はてなキーワード: ゲシュタルト崩壊とは
結構前に3D美少女が簡単に作れると話題だったVカツをいまさら触ってみた。
気づいたら半日経っていたレベルで面白かった。美少女を作り出したり(今回は模写だけど)、自在に3Dモデルが動かすのは面白い! プリセットされたモーションで視点をマウスでグリグリ変えると「すごい、そこに居る」って感じがする。
仕事で使っている3DCADより操作性が良かったので、作りながら時々スカートの下からのぞき込んだりしてみて幸せ。以前モンタージュみたな2Dのキャラメイクで好き放題にパラメータをいじったら、いまいち萌えない属性キメラが誕生してしまった。それで、キャラクターデザインって難しいんだなあということを身をもって知った。だから今回はお気に入りのキャラを模写することから初めて見たんだけれど、やっぱり生き物(かわいい)を作るのは難しい。顔の輪郭とか目とかパラメータが多すぎて、お手本のキャラと3Dの何が違うのかわからなくなった。
うーん、美少女がゲシュタルト崩壊してしまった。目のパラメータの多さを見て、目は口程に物を言うということなのだなと思い知らされた。胸の大きさと体形のパラメータを見たら肉体に対する熱いこだわりみたいなものを感じたし、言語化しずらいけどけど体形って実は個性が宿るんだよなあと痛感。
それで、パラメータを変えてたら身長や足の長さを滑らかに変えてお姉さん体形からお子様体形までスムーズに変えて一番かわいいポイントがあるんだなとわかった。3Dで身長が変わる系の変身やったらおもしろそうだな。3Dだと高身長ガッシリお姉さんに見下ろされる視点も華奢な低身長妹をゼロ距離で見込む視点も自在なので、そこがいい。
「隣の吸血鬼さん」のソフィーというキャラを模写したつもりだった。しかし、出来上がったものはソフィーちゃんのコスプレをしたちんちくりんな女の子になってしまった。服装は黒ワンピ+パンストで、控えめ体形に銀髪で赤目で若干ジト目気味というキャラは一見簡単なように見えて難しすぎた。髪型も服装ももうちょっと自由度が欲しかった。完コスしたのにイマイチ再現度の上がらないコスプレイヤーを見たときのコレジャナイ感を味わえたのでお得と思うことにした。つぎはもうちょっと特徴がハッキリしたキャラでリベンジするかな。
モデルを作った後は着せ替えしたりモーションで動かしたりしてみた。いろいろと衣装を変えてみると、やっぱ美少女は何着てもかわいいわと当然の感想を感じた。さらに、プリセットしたモーションでキャラを動かすとやっぱ美少女は何してもかわいいわと当たり前のことを思った。エアギターのモーションがあって声出して笑ってしまった。モーションには女性っぽい動きと男性っぽい動きがあり、その違いを見ると面白い。美少女3Dモデルに男性っぽい動きをさせると、「こんなにかわいいのに中身オッサンなの!?」感があって胸が熱くなる。黒ワンピの美少女に大きな剣を持たせて躍動的なモーションをつけると、マジでかわいい。後ろから見ると美少女に守られたい願望満たされますよ、いっそもう切り捨てられたいレベルですよこれ。
ちょっと半日かけたのは、美少女のゲシュタルト崩壊を引き起こししまってやりすぎだったかなと思う。でも、やっぱ自分の思い通りの3Dモデルが画面上でグリグリ動いて、下からのぞき込んでみたりしたら楽しい。モーションがついたらすごくかわいい。もうね、つくる過程が癒し。
今後もチマチマとキャラを作って、最強にかわいいキャラをつくっていこうと思う。
次の宿題は、
大学を中退し、ニートをやったりブルーカラーの労働をしたりしていたが、どうしても学歴コンプを拭い切れず、前からやりたかった文系の学部に編入した。
友達ができないのも、まともな就職が望めないのも覚悟していたので大きな問題ではない。
しかし、編入して8ヶ月が経ち疲れが出てきたのか、最近活字が頭に入って来ずしょっちゅうゲシュタルト崩壊を起こす。
勉強が滞ると、三十路を前にしていよいよ自分は一体何をやっているのかと追い詰められてくる。
周りを見ていれば、勉強したい連中は読書会なんかをやっているし、そうでない連中はウェイウェイやっている。
歯を食いしばって一人でテクストと向き合えば山を越えられるのだろうか。
ファンタジーは楽しいなーってたくさん読んでいたら、なんだか最近「それなりに」の事がなんだか気になってしまって、、
一度気になったが最後、文章の中に「それなりに」が出てくる度に「それなりに」のことばかり考えてしまって集中力が削がれます。つらいです。
このシーンでは「まあまあ」より「わりと」とか「けっこう」がしっくりくるけど、もしかして作者は「そうは言っても」ぐらいの使い方をしているのでは?!
といった具合に「それなりに」の強さがこれだと確信できない時が一番つらいです。それなりにの意味が表す強さによって、後に続く物語の流れが変わるじゃないですか。だからそれなりにが出てくる度に、1つの物語を読んでいてもパラレルワールドのように複数の意味と状況をしばらくは保って読んでいるのに、結局うやむやでわからないままで、、、つらい。
つらいです。たすけて
誰もが名前を知っているはずのグループなのに、片隅と形容せざるを得ないのも侘しいことだけど。
それは置いておいて。
文章を読んでいたりいなかったり、擁護と励ましの声だけをかける人がいた。
本人と長いやり取りをしようとして、叶わなくて、一連のまとめを作った人がいた。
わたしも看過できない部分に、思わずエゴサにかかるような書き方をしてしまった。
「あの人はこういう人だから」といつも通り目をつぶりきれなかった人もたくさん見た。
全員、「ファン」と呼ばれたり、「ファン」を自称したりする人のはずなのに、反応はさまざま。
盲目に信じること、貶しを愛と呼ぶこと、「こういう人だから」と諦観しながら付き合うこと。
付き合い方は多様なのに、みんな「ファン」と括られる。
全肯定するのも、斜に構えるのも、都合のいい距離を保つのも、ぜんぶ「ファン」なのか。
騒動の本人は、さまざまいるファンの中でどんな人だけを「ファン」として見ているんだろう。
アーティストという記号の奥に生身の人間がいるように、ファンという記号の奥にも生身の人間がいる。
どういう風に在るのがお互いにとっていちばん心地いいのか、たまに分からなくなってしまう。
こういうことを考えてしまうから、都合のいいファンにわたしは決してなれないんだろうけど。
騒動の人1人だけで成り立っているわけではないから、人数分の価値観とこれからも付き合っていくんだろうけど。
盲目的に信じることがいいとも、愛を免罪符に貶すことがいいとも思わない。
好きな人たちについて諦観を持ちたくないから、「こういう人だから」なんて距離の置き方もあまりしたくない。
プチ炎上自体はやはり醒めた目で見てしまっているけど、うっかり飛躍に飛躍を重ねてしまって、
どういう感情の形が、距離感が、自分の中で最もしっくりくるのか、分からなくなってしまった。
どんな感情であればわたしは躊躇わずファンと名乗れるんだろう。
ゲシュタルト崩壊の末、途方に暮れている。