はてなキーワード: 朝鮮人とは
「原爆被曝者・何世だから、「被差別部落」出身だから、朝鮮人だから、ハーフだから、このような差別に会った。社会の無理解や理不尽さ。悔しかった、悲しかった。あるいはこうして対応した。差別は許されない。」
…という文章はたくさんある。「道徳」の副読本であったり、人権授業で使われる読み物(「心のノート」とか)であったり。もっとわかる人向け(多分関西オンリー?)にいえば、「にんげん」みたいな読本などに載っている読み物。
ところで私は、この逆の立場の、差別を行ったとされる人々の気持ち、云わば「逆・にんげん」を読んでみたい。
差別や理不尽さというのはすべて人間が生み出しているものだが、果して(近)現代の人間の中で、人権と、差別との「妥協」はどのように行われているのだろうか。
一体どのようにして、差別の正当化と、その追認が行われているのだろうか。知ってみたい。
それももちろん何か差別の悪を糾弾するとか反面教師や皮肉としての読解ではなく、自然な文体としての体験談で読んでみたい。
「娘が誰かと付き合っている。結婚するかもしれない。うちは名家だ。興信所を使って相手の素性を探ろう。それみたことか、「部落」だ。ダメだダメだ、結婚は絶対に認めない。これでウチは安泰だ…。」
「原爆はダメだ。直接の被曝もダメだし黒い雨の被曝もダメだ。実際に被害の惨状や何かを見たわけではないが、とにかくダメだ。奇形児が生まれるかもしれない。病気をうつされる。こういうものは収容所に閉じ込めて二度と出てこないように」
みたいな文章になるのだろうか。差別は原始的かつ素朴な感情から生まれるとはいっても、もっと複雑な何かがあるはずだが。
ここまで書いてみて、ヤフコメとかまさにこのはてな匿名ダイアリーも絶対そんな部分があるよな、と思ったが、なんというか作為や露悪、学級会的な目配せもかなりありそうなので、何とも言えない。
国会図書館デジタルアーカイブなどで戦前の書籍などを探れば、より平然とさも当然に行われる差別とその正当化が現れてきそうだし、大きな参考になりそうだが、私としては戦後の・建前上は完全に民主主義社会に染まってる人々の思考を探ってみたい。
なぜ、あなたは近所の知り合い、子どもの結婚相手、就職してくる相手の出自や素性を知りたがり、そこに何かを見出したがり、そしてそれを排除したがることで安心したがるのかを。
それが明らかになることで…つまり何かそれを巨悪の告発などではなく、ただ反対の立場になっただけの「読本」として目に出来るだけで、道徳や人権などの教育はさらに一皮むけると思うのだが。
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