そうだ うれしいんだ
バズる よろこび
たとえ 二桁だけのブクマでも
バズらずに 生きるのか
そんなのは いやだ!
今を増田に書けば
熱(あつ)くはてぶ 燃(も)える
だから ぼくは かくんだ
ほほえんで
そうだ うれしいんだ
バズる よろこび
ああ ゼブラーマン
やさしい 君は
ナメクジ王将の話はめちゃくちゃインパクトあったけどネットのスピード感だともう誰も話題にしないし、そうそうそんな話もあったよねってセピア色になってる人も多いと思う
新聞サイトで告発者に対する取材記事が上がってたけど、流れはこれで一旦終了だろうな
あとはまた似たような日常に戻ると
コストコは業種を問わず、多国籍企業の中でも評判が良いことで知られています。
本社はアメリカにありますが、実はアメリカは社会保障や福祉、医療までもが非常に貧弱で、資本主義の格差社会問題を露呈している国なのです。
面白いのは、コストコは一般社員だけでなくパートタイマーも対象にしていること、社内研修制度(マーケティング、生産管理、流通)、社員推薦制度で大学へ進学できることです
アメリカのウォルマートと比較されるそうですが、ウォルマートは表面的に大きくなっただけで、コストコは外観だけでなく内装も量と質に優れていると評価されています
どうせ掃除するの嫁さんなんだろうな。
増田は「ハードな出来事を淡々とした筆ぶりで描く」パターンはたぶん好まないと思うのだけれど、
「小さな出来事をさも大きいかのように描く」のも受け付けないんだろうか
ほんとうに何も起こらない小説でいまぱっと思い浮かぶのは「恋文屋さんのごほうび酒」神楽坂淳と「チマチマ記」長野まゆみくらいかな
あとなろう系の日常ものでじっくり探せば何も起こらないのはあるかも
前にそんな感じの、主人公とヒロインが旅行先のインドやら六本木ヒルズやらでただごはんをた食べるだけの作品を読んだけど見失ってしまった
個人的には「スライム倒して300年、知らないうちにレベルMAXになってました」とか、好みじゃないけど錬金王作品とかは、出来事があっても薄く流されるから、日常ものとそこまで変わらない感触で読めるかな
って話がバズっていたが割りと実感がある
二次元系のオタクとして認識している同世代の知り合いがVtuberの話で盛り上がっている場面は良く目にする
個人的にはなんだか乗り切れないところがあってVtuberに夢中になることは今のところなく、話の輪に加わる事ができないことが多くてちょっと寂しい
個人的にはそもそも新しいコンテンツを摂取できていない現状があるので、ある程度しょうがなくはあるが、
Vtuberがどんどんメジャー化していて共通言語化している感覚がここ1,2年ですごい
オタク系の飲み屋に行ったときに女の子がVtuberを話題にすることが増え、グッズを身に着けているのを良く目にするようになった
アニメだったりゲームだったりをそれぞれ楽しんでいるのだろうけれど、「推し」の対象としてVtuberを第一に挙げる人が非常に増えている
自分個人としてそもそも、ニコ生配信者だったりゲーム実況者だったり、youtuberだったり、といったカテゴリの人たちを推した経験が今までないので、この話題においては自分が非オタみたいな立ち位置になってしまう
ざっくりとした「オタク」という同じカテゴリにいると思いこんでいる前提があるだけに、疎外感を強く感じて非常につらい
プラスしてその語り口としてVtuber同士の関係性に言及されることが多く、ハイコンテクストだからハードルの高さを感じる
誰と誰の絡みが面白いだとかてぇてぇとか、
自分が以前見ていた、女性声優が出るニコ生やラジオ何かを見ていて感じていたこととほぼ変わらない気はするし、アニメのキャラに対しても抱くものではあるが一次的な魅力として捉えるのはしんどい
あとは音楽ライブをやって成功をしているのもなんか納得がいかない
活動の一つとして歌を歌ってその延長としてライブをやる、という流れは自然なため理解できるが、
歌を歌う人として秀でている要素があるわけではない配信者がわーきゃー言われながら音楽ライブをしてる意味がわからん過ぎて全くのれない
そんなVtuberに対して好きな作家陣が曲提供していたりもして、なぜそんな素人に・・・?と疑問を覚えるが、もうこれは単なる嫉妬ではある
(似たような話題として声優が歌うことの是非が問われることがあるが、声を使った表現者としてプロフェッショナルなのだから付加価値がある、ということは個人的に納得がいくため、門外漢にそのように説明し擁護することは多い)
あとは全然違う話ではあるが、結局中身に依存して行く形に回帰していってるのもなんかもやっとしている
ガワを獲得すれば外見に依存せず(配信者が)活動できる、というところにVtuberおよびその技術の使われ方が着地してしまった感があるのがなんだかなーとちょっと思ったりもしている
ぐだぐだと思いつく個人的な理由を並べることはできるのだけれど本質的な問題ではなく、
結局それは輪に入れない自分を正当化するための後付的な行動で、Vtuberの是非を問いたいわけではない
結局自分の知らないコンテンツで置いてけぼりにされることがある(特に3人以上の場に置いて)のがつまらなくて、どうしたらいいか分からないというだけなのに、
それが理由でコンテンツそのものもなんか気に食わねえな、となっているだけではある
ただ、新しいコンテンツを仕入れてアップデートしていかないとこうやって頑固に孤独になっていくのだなとか、