はてなキーワード: サブリミナルとは
問題になってるのはドラマの多さじゃなくて、
だな。Tumblr見てるとこういうのがたくさん流れてくる。
フジテレビの韓流推しがすごいことになっている。私的には、あれはとにかく否定した方が良いと感じる。「幼稚な批判カッコ悪い」「嫌なら見るな」という論では済まない。なぜならば「電波は国民の財産」であり、民間企業であろうと公共性を持たなければならない。
「公共性とは何か?」。それは「共通の利益」「共有財産(公共財)の維持管理」「共有する規範(常識)の創出」「共通の関心事(ニュース)などの伝播」などが挙げられる。このことから、フジテレビが行っているのは、明らかにサブリミナル的に韓流を押しつけるという「恣意」と「自己都合」によるものだ。我々国民全体が「共通」として韓流を全面に推したいというのであれば、話は別だ。しかし、そんな話は聞いたことがない。あればご一報お願いしたい。
そして何が一番の問題かというと、それは今後起こりかねない「事実の捏造」だ。サブリミナル的に韓流推しが成功した場合、その次はCMやドラマで前面的に韓流を推すだろう。そしてCMの内容やドラマの内容は韓国が良しとする、日本とは異なった歴史や思想ということも十分に有り得る。
内容や時代背景、文化は日本そのものだが、核の部分は韓国の思想ということが有り得るのだ。ドラマやアニメで流れた情報が、現実に起こった歴史と勘違いする人もいる。実際はストーリーを盛り上げるための脚色であってもだ。しかし、その脚色が何度も流れると、そういう意識が植え付けられるだろう。そこまでいくには多くの時間が必要であろう。しかし、そうなるともう遅い。
賢人がどんなに日本の事実を叫んでも、その声というのは一部の人にしか届かない。また、そんな声が一般に届いたとしても、韓流推しの御用賢人が一声で覆されることも大いに可能性としてある。
私が書いたこの内容は、本当に日本国民がどうしようもないバカであったときの未来予想だ。韓流推しに勢いよく流された場合の話だ。この記事を書いたのは、愛国心のためではない。我々の苦労の末、いまの日本がある。君らの親、祖両親、その先の親族。そんな人たちの苦労の積み重ねで、いまの我々がいるのだ。そんな苦労をねじ曲げられたり、無かったことにされるのはバカげていると思わないか。積み重ねたものが全て良いものかというと、それは違うだろう。日本にも残念な歴史がある。しかし、それを顧みたから、いまの我々がいるのだ。
韓国の偽剣道などが話題になった時期もあったが、あれは結局、我々の先人達が苦労して編み出した精神や技術を踏みにじるものなのだ。他の分野でもそういうったことは許されないだろう。苦労の末に得た独自の富を「あっ、それ私達が先に見つけてたんだよね」と嘘をつかれ持って行かれるようなものだ。そうやって日本の富を削り取り、自分たちのものにしていく。
今一度、テレビ局として、我々としての「公共性」を考えるべきではないだろうか。
うちは震源から遠い神奈川県民で被害もほぼゼロ、強いて言えばお店での買い物に個数制限が出来てしまったのが少し不便なぐらいで、
パソコンをしながらテレビを見て「原発の話ばっかり飽きたなー」と鼻をほじる余裕があるくらい、何不自由ない日常生活を送れている。
そんな大地震の影響で、テレビ CM は AC のものばかり。
子宮頸がんと乳がんの CM。(関係ないけど子宮頸がんって女性の二人に一人はなるんだけど多くの人は発症しないで済むものなんだとか)
オシムが出てる脳卒中の CM。(男に子宮はないから男がなりやすい脳卒中の啓発ってことなのかな)
子どもに手当てを、の CM。(セリフの順番覚えてしまった。お花作ったの、え、何、幼稚園でお花作ったの、キャーおててー……)
極めつけはポポポポ~ン。(これに至ってはドラッグ、ダメ、ゼッタイ。にしか見えない)
AC の CM がバンバン流れるようになってから2、3日は「しつこいなー」とイラつく程度だったんだけど、ここ2、3日はどうも俺の様子がおかしい。
何というか、情緒不安定というか、CM を見ると悲しくなって、胸がキリキリと痛む。
男だけど子宮頸がんか何かにでもなったんじゃないかと不安になって、同様の症状がないか家族や友達にも少し聞いてみたら、けっこう多くの人が同じ感覚になっているらしい。
「なんか元気が出ない」「(震災の影響もあるのかもしれないけど) どことなく生活に閉鎖感がある」「AC の CM を見ると涙が溢れそうになる」などなど。
中でも、「悲しくなる」症状は多くの人の間で共通している。
この悲しさを例えるなら、道端にいるサンドイッチマンやティッシュ配りの人を見て、「皆からティッシュ無視されて、誰からも相手にされてないのに、あの人はめげずに頑張っているなぁ…」と思うときの感覚に近い。
もしくは、電車の中で疲れた顔をしたハゲの中年サラリーマンを見て「家族のためにヘトヘトになるまで働いてるんだろうなぁ…でも家では娘にハゲキモイとか言われて報われてないのかもなぁ…」と悲しく思うときに近い。
そしてそこから「そういえば俺も両親に面倒臭がってそっけなくしたりして、ロクに親孝行もしないで迷惑かけてるなぁ…今日帰ったら、せめて優しく話しかけよう…」と切なく思うときの感覚にも似ている。
CM を見ているときに感じるのも、これらに似た、悲しさ、切なさと同時に、わずかに愛おしさも含まれた、妙な感覚である。懐かしさにも近いものがあるかも。
CM の中でも特にその悲しさを感じるのがポポポポ~ンの CM で、あの「無難に子供ウケしそうなキャラクター」が笑顔で出てくる感じ、
キャラクターたちがランラランとスキップしているようなカットの「死後の世界っぽい」「この世とは思えない」「無機質な」感じ、
動物を使ったキャッチーな歌、そして長いバージョンで「おはよう」の部分だけやたら優しく歌う感じ、
それら全てが、最初はしつこさでイライラしていたのに、最近はなんだか切なく感じてしまい、
胸が (正確には喉から胃にかけての食道あたりが) キュ~ッとなるような悲しい感覚になる。
悲しくなる理由については、俺個人的には
「子どもたちに挨拶のことを伝えるために、可愛らしいアニメキャラクターを使った CM にしよう!」と考えた企画者たちが、
それなりに汗水流して大変な思いをして作り上げたあの CM を「しつこい」「ウザイ」と酷評されてしまっているという事実を思うと
その企画者たちとこの作品のことを思って悲しくなる、という、先ほどの例えに近い悲しさがあるが、どうもそれだけの感覚ではないようだ。
また、「遊ぼうっていうとでっていう」の BGM に流れる寂しげなピアノと、「思いやりは見える」で流れる儚げなヴァイオリンの音、
そしてそれらの CM のナレーションの口調、声の音程などからも、同じような悲しい感覚が起こる。
基本的に CM の内容が明るいものではないので、全体の雰囲気が楽しげにはならないことは分かるんだけど、
この CM のしつこさのせいか、はたまた何かサブリミナルメッセージでも刻まれているのか、
意図しない部分・要素で悲しい気持ちを引き起こしてしまっている。
別に無理にこの感覚を共有して欲しいわけでもないし、どう言って欲しいとかも思ってないし、
AC に対して文句を言うのは筋違いなのも分かってるのでそもそも何が言いたいのか分からないんだけど、
どうもなんか悲しくなって、情緒不安定になっているのある。はやく AC の CM が減りますように…。
追記:(実は匿名ダイアリーの投稿初めてで使い方よく分かってないので、追記でちょっと書かせてもらいます)
「しつこいと嫌だよね」
確かに、「バイバーイ」って幼稚園の子供がやるリサイクルの CM は頻度が少ないからか嫌な感じはしてないなぁ (ロリコンではありません)。オシムと子宮頸がんはまだ自分も「イライラ」レベル。思いやりとポポポポーンは完全にもうダメだ…。
寂しくなるというか、悲しくなるというか、という感覚については、サザエさん症候群で感じる不安感に近いことにも気付いた。学生生活のことや将来の就職に関する不安など、人並みな不安はあるものの、これといって深刻な悩みもないのに、何らかの不安に駆られて落ち着かなくなる感覚。
「CMになったら、テレビ消すとか チャンネル変えるとか。そういうスキルを身につけたほうがいいんじゃない?」
「見かけたらチャンネルを変える」という手間は現実的じゃない。あなたが実際に毎回そうしてるのだったら大変几帳面な人なんだなとは思うけど。
それと俺の場合、この症状は CM を見るたびに感じて、1分後には元通りになる、といったものではなくて、たとえ CM になってチャンネルを変えて見ずに済んだとしても、その CM がやっているという事実だけでも同じ症状を引き起こすことを、さっき発見した。CM を見ること自体を回避しても、あの CM を回避した、という経験が積み重なると、同じように不安感も蓄積されていく感じなんだよね。
だからどうしろとかそういうつもりはないし、この感覚が分からなかったらそれで別にいいんだけど、この泣きそうになる気持ちをどこかに吐かずにはいられなかったので、友人、家族、そして匿名ダイアリーに吐き出してみた次第です。
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HIGASHIHARA AKI
これはアナグラム。並べかえると
↓
HIGAISHA BAKARI
被害者ばかり
となる
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それがどうした、とまぁいつもならスルーするところですが、そうも
黙ってはいけないような感じがするので匿名で投稿することにします。
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こちにんは みさなん おんげき ですか? わしたは げんき です。 この ぶんょしう は いりぎす の ケブンッリジ だがいく の けゅきんう の けっか にんんげは たごんを にしんき する ときに その さしいょ と さいご の もさじえ あいてっれば じばんゅん は めくちちゃゃ でも ちんゃと よめる という けゅきんう に もづいとて わざと もじの じんばゅん を いかれえて あまりす。 どでうす? ちんゃと よゃちめう でしょ?
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あると思います。
ケンブリッジ大学の研究で明らかになった、この文字をバラバラにしても意味が理解できちゃうという発見。
スレッドの内容は日本語だけど、実際はイギリスでの研究結果なのでアルファベットでも通用します。
勘が鋭い人はおわかりかと思いますが、
『HIGASHIHARAAKI』これをバラバラな一単語だと考えると、人間は無意識のうちに『HIGAISHABAKARI』
しいて言えば、ひがしはらあき と読んだつもりが、頭では ひがいしゃばかり と理解してしまい負の感情を
意識してしまうことになります。これってサブリミナルだよな・・・。
本来、名前というのはその人の運命を決める重要なもので、占いによく使われていますが、
911映画祭(http://www.peacefilm.net/911/)に参加してきた
以下、プログラム
9:30~開場
映画『真実を求める遺族たちのPress For Truth』
特別講演 田中宇(60分)
メインは海外ニュースを独自の視点で解説するメルマガを流してる田中氏の講演。
どの映画も、ホワイトハウスは悪だという論調で、ふっそんなのはもう既に知ってるぜって感じの客層。
これだけ長時間って事は、なんかサブリミナル的に仕込まれてるんじゃないかと思いきやそんな事もなく。
その中で、タメになった点をあげる。
・陰謀○の○に入る文字はなんでしょう?
→「説」(うちは「「論」だと思ったけど)
→conspiracy theory つまり、そんなものは主張や意見であって、虚偽で風説に過ぎないというセットが連想されるように、教育/報道されている。
→なぜ、そのセットなのか?を考える視点を持つべきだ。
というのが頭に残った。
メディアの側の仕事をしていると、そういうのを如実に感じることがある。
・○○がOLの間で大人気!
・大ヒット公開中!!
とかとか。 大体は捏造というか、後ろに「という事にしたい」というのが隠してあるんだよね。
1000人近くの意見が書き込まれると、不思議とそれが一般認識のような錯覚(というかもはや常識として流布される)
なんなんだろう。。
つい5,6年前までは日本人にとって中韓なんて、ラーメンマンとキムチだっけ?のどうでもいい国でしかなかったはずが、今や立派な仮想敵国。
本当に自分で見たのか?
中国人チョーセン人と話したことはあるのか? と。
アメリカが世界の覇権を手放そうとする今の時代、中国とかと対等にやりあって、ロシア、ASEAN+、果ては中東や南アメリカの資源を確保してくほうが国益に適ってると思うんだけどな。
ってな事を書くと、売国奴め!と真っ赤にして怒ってくる人が居たりするけれども。
いやはや。こわいこわい。
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小沢周り
小沢は中国の犬と言われているけれども、別に中国が好きなわけじゃなくて、アメリカの覇権が終わる今、国是を考えて、最善の策を取ろうとしてるに過ぎないと思う。
ベトナム、キューバ、アフガンにアメリカ(CIA)がやって来た事(共産主義は悪だ!と、過激派系組織に武器を流し内戦状態にして、時の王や元首を追放等々)を外務省付近の人は知ってるんだろう。
だから簡単には対米従属は辞められないんだろうなってのが解った。(気がする)
たぶん、中国も本当はアメリカに覇権を持ってもらって(戦争はコストがかかる=軍需産業がそれほどないから儲からない)いたいんだろう。
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まとめ
週刊新潮・文春が、この時期に不倫だとかのニュースを流す意味ってなんだろうって考えた
・社長の娘(17)が、管(の背後に居る神野)に人質に取られてて仕方なく!?
→だって、バレバレじゃない。 手法が安直過ぎないか?
私:体重も頭も軽い二十歳。
Aさん:私と同じサークルのOB。人望が厚くて頭がめちゃくちゃいい。
※Aさんは女性関係などで弱りきっていた。
私とAさんを含む十数人とサークルの飲み会をした。恋人は都合が付かず来なかった。
恋人とはうまくいっているが漠然とした不安があったので、日ごろから(後輩として)よくしていただいているAさんと、あてつけ的な意味で手を繋いだりした。
深く考えてはいなかった。お互いに割り切った、一晩だけの間違った幸せを手に入れよう、ただそれだけ。
日ごろから割をくってるAさんのせめてもの手向けにもなると思うし、私としても、このまま一人の男しか知らずに結婚して老けていくのはつまらない。
Aさんの虚無感と、私の好奇心、それらを満たす最高の手段だと思っていた。
――思っていたが、予想以上にAさんは私のことが好きだった。
弱くて現状維持に必死で相手ばかりを優先するAさんが、全て捨ててでも私がほしいと言った。
私は恋人と離れるつもりはなかったが、Aさんにそう言われ続けてぐらついてきた。
注釈しておくと、恋人は最高の男だ。
そんじょそこらの男に言い寄られたくらいで手放せるような男じゃない。その前にまずそんじょそこらの男じゃ恋人には勝てない。
ただ、Aさんは、恋人に匹敵する最初で最後の男だ。中身も外見も格好悪くて情けないAさん。傾いている気持ちは半分は同情だけれど、半分は本気だ。
恋人はいつもカッコツケで、本音を言わず、私に行間を読めと強要する。恋人がバカで子供だから、私は物分りのいい女を演じて全て許してきたけれど、Aさんが私を貰ってくれるという余裕が生まれたいま、バカで甲斐性のない男をあえて選ぶ必要はなくなった。
で、国際法に則り、24時間前にメールで「喧嘩しようぜ!(原文まま)」と宣戦布告し、話し合った。
恋人はバカだし私は優しいから、メールにヒントをたくさん(答えもぽろぽろと)書いたのだけれど、予想外にバカでよくわかってなかった。
私は「脅しでもなんでもなく話し合い如何では別れるつもりである」と前置きした上で、不満や不安をすべて吐き出した。
Aさんに告白されたことはいの一番に伝えた(浮気の件は伏せた。醜い保身のため)。
「物分りのいい女」をいままで演じてきたこと、別れるのが怖くて演じていたことへの謝罪、そしてもう演じるのは疲れた、ということを話した。
恋人の職業の特殊性や、その特殊性のせいで私の人生がめちゃくちゃになるわけだがそれが幸せだと思うか? とか、前に私の過失でちょっといさかいが起きたとき私は思っていたことを全て伝えたがあなたはだんまりなのね、とか。
その他、ひとつひとつの言葉の意味も懇切丁寧に説明したら、やっとわかってくれた。
でも最後まで悪あがきしてカッコツケのままでいようとしたから、むかついたため途中から喧嘩にかこつけて心を抉る言葉をサブリミナル的に挟んだ。ら、やっと本音を見せてくれた。
いい年の男がこんな風に泣く姿なんて初めて見た。情けなくて格好悪い男だなと改めて思った。惚れ直してはいない。胸のわだかまりが取れてほっとしたわ、とだけ思った。
とりあえず「まだ迷っているのは事実。次にこういうことがあったら私は迷わずAさんになびくからね」という真実だけは伝えておいた。
バカなりに私が本気で言っているとわかったらしく、弱りきった犬より情けない顔になった。
Aさんも恋人に宣戦布告をしたようだ。私にも「全力で落とす」という旨のメールがきた。
私はどちらと一緒になっても自分で勝手に幸せになるから、対岸の火事として見守っています。みんながんばれ。超がんばれ。
みなさんは「この増田はどんだけ美人で素晴らしい女性なんだよ」と思うかもしれないが、文章からわかるとおり頭の弱い底の浅い女です。でも男たちはそれぞれ最高だから、叩くなら私だけにしてね。あー……でも「底の浅い女だよ」とそれぞれに言ったがどちらも「でっていう」って感じに頷いていたからどっちもダメ男かもしれない。
ちなみにAさんは最後までホテルに行くのをためらっていた。私が押し倒した。だってほかの男と寝てみたかったんだもん。
恋は盲目というが、本当にそうだと思う。
私の盲目フィルタは「不安」だった。不安から目をそらして都合のいいところだけ選んで無理やり納得してた。
喧嘩の終わったいま、盲目フィルタがはずれ、恋人を一人の人間として見るようになった。そうしたらそれほどいい男でもなかった。
ハイクを見ていて、コマチ氏に少し興味がわいたので書いてみます。
読みにくいかもしれませんが、よろしくお願いします。
id:nijiirocomachi という人がいる。
ハイカーには非常に有名な人で、「お気に入りの数」では全はてなーでもぶっちぎりの1位だと思う。(史上初の5桁越え達成者)
今回は「なぜそんなにお気に入りに追加するのか?」について考えてみる。
(^○^)☆/
あるハイカー:
「コマチさんはTwitter始めれば自称100万人とお友だちになれるんじゃ?」と言ってフォロワー数ランキングを見せる。
↓
コマチ:
「フレンドで無ければお友達とは言い難いですよね!(^-^)一方的では・・・」
↓
別のハイカー:
「双方向であっても交流がなければお友達じゃありません。お気に入りシステムなんてシステムでしょ?片方だけだろうが互いに入れていなかろうが友達な時は友達。逆は逆。」
↓
コマチ:
「私はハイクのシステムの話をしているのではありません。友達と呼べる本質について書いたのです」
↓
別のハイカー:
「私も話したのは友達の本質についてなんだけれど(´・ω・`)」
(^.^)☆/
これまで自分は、コマチ氏のお気に入り数の膨大さは「弱小はてなーでもお気に入りに入れてあげることで読者のいない寂しさから救ってあげるアテクシテラヤサシスwwww」的な感覚によるものだと思っていた。(そんな風に考えている人の意見を見たからだけども)
つまりお気に入りに追加した時点で、氏の目的は達成されていると解釈していたのである。
しかし、どうもコマチ氏の目標は「お友達になること」だったらしい。
といっても「双方向であっても交流がなければ友達ではない」と言う意見に対し、
「私はハイクのシステムの話をしているのではなく、友達と呼べる本質について書いた」と言っているので、
氏の「友達と呼べる本質」というのは「お気に入りがフレンド状態になること」のようではあるが。
ここでも述べているように、お友達100万人のステップとしての「お気に入りの数」ぶっちぎりの1位だったというわけである。
以下に、とあるハイカーのidページに書かれていたことを転載する。
それぞれがそれぞれの使い方
それぞれがそれぞれに自由で構わないと思います
私を表面的に見て嫌おうが
内面的に見て嫌おうが構いません
私は私の伝えたいことを果たしていくだけです
他人の自由を束縛する権利もありません
価値観もまた自由です
自分に自由を求めるためには
他人の自由を尊重すると言うことです
私が身勝手なように見えるでしょうが
私はこの姿で、私に身勝手を押し付けてきた方々のことを表現したいのです
ここに居るコマチが私のすべてでもなく
リアルにおける私自身でもありません
表現すべくして作られた姿に過ぎません
どうぞ気ななさらずに、ご自由に(^-^)
これを読んで自分は以下のことを感た。
これを見て、あなたはお友達になりたいと思いますか?
\(^o^)/サブリミナル!
[blog][music]学校で教えてくれない、芸術を評価するための6つの視点
http://d.hatena.ne.jp/showgotch/20091025/1256479650
はてブクマしてほっといたがコメントを後から読んでみた感想を増田に書きますよ。
あ、先に断っとくとブログ主じゃないですよ。
主さんの考え方とはおそらく明らかに違うことをざっと書きますので。
さて、センス至上主義の人たちってのはことごとく残念な方が多いですね。
僕も頭は悪いけど、どんなことでも自前で考えることを辞めてはいませんから、
この人たちと比べりゃ少しはマシかなと思っています。
なぜマシかな?と思っているかを書きましょう。
芸術に限らず物事を見るっていう行為には、必ず束縛されるものがあります。
物事を見るヤツの脳みそです。
脳みそ(全身の神経、肉体を含んでもいいです)にはそいつが生きてきたあらゆる経験が蓄積されています。
全部喋るワケにはいかないので、芸術鑑賞に限りますが、
鑑賞するにも当然経験というものが大きなファクターを占めることになります。
というか、芸術における生来のセンスなんてものは人間には備わっていません。
しいて言えば、生まれた環境、育った社会で目にし耳にしてきた事、この蓄積が異なるくらいでしょうか。
ですが、肉体の素質の差というのは、確実にあります。
有名な話ですがピカソは10歳ごろには既にものすごく達者な写実絵を描かれていたそうです。
そんなに幼いころにすばらしい絵を書けたという事はものすごいセンスの持ち主ということじゃないか!と言われるかもしれませんが
残念ながら全くの早とちりから来る誤りです。
写実絵というものは、インプットとアウトプットの精度の問題であり、センス云々は全く関係しない分野なのです。
つまるところ、肉体性能…筋力とかじゃないですよ。この場合は目の力、空間把握能力、そして手の器用さです。
これが達者だったからピカソは幼くしてすばらしい絵がかけたんですね。
あ、こういうとまた文句を言うヤツが出ますね。
写実絵というのもセンスは必要ですよ。
構図のとり方、ライティング、描くものの配置など、考えなければならないことはたくさんあります。
生まれ持ってのセンスなどではなく(そもそもそんなものは存在しないといいましたね)、蓄積されたセンスですがね。
ピカソの絵はルールを破っているということを理解できてはじめて意味がある。守破離と言うヤツですね。
ルールが無いヤツは最初から型破りなんて出来ないんです。ルールが先にあってこそ、型破りを実行することが出来る。
美においてルールとは、観察と経験の蓄積と人間の肉体感覚によってのみ規定されるものなのです。
かつては文化圏、文明圏ごとに感覚が分かれていましたが、ネットによってある程度統一化されてきているなぁと感じます(脱線)。
精巧な写実絵を幼くして書くことが出来たピカソは、それまでの画法と異なる彼独自の画法で表現を行っていく道を行った。
何故かと言えば、それが彼が伝えたいことを彼が伝えたい人に一番伝わる方法だとピカソが結論したからでしょう。
優秀な表現者というものは、ここでは芸術家のみの例を挙げていますが、文筆家にしろ、技術者にしろ、あるいは一個人でも同じですが、
自分が伝えたいことが自分が伝えたい相手に、どうすれば伝わるのかを常に考えているはずなのです。
純粋な芸術なら、当然、芸術家本人が持つ問題意識(単純に環境破壊とかそういうものでなく、
「赤ちゃんをどうやって可愛く描くか」のようなライフワーク的なものも考えられますね)からなるテーマがあり、
それに対する回答が作品となるでしょう。受け手は問題意識を理解してほしい鑑賞者であり、作者自身でもあります。
商用芸術では昨今では仔細なマーケティングが行われていることは周知の通りです。
それがたとえアウトサイダーアートだとしても、自覚的に商売としてやるのであれば
自分が何をしているのか、自分はそれをどうしたいのか、どう売り込みたいのか、考えているはずです。
それが理解されるかどうかは別として、自分が伝えたいことを自分で明確に出来ない芸術家は大成するはずがありません。
伝わるアテの無いものを創ることは幼い子供や、本当の趣味人に与えられた特権と言えるでしょう。
「そんなこと一切考えて物を作ったことなんて無いけど芸術で暮らしていけているよ!」という方は
きっとダウンタウンの松本氏における浜田氏の様な素晴らしい相方と出会えたのですね。おめでとうございます。
さて、問題は伝わる方です。
自分の見たことの無いものを鑑賞するとき、人はどうするでしょうか?
生来のセンスがあれば、ちゃんとした評価が下せるのでしょうか?
それとも、間違っていてもセンスで感じたことが正しいのだと言い切れるのでしょうか?
順を追って考えれば、殆どがまずそのものをちゃんと見ようとするはずで、
目にした瞬間エレクトリックサンダーが全身に走るような至福の体験を得るなどということはありえないはずです。
人間なんてもんの見た瞬間に出る感情は、自分がそれまでに見てきたものから割り出すように出来ているんです。
人は完全にわからないものと触れる時、評価を下すには多少の時間を要するのです。
生来のセンスなるものがあるなら、そんな時間は必要ないでしょう。何も考えずその場でパッと決めてしまえばいいのです。ゲド戦記はクソ、とか。
ま、ゴッホみたいに死ぬまで放置されてから評価される画家もいますから、そんなヤツはセンス0の大馬鹿者であると断じてしまえるわけですが。
ちょっと古いですが、アイフォーンをはじめてみたとき、
「ああ、ついに完全タッチパネルの携帯が発売されるのだな。人類の革新だ」って思った人は先に記事を読んでる人だけで、
そうでない人は「キーパッドないの?」「液晶DEKEEEEEEEEE」「なにこの□」のように、
見た目からはこれまでの携帯とは形が違うから、どういうものなのかを判断しようとしたと思います。
芸術だって同じです。見たことが無いような作品、バックグラウンドがわからない作品を理解することは出来ないのです。
ゲルニカを最初に見た時、僕はこの絵が壁画として作成されていることがわかりませんでした。
あと感じたことは、「ちょ先生教科書に微グロ入ってるんですけどこれ」くらいのもんです。
だってなんか変な生き物が人を食んでいるんですから。
戦争の絵って言われても戦争まんがははだしのゲンしか知らない僕からしても大いに差があり(だって人間しか出て無いですからゲンは)、
「戦争関係なくね?マジキチ」としか考えられなかったことを思い出します。
今ではこの絵がどういう背景で、どういう意図を持ってかかれたものかわかります。
だから、あの大きな絵に描かれた一つ一つの人物、動物にどんな意図があるのか、
それがピカソという偉大な画家の考えと一致するかはわかりませんが、僕なりに思いをはせることは出来ます。
即断即決で評価を下す必要なんて無いのです。時間がたてばわかることだってあります。それが蓄積されたセンスの成長なのです。
一つの作品を前に、作者とその時代、昔の自分、今の自分、そして作品そのものと触れ合う体験が出来るのが芸術鑑賞なのです。
同じような体験として、聴かなくなった音楽を久々に聴いたときの感覚があるでしょうね。
卑近な例で示したとおり、自分自身というものは変らないように思えて、
仕事や学校や人間関係を経ることで常に変化しているものなのです。
センスなんて言葉を確信的に使ってはいけない理由はこの一点なのです。
使っても問題ないのは人を褒めるときくらいでしょう。それ以外の場面では、使わない方がいい。
人間のセンスはある程度のブレ幅までは抑えられるが、完全に固定できない。
それなのに、センスなどという曖昧模糊なもののみを後ろ盾にし、
他に根拠の無い好き嫌いを強弁するなどという子供じみたマネは
それとも、共感できれば、自分が根拠なく、しかし好きだ、正しいとは感じることが出来ればそれでいいのでしょうか?
僕はそうは思わない。
勿論経験によるセンスは人それぞれなんで、好き嫌いはあります。
見たものをそのまま感じ取ってそれがよい体験となる芸術作品もたくさんあります。
ですが、感情にそのまま訴えかける芸術というものは、やもすれば危険物にすらなりうる可能性を捨ててかかってはいけないのです。
人類の歴史は、いかに肉体欲求をコントロールしてきたかの歴史でもあるわけです。
人間のしくみが生命機械であるとわかっている以上、感情もまた肉体欲求の一つです。つまり、制御出来うるのです。
オカルトなんかじゃありません。
あなたがメディアを通してあなた自身とかかわりの無い人間に対してどれほど多くの感情をもっているかを想像してみれば、わかるはずです。
MMRに書いてあったサブリミナルみたいなヨタなんてメじゃない恐ろしさです。
出自や成り立ちは芸術大学なんて出てませんから知りませんし、教養も無いからわかりませんが、
視聴覚(場合によっては他の感覚)を通して物事を伝え、感情を伝えるという共通点があります。
もしあなたがメディアになにかしらの違和感を感じ、それが問題であると考えるのであれば、
芸術に触れた違和感を感じたら時にも問題意識を持たないといけません。
あなたの友達がそう訴えてきたら、ちゃんと話を聞いてあげないといけません。
(ま、友達の感じたことも受け入れられないのであれば芸術鑑賞そのものの否定をしていることと同じと言えなくも無いですが)
そんな窮屈な思いはしたくないと言うなら、好き嫌いすら語らないことです。
それならセンスが似たもの同士で集まればいいじゃないかと思われるかもしれません。
それが良くないとは思いませんが、しかしその集団に居続け他の意見を聞かないことは、
徐々に感覚を麻痺させ自分たち以外の感覚への無理解をはぐくみ、閉塞へ向かって突っ走ってるだけであり、
「スイーツ(笑)」やらなにやら言って喜ぶ人間に成り下がるだけのよろしくない行為と言えましょう。
現に今の社会は閉塞したコミュニティの複号体になってしまっており、
表現という形でコミュニケーションを図る物自体の存在意義が変化していることの表れなんでしょうか。
(テレビみねー、ゲームとか興味ねぇ、美術館とかブルジョアか!などいろんな派閥がいるでしょうな)
その変化が感覚や感情のような曖昧でふわふわしていると思われているものに密着しているなら、危惧すべきことだと思います。
なんかとっちらかっちゃいましたが、つまるところ、
センス至上主義者は考え直せ、頭を使え、鑑賞してる時の楽しみ方に文句をつける気は無いから。
と、言いたいわけです。
僕としては、こんなクソ長くクソ面白くもなく他人人を完全に否定するようなシャドーボクシング的文章を最後まで読んでくれたあなたが
自分の考えもオンリーワンで世界に一つだから思想修正主義絶対反対とか言いながら
芸術作品に対して自分の考えのみを誇示し続け、異論をことごとく無視し自分と同じセンスの持ち主だけで結託して外に出ない、
あるいは自分と異なるセンスは認めず叩き潰すことに快感を覚えるようなサイコパスでないことを祈るばかりです。
だって、芸術の感じ方なんて、人それぞれでしょう?
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痩せゆく男
ワイルドバンチ 特別版
虚栄のかがり火
カサブランカ 特別版
理由なき反抗 特別版
A2
ユーリ・ノルシュテイン作品集
イジィ・トルンカ作品集 vol.1
狂気のクロニクル
蟲師 其ノ1
リトルロボット/インベーダーがやってきた
スペース・レンジャー バズ・ライトイヤー/帝王ザーグを倒せ!
あらいぐまラスカル vol.1
ウォーリー
病気/笑いの不条理劇
ゲゲゲのげ/逢魔が時に揺れるブランコ
――やられた。これは何かの間違いだと信じたかった。
端的にいってしまえば、涼宮ハルヒの憂鬱の一エピソードでしかなかった「エンドレスエイト」が、日曜夕方6時半から放映されている。エンドレスエイトは既にテレビ放送という媒体においてはほぼ“独占"といってよいほどの勢いをみせていた。初めはテレビ埼玉の木曜25:30から30分間の枠だけであったが、次第に1時間、2時間と広まり、月、火、水、金と平日深夜のテレビ埼玉は全てがエンドレスエイトになった。
「ついにサザエさんさえやられたか……」
かつては俺と同じく、ハルヒ厨であった友人がつぶやいた。エンドレスエイトの躍進はそこで止まらなかった。U局を支配していったのだ。まずテレビ埼玉からだった。22:00以降のテレビ埼玉は平日休日問わず、すべてエンドレスエイトになった。次に、東京MX。千葉テレビ。この2局は最初30分枠としてしか放映してなかったが、テレビ埼玉と同じように次第に侵略されていった。そしてテレビ埼玉がエンドレス「エンドレスエイト」放映という頃には、京アニはキー局にまでその手を広げた。
意外なことに、初めに崩れたのはNHKだった。はじめは朝のニュースに挿入された1フレームでしかなかった。まるでサブリミナルのように挿入された1フレーム。30分の1秒。それが4日続いた。毎朝。毎朝。5日後、それは木曜日だった。木曜25:30、NHKでエンドレスエイトの放映が始まった。その2日後からNHKで放映される番組はすべてエンドレスエイトに変わった。エンドレスエイトが地上波放送ではじめて放映されてから、ほぼ1年がたっていた。
「長門はもう俺の嫁じゃない……昔のつつましい長門に戻ってくれ……」
俺と同じく、かつてはハルヒ厨だった友人がつぶやく。そうだ、俺たちもかつてはハルヒを愛していた。エンドレスエイトが始まるまでは。何も俺たちに限った話ではなくてアニメを愛していたオタクたち、特にハルヒオタクたちは共有の思いを抱いているだろう。NHKが倒れてからは早かった。日本テレビ、TBS、NHK教育、フジテレビ、テレビ朝日……テレビ番組は全てエンドレスエイトにすげ替えられた。NHKが倒れてから1週間と経っていなかった。しかし、エンドレスエイトと拮抗するただ一つのテレビ局があった……テレビ東京だ。
「ワカメのおぱんつが、小学生のおんなのこのおぱんつ……おぱ……おっぱい……おぱんつ」
テレビ東京は何が起きてもアニメを放映している。他局は緊急放送流しているのにテレビ東京だけは、なんて状況も数多く見たと思う。テレ東は期待を裏切らなかった。もちろんテレビ東京だってノーダメージではない。ほとんど多くの枠がエンドレスエイトに乗っ取られた。しかし、アニメ枠だけは粘った。粘りに粘った。アニメ以外の番組はなくなった。アニメ番組も減った。だが、粘った。戦った。すると呼応するようにフジテレビの、サザエさんが復活した。ちびまるこちゃんが復活した。ドラえもんが、クレヨンしんちゃんが復活した……。そして数多のテレビアニメがその息吹を吹き返した。テレビ東京が奇跡を起こしたのだ。
だが奇跡は長く続かなかった。エンドレスエイトのとってきた次の戦法は、「劇場版」だった。エンドレスエイト劇場版三部作。上映されると同時に、アニメは一息にかき消された。三部作全てが上映された後、残ったのはサザエさんだけだった。
さめざめと泣く友人の気持ちは分かる。もはや二次元のパンティーを眺める機会など無くなってしまったのだろうなという、確信にも似た思い。最後の牙城、サザエさんさえも崩されたか。俺はまさしく絶望した。そして同時に友人の異変にも気づいた。
「ぱんつ! ぱんつ! ぱんつ!」
友人はロリコンでもないし、常日ごろから「パンツを隠さないようなつつしみの無い女は嫌いだ」などとつぶやく変人だった。その彼が下着にこれほど執着するだなんて――。どうか、している。
「おぱんつうう!!!」
友人が俺の両腕を異常に強い力でつかむ。指先から赤黒く染まっていく。まずい。尋常じゃない……。エンドレスエイトは友人の善心を奪い、狂わせている――かまれた。首筋。痛みに苦悶の叫びがもれる。俺は、死ぬのか。
――バーン!
「うっ!」
銃声に友人が倒れる。
「大丈夫かい、君!」
「た、助かりました、あなたは?」
「私はテレビ東京アニメ部門のものだ。これ以上エンドレスエイトをのさぼらせるわけにはいかない」
「……というと?」
「だが、やるしかないのだ。それにわれわれには、ヤマカン様がついてる」
「尊師ヤマカン様……京都アニメーションに対抗できる数少ない人物ではありますが」
「パヤオ、庵野、冨野らがやられた以上、奴らに拮抗できる材料はあまりに少ない。だが、やるならサザエさん攻略で弱っている今だ」
「それでも勝てる見込みは多くはないでしょう……?」
「ああ。だがこれを逃せば、一生訪れないだろう。君、いい目をしてるな。一緒にくるかい?」
「ぜひ。」
だから、
という主張のAの部分が証拠不十分ということかな?
例えば、サブリミナルな刺激のほうが明示的な刺激より洗脳されやすいとか、
うとうとしてる時にアファメーションすると効き目があるとか、
無意識な悪い自己イメージや苦手意識を自覚すると悪影響が収まる、
といった事があるわけなんだが。
理屈の上からは、「意識上にあれば理性でフィルターがかかるので影響も少ない」と説明できる。
心はまだまだ解明されてないので、もし本気で納得したいなら心理学とか催眠を自分で勉強し体験してもらうのがいいかと。
多くの人が体験してる、というだけでは客観的な証拠と思わないだろうし。
かれこれ数ヶ月ほど週末にゲームばかりしていたら、彼が「そろそろデートしませんか?来週あたり横浜にでも。」と、提案してきたので脊髄反射的に「いいよ」と答えた。ゲームをしていると生返事になるのを知ってか?策士め。それが先々週の話。
それから一週間、横浜は海沿いだから寒そうだね、冬本番だねと会話の端々にサブリミナルの如く外出を拒否するキーワードを盛り込んだが効果はなかった。デート当日の土曜日。予想を裏切り、気温は暖かい。
駅についたら、昨晩は遅くまでゲームをしていたからかお腹が空いていた。お洒落にランチはパスタだ、パスタ。ジャパニーズ天麩羅そばパスタを食す。その後はブラブラとウィンドウショッピングを楽しんだり、菓子の量り売りをしているスウィートファクトリーへ寄って、きゃははうっふふと絶対食べないだろう赤色5号的な毒々しい色をした菓子を買う。ちょっと楽しい。
歩きつかれたところでジェラートを食す。ジェラートを食べるワンシーンが印象的なローマの休日ならぬ、横浜の休日ってかおい。ハイカラだなぁ・・・なんて考えていたら、彼が「ぼ・・ぼくたち・・・リ・・・リア充?」と抜かす。残念、それは今日のNGワードだ。
その後はそばとジェラートの消化を促すべく、コスモワールドでジェットコースターに乗り胃袋をシェイク。外は寒いので隣接しているゲーセンに入ってサッカーゲームを楽しむ。もちろん1人で。1から9と書かれた3×3のパネルをサッカーボールを蹴って狙うゲーム。体育科舐めんなよとつぶやきながらバシバシとパネルを消す。気がつけば、サッカーゲームに夢中になっていてショボン(´・ω・`)顔になっていた彼。あぁ、これはデートだとミッションを思い出し、一緒に遊べるゲームを、ということでバイクのレースゲームをやる。バイクのスタートがわからずブレーキをかけ、ブオンブオンとふかしている彼を横目にさくさくと一人でプレイする。あれ?シチュエーション的に男女逆じゃね?と思いながらも最後は負けてやった。負けてやったんだぞ!わざと、だぞ!
遊びつかれたところで、東京徒歩スピード10分1くらいで赤レンガ倉庫に向かう。赤レンガ倉庫に着たら彼が「建物の中にお店があるんだ!倉庫なだけかと思っていたよ!」と言うのでだめだこいつ早くなんとかしないと(中略)気がつけば赤レンガ倉庫の付近では若者が行列をなしていた。
赤レンガ倉庫はただの倉庫じゃないことがわかったところで、山下公園まで歩く。クルージング的な船の受付時間が締め切りそうだったので「どうする?乗る?ぼくは乗りたい!」と彼に煽られ「いや、また今度くるときに・・・」と言いかけたところで(いや、引きこもりに次はないわー)と思い返し「やっぱり乗る・・」と返事をした。日が落ちるのは早く、船に乗るころには横浜はライトアップされていた。これがブルーライト横浜や!
転覆せずクルージングも無事に終わり、帰りは水上バスで駅に向かう。その頃にはデート開始から5時間が経過しており、慣れない外出で疲れもたまり、眠ってしまった。が、私の夢の中をドスと聞いた誰かの声で荒らされた。悪夢や!何事かと目を覚ますと赤レンガ倉庫で浜崎あゆみがライブをやっているとか。あぁ、さっきの行列はそれかと夢現に思い出し眠りを妨げられたことに憤慨しつつ、また眠った。
水上からの横浜の夜景を見たら次は空から夜景を見るのがきっとリア充デートの定番であろう、ランドマークタワーから夜景を見た。私は感動した。
今後はあくまで「感じのいい友達」として、一定の距離感を保って接し続けるのがいいんじゃないかな。
全く脈がないわけじゃないんだからさ。
彼女は、自分が何にせよ判断するのに、納得のいく理由が欲しいんだよ。
その理由の多くの割合は、彼女の好きな別の男にしかどうしようもないものかもしれないけど、それでもかなりの部分は君にゆだねられている。
だから、毎日少しずつ、その「理由」を増やしていけばいいんじゃないかな。
君が微妙なコミュニケーションのコントロールに自信があれば、「断られたけれどもいい友達でいる健気さ」を殆どサブリミナルな、すれすれのところで醸し出してみるといいかもよ。
http://contents.oricon.co.jp/news/ranking/38398/
これを見ろ。エロゲ中毒で一度に3行以上のテキスト見ると吐き気する奴は休みながら見ろ。
な。見たよな。理解したな。ジャンプすんな。金はいい。
オタに媚びてるって吠えくさるんで、一時期あたしも相当参って
社長に泣きついたら「電車男いいじゃん愛ちゃんエルメスじゃん」とか笑ってんの高卒が。
恨み晴らさでってんで某日収録のトークで「オタ大ッ嫌いなんです、ウザいし臭いし」
って言おうとしたら事務所がスナイパー潜ませてて「おt」まで言った
あたしの口ン中に暴徒鎮圧用のゴム弾が飛び込んできた。
心の傷は癒えないあたしに飛び込んできたニュースがこれよ。
笑った。泣きながら笑った。最後は蹲ってただ泣いた。今なら言える。オタいらねえ。
オタは死ね。大塚愛にオタ不要。
10代から40代までのマラビンビンな世代一般の声として、
今後また大塚愛はオタに媚びてるなんて吐かす豚は躊躇なく殺す。
二度と大塚愛がオタに媚びてるとは言わせない。
糞にたかる蛆は地を這え。あたしは衆生の憧れを受けて大空を翔ける真白き鳥だ。
「俺ルールを押しつけるのはやめてください。」と言うのは、「俺ルールを押しつけてはならない」という俺ルールを相手に押しつけることになるわけだから、結局のところ、相手が押しつけてくる俺ルールに対抗するためには俺の俺ルールを相手に押しつけるほか無いわけで、その際に使う言葉として「俺ルールを押しつけるのはやめてください。」というのは不適切であると言える。すると、より適切な言葉として考えられるのは、「お前のルールじゃあ俺が困る。俺ルールを適用しろ。」というものである。もちろん、よりやわらかな表現によって刺を立たせないことは十分に可能で、さらには論理っぽいものを用いることによって相手を納得(論破?)することも可能であろう。だが、そうなってくるとより弁の立つものが有利ということになり、「上には上がいる」という格言に従うならば、いくら自分は国語能力に長けていると自負したところで、より上の存在に潰されることになる。だとすれば、より安全に空気を支配するためには論理っぽいものを使うのは止めるべきである。すると残されたのは安易な罵倒表現である。これはあらゆる相手の心をぐさぐさと刺した上に優越感に浸ることのできる優秀な兵器であるが、その半面、自らのボキャブラリーの拙さや、品性の無さを露呈することとなり、気がつけば見渡す限り敵だらけだったり、焼け野原になっていたりという状態をほぼ確実に招いてしまう諸刃の剣である。そもそも増田の空気など支配することは可能なのか。時間によって入れ替わり立ち替わり読み手、書き手が入れ替わる。彼らの思考を支配し、自らが描くシナリオに従って空気を操作することなど、できるのだろうか。株式会社「はてな」の力を用いれば、誰でも書き込めるフリをしながら、徹底的に書き込みを操作することはできるが、誰かが「増田に書き込めない」とブログや掲示板に投稿した時点ではばれるので、この方法は得策ではない。自分で延々と連投し続けるという技もあるが、そんなことをするくらいなら自分で掲示板レンタルして発言を埋めつくした方がよっぽどましというものだ。「増田の空気を支配している。」というのは独り言で書き込みを埋めることとは違う。他人とのコミュニケーションを遮断したら意味がない。ある意味で増田の読者の共感、反感を自在に操らなければならないのだ。となると次に考えられるのは文章のいたるところにサブリミナルなキーワードを含ませておいて、じわじわと増田を洗脳するといった方法だ。例えばこの文章のように、一見するとただの長文に見えるが、目を凝らしてよくみると、三次元の物体が浮かび上がって見えてくるとかこないとか(見えるわけがない)。でもめんどくさいので却下。そもそも増田の空気なんて支配したところで、攻略しつくしたゲームに飽きるみたいな感じで増田に飽きてしまいそうだ。何だ、結局のところ、現状のまま何もしないということか。
とりあえず最後に言っておきたいことがある。どこか縦読みできそうな気がしたが、そんなことはなかったぜ。
テキストサイトが好きだ。だけど、いざサイトを挙げてみろと言われても大して浮かんでこない。というかひとつも浮かんで来ない。別に好きなテキストサイト何て無いけど頭の中ではテキストサイトが好きな設定になっている。これなんだろう。各サイト上の背景にサブリミナルが仕組まれている、という事がまず第一に推測される。で、第二はというとそれは浮かばないから話を戻すと、ただわたしは、テキストサイトっぽい、と言われるからテキストサイトが好き(な設定)になっていたのだろう。テキストサイトと聞くと、執拗なフォント弄りだとか異常な改行だとかが一瞬で脳裏に映し出される。だいたい、あれなんだったんだよ。あんな物が本当におもしろいとでも思っているのかあのクズは。だいたい、はっきり言ってあんなクズテキストよりも私の書いたこれとかこれの方がよっぽどおもしろい。もちろん、「(半分本気)」のようなゴミとしか思えないエクスキューズなんて付けない。本気で言っている。しかし、今ここでそんな架空の有り触れた物を引き合いに出して「私の方がおもしろい」と喚いても意味が無いので実例を出して比べてる。6年も前の記事だが、当時圧倒的な人気を誇った「侍魂」というテキストサイトが合った。そこの一番の人気テクスト(だったと記憶している)である、これを見て欲しい。どうだろうか、先にあげた私の記事と比べてどちらがおもしろいだろうか。もちろん、これは6年も前の物だから、古いからつまらないのは当たり前、のような意見もあるかもしれない。しかし、私は当時からどうもこのテキストが嫌いで嫌いで堪らなかった。一応先に書いておくが、「大衆とは違う自分の感性にうっとり」だとかの馬鹿な思いからではない。だから、今この私の文を読んで「中二病」としか罵れない人はとことんクズレベルであり、それこそ知性が少なく何も享受できないゴミだ。そんな罵倒を聞いてもお前らのブログをチェックできるから痛くも痒くもないんだよー、せめて「ベタ」「ネタ」「メタ」以外の言葉で取り繕える記事を書いてくださいねー。そんな簡単に逃げ口を用意して他人の記事は「つまらない」と一喝したつもりですか? 口だけ達者でも意味がないですよー? まぁ貴方達程度の知性の持ち主ならしょうがないですよねー。痛いところ突かれたら「ベタ」で逃げ切るつもりでしょうが、そんな「ネタ」もう通用しませんよ。「(笑)」が最大限の皮肉であるキミの頭の中身を見てみたいですー。さぞかし小さくて腐敗した醜い物なんでしょうねー。でも自意識とクズみたいなプライドは肥大しちゃっていて、どうしようもないですね。自己評価が高い人は好きですけど、中身が追い付いていない凡俗は数秒で見切られちゃいますよー? 記号的反応もいい加減にしてさっさと中二病を卒業しましょうよ。それで好きなテキストサイトを少し挙げるとすると、「ちゆ12歳」くらいかなあ。あそこの何が好きか、っていうとやっぱり「バーチャルネットアイドル」っていう新しい形を作ったことだよね。文体のおもしろさや、ネタの選び方もマイナーすぎないところを付いていて自意識が可愛そうな人に受けそうな調度いい所を確信犯的に狙ううまさ。取り巻きのうざさもピカイチだったけど、やっぱりあれ自体はすごかった。今でも通じる。今思えば「侍魂」は流行りの現象でしか無かったんだな。「ちゆ」も現象だったけど、あれは中身が伴っていた。「侍魂」の読者なんて、それこそエンタの神様で笑う奴を笑う奴と同じレベルだ。自分が一番嫌悪しているはずの「見ていないけど、とりあえず周りが馬鹿にしているから馬鹿にする」っていうさあ。おかしいよね、これまた自分が一番嫌悪しているはずのネトウヨと行動が同じなんだもの。嫌韓流を読んで、友人に、いかに韓国が悪い国か、ということを撒き散らしているクズと同等ですよー。本当に撒き散らしているのは自らの醜悪と知性の無さだということにさっさと気づきましょうねー。そういえばテキストサイトといえば、今、ロフトで変なイベントやっているよね。ちょっと読んでみたけど、全員の顔面を殴打した後写真に収めて各所にばらまいてやりたくなるよ。いつまでネット有名人気取ってるんですかー? 貴方達が今そこに居るのは、「おもしろい」からではなく「たまたまブームに乗れた」からですよ。さっさと自覚しましょうね。さもなくば即刻死ね。