はてなキーワード: 「声」とは
いまの日本社会の本質的な問題点は、社会の内部が分断されていることにあると思う。
立場の異なる者同士のあいだを埋めるものがなく、異質な者同士では共感が生まれない。以前にはカップラーメンの値段がわからないと揶揄された首相もいたし、いまの安倍晋三君もひもじい思いをして暮らしたことがあるのか、私は寡聞にして知らない。
例えば、御法川氏が朝にテレビで「庶民」の立場でキレていたし、夜には古舘氏が、というのも結局は、「庶民」が自覚している孤立感を代弁してウケを取ろうとしているのだと思う。実際には、「庶民」だとか「官僚」「天下り」「公務員」「東電社員」だとか、そういったカテゴライズでは語れないものだと私には思えるのだが。
47都道府県あれば47通り、さらに市町村はもっと多いし、人口は1億3000万くらいあって、それだけの相違があるのにもかかわらず、その相違を包摂して溝を埋めようとする努力がなされているのだろうか。例えば、ニュース報道は、47都道府県分の各地のニュースを流しているのだろうか。おそらく地方版はその地方にしか載っておらず、在京キー局や在京新聞社などは最大公約数的なニュースを流しているだろう。例えば、共同通信社や時事通信社というできるかぎり無色透明で最大公約数的ニュースを配信する通信社があって、そのニュースに多くの新聞社は依存している。
例えば東京にいても、福島県民や宮城県民や北海道民や沖縄県民や高知県民や(以下略)の「声」が日常的にはどれほど聞こえてきているのか。あまり聞こえてこないと、私は思う。全国に流すための最大公約数的マスコミだからだ。
明治時代以後、そして戦後以降もなお、マスコミや広告代理店も国家機構も最大公約数的な社会づくりをしてきたのではないか。例えば「流行語大賞」だとかいまだに言っているが、「流行語」というのも結局は、相違する人間同士が、溝を埋めていないのにもかかわらず、共感している「気」になっているだけなのではなかろうか。
むしろ実際には、少数であればあるほど、その人の「声」はかき消されて聞こえなくなる。例えば少数民族(例えばアイヌ)にしても、性別的少数(ISやGID)にしても、あるいは最下層の困窮者(例えば貧困や障害や傷病など)にしても。実際には1億3000万のマイノリティの集積がこの日本社会であり、そこから最大公約数だけ取り出せば「効率」はいいのかもしれないが、まちがいなく取り漏らす。
いま、安倍自民党にしても、いわゆる全体主義的な、あるいは国家主義的だともいうような、社会全体のステレオタイプ化された秩序の押し付けに力を入れているけれど、そうした方法では、社会内部の分断された溝は埋まらないと思う。それで真の秩序が保たれるのだろうか。例えば特定秘密保護法を強行採決したり、唐突に靖国参拝をしたりしたけれども、そういうやりかたは民主主義的でない、話しあいが欠けているわけで、つまり、溝を埋める努力をしていない。
これよく言うんだけどさぁ、実際、30年前と比べて実際に「ブラック」な企業って増えてるのか?
30年前なんてホントに奴隷みたいに使われてた奴だって目に見える様に居たのに。
最近、そういうレベルの人間の「声」がでかくなっただけな気がしないでもないんだけど。
そういうレベルの人間が無駄に大学にいけちゃって「大卒」だからきちんとしてる、と言ってるだけな気がしないでもないんだけど。
終身雇用たって、今と昔でそんな違うのか?ホントに統計的に違うのか?正しく、全てのレベルの人を見た場合に。
確かに景気も違って、バブル期には何の能力がないやつでも工事現場に飛び込みで行って1日数万のしごとにありつけた、とかホントにあったみたいだけど、
だからといってその頃に比べてホントに「ブラック」企業が増えたかどうか、ってのが甚だ疑問。
少なくともここバブル終わってからってんなら90年代からあったわけだし、ここ数年で急にどうこう言い出してるのは単にそういう声が聞こえてくるようになっただけだからな。
だから今も昔も変わらんのに。
そりゃだって、言ってるのはほんの一握りの成功者とそれを信じこむバカどもだけですもん。
成功者の数が少ないとしても、社会的な「声」が大きいからそれがさも当たり前になるんですやん。
んで、たちが悪いのは、そういう成功者は本気でそう思ってる所。
逆に実際、失敗して増田でも他でもどこでもいいけど愚痴ってる奴なんて山ほどいて、
で、それと成功者の何が違うか、と言ったらホントに何も変わらないこともある。
ほんとに愚図でなにもしてないで愚痴ってる奴も居るが、ホントに挑戦して失敗した奴もいる。
だが、失敗した後には誰も区別しない。というか、興味すら持たない。
さらに達が悪いのは、一度失敗してまた上ってきた、と言うエピソード。
大概そういう人間は何らかの外部的作用が働いていて(テレビに出てくるようなのは大体タニマチ的な存在が。。。)
そもそも、挑戦しろ、というが、その挑戦する土台に載ってたのがどれほど幸運だったことか、どれほど恵まれてたことかを全く無視してあーだこーだ言う奴が多い。
だがしかし、バカを相手にする商売なのでそういう論法が通ってしまう。
そういうバカがいなくなればあっという間に無くなるビジネスなんていくらでもあるのに、やはりバカを相手にするビジネスは儲かるからやめられないのだろう。
”アニメ”の声優に限定すると難しいけれど、キャラクターに対する声を付けてほしい人はプロアマ問わず多分たくさんいる。
特に艦コレがソシャゲにフルボイスで成功したから、乗っかろうとする企画も出てくるだろう。
儲けよう、有名になろう、と思うと難しいかもしれないけれど、自分の「声」で仕事をしたいというのであれば、そう言う仕事はあると思う。
また、ネットが使いこなせる貴方が片手間でもよいからマネージャをしてあげれば成功確率はぐっと上がると思います。
まずは声のポートフォリオでも作ってニコニコなりyoutubeに上げてみましょう。
それは失礼しました.
世の中,かなりの話は『程度問題』だと思うのですよね.「財政マネタイズ」という(通貨の信認とか構造改革とかと同じように)おどろおどろしい,そしてたいていの場合に空虚な言葉というのは,黒か白かはっきりするよな定義のある話ではなく.インフレ税ないしシニョリッジというのが財政に寄与するなら,実はどの国も常に「財政マネタイズ」してると言えるのかもしれない.日銀乗換は日銀引受と違うという強弁だって『程度問題』でしょう.
『程度問題』ともう一つ私が念頭に置きたいキーワードは『言葉より行動』です.人が何を言うかよりも,どう行動するかが重要.「市場関係者がこう言っている」よりも「市場がこう動いた」の方が確か.市場だってもちろん間違えるが,「メディアが取材したシジョーカンケーシャの言葉」なんてのは,ほぼノイズにすぎないですよね.
http://anomalocaris89.blog69.fc2.com/blog-entry-208.html にあるとおり中央銀行の独立性は別に金科玉条ではない.財政マネタイズも,まあ今のところは「やってはいけません.これは中央銀行にとって神聖不可侵な教義です」という振りをするのがお約束となっている,くらいの意味だと思っています.実際は100%か0%かの話ではなく,行動を見れば少しはやっていると見えなくもない.
ヘリコプター・ベンが,サマーズと組んでヘリコプターマネー政策を実施しても,さらに,購入した国債をロールオーバーし続ける(日銀乗換に当たるものを無制限に増やしていく)と発表しても米国債が暴落なんかしなかったのは「財政支出をやって,猛烈に通貨発行を増やしてますけど,財政マネタイズじゃないですよ〜」と言った言霊のオカルト効果ではなく,もっと単純な市場予測(米国債を売ると損をする可能性が高い)の結果でしょう.
で,リフレ政策で肝要な期待(expectation)ってのは,人々の気持ちとか意思とかじゃなく,まさにそういう『将来についての市場予測』のことを言っているに過ぎません.「それを財政マネタイズと呼ぶかどうか」という曖昧な話じゃなく,「政府が今後どう行動するか・その結果どう行動すると得か」について市場が予測した結果.それがリフレ派の言う期待でしょう.だから,「中央銀行の独立性」「財政規律」とかいう「意図を表すレトリック」なんかではなく,例えば「いつまでに何を買う」「いつまでにいくら支出する」と言った具体的な行動の予測に資する情報によって(のみ)市場は動く.まあ市場予測に影響する気分(センチメント)というのはあるでしょうし,それは言い方で動いたりするのかもしれませんが,それはむしろ「すぐに修正される予測のズレ」を表す言葉でしょうね.あんまり重要でない.
これも『程度問題』ですね.デフレに(少なくとも例えば賃金や企業の収益や税収にとって)はっきりした害があって,5%や10%のインフレにそれほどの大した害が知られていない.なのに,デフレを止めるための日銀への介入でさえこれほどの大騒ぎになる.
そこで,インフレを止めるような介入がそんなに容易だと市場が予測するなら問題でしょう.
すいません.誤読してたので訂正(どっちにせよ,根拠のない無茶な介入は簡単じゃないだろうと思うんですが…)
これも『程度問題』ですね.インフレ恐怖症の方々はもとより,リフレ派でさえ反対するような「引き締めを妨げるような介入」がそんなに簡単なら確かに問題でしょうが…
追記:一つの担保としては,日銀にも政府にもそう簡単に方針を変えられないような歯止めを法制化しておくことでしょう.曖昧な「日銀の独立性」という言葉が指す内容がどういうものか,例えば「中期的な望ましい物価水準は政府と日銀の合意によって定める・それを達成する手段は日銀の専管事項」という趣旨の条文を日銀法に入れるとか.え,法律なんか政府がインフレにしたくなったら簡単に変えられる? そうかなあ…程度問題ですが,法律がない場合より「簡単」ではないと思いますね.
まあ,既に書いた通り,債券市場参加者の「声」とか,割りとどうでもいいと思ってますんで…
追記: インフレ目標と,日銀の(上記のような)独立性の法制化は,ひとつの歯止めとして市場の期待を安定化するのに有用だと思います.