はてなキーワード: 乳母車とは
「保育園落ちた日本死ね」が話題となってたが、質の悪い保育園増やしてどうするんだよ。
昼前になると数人用大型の乳母車で散歩している保育士と園児の姿をよく見かけるが
狭い歩道で「どうぞ」と道を譲っても「お礼」の言葉も言えず当たり前の様に素通りする保育士達。
自分達のお喋りに夢中になるぐらいなら、立ち止まって園児達が通り過ぎるの待ってる私の身にもなれよ!
園児が列からはみ出し車道に飛び足しても気が付かない保育士達、お喋りに夢中になってんじゃねーよ。
ちゃんと園児を見張ってろよ! 危ないだろ!!
保育園を増やしてほしい気持ちも解るが、質の悪い保育園(保育士)なんて増やすんじゃねーわ。
保育園落ちたら仕事も辞めて自分の手で子育てするぐらいの覚悟が無いなら最初から子供産むなよ!
何、国のせいにしてんだよ!
何、日本死ねだよ!
何様だよ!
あの投稿者と同じ口調で書いてやったが、読んでいて気持ちの良いもんじゃねーだろ!
不特定多数の人間が読む公開ブログに「日本死ね!」なんて書くな!
死ねと言うなら、お前が○○よ!
この間洪水でナショナルレイルが一部区間運休になって、バスに乗り換えろと言われた駅に行っても違う駅からバスがでているから電車に乗ってそこまでいけということを言われた。
日常生活に困らない程度の英語はできるが、現地の人も右往左往しているような状況で、しかも別の国から電車を乗り継いで帰って来たところでかなり終電の時間も近く、正直半泣きになってたところで助けてくれたのはイギリス人男性だった。
こういうとき、イギリス人女性はだいたい見て見ぬふりをする。英語があまり自由でないらしい外国人にたいして親切なのは中年以降のイギリス人男性だ。
そういえば昨日も土曜市でバスの予定が狂っていたが、それを教えてくれたのは地元のおじいさんだった。
若い人は乳母車や車いすを乗せたりおろしたりするときには活躍するが、それ以外では基本的に女性と同じくまわりを無視している。
ちなみにヨーロッパの大陸に移動すると中年以降の男性・女性ともに困ってたらなにかと声をかけてくれるが、若い人の場合は詐欺を目論んでいる場合がほとんどなので応対をしてはいけない。特に中東系・インド系には注意しなければならない。
閑話休題。
しかし親切にするイギリス人男性が礼を言われているところはあまり見かけない。
基本的にベビーカー・車いすに乗っている人は当然という顔をしている(まあ子供は仕方がない)し、その介助者も当然という顔をしていることはよくある。一応目があうとにっこりする国なのでおなざりな礼はいうが、感謝して話しかけまくるというのはあまり見かけない。そもそも手伝った男性自身が礼を言われる前にさっさとどっかに行ってしまう(若い子らの場合後で仲間内で「俺かっこいいだろ?」みたいなことを言ってたりはするが)。
彼らにとって困っている人間を助けるのは当然のことで、礼を言われるまでもないことなのだろうとおもう。助けるという行為自体はかっこいいという認識があるようだが、それは自分がそういう行為をしたということが誇らしいのであって、礼を言われるためではないようだ。
翻って日本だが、日本では少なくとも江戸時代くらいから「仕方ないから助けてやった」「へへーありがたやー」「礼はいらねぇよ」が様式美としてある。助ける方は恩着せがましく礼を要求しつつ、礼はいらねぇと強がる。たぶんこれは江戸っ子のいう粋なのではないかとおもうが非常にめんどくさい。しかし残念ながら我々はその影響をモロに受けており、ゆえに席を譲るにしてもハードルが高いし、譲られる方も断りがちだし、かつ礼はいらねぇというには礼を言われないとならないので、それがないと猛烈に腹が立つのだ。
http://anond.hatelabo.jp/20141130043309
ちなみにイギリス人というか欧州の人々が礼を言うかどうかは人によりけりだが、アメリカ人の場合感情表現が非常にはっきりとしているので感謝感激してくれるだろうと思う。この人の場合、多分アメリカに行ったほうが馬が合うんじゃなかろうか、などと思った。
趣味や生きがいがないまま70-80-90歳くらいの高齢になると、ああまで人間無気力になり、食べて寝て排泄するだけの毎日になるのかと思わされる。
祖父は特に体に異常があったり障害がある訳ではないが「動くのが嫌」という理由で自らの意思で寝たきり生活を送ってる。三度の食事は毎回、母が寝床にお盆で運び、食べ終わったらまた母が下げに行く。少し痴呆も入ってる。
祖母は寝たきりではなく家の中なら乳母車を押して歩き回る。そして3度の飯に加え、プラス五回くらいご飯を食べる。昼間は自分が家にいないので分からないが、少なくとも、18時頃に夕食を食べても、21時頃、23時頃、午前2時頃にも一人でふらふらと台所(キッチン)に来ては炊飯ジャーを開け、ぼそぼそとご飯を食べている。
休日に家にいると分かるのだが、祖父祖母は電話がなっても玄関のインターホンが鳴っても絶対にでない。(祖父はそもそも寝たきりを決め込んでいるので出ないが)祖母もどんなに電話の近くにいても出ない。これはウチの父が「電話に出ても会話を覚えていられないし、振り込め詐欺にあうから、電話に出てはいけない」と禁止するようにしているからだ。
確かに電話に出てもトラブルにしかならないだろう。この言い付けを守って、祖母は「わしゃ、電話に出ちゃいかんと言われてるから」として電話にも、玄関にも、何も反応しない。ベルやチャイムは聞こえているだろうが、まあ鳴っても何もしない。
電話や玄関対応を禁じる父の命令が良いか悪いかは別にして、電話が鳴っても玄関に人が来ても祖父祖母は無視を決めているのだから、当然、祖父祖母への電話や来客はゼロになる。つまり祖父祖母への外部からの用事、家族以外のアクセスは皆無だ。そして二人とも家の外には出ず、家の中だけでもう何年も過ごしている。祖母は定期的に自治体の老人向け娯楽教室みたいなのに通っている(迎えが来る)から、外部とは刺激があるのか。祖父は同じ教室(?)に昔最初だけ行ったが「数えましょうや歌いましょうなど、幼児みたいなことをさせる」と怒って行かなくなってしまった。(たしかに、ああいう高齢者向けの教室は、男性には向き不向きがあるようにも感じる)
前置きが長くなってしまったが、「健康」と「いくつになっても持続可能な趣味や生きがい」は重要で、それがないと自分も年を取ったとき、祖父祖母のようになってしまうのだろうか、と感じた。
入社2ヶ月と数日の私が同期のゆとり新入社員に思うことを書きます。
普遍的な話とかゆとり世代の話とか同期に限った話とかが十把一絡げになっているのでその点ご注意ください。
良くも悪くも就活マニュアル本の延長線上的な振る舞いが散見される。
良く言えば、礼儀に関しては最低限の知識があり大きく間違うことはなく、模範的で平均的な社員である。
悪く言えば、かしこまらなくていい時でもマニュアル通りに振る舞い、先輩や上司とくだけた話をするのは苦手である。
その原因は、敬語に対する恐怖心や失礼なことを聞いてはいけないという思いだと思う。
例えば、おふざけを言った先輩社員に軽いつっこみやいじりをするということができないということがある。
敬語がフランクになってしまうことへの恐怖心と失礼にあたるのではという躊躇いがそうさせているのではないだろうか。
また、そういう場合に彼らは「あ、、ええ、、、そうですね」のような不自然な返答や困った表情でただ言葉をつまらせているケースが多い。
言葉を換えれば、リスクをとってまで挑戦しない傾向が強いのだ。
成功して得ることより失敗して失うことを避けたいと考えているといってもいい。
失敗して道を外れた人たちが再び元の道へ戻ってくることができないのが日本社会であり、厳しい現実だと教育者(両親・親戚や、テレビ・パソコン等の情報も含む)から日常的に刷り込まれてきたことが背景にあると感じている。
刷り込まれた情報の代表例として、雇用状況の悪化、平均年収の低下、節約生活ブーム、学歴差別、世代批判、SNSにおける個人への誹謗中傷、が考えられるが、こうした情報が日常生活を通じて身体に染み付いてしまったのである。物心つく前からケータイとともに成長してきたマセガキな自分達がこうした情報に右へ倣えで育ってしまうのは必然ではないだろうか。
(親御さんへ、インターネッツは怖いところです。なんて脅しぐらいでは子供は余裕でネットに浸りますよ。リテラシーを教えましょう。)
生まれ育った環境が悪かったんだ!もっと優しくしてよ!なんて微塵も思わない。
ゆとりというのはこういう傾向がある、と参考にしていただければいい。
あくまで参考であって、世代という言葉で定型化することはあまりに無謀であり乱暴な話なのだ。
決めつけて扱うのはやめてください。お願いします。
マニュアル本に頼っているうちは補助輪付きの乳母車のようなものだろう。
そんなものに乗ってる奴を誰が大人として扱うのか。
失礼な態度をとってしまったら2度目はしないよう心がけろ。
お前たちと同じゆとり世代として生きる私の歯がゆさを考えろ。
ふう、、、
自分を攻撃してくる人がいるのならその人を恨む理由があるから、まだ良い。
誰も自分に害を加えようとしていないことが分かっているからこそ、やり場のない怒りで腹立たしさが倍増するのだ。
自分に害を加えようとするつもりがない事が明白な人から害を被ることが実に多い。
加害者は自分に害を加えるつもりじゃなかったのだから、責めても仕方がない。
腹を立てている自分が狭量なのだ、と自分を否定して、一層やりきれない気持ちになる。
具体的な例をこれから書き出してみるが、
一般的な人から見れば自分は本当に懐の狭い、小さい人間という事なのだろう。
その他流れを読まない奴のせいで、自分が気を使って避けなければならない。
電車から降りようとしているのに出入り口を塞ぐように立って乗ってこようとする奴ら。
逆に、電車に乗ろうとすると自分のドアにだけ後から降りようとする奴が出てくる。
散々レジで待たされた挙句、やっと自分の番になった瞬間に応援の店員が現れて、自分の後には列はない。
歩道を歩いていると、脇道から出てきた車のせいで遠回りさせられる。
逆に自分が脇道から出てくる車だと、物凄くいいタイミングで自転車や歩行者が現れて来て本線へ出られない。
信号のない横断歩道を渡ろうとする時にも、物凄くいいタイミングで左右から車が来ていつまでも渡れない。
追越車線を走っていると走行車線の方が流れが速くなり、
車線変更した途端、走行車線が遅くなる。
もしくは路肩に車が止まって、また車線変更させられる。
飼い主と犬が歩道の幅の両端にいて、跨ぎ越えなければならない。
乳母車を盾に突進してきて対向からの歩行者を通す隙を与えない奴。
狭い歩道の途中で子供がふとした発見をして楽しげに遊ぶのを微笑ましげに眺めていて、他の通行人が通れなくなる。
すぐ近くに公園があるのに、歩道が一番狭くなってる所を封鎖して井戸端会議。
車で送り迎えに来て、歩道に乗り上げて「ちょっと(?)」駐車して通行の邪魔。
自転車のベルを鳴らすと、避けるスペースがなくても歩行者が避けてくれると思っている。
自転車と接触したらほとんど自動車側が過失になるから、後ろに自動車の長い列を作る。
車道の信号が赤になると「歩行者」に豹変して、横断歩道を渡る歩行者に突っ込んでくる自転車。
飲食店に入店して、まず注文を取りに来ない。
呼んでも取りに来ない。
自分より後に入店した奴の注文は取る。
注文を取っても料理が出て来ない。
会計をしようとしても金を受け取るべき店員が来ない。
道路工事の誘導員、駐車場の誘導員、ガソリンスタンドの店員が行く手を遮ろうとするのは自分が運転してる車から。
常連客になったら、店の人々を楽しませる会話をしなければならなさそうで面倒。
常連客にサービスを良くする店の論理は分かるので、均一なサービスを提供するチェーン店にしか行かない。
けれどチェーン店でも結局常連客が良い目を見ているのを目の当たりにする。
だから店員は日本人よりコロコロ入れ替わる外国人の方が良い。いや、ロボットが最高。
普通の客に対して普通に行われているサービスが、「偶然・うっかり・仕方なく」自分の時にだけ行われない。
それで不服な顔をすると、「店員さんに対して偉そうな顔する人って嫌な人だよねー」。
これらすべて、自分は嫌な思いをしているのだが、
自分に嫌な思いをさせている人は自分に嫌がらせをしようとしてやっているのではないことは分かる。
なので、嫌な思いをすること自体をやめたいのだが。
どうしても嫌な思いをしてしまう。
そして嫌な気分の時にまた次の嫌なことが上塗りで発生する。この繰り返し。
特に子供やお年寄りが絡むと、何でも許してしまうどころか他人にも許すことを強いる輩がいるが
どうやったら腹が立たなくなるのだろう。どうしても腹が立つ。
何とかする方法はないのか。
ある。
外に出ないことだ。
やはり自分は外に出ない方がいい、出来る限り家に引きこもろう、という考えに至る。