Webとか詳しくない人に説明するとすると、WebSocketっていうのはチャットとか対戦麻雀みたいな
ユーザー同士がリアルタイムで繋がれるようなWebサイトを作るための技術で、
現在これを使ってなんかそこそこに流行りそうな新しいゲームとかサービスを作りたいと思ってるんだけど、
「今更リアルタイムなチャットなんて作ってもなー」とか「対戦アクションとかは個人で作るのは現実的じゃないよなー」とか、
そこで、なんかみんなが「こういうチャット式のSNSあったら便利なのになー」とか
「こういう対戦ゲームあったら楽しそうだなー」みたいに思うサービスとかゲームのアイディアがあったらちょっと教えてほしいと思ってる。
例えば、同じ配列?のフリーセルを複数人でやってタイムを競いあうような既存のゲームを利用した対戦ゲームだったり、
特定の層向けのチャットサービスだったり、既にあるようなサービスやゲームにちょっとしたアイディアを付け加えたものだったり、
既にゲームとしては存在するけどブラウザゲームとしてはまだ存在しないゲームとか、そういうのでもなんでもいい。
皆様の知恵を貸してください。
全く持って同意で見つけるべく努力(テストケースの作成)をして、見つけられる限り全部潰すしかない。ただ潜在不良はいくらテストをしても必ずどこかで出てくるもので、出てきたときを想定した対策こそが重要だと思ってる(今回はルール上それをできなかった)。
リリース時に潜在不良も含めすべて取り切れない(と思っている)以上、リリース時にバグを失くせ、っていう論理での批判には違和感があるんだ。
この春顧問の割り当てがあり、なんと私の名前が空手部の顧問のところに入っていた。正直死にたい。
私は根っからのスポーツ嫌いである。どのくらい嫌いかというと、オリンピックや野球、サッカーなどのスポーツ中継は一度も見たことがなく、テレビで見かけようものなら一目散にチャンネルを変え、オリンピックの時期に盛り上がろうものなら新聞のオリンピックの記事を破り捨て泣きじゃくるぐらいに嫌いである。
なぜこのようになったのか。私は予定よりだいぶ早く生まれ、かつ、早生まれだったので、小さいときはまわりと比較して体の成長が遅かった。故にスポーツは苦手であった。ここまでは、ただのスポーツ嫌いで済んだのだが、ここにいくつもの事象が根っからのスポーツ嫌いに仕立てあげた。
夏休みになると、ABC放送ではパーマンなどのアニメがやっていた。ところが高校野球のシーズンになると、これがやらなくなる。高校野球は、私から好きなものを奪う最悪なものだと認識した。
中学校に入ると、科学部に入ろうと心に決めていた私に体育の女の先生が厳しい顔をして言った一言がコレである。「男子の人は基本的には体育会系クラブに入ってください」。中学生なりになぜ一覧にあがっている科学部に入るのはだめなのかと疑問を持ち担任に聞いたところ、科学部で構わないということだったが、なぜこんな事をいうのか意味がわからなかった。
中学校のとき、クラスのF君はサッカー部だったが、私から50円を借り返さなかった。ほかの連中も俺をからかってきてばかりでゴミクズみたいな奴ばかりだった。サッカー部の連中は人間性が下劣なことが圧倒的に多い。
中学校のとき、野球部の山本君は、圧倒的体力で、暴力を使って私にイタズラをしてきた。同じく、柔道部のI君は技をかけてきた。
高校は工業高校だった。工業高校に入って体罰を生徒らに加えてきた体育の先生が豹変し、おとなしくなったと思ったら言った一言がこれである「機械が好きで入って来ているような奴はおらへん。だから、俺と、サッカーやろう。」。
別の体育の先生が言った準備運動中、大の字で体育館で寝ているときに言った言葉がこれである。「寝るという行為は大地からエネルギーを吸収する行為なんですよ。」。科学万能主義の私には全く言っている意味が理解できなかった。
先の体罰を加えた先生は、体育の別の女の先生をひっぱたいてたし、バレーボールを土足で蹴ったことが気に入らなかったらしく、生徒が首に巻いていたタオルをつかんで地面に生徒をたたきつけていたし、体育館の入り口に靴が並べられていなかったのが気に入らなかったらしく、焼却炉で靴に火をつけたりしてた。
そんなこんなで、私は体育が完全に嫌いになった。
大学に入ってスポーツ中継が好きな友人に聞いてみたのだ。「スポーツってなにがいいの。なんのためにあるの。」と。すると彼は「スポーツは人々の注意が権力者に向かないようにしておくためにあるんだよ。」と言った。教職を取っていた私は、学習指導要領を確認し教科「保健体育」の目的を確認したのだ。すると「健康を増進することを目的とする」というようなことが書いてあった。ところが、現実には、体育には、ただそれだけではない、日体大の「団体行動」に代表されるような人々の教化する役割が与えられている。
これは、人類の歴史を紐解けばある意味当然なのである。お殿様が領内の体力のある者からクーデターを起されないためには、体力のある者をみつけだして褒美を与えて見方につけて置かなければならなかったのである。これは、憲法が制定され法治主義になった現代でも、人殺しのための武術だけでなく、「サッカー」「野球」のような新たな発明が導入されるようになった他は、戦国時代と何ら事情はかわらない。スポーツは、権力者が民衆を隷属させるためのツールにすぎないのだ。
おとなになってからもこの事情はかわらない。大好きだった同僚から言われた一言が「(付き合うなら)○○もなんかスポーツをして、さわやかなスポーツマンになってください。」である。付き合うのにスポーツができないとだめなのかよ。。。。。
そんなことを考えているうちに、単なる体育嫌いから、一切、スポーツに手を貸したくないと思うと共に、体育会系クラブの顧問は糞だと思い、これに参加する生徒は可哀想な人だと思うように鳴った。これは、正直私の中では、君が代斉唱よりもはるかに嫌悪感が高い。
こんど高体連の会議がある。民衆を隷属させるためにスポーツに手を貸すのは、心が汚れるようで、空手の技やルールが脳の神経ネットワークに刻み込まれるのは、体が汚されるようで、正直つらい。
SNSに「スポーツは民衆を隷属させるために開発されたツールだ」と正直に書いたら、いろいろな先生からひそひそ、「私はスポーツ観戦が好き」「スポーツはリクリエーション」とかいろいろなことを言われてしまった。そういう一般的な理解をしている人がいることはわかるが、今の自分が理解されないことが、もっと悲しくて辛い。
そんなことを夜な夜な考えていると本当に死にたいと思うようになってきて、ついSNSに書いてしまった、すぐに消したけど。
オートメーション化が進み、パワードスーツが開発され、AIで自動車が走り、グローバル化が進み、法治が進んだ未来においては、体力を持っていることなんて何の意味も持たず、地域で争うこともなく(スポーツは自分が属するチームを応援することなどを通して過当競争を促進する)、スポーツ自体が何の意味も持たなくなってしまうのではなかろうか。
死ぬぐらいならとっとと職業やめたほうがいいって冷静に判断がつくので、もう少し耐えてみようと思うが、スポーツに手を貸すのがつらくてしょうがない毎日。
http://twitter.com/tm2501/status/587136269861306368
青二才はまだ本気出してないだけ
AからBに向けて悪い(「バグをつくのが悪い!」)って言ってるAの論理のがそもそも正しくない以上、それはおかしい(「ルール上正当」)、っていえばいいだけの話だと思う。わざわざ「そもそも」とか「それを言うなら」っていうのにすごく違和感があるんだけど、俺がおかしいのか? どっちも悪いと思ってないならわざわざ「それを言うなら元々はお前が悪い!」みたいな言い方しなくてもと思う。
Androidのバグを取りきってリリースしたらもっと高い値段になると思っていたのでね。
微妙に違う。
「バグが含まれている可能性があります、バグをついてはいけません」に対して擁護なんてしていない。というかルール上「バグはついてもいい」んだ。だから開発者はおかしい。
ただ「バグが含まれている可能性があります。可能な限りのテストはしました」が限界のソフト(全通りの網羅なんて現在の技術力じゃ地球が滅びても終わらないんだから、そこの保証は誰も求めていないと信じたい)に対して、さまざまな試行錯誤(それこそモンキーテストされたように)の結果レアケースに落ちてバグが見つかった時に「そもそもバグがあるものリリースするなよ」っていう批判をするのはおかしくないかってことだ。
Apache License 2.0に同意してるのは、携帯をつくっているメーカーってことでいいんだろうか?
あるいはエンドユーザなんだろうか?
満員電車でお手軽にゲームや電子漫画、ネットサーフができないからまだスマホを置き換えるのは無理だ
ただしタブレット、お前は消えた。
AからBに向けて悪い、というのを見て、それはおかしいと思う人がBは悪くないそれを言うならAが悪い、と言いたくなる気持ちわからないかな
本当はどっちも悪いと思ってるわけじゃない