あれは浜田という東洋人のおっさんが、エディマーフィーという似てもに似つかわないハリウッドスターの格好をさせられてるギャップを笑う自虐ネタ。
「おっさん」「東洋人」「浜田」への差別(意識による笑い)が主題であって、エディマーフィーというのはむしろそれらと対局の格好良いイメージのものとして扱われてる。
それを黒人の作家が、「本物の黒人を出すべき」「自分を嘲笑されたように感じた」んだとしたら、それは間違った読解をしてるからあって、間違った読解によって間違った文脈に乗せようとする行為こそ批判すべき。
目糞鼻糞みたいにしたいんだろうけど絶望的に例えが下手
閉じた世界でやってるなら、ね
身内の宴会で余興的な出し物なら政治的危うさあろうが批判の出ようはずがない
おじさんになって一番思うのは、やっぱしちゃんとしてないと言いたいことを言えないんだってこと。
例えばさ、こんな口語体のうんこみたいな知識を書くとするじゃん?
でもさ、昔のどっかのお偉いさんが四文字熟語とかでさ、古典とかひっぱってきてさ、
かっこよく賢そうに達筆で額なんかにして飾ってたとかだったらさ、
座右の銘だーとかいってたらさ、なんかすげえ良いこと言ったみたいにかっこいいじゃん?
でもさ、「やっぱしちゃんとしてないと言いたいことを言えないんだよー」って
酒金女に溺れたおっちゃんが夕刊フジを読みながらワンカップひっかけつつ増田書いてもさ、
そこまで感動しないじゃん。
あとさ、黒塗りの怖そうな車に乗ってる粗暴そうなオジサマが「この代金おかしいやんけ」っていうのと
よれよれの長袖ポロシャツインしてる松方弘樹メガネのオジサマが「この代金おかしいやんけ」っというのとさ、
求める力が違いすぎるでしょ。
説得力に差がありまくるでしょ。
あるのよねえ。
理想を持って希望に満ち溢れて社会を良くしていこうって、変えていこうってさ、”先入観をなくそう”とかね。
夢膨らんでる若者はさ、輝いてるよね。素晴らしい。
でもね、やっぱしいろんな意味でちゃんとしてないと、伝えたいことって聞いてもらえないのよ。
おじさんたちはね、そのオキテに逆らう恐怖を知ってるの。
みんな守りたいものがあるからね。ちっぽけなものかもしれないけど、それぞれが守る価値があると信じてるものね。
たから必死にオキテを守るし、守らない人から自分たちを守ろうとするんだ。
それって悪いことじゃなくない?みんなそうするのは利益があるからだしね。
自分を守ることの善悪はめんどいから置いとくか。ここで大事なことはオキテ、逆らう、良くない。
まあ、だから、オキテやぶりをするなら、それなりにちゃんとしてないといけない。
ちゃんとするには、おおざっぱに言って2種類あって、難しい方法と、簡単な方法がある。
難しい方から説明すると、みんなの「ちゃんとしたい」とか「守りたい」って気持ちを
全部まるっとうまくすくい上げること。あんたらに悪いことしませんよーって納得してもらうこと。
これめっちゃ難しいけど、うまくいくとめっちゃ気持ちいいから。いいよ。
簡単な方はね、これズルいんだけどね、脅かすの。嫌なことするぞーって。
もちろん最初から全部この方法を使うわけじゃなくて、こっちの方では嫌なこと我慢するから、
あんたらはここで我慢してくれよ、みたいなね、別にこっち嫌なこと我慢するわけじゃないのに
嘘ついたりごまかしたりしてね、いじわるするの。そうするとね、お願い聞いてもらえるのよ。
後味悪いよさすがに。そりゃ酒飲むよね。歌っちゃったりするよね。
でも、話を聞いてもらうにはちゃんとするしかないんだよね。
難しい方法ばっかりしてたら体壊したり無理しちゃったりするんだよ。早死にしたりね。
でもね、難しい方法をね、少しずつだけど簡単にしていくこともできるんだよ。
それはね、肩書とか、賞状とか、そういうやつをいっぱい持つこと。
そういう「ちゃんとした」ワッペンがついてるとね、いろいろ聞いてもらえるんだよ。
東大卒、とかもそうだし、征夷大将軍、とか、代表取締役共同COO、とか、フォロワー数4.8M、とか、
読モ?とかもだし、いろんな意味のワッペンがたくさんあるんだ。
分かる人にしか分からないワッペンもあるしね。バイターモリモリ不死マラソンスプーン余裕でした><とかね。
だからワッペンたくさん持ってる方がいいよ。ちゃんとしたやつ。ちゃんとしてる風でもいいよ。
ちゃんとしてる風なワッペン付けてると、ラジオ番組持ったり政権に入り込んだりできるよ。
余談だけど、自分らしく生きたいとか思ってるなら、自分と大切な人にだけ通じるワッペンを付ければいいよ。
生体エロウィキペディアでもいいし、セクシーソムリエでもいいし、
ちゃんとしたやつじゃなくていいよ。てきとーで。
そんで周りの友達がそのワッペン気に入ってくれたら、そのワッペンが好きになってくるんだよ。
結局言いたいのはね、ちゃんとしてないとダメってことよ。
ちゃんとしたワッペン付けてるとか、体力か良心を犠牲にするかしないと、
同じ人種であったとしても身長200mの老人が身長100mの子供を演じるだけで無理してるのがヒシヒシと伝わって痛々しい。
でもアニメなら出来る。
とっくに年金もらってそうなお婆ちゃんがやんちゃ盛りの子供の声を出せる。
性別も年齢も容易に飛び越える。
人間のアニメーターが異世界のよくわかんねー触手ウネウネの化物が暴れまわってる様を画面上に描き出せる。
分かったろ。
演技も実写映画も、所詮はアニメーションっていう技術がここまで発達するまでの繋ぎだったんだよ。
もうすぐ3Dがバリバリに発達して実写と見分けが付かなくなる。
そうなればいよいよ終わりだ。
そうそう、結局のところは最後に書かれていることに行き着くと思う。別のことを感じさせないこと、つまり没頭させることはエンターテイメントの最大の目的だと思われる。
そうした視点でハリウッド映画を考えるとおもしろい。ハリウッドの構成や演出に関する洗練された知識はやはりすごいと思う。観客であれば誰でも没頭できるようにできている。
物語のリアリティは、アニメのリアリティも同じように「何が映っているか」よりも観る人が「何を感じるか」であって、たとえばあるアニメを見て緊張感を感じるならば、それはアニメのリアリティだといえる。
ハリウッド映画はこうしたリアリティを最後まで最大限に維持するようにできているはずなので、特になんの先入観もなしに観にいえば、簡単に没頭でき娯楽を味わうことができる。そうでないような映画は映画が考えてくれるのではなく観客に考えさせるので、それが退屈を呼んだりする。でも、いろんな映画があり、いろんなこだわりがあり、そうした映画が成り立っているのはハリウッド映画が管理できないところの個人差ゆえだから、それだけいろんな作り方があり、いろんな楽しみ方があるのだと思う。
敏感と鈍感の間
57票?
1位が?
と思ったら有効総票数:2368票。
えー。
これはなんだろうね。
フリゲ界隈が盛り上がりすぎて互いに票を食い合ってるのか、それとも圧倒的な一本が2017年には生まれなかったのかどっちなんだろうね。
俺は詳しくないから誰か教えて
せやな。
人様の文献から勝手に情報を持ってこさせて、それで寄付させた金を自分らのポケットに入れちゃうWikipediaは違法以外の何物でもないわ。
グーグル八分にしよか
何周遅れの議論してんだよ…