うん、そんなの皆分かってるんだよね。
どうせ奥さんに丸投げなんでしょ?
まともに子育てしてる人は、例え自分の子が大人しくて育てやすい子だったとしても
他で「親が必死に躾しようとしても子供を大人しくさせられない光景」なんて山ほど見るし、
その親たちも普通に常識も教養もある人達、ってのも知ってるから
元増田みたいな事は言わないんだよね。
わかる
0か100かで考え過ぎなんだよね
動物であり個性もあるから完全にコントロールすることはできない(100ではない)
それは事実だが、だからと言って「しつけしなくてもいい、騒いでも親に責任はない」とはならない(0でもない)
オマエはバカだというのはよくわかった
私、俺、ワシ、ワテ、ウチ、吾輩、俺様、あたい、おいら、おら、おいどん、おれっち・・・。
文脈や相手に合わせて、これだけの言葉を使い分けなければならない。
これに対して、英語は「I」だけを覚えればいい。
仲間に入れてもらいたいけど、絶対ムリなのでやっかんでるんだろ、言わせんな
http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/pi__sunu/status/1019945665676230658
なんてウン十年前から大量にいると思うんだけど何を今更…
元増田の言葉がピーキーだから反感を集めてるようだけど、しかし集まってるぶコメが “弱者に寄り添いたい症候群” のオンパレードでなんだかなあと思う
まずね、2歳児というとだいたい歩き始めて少したっていて、歩き方もちょっとしっかりしてきて、食べ物もミルクや離乳食は卒業し普通のものを食べてる頃あい、言葉も少しずつ喋るし数もちょっと数えられる、親の言うこともなんとなくわかってる感じが出てくるけど、“魔の2歳児”という言葉が存在するように時にはアンコントローラブルになる事もある、そんな感じの時期。
もちろん個人差はあるしADHDなどを持ち出すとそりゃいろいろあるわけなんだけど、一般的な話として「2歳児にはしつけも効かないし親は何もできない、だから外で子供が騒ぐのは仕方ない、親は悪くない」というのはぜったい違うと思うんだよね。
まず、子どもについて。
子供の学習能力を甘く見ちゃいけません。彼らにもしっかり環境適応能力は備わっている。当然だよね、生物として環境に適応できなければ死ぬんだから。ただ幼い頃はまだ身体的制約が大きいのでその適応力は弱い、だから親のサポートが必要。
俺が大事だと思うのは、彼らは一生懸命環境に適応しようとしているのだから、親が根気強く粘り強く環境への適応の仕方を教えたり、サポートしたり、促したり、環境そのものを調整してやることだと思うんだよね。子どもにとって不適切な場所には行かないようにするとか、その環境に適さない行動をしたときに都度、注意をするとか。
例えば、子供が騒いじゃいけない場所、騒がない方がいい場所で奇声を発したとき、親が毎回毎回人差し指を口にあてて「しーっ!」とやる。当然彼らは最初、その仕草の意味を理解しないので効き目はないが、その仕草のあとたまたま静かにしたら誉められた、なんか「しっ!」の後に黙るとよくわかんないけど誉められるなあ、という成功体験が続けば次第にそれを理解し始めて、やがては「こういう場所では母ちゃんに「しっ!」ってやられる事が多い気がする!」と予測を立てられるようになる。これこそが学習能力であり環境適応能力でしょう。
個人的な経験からすると、騒がしい子どもの親はその「しっ!」をほとんどやらないんだよね。諦めてるのか必要ないと思ってるのか、いや俺はおそらく「判定が甘い」んだと思ってるんだけど。
群衆の中に自分がいるという意識が低くて、周囲と自分の間の境界の判定が甘いから、あまり気にしてない、気にならないんだろうなあと思う。ものすごい香水が臭い人とか、イヤホン音漏れすごい人とか、電車の中で飲食する人とか、、、明確に悪いことではないけど周囲との距離感を意識できてたら普通はしないでしょってことでも平気でできる人は判定が甘いんだと思う。どの声の大きさなら“うるさい”レベルなのかっていう判定が甘い親はほとんど「しっ!」とやらない。子供と親の性格には確実に相関関係があると思う。
実際のところその辺はママさんたちの方がすごくシビアに見ていて、そういう部分で気の合うママさん同士がグループになる傾向があるのは端から見てておもしろい。そこら辺を“ちゃんとしたい”と考えているグループと“あまり気にせず自由奔放に”というグループがあって、その2つはたぶん仲が悪い。女性特有の“笑顔で殴りあう”、みたいな恐ろしい世界。
ちょっと脱線したが話を戻すと、子供の環境という部分に関しては親にできることはたくさんある。
そりゃね、世の中のお店は売り上げが欲しいから「子どもOK!おいしいお子さまランチあるよ!おいでおいで!」とやるんですけども、当然だけど別にそこに行かなくてもいいわけです。外食しなくていいように予定を組むとか、子供が寝てる隙にさっと食事を済ますとか、親が交代で食事をとるとか、、、 ぶっちゃけ、「泣き止まないから放置」とかいう選択が一番理解できない しかも母親1人かと思ったらまさかの父親登場、ふたりいるんかい!と笑
まあいろいろゆーとりますけども、言いたいのは、別にムチでビシバシやるようなしつけじゃなくて、どんなに小さな事でも細かいことでも、やんわりとしかしながら根気強く子どもを促していると、子どもはそれにすぐに適応する ということです。
騒がない子どもは環境に適応した結果そうなった。個人差の部分はゼロではないと思うが、それは実際かなり小さい、親の影響の方が遥かに強大。
親から環境適応のヒントを与えられ続けた子どもは、行動の判定基準に「騒ぐと周囲に迷惑がかかる」といった“大人の感覚”が加味されていて(その意味が分かってなくても)、逆に親からヒントを十分もらえてない子どもは独自の解釈で環境適応した結果、騒ぐことが周囲に与える影響が加味されていない判定基準によって行動するようになる。ということ。
こんな記事を読みました
(http://mubou.seesaa.net/article/461083429.html)
(何故かコンテンツを終わらせたがる人たち: 不倒城)
何故かコンテンツを終わらせたがる人たち
こんな記事を読みました。
https://anond.hatelabo.jp/20180812024506
風来のシレン楽しいですよね。私はシレン4中毒、というかシレン4の浜辺の魔洞中毒なので、どちらかというとシレン4をやることの方が多いんですが、SFCのシレンもまだたまにやります。掛軸裏の洞窟99Fがあまりにも無理ゲー過ぎる。ただでさえ無理ゲーなのに、あれを肉なしでやる人がいるとか本当に理解の範囲外というか、人間の可能性の奥深さを感じる他ありません。
それはそうと。
私、そもそもレトロゲーマーなんで、元来この「オワコン」って言葉あんまり理解出来ないんですが、なんか妙に「〇〇はオワコン」って言いたがる人、一時期よりは減ったけどまだたまに観測出来ませんか?
個人的には、
何唐突にこんなに繊細になってるの?
「ある人の中でこのコンテンツは終わったと思う」って意味で「オワコン」を使ってる人もいると思うんだけど、その場合は別にその人の中で終わったかどうかだけで決めて良くない?
なんで他人の中でそのコンテンツがまだ息づいてるかどうかについてまで他人が文句つけられると思ってるの?
「ああこの人の中では『オワコン』なんだな」でいいじゃん。
なんでそうやっていちいちケチつけるの?
それってたとえばさあ
『
「僕は酸っぱいりんごの方が甘いりんごの方が好きだし、むしろ今どきの甘いりんごって胡散臭くて嫌いだなあ」と言ってる人がいました。
でも自分は甘いりんごが好きで酸っぱいりんごは糞だと思ってました
』
みたいなもんじゃないの?
他人がオワコンだと思うのも、他人がオワコンだと思っているらしい事を聞いたって書くのも、それについて悲しむのも、別に全部その人の勝手でよくない?
まさに
うるせえお前は口出すんじゃねえバーーーーーカ
ではありませんか?
まあ僕が言いたいのは、
何で一週間も前の釣りに反応してるんだ…