はてなキーワード: ゲシュタルト崩壊とは
大学を中退し、ニートをやったりブルーカラーの労働をしたりしていたが、どうしても学歴コンプを拭い切れず、前からやりたかった文系の学部に編入した。
友達ができないのも、まともな就職が望めないのも覚悟していたので大きな問題ではない。
しかし、編入して8ヶ月が経ち疲れが出てきたのか、最近活字が頭に入って来ずしょっちゅうゲシュタルト崩壊を起こす。
勉強が滞ると、三十路を前にしていよいよ自分は一体何をやっているのかと追い詰められてくる。
周りを見ていれば、勉強したい連中は読書会なんかをやっているし、そうでない連中はウェイウェイやっている。
歯を食いしばって一人でテクストと向き合えば山を越えられるのだろうか。
ファンタジーは楽しいなーってたくさん読んでいたら、なんだか最近「それなりに」の事がなんだか気になってしまって、、
一度気になったが最後、文章の中に「それなりに」が出てくる度に「それなりに」のことばかり考えてしまって集中力が削がれます。つらいです。
このシーンでは「まあまあ」より「わりと」とか「けっこう」がしっくりくるけど、もしかして作者は「そうは言っても」ぐらいの使い方をしているのでは?!
といった具合に「それなりに」の強さがこれだと確信できない時が一番つらいです。それなりにの意味が表す強さによって、後に続く物語の流れが変わるじゃないですか。だからそれなりにが出てくる度に、1つの物語を読んでいてもパラレルワールドのように複数の意味と状況をしばらくは保って読んでいるのに、結局うやむやでわからないままで、、、つらい。
つらいです。たすけて
誰もが名前を知っているはずのグループなのに、片隅と形容せざるを得ないのも侘しいことだけど。
それは置いておいて。
文章を読んでいたりいなかったり、擁護と励ましの声だけをかける人がいた。
本人と長いやり取りをしようとして、叶わなくて、一連のまとめを作った人がいた。
わたしも看過できない部分に、思わずエゴサにかかるような書き方をしてしまった。
「あの人はこういう人だから」といつも通り目をつぶりきれなかった人もたくさん見た。
全員、「ファン」と呼ばれたり、「ファン」を自称したりする人のはずなのに、反応はさまざま。
盲目に信じること、貶しを愛と呼ぶこと、「こういう人だから」と諦観しながら付き合うこと。
付き合い方は多様なのに、みんな「ファン」と括られる。
全肯定するのも、斜に構えるのも、都合のいい距離を保つのも、ぜんぶ「ファン」なのか。
騒動の本人は、さまざまいるファンの中でどんな人だけを「ファン」として見ているんだろう。
アーティストという記号の奥に生身の人間がいるように、ファンという記号の奥にも生身の人間がいる。
どういう風に在るのがお互いにとっていちばん心地いいのか、たまに分からなくなってしまう。
こういうことを考えてしまうから、都合のいいファンにわたしは決してなれないんだろうけど。
騒動の人1人だけで成り立っているわけではないから、人数分の価値観とこれからも付き合っていくんだろうけど。
盲目的に信じることがいいとも、愛を免罪符に貶すことがいいとも思わない。
好きな人たちについて諦観を持ちたくないから、「こういう人だから」なんて距離の置き方もあまりしたくない。
プチ炎上自体はやはり醒めた目で見てしまっているけど、うっかり飛躍に飛躍を重ねてしまって、
どういう感情の形が、距離感が、自分の中で最もしっくりくるのか、分からなくなってしまった。
どんな感情であればわたしは躊躇わずファンと名乗れるんだろう。
ゲシュタルト崩壊の末、途方に暮れている。