だって眉毛を描かないと麻呂なんだもの。外出する際に眉毛を描くのに5〜10分くらいかかるし、描くときに神経使うし、眉ティント楽そうなんだもの。
でもちょっとググってみたけどあれね。高いわね眉ティント。ドラッグストアのコスメのくせに5gで1300円も取るのかよ。マスカラと同じくらいの価格設定だわね。
とりあえず@コスメに乗せられるのは癪だが、いちばん有名そうなブランドから試してみるわ。
3ヶ月前にセルフカラーリングしたときにおでこにクリーム塗り忘れておでこまで茶色く染まって1週間くらい色が取れなくて焦ったけど同じ仕組みやろ。やるで。
こういう「機能に制限を付ける」ことで他と差別化を図るサービスは、例え一時的に成功したとしても褒められたものではない
こんなこと続けてると人類が衰退するぞ
他にも
・文章を書くのがひどく遅い
この症状が一年続いている。
ESや履歴書を書こうにも、書けない。書けないから継ぎ接ぎな文章になってしまう。
どうしたらよいのか皆目見当がつかない。
本当にどうしよう。
PS.
→確かに論理的ではなかったのかもしれませんが、論文では高評価を頂いていました。
2020年に公開される予定のシン・エヴァンゲリオンが夢中になれない駄作であろうことは公開前からほぼ確定しているので、あまりワクワクできない。
エヴァが心底面白かったのはテレビ版だけで劇場版はすべて駄作駄作駄作、テレビの劣化版、Qも一言で言うならゴミだったのになぜみんな期待できるんだ。
作画もどんどん劣化して展開も複雑化しすぎてもはや観客置いてけぼり。どこをどう期待すりゃいいんだい?
どうせまたグダグダ展開でグダグダ人類補完計画発動でグダグダエンディングでしょ(お母さん、産んでくれてありがとう!みんなありがとう! からの宇多田ヒカルソングでエンディング)。
はいっじゃあ水分補給タイムね!お茶や水を飲んで!と言った途端
やったーおしゃべりタイムだ!と後ろを向いて喋り始める子
水筒忘れたので廊下で水道の水飲んできま~す!と廊下に出てそのまま窓の外を見ることに夢中になったり隣のクラスをチラ見したり廊下なら先生の監視の目がないしおしゃべりの声も聞こえないはず!と一緒に廊下に出た子と喋り始める子
机の横にかけておけって何度指導してもロッカーの中にしまっちゃってて
のろのろのろのろ立ち上がってのろのろのろのろランドセルを開けてごそごそごそごそランドセルから水筒を取り出してゆっくり飲んで
ランドセルの中に一緒にしまっていた本に気を取られつつのろのろのろのろしまってのろのろのろのろ席に戻る子
授業中ぼんやりしていたせいでまだ書き取りが済んでないから!と鉛筆を動かす手を止めない子
こんな子が同時に大量発生する
はい水分補給タイム終わりねーと言っても「まだ飲んでまぁ~す!」「ボクまだ飲んでませぇ~ん!」とゴネたり
何回注意されてもおしゃべりを止めない廊下に戻らない読書を止めないこぼした箇所を拭き取り終わってない
水分補給タイムは1分ね!と言ってもまともに授業再開できるまで5~10分くらいかかるだろう
お、おう。なんか男だと勘違いしてるように見えた??
この本に書かれている内容はアメリカ人のために作られた偽りの歴史である。
徹頭徹尾、日本人に対する人種差別的感情と日本人に対する優越感が垣間見える。
アンドルー・ゴードンの主張に基づけば、日本が文明開化しようが近代化しようが
そんなことは結果的には全く無意味で結局は西洋列強の養分になったに過ぎないという。
不平等条約締結はアメリカの良心、日本近代化への貢献(つまり不平等条約が西洋人の横暴を許した結果、国民意識が高まったという逆説的な詭弁)だと言い切り、
ただ、私達日本人はこれが戦勝国アメリカでおける最もポピュラーな思想であるということを知らなければいけない。
そして、アメリカではこのゴードンの主張さえも親日的とされるほど、アメリカ中心的な思想がまかり通っていることも知らなければいけない。
この本の序章には、「西洋諸国から『特異な国』と見られる日本の歴史が、実は世界史とも関連を持っていた」ということをベースにして書いたとされている。
しかしながら、我々日本人は、日本史が世界史と関連していることなどは小学生でも知っている。
この本は一見して、日本史を世界史の中に対等に組み入れ、俯瞰的に論じたグローバル的な歴史書であるように見えるが、
実際は全く異なっている。
ヨーロッパ中心史観に(彼らにとって)イレギュラーな日本を組み入れた上、やはり日本は異端であると信じ込みたいアメリカ人のための本である。
ゴードンの主張で明らかにおかしいのは、日本人の行動が自分達日本人のためにされた行動であるということを理解していない点だ。
すべての行動は日本人が日本人のために、最善を尽くした結果なのだ。
ゴードンはそれらすべてを外圧に屈した日本人が致し方なく行動した結果と判断している。
このような考え方が、ヨーロッパ世界、アメリカ合衆国内に跋扈し、参考にされるようなことが
続くようであれば、