阿弥陀仏と似ているが、幸福仏に帰依せずとも効力の対象となる点で異なる。
どんな罪を犯しても死後、幸福仏によって救われる。
他力本願どころでは無い。空気のように意思を持たず、まるで自然の摂理そのものである。
外見はイケメンの兄ちゃん。生前はヒモとして何人もの女性に貢がれていたが、「俺だけ幸せなのズルくね?」と言って悟りを開いた。
俺だって子供の頃「一生タバコなんて吸うわけ無い!」って思ってたが、20代の頃タバコ吸ってたぞ。もうやめたが。
諦めもつくのかな…。
いいえ、ノーマルでない点では全く同じです。
第一、犯罪行為と仰るが、同性愛も一部の国では犯罪行為です。同じ。
だいたい他の倒錯を差別するくせに己は倒錯じゃないと強弁するとは見苦しい。
PZNへの差別をやめ、共に権利を勝ち取るか、さもなくば両方変態か。どちらかしかない。都合のいい切断処理なんか受け付けない
やばいな・・・俺が出場する訳でもないのに、もうここ10日くらい思い出すと変な汗でるし滅茶苦茶緊張してる。
一昨日辺りからリハの様子が流れてきたりして仕事が手につかない。
社会人になってから10年、皆嫌がる年末年始出勤を引き受けてきたのに今年はどうしてもって今日と明日お休みもらったら
ついに彼奴にも彼女か?!?!結婚か?!?!ってちょっとした噂になってたらしいけど、残念ながら推しの紅白出場なんだ・・・・。
今まで全国民の殆どが知らないであろう推しが、今日日本で一番視聴率を取る番組で出るんだぜ・・?
推しの中の一人が最初の公演の時、目標は紅白!!って絵馬に描いてた未来が叶うのが今日。もう泣きそう。
推しは色物枠だからきっと知らない人達には色々言われるのかもしれないけど、おっさんはテレビの前で家族と滅茶苦茶応援するから
いつも通りのびのびと楽しんできて欲しい。
今年も乱舞祭と本公演と本当に色々楽しませてくれてありがとう。
エスカレーター歩行問題が話題になると「危険だ」「禁止しろ」「そんなに急ぐ意味がわからない」みたいに、常に客のせいにするようなコメントが多く見られるけど、こういうこと言ってる輩って基本的に田舎者なんだろうなって思う。都会、特に東京に住んでいると、実感として「エスカレーターを歩行すること」と同じように「エスカレーターを歩行しないこと」による危険性が存在しているように感じている。
例えば朝の大崎駅。大規模再開発が続いたことで乗降客数がりんかい線開業後2.8倍にも膨れ上がっているのに、ホームは狭く階段やエスカレータの本数も絶対的に不足している。だからラッシュ時は、電車が到着する度に狭いホームには身動きが取れなくなるほど人で溢れてしまう。しかもこの混雑が解消しないうちに次の電車がホームに到着してしまい、どんどんカオス的状況となっていく。今はこの危険なホームの状況を少しでも早く解消するために、時にはエスカレーターの両側を歩行せざるをえないという現状があるのに、そんな現実を体験したことない人たちが「歩行は禁止しろ!」と言っているような気がしてモニョる。ホームの改良工事もエスカレーター増設もないままに歩行禁止なんてしたら、ホームに人が溢れたことによる転落や電車接触事故が増えるのは目に見えている。少なくともラッシュ時は歩行を容認しておかないと大変なことになると思う。
この問題、客へのマナー啓発でどうにかなる問題ではないよ。はっきり言って一番の原因は、鉄道で死ぬほど儲けているくせにホーム拡張やエスカレーター増設には消極的で、浮いた金をルミネやら駅ナカやらばかりに投資している守銭奴JR東日本の態度にあると思う。(私鉄は駅改良工事に積極的だと思う。)クソ使えないルミネニュウマンなんか作っている暇があったら、全駅のエスカレーター増設工事を先にしろよと言いたい。ニュウマン作る金でいったい何基のエスカレーターが増設できたことやら。
そういうことも理解しないまま、JR東日本の厚顔無恥で無責任なキャンペーンに乗っかって「そうだそうだ!エスカレーターは歩行禁止にしろ!」と叫んでいるのは地方民なんじゃないだろうか。混雑緩和策に本気で取り組んでいないくせに客にマナーを押し付けてくるJR東日本には到底同調できないし、俺はこれからも混雑して危険なホームの状況を解消するためにどんどんエスカレーターを歩行しようと思う。
今までなかっただけで、これから先もずっとないとは限らないんですよ
クライアントとか
なのやろ?
これが当たり前じゃない人は、当たり前じゃない人と仲良くつるめばいいし、
だからこその、
こっちの都合で変えるので当然全員分奢りで
店選びは男の方の都合は聞かない
帰るようなら帰らせる
であり、
ただ、この時点で帰るべき、あるいは男を帰すべきだとは思う
なんやで?
ワイちゃん、そいつが普段行かないような価格の設定の店に変更すると思う
気後れして帰るようなら帰らせるし、奢りなら来たい言うなら別に拒まんで
友人の知り合いの設定ならな
言いたいことの本質はわかるが、一緒くたにするのは極端すぎるわ。
だいたい、全てのノーマルが必ずしも性的なものをこのむわけじゃないのと同じように、全てのLGBTが必ずしも性的なものを好むわけじゃない。単なる恋愛嗜好というだけの奴もいるだろ。
友人たちとの飲み会。あれこれ事前に話したいことに思いを巡らせていたせいか、思惑と違うことに僅かな戸惑いを感じながらも二次会まで楽しく騒いで過ごした。
明くる朝は祭りのあとの最悪な気分でベッドにしばらく横たわっていた。人とあって話せば話すほど孤独感が増す。それぞれの考え方とそれぞれの人生があり、みんなが肯定的に生きていることは喜ばしいことのはずなのに、寂しさや期待はずれを感じている。視線は随分と離れて、すれ違ってしまった。
結果でしか理解してもらう材料を提供できない。当たり前だが、そうではないことを期待してしまっていたのだろう。だからこそ孤独なのだ。依存がなく、互いに独立して成立しているのだから。六本木のプログラマ風のサラリーマン同士の食事中の会話に感じるよそよそしさと同類のものだ。
一人の人間として自立すればするほど、友人や仲間との付き合いがつまらなくなるのかもしれない。相手が退屈なのではなく、依存が無さすぎるから。
生活や仕事や仕事に関する考え方は相当に独立し自立してしまったが、対人に関してはあまり変化なく、依存的な態度のままなのだろうな、自分は。それが自分にとっての面白さの要なのか。