はてなキーワード: 相対論とは
俺は相対論あんま理解してないし忘れたからアレだけど、要は、異なる慣性系(t, x, y, z), (t', x', y', z')の間の座標変換を考えた時にエネルギー保存とかその辺から座標変換が線形変換であることが要請されて光速度不変の原理からミンコフスキー計量を不変に保つ変換であることが言えてその2つからローレンツ変換の形が決まるんじゃない?
ようするに手ほどきが雑なんだよ。もっといろいろな状況設定を自分でできてかつ自分で考えられるように、つまり応用が効くようになるためには言葉足らずだと思うんだ。
相対論レベルの話を大学受験のチャート式だとかみたいなノリで懇切丁寧に「手ほどき」するレベルまで人類は進歩してない。そもそも需要がない。
それは自分で教科書を唸りながら読んだりランダウくたばれと思いながら章末問題を解いたり論文を読んだり自分で研究をしたりして身につけるしかない。
物理の理論、特に相対論みたいなものは可能な限り一般的な法則を記述しようとしているわけで、工学みたいな「実例集」の集合体ではない。
実例集をいくら集めても、それを抽象化して一般的な形式にしそれが現象を正しく予測することを確かめなければ理論にはならない。
繰り上がりの計算を教えてもらえればだいたいどんな桁数でも計算できるじゃん?
同じように「光速度不変の原理」ってものさえあれば特殊相対論的効果が関連するどんな状況設定に対してもこうなるという解を論理的に導き出せるはず。
でも実際は「お互いに反対方向に光速の90%で進むもの同士があるのは相対論に矛盾してるか→してない」
「公転を公転を公転するものって光速超えない?→超えない」「一秒までの時計が光速一秒分ある巨大な時計ってどうなってるの→秒針がうずをまく」
みたいにそれぞれに応じて適切な解を「光速度不変の原理」からだけで導き出せる人は少ない。
ようするに手ほどきが雑なんだよ。もっといろいろな状況設定を自分でできてかつ自分で考えられるように、つまり応用が効くようになるためには言葉足らずだと思うん
だ。
なんというか正の数と正の数を足し合わせたら数が大きくなりますってすごく雑な法則を教えてもらってるだけって感じ。それでは繰り上がりの計算ができるようにはならないし、実際もっと筆算の手順は具体化されている。
同じように「光速は不変なんです」だけじゃなくて、もっと具体的に教えるべきことがあると思うんだよね、ってか絶対あるでしょ。
科学哲学の話がしたいんじゃなくて、自分の頭で考えられるようになりたいだけ。それには教えることがが足りてなさすぎてるんじゃないのって話。
本来は同一の法則から導ける問題なのにちょっと状況設定が変わってるだけで他人に聞かないと分からないなんて状態は不便すぎるもの。いちいち会計とかで他人に聞かないと合計額がわからない頭のままなのは不便でしょっていうのと同じで。
あなたのようなすでに理解してる側は初心というか初学者の頃のことを忘れてしまっているというか、理解できない側にいる人の気持ちがわからなくなっちゃうみたいだけど。
あなたも初学者のころは光速度不変の原理を提示されてもすぐにはさまざまな状況設定に対して的確にこうなるという解を導き出せなかったころはあったと思うよ。
もしそんな雑な説明で理解できる人だらけだったらそんなのより程度の低い高校物理でもあんだけ問題集が出てるわけないし。
さっき手ほどきが雑って書いたけど足し算引き算なんて大人にとっては簡単な概念なはずなのにわざわざ「さんすうセット」なんて買わせておはじきとかで教えるでしょ。
そりゃ子供にとっては足し算引き算だって真新しい概念だから当然。これを当然とするなら相対論は大の大人にとっても十分真新しい概念たりうるから学ぼうとする人には同じようにもっと直感的な理解の助けになるような教材とかも充分用意されてるべきなんだよ。
程度問題であって、「大手企業」で語りが終わってしまうような解像度なんだとするとやってる仕事は高卒でもできるレベルだろうと思う。
また、「誰でもできる」と「自分にしかできない」の間にはかなりのギャップがあって、「誰でもできるわけではない仕事」は無限に近いくらいあり、それに対して人間の数はずっと少ないので、他にやる奴がいない仕事に自分を注ぎ込んだ結果は「自分がいなかったら存在しない仕事」にはなるんだよね。
相対論だって、電磁気学とガリレイの相対性原理との矛盾は当時よく知られていて、相対論はアインシュタインがいなくても誰かが作っていただろうと言われている(そもそもアインシュタインのノーベル賞受賞理由は相対論じゃなくて光電効果だというのは有名な話)。本当にそいつ以外できなかったかもしれない仕事というのはガロア理論とかだろうね。
>「正しい」の定義は何だという話でもある。
それはな、確かにお前の言う通り。厳密な話をしだすともっともなんだよ。「正しい」とは何かを考え出すと、そんなものはない、としかならない。相対論を採用せざるを得ない。客観的など存在しない。
でもな、そうやって「科学的な正しい」を決定的に疑った哲学者ファイアアーベントの論は、いまでは、
科学的に否定されているからって幽霊がいないないとは限らない!
みたいな。
なせそうなるかというと、客観性と科学的正しさを否定した先には、不毛の荒野しかないからだ。
荒野にはお前の好む思想の自由があるかもしれない。お前は不自由が嫌いだと書いている。
だが荒野は、精神を苛み、生活を蝕み、利益を盗み、生命を損なうだろう。
一つのテーマ、受賞者最大3人、に授与するというルールだったと記憶してるけど
ワンテーマから3人の時と、隣接領域から受賞者詰め込んだのかな、みたいな時があるよね。
なかでも今年は飛びぬけて関連性なくない?なくなくない?
1997年 レーザー冷却法[スティーブン・チュー、クロード・コーエン=タヌージ、ウィリアム・ダニエル・フィリップス]
2008年 自発的対称性の破れの発見[南部陽一郎] CP対称性の破れを説明するクォーク理論[小林誠、益川敏英]
2009年 光ファイバー通信[チャールズ・カオ(高錕)] CCDセンサーの発明[ウィラード・ボイル、ジョージ・E・スミス] ←ちょっとこじつけっぽい
2018年 光ピンセットの開発[アーサー・アシュキン] 超高出力・超短パルスレーザーの生成方法[ジェラール・ムル、ドナ・ストリックランド]
2020年 ブラックホールと一般相対論[ロジャー・ペンローズ] 銀河系中心いて座A*の発見[ラインハルト・ゲンツェル、アンドレア・ゲズ]
2021年 気候モデル・温暖化[真鍋淑郎、クラウス・ハッセルマン] スピングラス[ジョルジョ・パリージ] ←地球規模に適用できる複雑系の研究?
日本では真鍋さんの人物エピソードだけ報道され解説が少ないであろうスピングラスは、統計物理学が専門だったヨビノリの解説を見るといいと思う。
俺は見たけどよくわからんかったわ。ジョルジョの研究分野が多彩で広い分野に影響を与えたすごい学者なのはWikipediaの受賞歴からも感じられた。
同一テーマの受賞がほとんどだけど、その中から1997年のレーザー冷却法をピックアップしたのは、レーザー冷却法にアーサー・アシュキンの考案した技術が使われていて
受賞したチューもアシュキンが先駆者だと言ってたことが2018年のアシュキン96歳当時最高齢ノーベル賞受賞につながったのかなあ、とか思って入れました。
ペンローズも「2020年に、ブラックホールと相対論で受賞するのが、ちょうどいいのか?」という点に、光電効果のアインシュタインみを感じて入れた。
これは正しいけど、なんで、このことから
まず、地球と月が静止している座標系で考えると、
(2) (1)の0.1秒後に、光が地球を出発。
(3) (1)の1/0.99秒後 ≒ 1.01秒後に、宇宙船が月に到着。
(このあと宇宙船はそのままの速度で飛び続けるとする)
(4) (1)の1.1秒後に、光が月に到着(して通過していく)。
(5) (1)の10秒後に、地球から9.9光秒の位置で、光が宇宙船を追い抜く。
となり、宇宙船が先に月に着くので「青」
(地球(および宇宙船から)月までの距離は、約0.141光秒 (1.0×√(1-0.99^2)光秒)
(1)宇宙船が地球を出発。(ただし宇宙船基準なので、宇宙船の方が止まっていて、月(と地球)が光速の99%で動いている)
(2) (1)の約0.142秒後 (1/0.99×√(1-0.99^2)) に宇宙船が月に到着(して通過)。
(3) (1)の約0.71秒後 (0.1 / √(1-0.99^2)) に光が地球を出発。
(4) (1)の約0.78秒後 ( (1.1-0.99)/√(1-0.99^2)) に光が月を通過。
(5) (1)の約71秒後 (10 / √(1-0.99^2) に光が宇宙船を追い抜く。(もちろんこのとき宇宙船座標での光の速度は「光速度」)
となって、やはり宇宙船が先に月に着くので「青」
(ローレンツ変換の計算のミスで具体的な数値が間違っているかもしれないけど、そこは大目に見てほしい)
相対論の解説でよく「時計が遅れる」とか「長さが短くなる」ことが強調されやすいけど、
ことが重要。
「同時性」をきちんと考えずに、「動いていると時間は遅れて、長さは短くなる」「光の速さは一定」みたいな文言だけから相対論の帰結を導こうとすると、だいたいどこかで破綻する。
しかも高校で習うような力学はほとんどが物の大きさを無視した「質点」の力学であって
これも物体の粘性や弾性、ひずみや変形を無視するため現実に即してはおらず
さらに現実の物体は様々な他の物体と相互作用を及ぼし合いながら運動しているが
理論力学においては質点が3つ相互作用するとともうまともに計算できなくなるという問題も抱えており
究極的にはそれを原子や分子に適用しようと考えると到底考えられる領域ではないため
その辺は流体力学やら熱力学やらでなんとか捉えようとしているがあくまで近似に過ぎないのも確か
結局力学というのは中心に人間の解明できないもしくは原理はわかっていても計算しきれない「真実の力学」があって
それを人間の理解できるように枠取られた様々な典型的な領域に落とし込んで関係ない部分を無視した近似を
古典力学、量子力学、相対論力学、連続体力学、流体力学、熱力学としてなんとかやってきたのだ
順序を入れなければならない理由:
主張 | 反論 | 反論への反論 | 再反論 | 再反論への反論 | |
内因性 | 文章題で出てきた数字をただ順番に並べただけでも点が取れてしまう方式では、本当に子供が理解しているかが見えづらい。また、定められた手順で問題を解くことの練習にもなる。 | 子供と話すなどの方法でも理解度は確かめられる。テストで掛け算の順序を間違えることではじめて子供が理解できていないことに気づくとすれば、そのような教師は無能であると言わざるを得ない。また、定められた手順で解くのではなく、自ら考えて問題を解けるようにするのが教育の目的のはず | 掛け算の順序だけで理解を測るものでは当然ないが、理解を測りやすくする仕組みは当然必要。教師はエスパーではない。思考力は当然必要だが、手順通り問題を解く能力もそれはそれで必要 | 理解度を測るための手段としては不十分であることが分かった。子供が自ら考えて出した式が、授業で教えた順序ではないからとバツされるのでは、思考力を削ぐことになりかねない | その方法だけでは測れないと言っているだけで、不十分との決めつけは一方的。また、文章の意味をよく考えて正しい順序を導くことは思考力アップにもつながる |
重要性 | 文章を読み取って計算を行う力が重要であることは言うまでもない | (反論なし) | |||
解決性 | 順序を正しく書けていない子供を注意深く指導することで、文章を読み取れていない子供に対するケアができる。子供自身、順序を間違えないよう注意深く文章を読み、手順通りに問題を解くようになる | そもそも掛け算が順序通りかどうかで理解度を測れると考えるのが乱暴。「単位があっている方が先」などとパターン化して覚えるだけなので無意味 | それでも、ただ出てきた順に数字を並べるよりは、よく文章を読めていることになる | 結局パターン化して問題を解くようでは、理解度を見るという目的には何ら寄与しない | 「何ら寄与しない」は言い過ぎ。ひとつひとつの試みを「効果が少ない」と言って切り捨てていては、何一つ有効な試みなど存在しないであろう |
主張 | 反論 | 反論への反論 | 再反論 | 再反論への反論 | |
発生過程 | 本来は自然数の掛け算には順序がないのに、嘘を教えているということになる。順序がないものをあると覚えてしまうことは問題だし、また、正しいはずの式を書いてもバツされてしまっては、子供のモチベーションも下がりかねない | まず、誤解があるので解いておくと、自然数の掛け算に順序があるのではなく、文章題を式にする過程で生み出される式に順序がある。その順序は教科書に書かれており、授業で教えている。モチベーションについては、順序を正しく書けるようになった子供を褒めるなどの方法で保つことはできる | 残念ながら、そのような認識をしておらず自然数の掛け算に順序があると考えている教師も多数いる。また、仮にそうであるとしても、文章題を式にする過程は一通りに定まったものではなく、生み出される式も、順序がどちらのものも存在するはずである。合っていても教科書通りでないと認められないというのか。また、掛け算に順序がないことを知っている子供がバツを喰らって、「正しい順序」とされるものにすることで褒められたとしても、バカバカしいとしか思わないであろう。モチベーション低下は避けられない | 算数は数学につながるものであるから、定義を大切にするのは当然である。数学であっても、定義から外れたものを証明なしに使うことはできないはず。賢い子供にこそ、それを理解してほしい | 文章題を式にする過程は形式的なアルゴリズムとしては与えられておらず、式にする手段は単なる一例であるはずである。それを「定義」と言い換えることでローカルルールを押し付けるべきではない。賢い子供は、そのような嘘を簡単に見抜くであろう |
深刻性 | 嘘を教えること、モチベーションが下がることが問題であるのは言うまでもない | 嘘でないことは上に述べた通りであるが。あなたはニュートン力学を教えている先生に「嘘を教えている。相対論と量子論を教えろ」と迫るのだろうか? 教育上の過程として、より限定的なものから、一般的なものへと広げていくことは何ら問題はない | 力学の例は極論である。相対論や量子論で議論するよりもニュートン力学で議論した方が有益な問題は多数あるが、掛け算に順序があると考えた方が有益な問題は一つでもあろうか? そもそも、自然数の掛け算に順序がないことは、小学生でも知っているべきことである | ニュートン力学は、単なる利便性のためだけでなく、教育的な意味もある。順を追って、少しずつ概念を拡張して教えていく。それを「嘘」と呼ぶのは大袈裟。また、自然数の積に順序があると主張しているわけではなく「嘘」ではないことは上に述べた通り | 教科書の記述を「定義」として扱うことへの疑問は上に述べた通り。順を追って最初は式には順番がある、と教えることの教育的な意味自体が怪しい場合には、単なる嘘である。それを見抜いた子供のモチベーション低下は避けられない |
固有性 | そもそも掛け算に順序を入れなければ、このような問題は起きないのは明らか | (反論なし) |
みんなもやってみてね