はてなキーワード: 諸葛孔明とは
電車に乗った。ちょうど空席がなくて、その駅で乗り込んだひとがみんな立つくらいの混み具合。
車両のなかほどにむかっていたら、少し向こうで大学生くらいの青年が立ち上がった。まだ扉が閉まってなかったので、降り忘れて焦ったのかとおもったら、そういうことでもなく、扉付近で立ち止まってる。
電話がかかってきたわけでもなさそうだし、なにを急に立ち上がったのかわからないけどラッキーだから座っておこうとおもって空席にむかってたら、青年が立ち上がったほうの扉からさっき乗りこんできたとおぼしき小さなおばあさんが、つかみ棒にすがってちょうど立ち止まろうとしていた。
なるほどね。席を譲りたかったのか。
でも、残念なことにおばあさんは座席が空いたことにきづいてない。それどころか危うく自分が座ってしまうところだった。あぶないあぶない。後ろからおばあさんの肩をつつき、空いてる座席のほうにうながす手振りをすると、いえいえという手振りを返されるので、いえいえどうぞどうぞという手振りを強めに繰り返すと、どうもどうもすみませんというように頭をさげておばあさんは席に着いた。
ほんとうに席を譲りたかったのか、なにかほかの理由による偶然なのかはわからないけど、青年のまじめそうなかんじやタイミングから想像するに、老人が乗ってこられたから席を譲らないといけない、でも声をかけて断られるとすごい困ってしまう、とりあえず立ち上がって「空席チャンス」を作っておこう、というようなことだったのかな。
むかしはぼくもそんなふうに考えていたことあったし、実際に断られてどうしていいのかわからなくなったことにあったこともあったけど、あるとき席を譲って断られてた女性が「いえいえ、どうぞどうぞ」とさらにカブせてるのを見てて、なるほど席を譲るプロトコルは3ウェイ・ハンドシェイクなんだなとわかってから、ほとんど困らなくなった。
だいたいがいったんは断るのだ。諸葛孔明なんかは3回も断った(断ったのは2回なんだっけ?)。でも「どうぞ」「いえいえ」「どうぞどうぞ」となるとだいたい座ってくれる。それだけのことだった。面倒だとか黙って座れとか言うものでもない。人間のコミュニケーションというのはそういうものなんじゃないかな。儀礼があるなら従えばよい。誠意があるなら、だまっていては伝わらない。声に出して「どうぞどうぞ」と言ってみるとけっこう楽だったりする。
そのあと董卓っていう奴が独裁者になって暴れるんだけど、部下の呂布という奴に殺される。
朝廷はぐちゃぐちゃで統制が効かなくなってしまい、各地の将軍たちが独立して戦国時代みたいになる。
そのころは大陸の北の方が豊かで人口も多く、その覇権を巡って曹操と袁紹という二大勢力が戦って、曹操が勝つ。
曹操は日本の戦国時代で言えば織田信長みたいな冷徹な天才タイプ。
しかし大陸の南東のほうで勢力を拡大していた孫権という奴に「赤壁の戦い」で大敗する。
また、孫権に協力していた劉備という奴が、その戦いのあとの隙をついて大陸の南西の方を占領する。
劉備は豊臣秀吉…と言いたいけどわりと違くて、やたら仁義と忠義にこだわる良い子ちゃんタイプ。
北半分を得た曹操の「魏」、南東を得た孫権の「呉」、南西を得た劉備の「蜀」。
特に劉備が主人公格で、義兄弟の関羽・張飛と共に、紆余曲折を経て国を打ち立てるまでが前半。
でも建国した矢先、関羽は呉と戦って殺されてしまい、張飛も部下に裏切られて殺されてしまう。
義弟たちを殺されて怒り狂った劉備は呉に攻め込むんだけど大敗して死ぬ。
そして劉備の軍師であった諸葛孔明が、劉備亡きあと、圧倒的な力を誇る魏に対してさまざまな奇策を持って挑む、というのが後半のストーリー。
既に曹操も死んでいるから、魏の将軍の司馬懿という奴が孔明のライバルになる。
孔明は魔術的な天才軍師として描かれ、司馬懿を相手に連戦連勝する。
孔明の死後は、後継者の姜維を中心に、蜀も粘るんだけど、ついに魏に降伏することになる。
具体的に言うと、鍾会という野心旺盛なエリートが姜維を釘付けにしているあいだに、鄧艾というドモりが酷いおっさんが間道を通って蜀の首都を攻め落とす。
でも鄧艾のことが気に入らない鍾会は、鄧艾の勝手な振る舞いを讒言して殺してしまう。
さらに姜維に唆されて、鍾会は蜀の地で独立してやろうとするけど、あっさり発覚して鍾会と姜維は殺される。
そいつらが蜀の滅亡の後に魏を乗っ取って、「晋」という国をつくる。
この晋の名将に羊祜という奴がいて、最後に残った呉をいつ滅ぼそうかと手ぐすねを引いていた。
二人は国境を挟んで互いのことを認め合い、手紙や酒を送りあうほどだった。
この頃の呉は、晩年に耄碌した孫権が、悲惨な後継者争いを引き起こして国力が低下。
陸抗の力によってようやく保っている有様だった。
やがて羊祜も陸抗も亡くなったあと、羊祜の後継者となった杜預という奴によって、ようやく呉は滅ぼされた。
おしまい。
劉備亡き後の蜀漢をよく支えたが、志半ばにして五丈原に死した。
その判断は公明正大で、諸葛亮によって流罪とされた者ですら、彼を恨まずその死を嘆いたという。
彼の手になる「出師表」は古今の名文とされ、「読みて涙を堕さざればその人必ず不忠」と言われるほどである。
唐の凌煙閣二十四功臣の第四位。
もとは太宗の政敵である李建成の部下であったが、その剛直さを買った太宗が自身の側近として登用した。
皇帝となった太宗に対しても容赦なく諫言し、亡くなったときには「朕を写す鏡を失った」と太宗を嘆かせた。
そのやりとりが多く記録された「貞観政要」は帝王学の名著とされている。
魏徴と同じく、性剛直にして諫言を多くすることで知られ、寇準がやってくれば百官が震え上がると言われた。
その性格のため周囲の恨みを買い、讒言により宰相を追われるが、死後に名誉回復がなされた。
賄賂を厳しく取り締まったことで、貴族からは恐れられ、民からは慕われた。
その峻烈な性格は「包拯が笑う時は黄河が澄む時だ」と言われるほどだった。
死後、人気はさらに高まり、「包公故事」として劇や小説、あるいはテレビドラマの題材となった。
南宋の三忠臣、亡宋の三傑と呼ばれたうちの一人。
弱冠にして科挙に首席合格した傑物であり、「正気の歌」などの優れた詩を残す。
南宋の首都が陥落したあとも抗戦したがモンゴル軍に捕らえられた。
彼の才を惜しんだクビライから、帰順すれば宰相にするとまで言われたが、「宋の宰相がどうして二姓に仕えようか」とただ死を望んだ。
やむなく文天祥を処刑したクビライは、彼を評して「真の男子なり」と讃えた。
エセン率いるモンゴル軍に明軍が大敗し正統帝が囚われたとき、于謙はすぐさま正統帝の弟を皇帝に立て、徹底抗戦の構えを見せた。
首都である北京にまで迫ったエセンを撃退し、正統帝を取り返したが、のちに反逆者の汚名を着せられ処刑された。
地方の官吏であった頃に、賄賂を受け取らずに都に戻る清々しさを詩に詠んだという故事は、「清風両袖」の語源となっている。
道教に傾倒し政治を顧みない明の嘉靖帝を諌めたことで投獄された。
海瑞は、棺桶を買い、妻子に別れを告げ、死ぬ覚悟を持って直諫に臨んだという。
嘉靖帝の死後、釈放されてからも要職に就けないまま役職を転々としたが、その謹厳な性格は変わらなかった。
この海瑞のことを描いた戯曲が、文化大革命の発端となった「海瑞罷官」である。
明末、抗清の武将。
李自成の乱によって明の首都である北京が陥落すると、江南へ退避して亡命政権を打ち立てた。
揚州にて清の大軍と戦っていたがついに包囲され、熾烈な抵抗を行った末、落城時に自刎した。
それによって莫大な損害を被った清軍は、報復として揚州の八十万人を虐殺したと言われる。
日本で生まれて七歳で明へ渡り、北京陥落後は亡命政権の一つに拠った。
そこで隆武帝に気に入られ、国姓の「朱」を与えられたので、以降「国姓爺」と呼ばれるようになった。
父親が清に降ったのちも、鄭成功は奮戦を続けたが、抗しきれず台湾へと渡った。
その地を支配していたオランダ人を追放して独自政権を打ちたて、翌年に死去した。
清の官僚として、地方の農村の再建と腐敗した官吏の処分を行い、名声を高めた。
道光帝によって欽差大臣に抜擢され、阿片禁輸の大任を託された。
次の10年は、もう天才とかオープンソースの時代じゃなくなる。正確には、天才とかオープンソースの時代は続くけどそれは当たり前のものになる。
敵にも味方にも、諸葛孔明も、趙雲子龍も、張飛も関羽もいる時代になる。というか、いなきゃ負ける。いて当たり前という時代になる。
そして、次の10年 正確にはこの10年で築きあげて10年後から20年目にかけて戦うのは、普通の人になる。普通の人がどれだけ鍛えられているか?で勝負が決まるようになる。
いつまでも、アメリカのモノマネじゃなとはおもうけど、それでいいならいいや。それでも生きては行ける。
ふと思ったのですが、鳩山内閣とは「日本人にとっての通過儀礼(イニシエーション)」なのではないでしょうか?
思い出していただきたいのは、麻生政権時代の話です。あの時、私たちはなにかモヤモヤとしたものの中にいたような感覚を感じていたのではないかということです。自分自身に不確定感を感じており、自暴自棄な部分があったり、八方ふさがり感を感じていたり、手応えの無い生を生きている様な感覚を感じていたのではないでしょうか?
つまり、あのまま、自民党政治なり、麻生政権が続いていたとしたら、私たちは、自分たちが溶けてなくなるような感覚に襲われていたのではないかということです。
戦後民主主義というマッカーサーの誘導通り、生きている事にリアリティのない、夢見がちな子供こそが日本人であるということを日本人自身が真面目に実行してしまい、日本人の精神年齢は永遠の12歳に閉じ込められてしまいました。つまり、団塊世代を含めて、子供が多数派になってしまったという現実があると思います。
そして、その結果として、野党が多数派となり、鳩山内閣になったという訳です。
今までは、誰かが(この場合、自民党が)、親のように国民の面倒を見てくれましたから、親に子供が不満をぶつけるように、国民も野党もマスコミも外部からヤジを飛ばしていれば、責任を果たした気分になっていました。しかし、いざ、自分が権力を持ってみると何も出来ていないのが現実としてあります。
鳩山首相というのは、今まで、外部にいた国民や野党やマスコミが……外部にいた人間が、鏡に映った場合にどう見えるかという事の体現者です。彼を無能、正常な精神状態でない、歪んだ笑顔が醜い(そこまで言ってませんね)と責め立てた所で、それは結局、国民自身が自分自身を批判していると言える事が出来るのではないでしょうか。
ですので、結果的にであれ、どうであれ、鳩山内閣とは「日本人にとっての通過儀礼(イニシエーション)」として機能してしまっているというのが実情でしょう。
以前、こんな記事を見ました。
「三国志の中で誰になりたいか?」という記事です。中国では狭義心に富む「関羽」が人気でした。アメリカでは有能で策謀謀略に長けた「曹操」が人気でした。日本では天才軍師の「諸葛孔明」が人気でした。
これが何を表しているかというと、自分の立ちたい立ち位置を表しているのではないでしょうか。
つまり、「トップに立たずに、冴えたアドバイスをする「知恵袋」として活躍したい」というのが日本人の心情な訳です。
これがそのまま、日本人の野党体質に繋がっているのではないかと思います。
例えば、ある社会学者があるジャーナリストをなぜ、実際に著名人をどんどん引き連れて政治工作しないのか?と責め立てる訳です。ジャーナリストは「自分がやりたいことをやりたい」と答えていましたが、要するに、誰も当事者にはなりたくないのです。その社会学者も、孔明的な立ち位置に立ちたくてそんな事を言ったのでしょう。でも、責任は取りたくない訳です。ジャーナリストにしても政治運動の当事者になる事は「やりたい事リスト」の中に入っていない訳です。やはり、孔明的な立ち位置でやっていきたい訳です(その点、勝間女史を悪く言う人がいますが、そういう人達のサバイブ能力は、彼女以下であることは間違いないと思います)。
結局、政治の当事者ではなかった自民党時代の民主党も、国民も、マスコミも、(当事者からすると無責任な)冴えたアドバイスをしたい訳です。何か偉そうな事を言いたい訳です。その欲望が中心にあったのだと思います。
しかし、鳩山内閣とは「日本人にとっての通過儀礼(イニシエーション)」は、日本人をことごとく死地へ向かわせ、容赦なく、当事者にしてしまうでしょう。逃げ切れると考えている団塊世代も例外ではありません。財産に対する猜疑心に否まされ、孤独死してしまう人も多いのではないかと思います。そして、実際、氷河期より就職事情は厳しいですし、経済的な脱出口は見つかっていません。また、ご存じの通り、外交も迷走しています。
多分、日本人がこの通過儀礼を無事乗り切るかは分かりませんが(最悪、中国の植民地だと思っています。もっとも、チベットのように民族浄化されるかも知れませんが)、ある種の諦観と、自身しか当てにならないというサバイブ能力を持たざるを得なくなるでしょう。
レイプ問題を熱く議論するのは結構ですが、現実問題として、全ての男を隔離されている日本より、女性が鉄砲を持ち迷彩服で町中を歩く日本の方がリアリティがあるのではないでしょうか?(現に、アフリカでは似た様な状態の国もあるらしいですし。そして、残念ながら、非常に残念ながら、日本のレイプ発生率は低いのです。いずれにせよ移民は増えると思いますが、容赦なくレイプ発生率もグローバルスタンダードに近づくでしょう)
そして、そして、そして、そんな困難の時代を生きるあなたに、格好の情報があります!
(中国旅行記 読者より)
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四川省の成都にいます。午前中、杜甫草堂、そして武侯祠に行ってきました。かなりゆっくりと回り十分に堪能しました。
成都と甲府が友好都市になっているようで、草堂の記念室に銭其シンや楊尚昆らのオートグラフに並んで石和温泉などのパンフレットが並んでいたのには笑ってしまいました。
しかしなぜ甲府なのでしょうか? もしかして盆地つながり? まさか。ともあれ、いにしえの中国人の偉大なる事績に触れた後、宿を取っている春煕路の付近をぶらぶらしました。
連休も最終日とあって、繁華街は若者たちが多く繰り出してたいへんな賑わいです。そんなところではよく見かける光景ですが露天の物売りが多く店を開いています。串肉を焼きながら売るリヤカーのおばあさん、串飴を背中に担いで歩くおじさん、バッグ類やアクセサリーをボロ布に広げるおばさん、自転車の左右のカゴに果物を満載したおねえさんなどなど。
その中にいた30前後の女性が三輪自転車の荷台にかけたビニールシートをはずしました。大量の映画DVDが載っています。知らない作品ばかりですがちゃんとパッケージされています。
一瞬、ホンモノかと思いましたが、紙に挟んだだけのパッケージはいわゆる海賊版でしょう。何人かの人が目当ての盤を捜し始めたころ背後から怒鳴り声が聞こえます。黒制服姿の若い警官2人です。彼らはパッケージを20枚ほどわしづかみにしました。
そしてにやにやしながらパラパラとめくって見ています。物売りの女性は手を合わせて返して欲しいと頭を何度も下げようやく返してもらいました。そしてすぐに荷台にカバーをかけて立ち去っていきました。
サボテンや観葉植物をビニールの小鉢で売る自転車のおばさんも警官に呼び止められました。
彼らは、きれいに手入れされたサボテン鉢を数個ばかり地面にたたきつけすぐに立ち去るように命令します。おばさんは半笑いの表情でサボテンを拾い砂をすくっています。
事前に買った人も同情して一緒に砂を拾っています。おばさんはその人に律儀におつりを手渡し、警官の背中をふり返りながらその場から離れていきました。
次に警官は飴売りのおじさんの背中から商品を引き抜いて何かまた怒鳴っています。
警官の手に何本かの串はありますが、3、4本の飴が折れて路上に落ちました。
おじさんは走って路地に逃げ込んで行きました。しばらくすると落ちた飴がなくなっていたのでおじさんが拾ったか誰かが持っていったのでしょう。
これはどうみても警官と言うより、地回りのチンピラという印象を受けました。折り目も消えて薄汚れた服装もだらしなく、制帽も身につけていません。おまけに上着のすそから柄ものシャツがはみ出しています。彼らは串飴をもったまま物売りたちを次々に怒鳴り退散させています。
一方で、同じくゴロツキ風の若者に肩を組まれてなにやら笑顔で話してもいます。
物売りたちは警官の姿が消えるとまたすぐに店を広げます。文字通りいたちごっこを続けていました。
こうした様子は日本からの旅行者の目にはもの珍しいのですが、地元の人たちからすれば日常茶飯なのでしょう。すべて衆人百目の前で起きています。
権力をカサに着た傲慢非情な警官と苦労しても報われない可哀想な物売りたち。貧民たちの警察に対する怒りはまだまだ蓄積しているように感じました。「偉大なる中国」の事績を見学した直後に目撃した光景だけに印象に残るシーンでした。
そういえば似たような経験がありました。古代ローマ人の造った壮大で緻密な遺跡群を巡った後、いい加減でその場しのぎな現在ローマ人と接した時です。
いま中国では建国60年に合わせて公開している映画「建国大業」がたいへんな入りなようです。
春煕路の映画館でも大入りの様子です。抗日戦争から建国までの指導者群像を描いた作品です。この前のレポートで書いた「解放」と似ています。なにやら172人のスターが登場するらしいのですが、毛沢東役にはもちろん例の唐国強。
ジャッキー・チャン、アンディ・ラウ、ジェット・リー、レオン・ライ、チャン・ツィイーなどの豪華スターも出演しているとか。
こちらのテレビでは相変わらず国慶節関連の番組をやっています。
成都でも西安でも観光地は、というより人が集まるところはどこも「60」あるいは「国慶」という文字や大きな花飾りが目立ちます。ただ春煕路では国慶セールの方が目立つでしょうか。もちろん30メートルおきに銃を持った公安警察が隠れていますが。
(NS生、中国旅行中)
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(宮崎正弘のコメント)連日、精力的に中国各地を回っているようですが、食あたりに気をつけて下さい。
さて、成都と甲府が姉妹都市の理由は「盆地」だけではなく、「軍師」です。諸葛孔明と武田信玄(山本勘助)、ともに軍略の英雄ですから。
通巻第2735号
インチキ専門学校卒、フリーターから地元のやや有名企業に潜り込み、社内ニートとしてもうすぐ10年を迎えるオレが経験則から編み出した「いかに仕事をせずに社内ポジションを保持するか(もしくは自分の能力を過大評価させる10の方法)」。一生懸命やっても、どうせ誉めてもらえないという貴方、腐っていてはソンですよ!この10箇条のライフハック(笑)をぜひ実践して、社内評価とお気楽生活を一挙に手にしてみてはいかが?
(1)本当にこの会社にいるべきなのか?
「会社にいて仕事をしないのは、仕事をすることより難しい」。普通の会社というのは、みんな働いて当然というスタンスですから、この認識が必要です。仕事をしないと居られないような会社であれば、辞めた方がいいでしょう。また、自分以上に仕事をしていない社員が複数見られる場合も、早めに辞めるのが賢明です。新たなステージでこそ、あなたの社内ニートとしての才能は開花するのかも知れません。
(2)立ち位置をしっかり確認する
組織がキッチリしているシビアな会社では、社内ニートは生息できません。義務と責任の狭間に咲くあだ花、それが社内ニートです。あなたが、ちゃんとしている会社にいるなら、ちゃんとした方が間違いなくトクします。ちゃんとした会社かどうかは、2ちゃんとかで確認してみるといいでしょう。残念ながらあなたの会社が「ちゃんとしていた」としても悲観することはありません。ちゃんとした会社にも、ちゃんとしてない部署はひとつふたつあるはずです。そこへ「あえて」転属願いを出す(不採算部署を自分の手で立て直すくらいの大風呂敷を広げて)のも手です。
厳しさを増すビジネスシーンの片隅で、社内ニートとしてひっそり暮らす(そう、高山に咲く希少植物のように!)ためには、まず自身のキャラづけが必要です。例えば、ドラマ「相棒」における水谷豊のように、「独特の才能を持っている雰囲気」を醸し出すことを推奨します。水谷豊であれば物語上、事件を解決しなければなりませんが、あなたは雰囲気を出すことだけに腐心すればいいのです。具体的には、あなたの会社(もしくは事業部)が、まだ手を出していない分野の書籍を買い集めて机上に散乱させたり、できるだけ年輩者の揃った会議の場で、わけの分からないビジネス用語を連発してオッサン社員を煙に巻いたりすればいいでしょう。ただ、その後のフォローはくれぐれもお忘れなく。キーマンを絞った丁寧なフォローで「知識をひけらかす」イメージではなく、「熱心さが故に」専門用語で熱弁を振るったイメージを演出しましょう。
(4)新規事業・困難案件には積極的に参加
社内ニートっていってんのに矛盾してね? とお思いの貴方、ちっと黙っとけ。社内ニートとなった貴方を守ってくれるもの、それは「イメージという幻影」以外にはありません。(2)のイメージ付けの延長で、ただの扱いづらいキモメン的な評価を避けるために、仕事には積極的なポーズをつねに取り続けましょう。ただし、責任者ではなくあくまでサポートとして。責任者はハイリスクハイリターンなので、失敗したとしても(それは大した問題じゃない)、一定の評価はもらえるサポート的なポジションがお勧め。諸葛孔明気分で「殿!敵は総崩れですぞ!」とか言っておけば、責任者もご満悦です。「おだてに乗りやすいタイプの上司」が責任者になったときは、すかざすそのプロジェクトに参加しましょう。おだてまくれば、勝手にどんどん走っていってくれます。失敗しても、元から「困難案件」なので貴方のせいにはならないはず。むしろ注意すべきは与し易い案件です。
どうせ一日中ネットに張り付いているんだろうから、日中ITmediaあたりで集めた、なんとな??く会社に関係ありそうな事案を、週に1回まとめて上司に提出してみたりするといいんじゃないかな(月曜の午前中あたりに「週末に調べ物をしててこんなニュースが…」というスタンス)。とりあえず、IT系のニュースはいろんな業界(とか顧客)に結び付くのでお得です。そのうち、社内でネットを見てても、仕事の調べ物をしてるんだとか思ってもらえるようになります。
リアルニートに一番欠けている能力「コミュ力」。これが社内ニートでは大切なスキルのひとつになります。決して過剰にはならない程度に、ツボを押さえたアプローチ。この距離感が大切なのですが、こればっかりは現場の空気を肌で感じながら調整していくしかありません。ポイントは「広く浅く、上司はピンポイント」。現場社員は年齢・キャリアを問わず広く浅く(仲良しになる必要はありません!笑顔で挨拶を交わす程度で十分)、上司に関しては"現場まで見えていないような、やや上級の上司"とピンポイントで親しくなれれば完璧です。社内の空気を読みながら、大変そうな同僚や部下に声を掛けたり差し入れをしたりする。実は、これが社内ニートで一番大変なポイント。他人に気を遣うとかまっぴらゴメンだぜ!とかいう中二病をこじらせたような人は、社内ニートとかせずに、まじめに仕事をすればいいんじゃないのかな。
(7)備えあれば憂いなし
ここまで来ると、あなたは社内ニートとしてかなり居心地の良い住処を見つけているはずです。しかし、過信は禁物。あなたの回りでは、厳しさを増す景気動向に多くのビジネスマン達が喘いでいます。あなたの同僚も例外ではありません。ぬくぬくとお茶を啜っている貴方を見とがめて、「いいかげんに仕事しろ!」と怒鳴り込んでくる場合もあるかも知れません(最悪の場合、直接上司にチクるかも!)。そんな時は務めて冷静に対処しましょう。ヒマに任せて作っておいた企画書(題材はなんでもいい)や、社内システム改善案などを見せて、「実は上司の勅命で内々にこの案件を進めている」と返してみてはいかが?このような状況に備えて、なんか適当な企画書を2本くらい用意しておくと安心です。また、怒鳴り込んでくるような同僚は、きっと仕事で余裕がなくなっている状況のはず。ここは飲みにでも誘って、悩みを聞いてやるふりをしてガス抜きをすれば問題ないでしょう。
(8)攻撃は最大の防御
上記のようなケースがあると、どうしてもその怒鳴り込んできた当人を中心に、貴方への疑念の包囲網が出来上がりがちです。上記のケースがあれば、即座に「逆包囲網」形成のための対応が必要です。当人への対応をしっかり終わらせた後で、「あいつ、大変みたいだからフォローしてやってね」と、彼の回りの人たちに彼を気遣うように促します。これで、彼が貴方に対しての不満を口にしたとしても、周囲の人たちには「心配してくれている人を悪し様に言う人間」としてインプットされます。ただ、彼を悪人に仕立てないよう、細心の注意が必要です。本当の悪人は貴方なのですから。自分はラクして、他人に気持ちよく働いてもらう。それが社内ニートの真骨頂です。
社内ニートとはいえ、あなたが会社に在籍し続ければ、先輩や退職者からの引き継ぎ物件も入り、大して働かなくてもそれなりの売上を上げている状態になっているはずです(面倒なクライアントは即、元気な後輩に引き継ごう。金額が大きければ感謝までしてくれる!)。一部のしっかりした会社を除いて、中小企業の社内評価なんていいかげんもいいところです。同じ1000万円の売上であれば、より派手にいきましょう。200万円の10年契約より、1000万円の単年契約。取引先が10年後、ホントに続いているかなんて、誰にも分からないのですから。
結果的に言えば、出来ます。一代で財を成したような創業者社長は別ですが、たいがいの中小企業の社長は、人望と調整能力だけのボンクラです。決定権なんて、多くの場合、社長個人に委ねられるなんてことはありません。要は「いかに上手く人を使えるか」。社内ニートである貴方の最終的な目標は、「社長」と言う名の社内ニートなのです。
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社内ニート2.0 実践のための追記を追加しました(仕事しろ)。
http://anond.hatelabo.jp/20080604095249
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ネットイナゴに襲われるのは質が高いからだというのは置いといて。
ソーシャルブックマークはネットイナゴを生み出す、ネットイナゴが発生するのは好ましくない事だから、はてぶを何とかしろよという池田氏の発言を真剣に検討するHatenaは、tinycafeのブクマしないでよ発言をもまた真剣に検討しているような気がするのだ。
今回の件は実はtinycafeの大勝なのだ。tinycafeは自分がネットイナゴの被害を被ることにより、ネットイナゴをはてぶ上に発生させた、tinycafeという場を食べ終わったイナゴたちは、次のちょっと痛いものを求め続けた。
そして今回の池田氏の発言を引き出す事が出来たのだ。
というお話だったのさ。
あ、これオオツネさんが言ってたことか。
でもこれは、tinycafeがネットイナゴ発生の土壌説だからちょっと違うかな。
しかし、tinycafeはこれでhatenaをも潰す事が出来る。なんという知恵者。なんという大局観を持った上での戦術の使用。自らが囮となり死することでWeb2.0の強力すぎる力を最大限に利用し、Web2.0自身の自重で破滅をもたらす奇計を放った現代版諸葛孔明2.0。
死せるtinycafe、生ける池田信夫(ここはHatenaか)を走らすとはこのことか。
そもそもtinycafe2として蘇る相手、敵として不足は無い。
村長は火種を撒いてるんだよ。
マルコは燃料タンクに穴を開けてる人だから、村長は火を放つだけでよかった。
村長の何が上手いって、炎が最大となる時機を見極めるのが上手い。