なるほど。
そういう意味では、君の定義で言うところの「説教」を支持したり発したりしていた人が軒並み手のひらを返して流行に飛びついて同じようなことやるようになった、という意味で「消えた」ということ。
ってそんなの流行ってないし。
流行ってるよ〜。日経新聞に名前が出て何も分かってないハゲデブヨレヨレスーツオヤジまでもが「でぃーぷらーにんぐってのが凄いんだろ!?」とか言い出すレベルで流行ってる。
あれ、どう見てもテンパった上での格好つけて頭のいいことを言おうとする、って状態では無いだろ。
最初から子供の事よりも原発とか自分の宗教観を全面に伝えたいがために記者会見に出た感じじゃん。
だからこそ周りは止めてたんじゃん。
事前に準備してきた原稿も恐らく直されたりしてて、途中で余計なこと言ったらこれだけ読んで下さい、って訂正されてたりもした。
ただの電波ばばあにあんな所でしゃべらせたらいけない、ってだけのことだろ。
って意味あるの?
プログラムとか始める前に一冊くらいきちんとした基本が載ってるの読んでおくと
あとで詰まった時にもなんとなく何を調べればよいか分かる様になるから良いと思うけど、
50冊って何?
辞書代わりに使うにしてもそんな量要らない、ってか今日辞書代わりなんてgoogleがあれば要らない。
まあ、ただの読んで満足クズ&アフィクズ、ってとこか。それを賞賛してるブクマがある所がまた非常にはてならしいクズさ加減だと思いました。
http://b.hatena.ne.jp/entry/tsunashima-origami.hatenablog.com/entry/2015/01/24/091004
叩かれること覚悟でいう。
それぐらいは我慢しないと結婚なんて出来ないと思う。
あまりにも狂言癖が過ぎて精神科騒動になるとかだったら考えるけれど、多少は目をつぶってあげましょうよ。
養ってもらえてるのであればある程度は我慢するのが筋じゃないのかなぁなんて。
そりゃ愚痴や苦言の一つや二つぐらいは受け入れてあげないとね。
人間なんてそんなもんでしょ。外見をよく見せたいわけだし。俺が何でもやってるんだっていいたいでしょ。
いい顔見せたいでしょ。それで旦那の出世に繋がるとか、旦那の認識がよくなるならそれで十分だもん。
今の人はみんな旦那を尻に引けないといやなのかなぁなんて。
これは君の意見でしょ?????この意見に対して何か言うのに君に言わずに政府に言ってどうするの????
いや、「自己責任による自力救済権」のはく奪の代替としての、「国家による国民保護責任」の保証ってのは、近代国家の大原則なんだから、幻想とかそういう話じゃないんだが?
という答えは、異論はあるが、議論の流れには合っている(と言っても、どの程度原則が君の中で強いか、という情報が加わっただけだが)から最初からその方向で答えてくれればよかったんだが
君を否定しようという気は全くないので、参考までに俺のどの辺が(どのように)気に食わなかったのか聞かせて欲しい。
個別のテロ――誘拐だったり殺人だったり破壊行為だったり――ってのは社会体制維持の文脈で(つまり俺が社会参加者でその体制を破壊されると不利益であるという利益関係者として)否定するんだけど、一方で、テロ全体という行為や思想そのものは否定しきれないと思うわけだ。
現在この民主主義的な社会において、多数派ってのはやろうと思えば少数派を限りなく弾圧できるし、そういう法を作ることができる。
すごく適当な仮定の話でいえば「苗字があ行で始まる国民からは全財産没収しますー」という法はつくれる。憲法があるから作れないっていう人は憲法改正ができないと思ってるお花畑だ。
んでもって、当然「苗字があ行で始まる国民」は「それ以外の国民」より数が少ないので、多数決でこの決定ってのはひっくり返し難い※1。
そういう状況が立ち上がった時、「苗字があ行で始まる国民」は法の内側かつ、※1によらない方法では彼らの待遇を解決する手法は存在しない。この少数派がさらされているのは、法維持的、国家の暴力だ。
この状況は同一の法に支配されたある任意の国家の内側の話で、「苗字があ行で始まるかどうか?」に関する不平等なわけだが、とうぜん国家をまたいだ状況ってのも存在しうる。
格差や不平等の是正には※1でみたように多数派の自制が必須なのだが、経済的植民地問題とか、人種問題とか、宗教問題が絡むと、「多数派の自制や少数派に対する配慮」ってのはたやすく吹っ飛ぶ。
多数派は気軽に「話し合いの場を設けるんで話あえ」とかいうわけだが、今現実実際経済的破滅の危機に際している人や、生命の危機に瀕している人に対して「話せば君の不満も緩和される」とかいうのはほとんど物理攻撃に等しいだろうし、それはすごく傲慢だ。
俺は日本人で地球ランキングでいえば上位の所得を持っている(日本人全部がそうだ)し、治安や生命の安全度も限りなく上位だ(日本人全部がそうだ)。だからそれら自分の利益を守るために「テロには反対」だ。でも、それはまさに「俺の利益を奪われるので反対だ」というだけのことであって、それ以上でも、以下でもない。
少数派が異常だからであるとか、邪悪であるからであるとか、テロが人類にとってすべきではないことだからとか、ましてや特定宗教が人類にとってウィルスであるからとか――そういう理由ではない。
そういう理由でテロを否定する人ってのは、テロリストのつぎくらいにはテロの温床になっていると思う。
重ねて言うけど、今回の者も含めてテロを擁護するという記事ではない。
だけど、「盲目的でかつアレルギー的な暴力の完全否定」ってのは、暴力の温床になりえる。そもそも「お前にどんな事情があろうと暴力は認めないぞ」ってのは、多数派と少数派の数的比率が十分にある場合、それだけで立派な暴力になりえるのだ。そういうアプローチしてる限り、テロって無くなりゃしないよね、というだけの話かと考える。
※1:現実にはそうはならない。こんなばかげた法はおそらく成立しない。でもそれは多数派側が理性的で自制できた結果だ。少数派側が多数派側に数的勝利した結果法成立が見送られるということは、当たり前だが少数派である以上ありえない。民主主義ってのは、だから、多数派が少数派に対して理性的で自制する――つまり配慮することでしか成り立たない。
「狡さのメリットだけ享受したい」っていう単なる妄想なんだよね。
「社員のモチベーションはそのままに他のブラック企業みたいにサービス残業させたい」みたいな話。
「他社ではサビ残なんて当たり前だぞ!」ってね。
PBJって何?
それ以上の詮索は命に係わる
なるほど、このへんの近代国家の原則みたいのはよく知らなかったから勉強になった。
もう少しつっこんでみたいんだけど、日本のように億の人がいるような場合は全員の行動を細かく監視なんかしていられないから、有事の際は結果に対してのみ対処しなければならないようなケースがあると思う。
例えば、常岡・中田に関しては事前に動きを察知できたので、上の原則に基づき行動を制限することで自己責任・私戦なんかを食い止められたけど、後藤に関してはそうはいかなかった。それ以前の湯川もつかまるまでは監視しようがない。
たとえばだけど、目が悪いという事象があったとするじゃない。
これも確かに体調不良だけど、メガネやコンタクトというものがあればカバーする事が出来て健康体になることが出来る。
肩こりも同じなんじゃないかと思っている。きっとカバーするものを健康体の皆様は持っているんじゃないかとね。私はそれがないからいけないんじゃないかと。
ちなみに食事はそこそこバランス取れてるはずです。
三食きちんと食べているし、肉、魚、野菜を割りとバランスよく取れてるほうだと思ってます。