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はてなキーワード: コブクロとは

2015-07-14

美形・男前ミュージシャンてどこに消えちゃったの?

一昔前はロックにもポップにもデュオにもソロにもダンスユニットにも、各ジャンルに色んなタイプの美しい男性がいたよね

美しいなんて言葉使うと人それぞれになっちゃうけど、とにかく明らかに一般人とは違う顔立ちをした人たちを見ながら「ほえ~」とため息をついていたよ

稲葉hyde福山、堂珍、kj吉井

挙げればキリがないし、すぐに消えちゃう一発屋の中にもビビッとくる人がいたもんだよ

MDで曲を聴くときはいだってその顔を思い浮かべながら聴いてたものだよ

でもいつからだろう

毎年「いま注目のアーティスト」みたいな人は出てくるけど(一発屋とかゴリ押しとかも含めて)

その話題になる人話題になる人みーんなふつーのあんちゃんみたいな人ばっかりになっちゃったよね

パッと思いつくだけあげてみるけどオレンジレンジ森山直太朗コブクロレミオロメンセカオワファンモンサンボマスター、ワンオク、かまってちゃん金爆湘南乃風デフテック

はあ、まだまだいるけど疲れた

とにかく、なにこの美形は!っていう人は久しく目にしていない

普通若者普通日常を歌うみたいなのが流行りなのかね

それとも今の若いリスナーレベルが上がって、見た目とかじゃなく音そのものを楽しむみたいな感じなのかね

でもね、転調がとかベースラインがとか言われてもチンプンカンプンなの

普通のおばさんは音楽にそんな難しいこと求めてないの

美しい男性が愛を囁いてくれればそれでいいの

これ読んでる可愛らしい顔したキミ。そこのキミ

今すぐギターを手に取って将来私を楽しませておくれ

2015-06-29

コブクロ食べてみ

生理イライラするんなら、焼き肉屋行ってコブクロ喰ってみ。

共食いすると一気に調子よくなる。ウソだと思ってやってみな。

焼き肉喰いに行けないほど塞込んだり凶暴になるのはPMSから病院へ)



http://anond.hatelabo.jp/20150628235019

2014-12-31

年の瀬だけど乳首が取れかかっている

28歳女。飲食店勤務。年の瀬だけど乳首が取れかかっている。佐村河内風に言えば、3年前から少しずつ取れかかっていた。28年間、舐められもせず、吸われもせず、一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べてきた私がなぜこんなことになったのだろうか。今流行妖怪のせいだろうか。一大事なのは確かである。そんな思いを抱えながら、これまで保湿クリームを塗ってニプレスを貼り、どうにかこうにか凌いできた。ニプレスを剥がすとき、私はいつも『三つ目がとおる』の写楽保介を思い出す。これは私の第三の目なのだ。そう思うことで少しだけ強くなれた。しかしニプレス剥がして出てくるのは痛々しい乳首。『三つ目がとおる』というより『乳首が取れる』である。そんな私の乳首も今年に入りとうとう限界に近づいてきた。干しぶどうを通り越して今や落ちかけの線香花火最後の一葉、あるいはクリフハンガーである。薄皮一枚でどうにかぶら下がる様は、このままリポビタンDCMに使えそうな画であるファイト一発!私はそうやっていつも乳首を励ましていた。

世間では女性乳首さくらんぼに例えられることもあるが、私のそれは実ではなくヘタ(茎・軸)のほう、より専門的に言えば果柄である。口の中で結べるとキスが上手いと言われるアレである。仮に私が大塚愛ばりに「私さくらんぼ!」と乳首を出そうものなら、男性にぎゃあと叫ばれた挙句大塚愛法廷で戦うことになるだろう。もし徳永英明が私の乳首を見たら『取れかけのChikubi』というバラードを歌い上げるだろう。スピッツなら『乳首ポロリ』、コブクロなら『取れそうで落ちそうな乳首が今年も春を待っている』、一青窈なら『薄紅色可愛い君のね、乳首がちゃんと終わりますように』、いくつもの乳首J-POPが頭をかけ巡る。もういっそのことすべてを諦めて、ありのままに任せたらいいのではないかと思うこともある。しかありのままやっていたら私の乳首十中八九レリゴーしてしまうだろう。もちろんこれはMay J.責任問題であり、法廷で戦うことになるのは必至だ。もちろん黒幕松たか子である

とにかく私の乳首は無事に年を越せるか分からない。仮に年を越せても再来年は分からない。遠から乳首が離れるときがくる。子が親から巣立っていくように、いずれ別離ときがくる。だけどそのときは涙は見せず、笑って見送りたいと思う。ぽとりと落ちた乳首はきっと大地で芽吹き、いつか綺麗な花を咲かせるだろう。木になる果実さくらんぼ。そのとき大塚愛とのさくらんぼ裁判が幕を開ける……。

2014-02-25

メモ

  

 「若者に広がる生活保護

 生活保護受給者って居留守するんだね。人と関わらないからノイローゼになるのか。孤立するのが問題点なのか。おれにとっては最高の環境なのに。人と接することは嫌だよね。特に生きていることに引け目を感じていると。談笑しながらメシを食ってみたいか。俺がそういったものに執着していないのはそんなものが大していいものではないと体験しているからなのか。だとすれば俺はなかなかに恵まれている、特に孤立に対しての耐性があるという点では。布団にくるまったまま死ぬって一体どんな状況なんだろう。人が死んじゃうってそんな簡単なことじゃないとしても、簡単に生まれるから問題なんだろうな。孤立死は緩慢な自殺自己責任論は社会無責任論というのは分かりやすい。自己肯定感の問題はなあ。なんともいえない。俺もそうだし、まったく自己肯定感が育っていない。self-esteemの問題ってなかなか分からない。社会との接点を見つける。稼働年齢層に働けっていうのは至極最もだと思う。物質的に充実していていれば、俺はほんとにもう黙っとくんだけど。生きづらさの臨界愚痴が言える相手がいるってのが必要なのか。それこそ自分で作ってろよと自己責任論に転化されそうな条件に思える。コメントを見ても。貧困お金がないってことじゃないにしても、俺にとってはお金がないことなのでお金が欲しい。しっかし、そうしてみると俺はお金さえあればいいんだから、運が良かったら人生まっとうできるかもしれないね。働きたくないでござる。人の役に立ててることが幸せの条件の一つ。人の役に立てなくてもダラけた生活ができればいいのだが。俺は自己責任論者にスルーされるくらいに見せかけの努力をでっちあげる必要があるな。それさえできれば、本当に俺は人生を手放すこともないかもしれないのに。

 「若者生活保護を受ける者と受けない者)」

 俺も東京に行きたい。東京に住みたい。地下鉄階段ホームレス巣窟がある。完全個室になっている段ボールがあって面白い段ボールを持っていない人もいる。寒いだろうに。4時になったらシャッターが上がるのか。最大でも睡眠時間時間くらいしかとれないのか。新宿中央公園炊き出し若者ホームレスが増加って、30歳が若者扱いになるのか。建築関係派遣社員はきっついだろうな。俺も同じ境遇からよく分かる。ネットカフェで寝どまり騒音問題があるから俺には無理。残金が6円。こぎれいなホームレスだけどダサい生活保護で8万円。低いね簡易宿泊所を住所指定して生活保護受給しているらしい。ヨシオ、ハローワーク仕事探しをしているフリをしにいく。生活保護のための実績作り。これ、叩かれるやつだ。都営パス券も生活保護で貰えるらしい。炊き出し行脚なんてあるんかい。一月8万6千円。軽快なBGMでヨシオがサングラスを購入。くそダサいセンスがない。俺も叩きたくなってきた。エスニックレストランに行くヨシオ。1000円。まあ普通の値段だね。ヨシオこれによく出演したな。「生活保護は小遣い」っておいおい。そういう方向性番組だったのか、これ。ヨシオ、すっごくチビ。次はコウジ。不況が悪いわけではなって。自分が戦うのは自分自身……あーこういうやつね。コウジ、背が高くてシャキッとしている。パチンコの清掃か。まあ楽ではないと思うけどあんまり精神はすり減ることはなさそう。つーかみんなスーツを着てホームレスやっているんだ。対極的な二人を見せるって番組構成だったのか。衝撃のラストwwwコウジが声優になってコブクロが流れたwwwwwwwwwwwwwwwwwなんだこれwwwwwwwwwwwwwwwヨシオがただのクズなっちゃうじゃねえかwwwwww

 

2013-10-23

コブクロの「今、咲き誇る花たちよ」

ソチ五輪NHKテーマソングがこの曲に決まったらしい。

だけどこれが、自分の大好きなスキマスイッチの「雫」にとても似ている気がする。

何だか不愉快な感じ。

2010-12-21

ネットで好きなひとのカラオケ履歴をみつけてしまった

twitterで知り合って@とばして会話してると楽しくて、

どんどん好きになってしまったひとがいた。

twitterで見かけないとどうしようもなくさびしくて、

彼との会話がなんだか生きる糧みたいなものになってしまってた。

ある日、カラオケに行ったとそのひとはつぶやいてた。

男の友人ふたりって言ってた。

なに歌った?と聴くと、B7s=B'zとか嵐とかコブクロって。

そう、彼は私の好みの曲ばかり並べてくれた。

私は、「ふ~ん、いいね。」って感じで

いつかいっしょにカラオケ行けたらいいねって

そう@とばしたら、「おう!」って言ってくれた。

あるとき、なにげなくgoogle検索の窓に彼のハンドルネームをいれてみた。

特徴のあるハンドルネームから、たぶん、彼。

ネットでの彼の行動、いろいろみつけてしまった。

そして、あるカラオケ店の情報が出てきた。

同じハンドルネーム、彼の住む場所、そこまでいっしょ。

ただ、違っていたのはうたってた曲、いっしょに出てきたフレンド、そして彼の年齢

年齢、36

曲、アニソンのみ

フレンド、小6女の子ひとり

私(23)と同い年って言ってたのに、えっ!?

小6女の子、娘?

女の子はいまどきのアニソンばかりうたってる。

彼は、ひとつ上の世代のアニソン

しかもあまり聴いたこと無い。

B's=B'z無し、嵐無し、コブクロ無し。

だって、こんなことして、キモイのは承知してる。

でも、ネットで言うことなんかウソばかりだったね。

ちょっと離れるね。そのほうがいいよね。

2010-02-22

限りなく白に近いグレーれす

ツイッターで「小4のみっちみちのおみゃんこでぼくのちくわぶ頬張ってほしいお(うろ覚え)」という発言が問題となってる件についてつらつらとかくれす。

http://d.hatena.ne.jp/nadegata/20100220とかhttp://anond.hatelabo.jp/20100221181313とかhttp://twilog.org/nadegata/date-100220を念頭に。

  

・自らをガチロリと称しつつ「小四の子宮でぼくのオタマジャクシを来年カエルになるまで育ててほしいお(うろ覚え)」をセクハラとこき下ろすってのはつまりネット上にいていいのは綺麗なロリコンだけってことれすよね。
・綺麗なロリコンはセーフってのはどこのルールなんれすか?というのは置いときつつも、自分は「三次もイケちゃうガチロリなんだぜ」と公言するのは、小学生とっては恐怖と嫌悪を抱かせるのに十分だと思うのれすがどうして配慮しないんれしょうかねえ。セクハラかどうかはともかく配慮を求められても仕方がない案件れしょうに(従えとは思わないれすよ、勿論)。
・まあ「言われた奴が傷つくとかが問題じゃねえ言い方が問題なんだよ」ということなんれしょう。
・で、直接言ったわけじゃない以上特定の人間に向けたのが問題、つまり当事者性の問題なんれすかね?
・しかし繰り返しれすが、二次ロリはともかく三次ロリ宣言もリアル少女に「欲望される私=当事者」と想起させるのに十分だと思うのれす。公の場で自分性的嗜好をひけらかすのは相応に露骨れすよ。想像力ないんれすか。
・ちゅうか、ネット上の人格にたいするセクハラってどこまでが有効なんれしょうね?実名/匿名の問題を鑑みるシームレスに扱うものじゃないと思うんれすが。
マイルールとして「ネット上のお前はお前じゃねえ!キャラだよ!」という考えれすので、今回の「小学四年生の蕾の如きコブクロをここにしか咲かない花を孕むまでぬっぽぬっぽ永遠にともにいじめヌキたいお(ネタ切れ)」は黒に近いグレーというかネット上の諸々は全部グレーじゃね?というのが所感なんれすよね。
・そもそもロリコン発言がカジュアルに使われててどうかというのと同じで、今回のセクハラというのも随分カジュアルな使われ方れすよね。あと、セカンドレイプとかももちょーカジュアルに使われていますけど、いいんれすかね、アレ。ヘイトスピーチっていうべきなんじゃ?っていつも思うんれすが。
閑話休題。何が一番言いたいのかと言うとれすね、白に近いグレーが黒に近いグレーを叩くのもいいれすが、自分がグレーだってことわかっていらっさる?ってことれすよ。

余談。

ロリコン背徳と結び付けるのは「成人女性嗜好=健全な奴ら=常識に性嗜好を飼い馴らされた豚が!」みたいなのが裏側にありそうでなんかいやれす。
・「相手は生身の女の子なんだよ!」は短いセンテンスに奥深い矛盾があって歴史に残る失言だと思うのれすが、それと同じものを今回の件にも感じたのれす。えー生身て言っちゃうんれすか、的な。
・このエントリの発言はおそらくあのルール上だと立派なセクハラになるっぽいんれすが、どうすればいいれすかね?
・実はあっし小学五年生の膜付き美ロリなんれすよ、と言えばどうにかなるれす?まあ、嘘れすけどね。

2009-07-19

弟の相談を笑っていたら死にやがったw

2年前、弟が自分マンション風呂場で死んだ。死亡診断書によると心筋梗塞だった。もともと心臓が弱かったらしい。

先月、父親の納骨に京都の墓にいった。弟の骨を入れた袋は、去年、納骨したばかりだったので、まだ、新しかった。

父親と弟は仲が悪かった。父親は飲んだくれで、昔、酔っぱらって自動車に轢かれたことがあった。警察から電話があってお宅の御主人が道で酔っぱらって道に倒れていますので救急車を呼んでおきましたと連絡があった。後日、近所のひとにきいたら、確かにその夜パトカーがその付近にとまっていたらしい。救急車が運んだ病院で父親は服を脱がされると、身体にはタイヤの跡がついていた。事故証明かなんかをもらおうと警察に連絡すると、その夜、だれも酔っぱらいを発見して救急車を呼んだ警官なんていないといわれた。そんなことがあれば必ず記録には残るそうだ。だれが父親を轢いたのかは謎のまま残った。

アル中気味の父親は家庭では尊敬されていなかった。妹や弟から馬鹿にされても父親は特にプライドがないのかいつも笑ってごまかしていた。

弟は難産だった。母親医者出産するとあなたは死ぬから子供は堕ろすようにといわれたそうだ。母親子供を産んで死ぬのは親の本望だといって無理矢理に弟を産んだ。帝王切開だった。

どちらかは死ぬはずだった母と弟はともに生き残った。

母親占い師にいわれたそうだが、弟の運命は僕を助けることだそうだ。

なので、ぼくはいつか弟は僕を助けてくれるんだろうとなんとなく昔から信じていた。

人付き合いが苦手な僕と違って、弟は社交的だった。中学時代から彼女はいたし、友達も多かった。

そんなにレベルの高い大学にはいけなかったが、楽しそうに生きていた。

僕は社会人になって27歳のときに勤めていた会社倒産してヘッドハントとかされなかったのでやむなく仲間を集めて会社をつくった。

何年かして会社もなんとか軌道にのったあたりで弟が相談をしてきた。弟は大学卒業した後、デジタルハリウッドにいってCG勉強したらしい。友達と一緒に大阪の大手ゲーム会社の下請けの仕事をしたいんだという。ただ、仕事を貰えると決まった訳じゃなくて、まず、タダで仕事をして、能力を認められたら、きちんと発注してくれるらしいので、そしたら、弟の友達は会社をつくるという。で、弟はそこで働きたいそうだ。すごいチャンスだと思うと弟は熱心に説明した。

ちょうど、その数ヶ月前のことだが、ある別の大手ゲーム会社の重役に挨拶にいったことがある。そのときにこれからなにをしたいんだと尋ねられた。僕はネットゲームシステム開発会社として日本一会社になりたいと答えた。それってようするに下請けだろ、と目の前の重役にいわれた。下請けというと、つまりゴミだ、おまえはゴミになりたいのか、と重ねて尋ねられた。もっと目標を高くもて、コンテンツ世界自分コンテンツをつくらないと一人前じゃないと説教された。

そのことがすごく頭に残っていたので、僕も弟に同じことをいった。お前が掴もうとしているのはゴミになる大チャンスだ、と責めた。しかもゴミの一番下っ端になりたいのかと問い詰めた。

結局、弟は夢をあきらめて上京した。

何年かして僕の会社の取引先のひとつに弟は就職した。僕は縁故とかはあまり弟のためによくないと思っていたので、1年間勉強して、他の会社に移れといった。

しかし、2年たっても3年たっても弟は同じ会社にいた。

すくなくとも僕の前では、弟は仕事についてはあんまり自信がなさそうに見えた。でもプライベートでは友達も多く面倒見もよかったらしい。

ある日、弟に相談をされた。鬱病の友達がいて、頼られていて、ずっと相談にのっていた。1週間以上も家に泊まったこともあったらしい。ずっと話をきいていてあげたら、元気になったといって自宅にかえっていったんだが、すぐにその夜に、また、相談にのってほしいと電話があったので、いいかげんにしてくれと思って断ったそうだ。そうしたら、結局、友達じゃなかったんだね。これまでありがとう、恨んでないから、といわれて電話を切られたそうだ。その友達はその晩に自殺した。弟は自分のせいで友達は死んだと責任を感じているようだった。

僕はこれは笑い飛ばしたほうがいいと思って、たいしたことじゃないじゃん、しょうがないといって、あまりとりあわないことにした。

弟は不満げだったが、僕はこういうのは思い詰めるのはよくない、と思った。

そんな相談されたことも忘れたある日、僕は弟が勤めている会社取締役と話をしていた。弟は結構会社では戦力として活躍しているそうだった。ただ、勘違いをする癖があって、ある時、社内で弟が、僕は一番重要な取引先の代表取締役の弟なんだから、それを生かして自分にしかできない調整をやるのが自分の使命だ、とか言い出したことがあるらしい。そのときは勘違いするな、生意気なことをいうな、と散々説教したそうだ。しばらくそんなことはいわなかったらしいが、おととい、また、飲み会のときに、ぼくがいなくなったら、みんな困りますよね、とか言い出したらしい。最近仕事ができるようになったからといって、また、生意気なことをいいはじめたと、みんなでよってたかって虐めたそうだ。一人前になったのなら、最初の予定どおりに独立するなり、別の会社転職すればいい。

おとといは遅くまでのみすぎたせいか、昨日から、弟は連絡もなしに会社を休んでいた。今日もきていないらしい。

弟は父親は嫌いだったが、母親は大好きでしょっちゅう母親とは会っていたし、頻繁に連絡をとっていた。

その夜、母親が弟といっこうに連絡がつかないことを怪しんで騒ぎはじめた。弟のマンションは僕のマンションのすぐ近くだったが、いったことがなかった。夜中だったので、どのマンションかどうしてもわからず管理人のひともいなかったので、その夜は諦めた。

ふてくされて部屋にひきこもっているんだったら、明日でも一緒だし、そうじゃなかったら、たぶん、もう…、おそい、となんとなく予感した。

翌日、会社会議にでていたら、弟の自宅にいった母親から携帯電話があった。会議中だったが、電話にでた。携帯電話からは、僕の名前を絶叫する母親の声がきこえた。

弟のマンションの部屋には鍵がかかっていなかった。見つけて欲しかったのだろう。弟の死体母親が浴室で発見した。

弟の死因は死亡診断書によると心筋梗塞だ。もともと心臓が弱かったから寿命だったに違いない。

弟とはほとんど話をしたことがなかった。僕は弟のプライベートはまったくしらない。部屋には僕の知らない弟の趣味のものがあふれていた。母親はいろいろ知っているようだった。

母親も弟から友達の自殺の話を何度も相談されていたらしい。不幸にはなりたくない、でも幸せになるのもいやだ。弟はそういっていたそうだ。

台所に楽天の箱があり、中身を見ると練炭だった。期日指定配達で、ちょうど弟が死んだ3日前に届けられていた。

調べてはいないが、一年前に死んだ友達の命日なんだろうと思う。

弟が死んだ夜は東京台風がきていて記録的な暴風雨がふきあれていた。その日の昼間には、権利者団体との和解後、暴騰をつづけていた僕の会社株価が、その月に三度目となるストップ高記録していた。

弟は服を着たまiPodだけもって浴室にはいった。窓とドアに目張りして明かりを消した浴室の中で、弟はなにを考えながら死を待っていたのか。コブクロからはじまっていた最後のプレイリストは、いったいどの曲まで聴いたところで、弟は息絶えたのか。

葬式は身内だけでやるつもりで、まわりに連絡はしなかったが、弟の勤務先にはそうもいかず、ぼくの素性をしった葬儀屋の薦める最低限の告別式は、ずいぶんと派手になった。弟は来週から出向する予定だった会社副社長通夜にも告別式にもきてくれた。嬉しかった。

弟の死で僕の家族の生活は一変した。結束は強くなったと思う。父親ははじめて酒をやめた。そのつぎの正月ゴールデンウィークにもひさびさに家族が集まって海外旅行にいった。

父親と母親は弟の死を弔うために四国八十八寺のお遍路参りをはじめた。乗り物は使わずに歩いてまわった。さすがに一度にまわるのは老人の足には無理で、2泊3日の旅をなんども繰り返した。徳島県からはじめて高知県の最後の難所の足摺岬をまわったところで、父親は何をおもったのか、帰りに高野山によった。

あとでわかったが、お遍路を全部まわったら、高野山に報告にいくものらしい。徳島高知を終わったわけだから、ちょうど半分のところで最後のゴールにいってしまったことになる。母親はせっかちな父親らしいと笑っていた。

足に疲労がたまったのだろう、東京にもどってきた母親が駅で転倒して、足首を骨折した。

母親入院したので、父親は僕が両親用に買った高層マンション最上階の部屋でひとりで生活することになった。父親は入院している母親にぐちをこぼしていたらしい。早く退院してほしい、あの家はひとりだと広すぎるんや、弟の幽霊が現れて、こわいんや。

父親はやめていた酒をまた飲み始めていた。

ある日、母親から携帯電話があって、父親が連絡つかないから家を見にいってほしいといわれた。またかと思った。

家の扉に鍵はかかっておらず、家中を探すと、父親は浴室で溺れていた。鼻まで水に浸かっていたので生きていないことはすぐにわかった。

入院中の母親車椅子のまま、家にやってきた。

父親は酔っぱらって溺れたのだろう。ちょっとだけ苦しそうな表情をしていたが、幸せそうな顔だ、と母親に告げたが、けっして遺体をみようとはしなかった。

きっと弟の死を発見したときの光景が目に焼き付いていて、そんな思い出を増やしたくないのだろう。僕も父親の死体を見つけたときの記憶はあまりにも強烈で、きっと死ぬまで忘れることはできないと思う。

父親が死んだのを発見した翌日には、JCBホール会社の大きな発表会があった。父親の葬儀はその翌日になったので、やることもそんなにはなかったから発表会の現場には行った。葬儀屋一年前と同じで、僕も葬儀屋も慣れていた。

葬儀が終わってから、僕はいつものさぼり癖が出てきて、会社へはほとんどいかなくなり、ずっと母親と一緒に暮らした。

なんのために会社をつくってがんばってきたんだろうと僕は思う。

会社をつくるときの資本金は親が出した。僕は貯金は1円もなかったからだ。後で聴くと、それは妹の結婚資金だった。米国親会社倒産したときには、倒産した親会社の持ち分を減らして独立した日本会社にするために増資をした。僕が買い増した株の代金は、父親の退職金だった。父親は某大手スーパー子会社で経理をやっていて、定年まであと2年あったが、父親の退職金が必要だったので辞めてもらった。僕の会社には経理の経験者もいなかったので経理もやってほしかったというのもある。

父親が30年以上勤務して、最後に得た退職金は、僕の会社の3ヶ月分の運転資金となって消えた。

僕の人生の中で後悔している最悪の決断会社をつくったことだ。僕は人生最大のギャンブル家族と両親の人生そのものに等しいお金を賭けて勝負した。本当は賭けていいようなお金ではなかった。本当はやっていけないギャンブルだった。

結局のところ、僕の会社は数年後に上場を果たしたから、賭けには勝ったことになるのだろう。だからといって卑怯なギャンブルの罪が消えるわけではない。起業した時に、結果的に成功するまでの道筋は、僕にはまったく読めていなかった。

会社をつくってまもなく僕は自分の判断の間違いに気づいた。生まれてこのかた好きなことしかやらず、努力なんてしなかった僕は、なにかを成し遂げるためではなく、会社をつぶさないためだけに睡眠時間も削って働いた。

自分ひとりのことだったら、どこかで投げ出して逃げていたと思う。でも、僕が失敗したあとの両親の悲惨な老後を考えるとできなかった。会社をつくったときに万が一失敗したときにだれにも迷惑がかからないように相棒と一緒に生命保険を掛けた。最初、1億円で翌年は2億円に増やした。日本では会社が大きくなればなるほど、借金リスクも増えていく仕組みになっている。勝負に勝っても、そのままダブルアップで賭けつづけることを強制されているギャンブルのようなものだ。2億円あっても全然、会社を整理するには全然足らない規模に成長したため、上場できるか、できなければ、いずれ一家で破滅するか、そういうゲームになった。

上場の準備を進める中で、父親は仕事を外された。創業者の近親者が経理をやっているのはまずいと証券会社に指摘されたからだ。定年間際まで勤めた会社を辞めて息子の会社を手伝い資金まで提供した父親は息子の会社で居場所を失った。父親が勤めていた某大手スーパーは、いくつかの同族企業合併してできた企業派閥争いが絶えなかった。どこの派閥にも属さない父親はずいぶんと嫌な思いをたくさんしてきたようだ。ずっと傍流で冷や飯ぐらいだったサラリーマン人生の最後で、父親はやっと息子の会社で念願だったろう主流派の一員に加わることができた。それも長くはつづかなかったわけだ。

後ろ盾のいないサラリーマン人生で父親はきっと言い訳ばっかりさせられていたのだと思う。父親の話には論理的に一貫しておらず何を説明しているのか要領を得ないところがあった。能力的にもいまの会社にはふさわしくないと僕は判断し、父親を切ることに同意した。

父親はよっぽど仕事をしたかったのだと思う。やるべき仕事がなくなっても、一所懸命自分データを集めてつくった会社資金繰り表や損益計算書を僕のところにもってきては、会社問題点を指摘しようとした。

僕は、もうそんなことはしなくていいと、父親がつくった資料もろくろく見ないで突き返した。

1年、2年たつと諦めて、会社にもあまりこなくなった。暇をつくるのが怖いのかのように隙間無くカレンダー母親との旅行の予定で埋めた。

会社にあまりこなくなってからも母親には仕事への未練を話していたらしい。息子のために自分会社に必要だから、また仕事をしようと思うと定期的に言い出す父親を、そのたびに母親は、もうやめなさい、と諫めていたそうだ。

お金の心配はせんでようなったけど、あんま幸せにはなれんなあと、ことあるごとに父親は愚痴をこぼしていたらしい。

弟と父が死んで、母親と暮らすようになって、そういう話を何度も僕はきいた。

僕は両親の人生を担保にしてゲームをして、そして勝った。勝利の証しとして得た報酬はそういう現実だったらしい。

何のために生きているのか、何のために頑張って仕事をしているのか、自分自身のことだけでいえば、死ぬまでのたんなる暇つぶしだ。別になにか世の中を変えようとか、大きなことをしたいという使命感なんてない。ただ、僕のまわりにいる好きなひとたちが、僕を必要としてくれているから、自分ができる芸を精一杯見せているにすぎない。

僕の望みは、まわりにいるひとたちの幸せのなかで生きたいということだけだ。

でも、僕の一番の身内のふたりは死んだ。あまり幸福にはできないまま死んでしまった。

僕には他人を観察してすぐに値踏みしたがる癖がある。子供の頃から父親や弟と自分がどっちが優れているかを何度も値踏みした。最終的には大差ないという結論をだした。僕もだらしない父親が嫌いだったが、同じ部分は僕にもあり、父親と同じ人生を生きていたらやはり同じようになっただろう。弟も同じで頭の回転も似たようなもんだった。弟も「自分と兄は得意なものが違う。勉強は兄よりもできないがプライベートでは自分のほうが上だ」と高校の時ぐらいからいっていた。僕もそのとおりだと思う。そもそも人間なんて環境がつくるものだ。本来の素質に意味ある優劣なんてさほどない。

でも、現実世界では、僕は弟の相談は上から目線で笑い飛ばし、父親の仕事は奪った。

弟のことはあまりにも知らなすぎた。何を考えて、何が好きだったのか、何をしたかったのか。

本当に死ぬしかなかったのか。たとえ時計の針をもどせても、なにをすればよかったのかまったく想像はつかない。

人付き合いは弟のほうがよっぽどうまかった。死を選んだ人間が最後の相談相手として選んだほど弟は信頼されていた。過去にもどれたとしても僕が弟に与えてやれるとしたら、仕事アドバイスお金だけだ。弟はブランド品が好きだったし、きっと僕なんかよりも贅沢なお金の使い方はしっていただろう。人間ダメになると母親は僕が弟や妹にお金を渡すことは許さなかったが、金まみれにしてダメ人間になっても生きていてくれるのならそのほうがよかった。そんな貧しい後悔しか僕には思いつかない。

母親は命をかけて弟を産んだ。占い師は、将来、兄を助けるのが弟の運命だと予言した。弟の存在は僕にとってなんだったのか。補佐してくれるんじゃなかったのか。

弟が死によって、僕を助けるのであったとしたら、そして、僕の仕事が世の中にとって意味があるものだとしたら、きっと僕は弟の死に触発されてなにかをしないといけないのだろうと思う。

父や弟には幸せな居場所を与えることはできなかったが、僕の仕事でたとえ赤の他人であっても、よりどころになる居場所をつくることができるなら、多少は心が救われる。

弟が死んだとき、親戚は、このことはあまり話さない方がいいと助言してくれた。話すべきことじゃないといわれた。

でも、たんなる感傷にすぎないのかもしれないが、僕のことをしっていてくれたり、僕の仕事を評価してくれているひとには父と弟のことを話したいと思った。そうして、このエントリをいま書いている。

死なんてものは世の中にありふれている。僕にとって特別なふたつの死も他人には関係のないはなしだ。

父と弟の話を書いても、ネットの中に埋もれて、僕のまわりのひとすら見つけられないのはさみしい。そう思って2ヶ月ほど前にブログをはじめた。僕に少しでも関心をもってもらえそうな話なんて、あたりまえだが仕事しかない。そもそも仕事の話以外に自分にはとりえもなければ、価値もない。弟のいうとうりだ。父親の納骨で区切りをつけてこのエントリをあげるつもりだったが、ブログに予定外の反響があったことや、僕自身のためらいもあって、それから1ヶ月以上たってしまった。

結局、いろいろ手垢のついてしまったブログに書くのも違うと思って増田にしました。

僕の仕事に興味があってブログを見に来ていたみなさん、最後にこんな文章を読ませてしまってすみません。でも、これが僕が聞いてもらいたかった話です。

最後まで読んでいただいて本当にありがとうございました

2009-01-12

http://anond.hatelabo.jp/20090112120553

「俺、カラオケ好きなんですよー」

「えー、私もカラオケよく行きますよ。何歌うんですか?」

コブクロとかEXILEとか歌いますよー」

「ほんとにぃー?」

「本当ですよー。今度一緒に行きませんか?」

「良いですよ」

「今度改めて誘うんで、連絡先教えてもらってもいいですか?」

「良いですよー。」

俺の場合こんな感じ。

2008-10-19

10月18日放送のMステで6曲中5曲に「王道コード進行」が使われてるとか

まずはこれを見てみてください。

JPOPサウンドの核心部分が、実は1つのコード進行で出来ていた、という話

http://www.virtual-pop.com/music/2008/10/jpop.html

動画で解説しています。

つまり、「4M7→57→3m7→6m」という日本人のツボに入りやすいコード進行がJPOPではしばしば使われていて、(ヒットしやすい→)儲かるからといっていくらなんでも濫用されすぎなんじゃあないかい、という話。リンク先の中の人はこの「4M7→57→3m7→6m」のコード進行を“王道コード進行”と勝手に名づけたわけです。まあ、見てもらえばわかるけど、「解釈」と「こじつけ」との境界が難しいところ。

んで、18日放送のMステに出演した6組6曲のうち、

いきものがかりプラネタリウム」(サビ後半)

hey!say!jump真夜中のシャドーボーイ」(サビ頭)

GIRL NEXT DOOR「drive away」(サビ頭)

flumpool花になれ」(サビ前)

コブクロ赤い糸」(サビ前)

の5組の曲のサビとかBメロ、つまり盛り上げ所に「王道コード進行」が使われていたっぽい。と思われる。俺がyoutube音源聞きながらギター片手に確認しただけだから曖昧なんだけどね。M7とm7とか、M7とMが微妙だったりするけど。いわれてみれば似たようなメロディと似たような響きだったりしない?

この「王道コード進行」ってのははつまり「曲の盛り上がりが伝わりやすい」というアレなわけで、キャッチー(伝わりやすい)でないといけないJPOPのシングル曲では、使われるべくして使われるのだろうし。似たようなコード進行の曲があることは別に悪いことではないし。他にも定番のコード進行はたくさんあるし。そもそもコード進行パターンなんて限られているし。曲の要素の一部でしかないわけで。

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この状況が、悪い、とは言わないけどさ。

おれは「なんだかなあ」くらいに感じますね。

似たような曲が多いのは事実青山テルマとかJUJUのやつとか着うたからヒットするあの一連の曲は、(歌詞も含む)曲調から売り方から似たり寄ったりたったりしてね。

http://www2.plala.or.jp/wasteofpops/

↑上のブログ中の人みたいにおもしろがるのがいい。

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こないだのMステは、動画の人が煽っているような現在のJPOPの状況を象徴する回なのかもしれない。

音楽に詳しい人、勘違いだったらごめんなさい。あと文章が拙過ぎるというツッコミはなしで。

2008-10-15

http://anond.hatelabo.jp/20081015162138

コブクロの風見鶏の2番

知らなかったので歌詞見てみたが、どこが韻を踏んでいるのかが分からなかった

2008-03-10

コブクロって小渕君のほうならソロでいけるよね。しかし多才だなこのシトは。

2007-11-01

http://anond.hatelabo.jp/20071031044108

いつまでもひっぱるなよ。

俺も小学校中学校いじめられっこだったよ。

中学2年くらいのときに、なんかしらんけどやたらでかい態度とるようになったら自然いじめはなくなった。

具体的にいうとエロゲやりだして、蛭田主人公ランス意識して行動するようになったら、みんな普通に接してくれるようになった。普通かどうかしらんけど。

小学校??中学校の俺は喘息で運動できないしガリだし(それは今でもだけど)服はダサいし(親のセンスが)音楽知らないしダサ度100%を地で行く存在だった。はっきりいってこれはひどいタグが太字でつきそうな子供だった。唯一の救いは、頭の回転が速くて成績がトップだったくらいだけど、ただそれだけ。いじめられっこで性格がひねくれてたので、ものすごい人の嫌がる人間だった。

高校に入ると人間関係はすべてリセットされた。俺はまた一人になったのだけど、今度は学校1の変人みたいに扱われた。それは偏に俺がみんなに打ち解けようとしなかったんじゃないかと思う。とにかく、孤独高校生活だった。

社会人になってやっと俺ハジマタ状態になった。接客なんて絶対できないと思ってたけど、コンビニバイトしてみたら意外と俺接客得意じゃんというのに気づいた。俺のテリトリーは当然日本橋でんでんタウンだったけど、学校心斎橋にあったので学校帰りに日本橋までいこうとすると否が応でもアメ村やら心斎橋商店街を歩かざるを得なかった。

ごみにまぎれて歩いていて、ある日気づいた。「俺ずーっと下向いて歩いてるなあ」前を向いて歩くようにしたら、視界ががらっと変わった。世界が色鮮やかすぐる。一応18で道程は捨てた。それから5年、セフレだったり一番の女友達だったり最近じゃ飲み友達だったりした俺の初体験相手の女の子来年結婚することになった。心から祝福してやりたい。つーかそういうゆとりが心にできた。

ファッションに興味を持つようになった。高校専門学校まで親の買ってきた服しか着たことがなかった。そしてうちの親は壊滅的にファッションセンスがない。団塊のちょっと下の世代のファッションセンスのなさは日本を滅ぼすと思う。

ユニクロに行くようになった。デート先で適当女の子に服を見立ててもらったりするようになった。心斎橋なんかでもたまに服を買うようになった。はっきり行ってブランドなんてものはまだまだ縁が無いけど、こざっぱりした格好は難なくこなせるようになった。女の子からも服装についてちょっとは評価されるようになった。

中学から高校にかけて、特定のミュージシャン基地外のように傾倒していた。他のミュージシャンはつまらなかった。流行音楽に背を向けて、コブクロとかモンパチとかのモテミュージシャンを授業中に聞いてるモテクラスメイトを僻んでいた。最近じゃテクノからレゲエまでなんでも聴くようになった。ショーンポール初音ミクをごっちゃにして聞いている。

mixiで出身小学校中学校コミュがなかったので作ってみた。OB現役が数百人もはいってくれて、特に人数の多い20代前半の俺の学年は頻繁に飲み会をするようになった。高校コミュいまいちなにもない。mixiができた当時はいろいろとやってたようだけど、俺は特に仲のいいクラスメイトもいなかったのでスルーしていた。もったいなかったと思う。そろそろふっきれてきたので、今度なにかあるときには参加させてもらおうと思う。

2007-10-26

アイドルが大好きなんだけど、最近付き合いだした彼がまだその事を知らない。

これって後から知ったら大抵の人は引くよねえ。どうしよ。

彼が最近やたらと家に来たがってるんだ。

いや来ること自体は別に構わないんだけど。

雑誌とかDVDとか写真集とかCDとかの類が多すぎて隠しきれる気がしないよ。

コンポDVDプレイヤーもあるのに普通CDDVDも1枚もないなんて明らかに不自然だしなー

カモフラ用に倖田さんとかEXILEとかコブクロとか借りればいいのかな。

去年まで実家暮らしだったから今までは家の事情ってごまかせたけど。

ちなみに、きらきらしたかわいい女の子に癒されてるだけなので、特にレズ願望とかはないです。

SPEEDとか娘とかが大好きでコンサート行ったり雑誌チェックしてるうちに、気付いたら女アイドル全般のヲタになってた)

でも握手会コンサイベントフットサル試合に足を運んだりもするので、決して軽度とは言えないヲタレベル

でもこの間酔ったときに、

秋山莉奈の尻以外と佐藤寛子の方向性とボンブラの曲についてつい語ってしまいそうになったので

薄々感付かれてはいるかもしんない。

さらっと言ってみるのがいいのかな?うーん

2007-08-09

http://anond.hatelabo.jp/20070809153512

たしかに歌唱力はコブクロの方が上かもなぁ。

私的な好みで言えばスキマの方が好きだけど。

最近のJPOPは分からない。

最近流行j-pop教えてよ。

だめだ、だめだ。カラオケいった。

コブクロスキマスイッチの違いがわからない。

2007-04-24

今、大学生回生だけど、音楽趣味が周りと合わなくて困る。

くるりSUPERCARフジファブリッククラムボンcapsule辺りが好きだけど

下手したら「誰?」って言われる。

大体周りでよく耳にするのはELLEGARDENRADWIMPS倖田來未らへん。

女の子は、好きな歌手として倖田來未コブクロを挙げる子が多い気がする。

んで、歌詞を重要視してると思う。特にRADWIMPSとか倖田來未はそんな感じ。

「音」を聴く奴がいない。

携帯音楽聴いてる奴とか何なの?

もっと音楽の話が出来る友達が欲しいよ。

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