自分の小学校は一学年一クラスしかなかったから六年間ずっと同じ34人(途中転校生はいたけどね)だった。
中学は二手に分かれたけど規模自体は似たようなもの。ヘタしたら高校まで12年間同じクラスなんてヤツもいたかもしれない。
体育館もプールも図書室もなく、給食もないのでみんな弁当持参。弁当を用意できない生徒のために、クラスごとに日直がオーダーを取って近くのパン屋さんに仕出ししてもらっていた。
自分は母親が元から父親のために弁当を作っていたので毎日弁当持参していて、年に一度母が風邪を引いたりした時パンの注文をするとものすごく珍しがられた。
反対に、毎日パンを注文してる男の子がいた。そのTくんはパン屋さんが休みの金曜日になるとコンビニでおにぎりを買って食べていた。6年間ずっとその調子だった。
私はどちらかというといじめられっこの部類に入っていて、T君もクラスではマイノリティに属してた。
ある日クラス委員の男の子が私の弁当を取り上げて、Tくんの目の前に置いた。
「おまえいつも弁当食うの遅いし、残すんだからTにやってもいいよな」
Tくんは机の上の私の弁当を薙ぎ払うように叩き落した。もう20年近く前のことだが私は忘れない。
私の大好きなほうれん草の玉子焼きが足元に落ちてきたのも。
多分6年間のうちに一度か二度だけ、Tくんがお母さんに作ってもらった弁当を持ってきたことがある。
やっぱりクラス委員のやつが「お、Tめずらしく弁当持ってきてるじゃん。ハンバーグうまそう」と言って、メインのおかずだったハンバーグ(多分冷食だった気がする)を取り上げて一口で食べてしまった時の、Tくんの顔を私は忘れない。
Tくんは私をよくバカにしてからかって、隣の席になった時は私の机に机をごつんごつんとぶつけて「こっちくんなよ!」と言うことがあったけど、席順で回ってくる日直の日、夕焼けが見える教室で最後の片づけをしながら「いつもごめんな。でもこうしないとあいつらに仲良くしてもらえないんだ」とうつむきながらぽつりとこぼしたことを私は忘れない。
「あいつら」はクラス委員のグループだった。Tくんはその中の一人とよく昆虫や電車の話をしていた。
Tくんには年の離れた兄と姉がいて、授業参観は彼らが来てた。若いお父さんお母さんといわれてもおかしくないくらいの年かさだった。
几帳面というか神経質で、字のきれいな子だった。成績はクラス委員のヤツと多分同じくらいだったはずだ。
Tくんは遠くの中学校へ進学した。
同窓会にTくんは来ないだろう。
私は「行かない」と言った。クラスの女子はみんな優しかったけど、私はあの時も今も伝えたいことがうまく伝えられなくて空回りしてた。「変わった子」だった。学校が大きければ比率が同じでも「変わった子」は一人じゃないんだって気付いたのは高校に入ってからのことだ。
「あいつらに会いたくない」と遠回しに言ったら「でも今会ったらきっと違うよ」と明るい声で返ってきた。
違うんだ。あいつらにはいつまでも、あの愚かな、私の弁当を取り上げ、Tくんを追い詰めたヤツらでいてほしいんだ。そうじゃなきゃ私はあいつらを許さなくちゃいけなくなる。自分のやったことなんてきっと忘れてるだろうけれど、でもあいつらが「いい人」になってしまったら私はどうすればいいんだ。
万が一しでかしたことの一つくらいは覚えてて、「ごめんな」なんて言われたら、謝ってこられたら私は許さなくちゃいけなくなるじゃないか。怒りに任せてぶん殴ったら、気を済まさなくちゃいけないじゃないか。私は気を済ませたくなんかないんだよ。
吉田秋生の「櫻の園」に出てきた部長の言葉に私は心から共感する。
だから私は同窓会には行かない。
小学校の頃。みんなの前で、ある人を傷つけた。その人は泣いていた。 どうしてそんなことを言ったのか、いまでもよくわからない。
背の低かった上級生にそう言ったら突然泣かれたのを思い出した。 その弟が本気で詰め寄ってきてすごく怖かった。 でも今思えば本当に仲が良かったんだなと少しうらやましくなる。 ご...
いつまでもひっぱるなよ。 俺も小学校中学校といじめられっこだったよ。 中学2年くらいのときに、なんかしらんけどやたらでかい態度とるようになったら自然にいじめはなくなった。 ...