なるほど、このへんの近代国家の原則みたいのはよく知らなかったから勉強になった。
もう少しつっこんでみたいんだけど、日本のように億の人がいるような場合は全員の行動を細かく監視なんかしていられないから、有事の際は結果に対してのみ対処しなければならないようなケースがあると思う。
例えば、常岡・中田に関しては事前に動きを察知できたので、上の原則に基づき行動を制限することで自己責任・私戦なんかを食い止められたけど、後藤に関してはそうはいかなかった。それ以前の湯川もつかまるまでは監視しようがない。
こういうケースに関しては、国民としてその自己責任が剥奪されていることを放棄した、というふうに見れたりしないのかな。
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