなっていって、ユーザーは受動的な消費者になってしまう。
最近、作り手の企業とユーザーとの間の、この不均衡がやや極端になってきている気がする。
PCがコモディティ化して、PC製造販売は普通にやっていると利益の薄い産業になったので、製品をブラックボックス化してユーザーに触れないようにすることで、定期的な買い替え需要が発生することを確実にする必要があるのじゃないかと思ってしまう。
AppleがMacを毎年少しずつバージョンアップして発表するごとに、スペックが上がれば値段も上がっていくのはあたりまえだと消費者は納得しがちだが、必ずしもそういうことはないと思う。
テクノロジーはすぐにコモディティ化して、価格が下がっていくという視点がここには抜けているから。
部品がとても交換しやすかったThinkPadもMacと同じ途をたどっていることは、こうした兆候の表れかもしれないと思う。
今年発表されたThinkPad X280では、これまで取り外し可能だったバッテリーが内蔵型になり、かんたんに交換できなくなってしまった。メモリもフィルムに覆われて、どこにあるのかわからないようになってしまった。
新型のMacBook AirやiPad Proの発表を待ってはみたが、結局、秋葉原に行って再生品のThinkPad X240を買った。中古ではなく、再生品だ。
37000円くらいだった。RAM が4GBのモデルだったので、Amazonで8GBのメモリを6000円くらいで買った。だから合計43000円くらいだ。
新型のMacBook Airで最低スペックのものを買う代わりに、このThinkPadが3台買える計算だ。
X240はいまから5年も前のモデルなので、もちろんCPUの速度は最新型のMacBook Airより遅い。
でも普通にネットサーフィンをしたり文章を書いたりするくらいの用途だと、第3世代のCore i5はじゅうぶんすぎるほど快適で、起動も早い。
重量はMacBook Airとほとんど変わらない。
IBM Refreshed PCという、IBM委託工場のラインで検査を行いリファービッシュしたものなので、パーツがきれいで不具合もいまのところない。正規ライセンス品のWindows 10もついてくる。
なぜこんな古いモデルのPCを買ったのかというと、自分で分解して、自分で取り寄せた部品で修理して、使い続けることができるPCが欲しかったからだ。
Apple製品を買うようになってから、PCを含む電子機器を少しずつアップグレードしたりメンテナンスして使い続けるのではなく、まるごと買い替えることに慣れてしまった。
iFixitというサイトでは、電子機器の修理のしやすさに点数をつけて評価しているのだが、最近のApple製品は軒並み最低評価となっていることは、よく知られている。
つまり、Apple製品に不具合が起こった場合、素人が自分で分解修理することはまず無理なので、Macはブラックボックスになってしまっている。
最新テクノロジーを詰め込んで、しかも軽くしようとしたら、こんな構造になってしまいました、という言い訳もたつのかもしれないが、結果的に、Apple製品が分解できないという事実は、PCを使う人を完全な消費者にしてしまう傾向を強めていると思う。
毎年Apple新製品の発表をそれとなく待ってみても、前のモデルから少しずつスペックが増すだけで、さほど変わり映えのしないものがどんどん高くなって登場してきて、買ってもさらに買い替えなくてはならないと思うと、最近はなんだかもういやになってしまった。
ThinkPadを使っていると、PCは概念にすぎないのだと思えてくる。
X240というモデルに限らず、ThinkPadの旧製品の主要なパーツは、秋葉原のジャンクパーツ屋を覗かなくても、eBayを検索すると、いくらでも中国製の新品が見つかる(しかも秋葉原より安い)。
換えようと思えばだが、マザーボードまで買って取り換えることができる。
ThinkPadの旧製品を分解してパーツを換装するための情報は、検索すればほぼ必ず見つかる。Lenovoはご丁寧に、自社製品を分解するための動画まで公開している。
このように、部品と分解のための情報が充実しているので、ThinkPadを使っていれば、世界中どこにいても、自力で部品を取り寄せて修理することが(ある程度まで)できる。
バッテリー、キーボード、ファン、スクリーン、筐体等はどんどん交換していくことができるので、ThinkPadという同じPCでありながら、気づけばほとんどの部品が別のものになった状態でも、使い続けることができる。
ThinkPadのこういう周辺環境は、不思議な安心感と楽しさを与えてくれる。
まるで、旧式の戦車やバスや列車の部品を自分で換装しながら、運用していくような楽しみを感じる。
これは、Apple製品を使っていた時とは違って、自分が受動的な消費者ではなくなった安心感と楽しさなのではないかと思う。
ThinkPad X240の弱点は1366x768という解像度の低いディスプレイなので、あと1万円くらい追加して、フルHDのディスプレイに換装しようかと思っている。
Thinkpad X280「呼ばれたような気がしたぞ」
我が家は仕事の都合で夫婦ともに専用のパソコンを所有しており、今までは私か夫のパソコンを借りるという形で利用させていた
子供にパソコンを買い与える事自体はうちの教育方針として別に問題ないのだが、さすがに家電量販店で十数万円で売ってるような高額なものは家計に響く
そこで、ネット閲覧程度を想定した、最低限の性能で安価な物を来月の誕生日プレゼントに検討しようと思っていのだが、何をトチ狂ったのか夫が翌日いきなりパソコンを買ってきた
それは数千円で中古屋で買ってきたという、何年も前のモデルのThinkpadだった
そして無償配布されてるLinuxか何かをインストールし、息子にドヤ顔で「さあ、お望みのパソコンだぞ!」と渡した
当たり前だが、息子は全く喜んでいなかった
夫の熱心な指導もあって、一応ネットを閲覧する程度の事は出来るようになっていたが、息子は相変わらず私のパソコンを使いたがった(夫は『もうパソコンは持ってるだろう?』と取り合わなかった)
そんなこんなで、翌月の誕生日を迎えた頃には息子はパソコンにあまり触れなくなり、私のパソコンを借りる事も少なくなっていった(Thinkpadは埃を被っていた)
これはまずいと思い「そのうちちゃんとした新品のノートパソコンを買ってあげるから」と言い、当初の予算よりも少しオーバーしたものを買い与えた
この記事
MacBook Proを捨ててThinkpad T460sを買ってgentooを入れた
http://d.hatena.ne.jp/joker1007/20161125/1480069437
以前のはてななら文脈も読まず無理やりMac援護するブコメであふれていたはずだ。
これくらいしかいなかった
↓
ktomo 普通にT460sを買ったって言えば済む話なのに、わざわざMacBook Proを捨ててって書くところがアクセス乞食だよね。捨てはしたけどブランドには頼るみたいな醜悪な精神がはてぶ民らしいですね。
tzt どうしてもモバイルで開発しなければならない理由がある人ってどれくらいいるのだろう。別にモバイルに拘らないなら開発用には価格改定で16万からに値が下がってるiMac5kを買うのが今は賢明な選択。
bigburn 高スペックのコスパ重視ならそっちになるよな。しかしMacのアプリは「触ってて気持ちいい」という依存性があるのです…