黒死館殺人事件を読んだ。大分時間がかかった上に疲れた。漢字が難しいです。
しかしながらこの小説は面白い。法水の推理(?)はちんぷんかんぷんだし、衒学的な部分とかほとんど訳が分かんなかったんだけど、くじけずに読み進めてしまう。
法水の推理がよく呑み込めないなりに筋は通っている上に、展開が急転しまくるから良かったんだと思う。最後の方なんて状況が二転三転するから、ジェットコースターみたいだったし。
文章も独特のリズムがあるから、それさえ掴めればある程度読み進んでいられる。疲れるどけ、ころっと状況が変わりやがるもんだから続きが気になって頁をめくってしまう。
解説にもあったけど、こんな小説が第二次世界大戦前に出たっていうんだから、奇書呼ばわりされてもしかたがないと思う。本筋に関係ない内容に圧倒されてしまうもの。
唐突な引用と、飛躍した解釈を目にして、なんどはあって呟いたかわかんない。二重三重に張り巡らされた人間関係もあるから、シナリオとしても面白い。
暗号部分は端から理解を諦めてしまったけど、昨今のAVGブームに乗っかって、黒死館殺人事件をフリーゲーム化したらとっつきやすそう。誰かやらない?
チャカポコチャカポコで脱落しやすいドグラ・マグラよりは幾分読みやすいし、本筋も掴みやすい作品だから気軽に触れてみればいいと思う。青空文庫もあるしね。
波長さえあえば楽しく読める作品でした。
原作の遊戯王最終回を読み返す度に、一抹の寂しさを感じる。漫画の最終回なんてものは大抵、もう漫画のキャラ達の物語が見れなくなるから、そりゃあ悲しいだろうと思うかもしれない。しかし遊戯王にはまた違った悲しさがあるのだ。
それは恐らく闇遊戯が冥界に旅立ってしまうという一点が原因なんだろう。他の少年漫画の最終回は、キャラの明るい未来の示唆で終わることが多い印象だ。例えば金色のガッシュの最終回は、ガッシュと清麿、他の魔物とパートナー達はそれぞれの世界で自分の道を歩いていくという希望的なイメージで終わっている。
遊戯王の最終回も少し似ている。表遊戯は闇遊戯を乗り越え、自立する。そして「僕の物語は始まったばかりなんだ!」というモノローグと共に物語は表遊戯の未来、これからの物語を示唆して終わる。読者がこの最終回を読了後、表遊戯は闇遊戯と決別した未来でも力強く生きていけるんだろうなーと想像可能な終わり方だ。
そしてこの最終回では闇遊戯、アテムの進路も描かれている。それは彼が仲間と別れ、自分の在るべき場所、冥界へ帰るという未来だ。この進路には悲しさを感じさせる。作中では冥界の扉の中には、3000年前のアテムの仲間、神官達が描かれていた。だから冥界と言っても一般的な暗い死の世界というものよりかは、アテムの元いた3000年前の古代エジプトの世界と解釈出来るのだろう。アテムは表遊戯のもう1人のボクという位置付けから、アテムとしての人生を歩み出せたのだ。その点ではとても明るい未来だ。
しかし、アテムの人生がそもそも年の割に過酷(若い王として悪と戦い、自分諸共悪を千年パズルに封印する。3000年もの長い間ずっと封印されるも、表遊戯の体を借りて復活することが出来た。表遊戯や城之内達と仲間となるも、自分の正体が3000年前のものであると知り、別れを選択する)なのも相まって、これまで作中で表遊戯と共に主人公として活躍してきたアテムの行き着く先が冥界という事実は、やっと記憶も取り戻して在るべき場所に戻れたんだなと安堵しつつやはり悲しいものがある。ガッシュの場合は清麿とは別れたが、それまで出会った魔物がガッシュの側にいるし、ガッシュが王として輝かしい未来を送ることも示唆される。また清麿に手紙を送ることも出来、清麿はガッシュにいつか会いに行くと残して物語は終わる。もしかしたらガッシュと清麿が再会できるかと…と思わせる終わり方だ。
しかしアテムの場合は城之内や表遊戯と学園生活を送ることも、海馬と決闘で熱戦を繰り広げる未来も作中では絶たれてしまったのだ。しかもガッシュの場合は魔界だが、アテムの場合は死者が住む世界である。
これまでずっとアテムの華々しい活躍を見てきた一読者としては、彼の行き着く先が死者の世界なのも、もう表遊戯達や海馬と同じ世界にいることはないという未来なのも少し寂しいのだ。といっても原作の「遊戯 王」の物語として考えるとこの結末が最良で最高なのも事実である。
しかしそんな原作で感じていたもの悲しさは、昨日から公開された遊戯王劇場版で大分緩和された。詳しくはネタバレになるから言わない。だがアテムは表遊戯達と今でも仲間で、海馬とはライバルであることを知ることが出来たのだ。表遊戯達も自分の世界でしっかり生きているし、社長も元気にぶっとんでいた。久しぶりに元気な彼らに会えてとても嬉しかった。最後も中々衝撃的なオチで驚いた。
だからこれから原作を読み返しても、アテムの結末に悲しさを感じることはないだろう。
原作の続編としてこれ以上ないアンサーを叩きつけてくれたような重厚な作品だったので気になってる方は原作読んで是非見に行って欲しい。
あのアニメを子どもと見られないって言ってるのはオッサンのネタか釣りだと思うけど
もう幼児でもないのに欲望とコミュニケーションの区別のつけられないのははヤバイぞ
あと「セクシーな男」というのは女に対して大人のコミュニケーションがとれる成熟した男という意味なので、性欲垂れ流して「健全な証」とふんぞり返る男のことではない
仕事とかで帰るときに「お疲れ様です」とかって言うじゃないですか。
あれを「お尻の穴です」っていったら、みんな気づくだろうか。
挨拶なんてちゃんと聞き取らずになんとなく流してしまうものだし、はっきり発音しなければ大丈夫なんじゃないか。
高校生の頃、王将で「塩ザーメン下さい」って言ったらちゃんとラーメンが出てきた。
案外気づかないものなのかもしれない。
一緒にいた友達は「恥ずかしいことするな!」って怒ってきたが…。
「お尻の穴です」は気づくか気づかないか、気になって仕方ない。
先日そう考えていたら、帰るとき「お尻の穴です」って言いそうになった。
言ってはいけないと思うほどいいそうになる。
「お疲れ様です」か「お尻の穴です」か、どっちが本来の挨拶なのか分からなくなってくる。
「お疲れ様です」だっけ? いや「お尻の穴です」だったような…
って感じで。
増田のみんなは間違っても、明日帰るときに「お尻の穴です」とか言ったらだめだぞ。
「お疲れ様です」じゃなくて「お尻の穴です」だ。
いや、違うか?もうどっちだか分からなくなってきた。
「お尻の穴です」
「お尻の穴です」
「お尻の穴です」
「お尻の穴です」
「お尻の穴です」
「お尻の穴です」
「お尻の穴です」
「お尻の穴です」
とにかく、帰るときは「お尻の穴です」って言ったらだめだ。
お尻の穴でした。
(ウェット・バック) 濡れた背中
意味:
川を渡って違法に入国し、ズブ濡れの後ろ姿からそう呼ばれた説や、
どちらにしろ、メキシカン・ギャングに○されたくなければ、この単語は禁止。
例文:
There are some wetbacks in that restaurant.
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1444173718/48
おっ俺も思ってた所。ただ一つだけ、あのやり方するとコピー出来ないのでSEOなどには強いのでする人も多いってのは付け加えておこうかなと。
そもそも『結婚はコスパ悪い』なんて言説は反論で出てきた言葉であって
そういうのを知らないで「え?4月入社の新卒で4月に給与支払いじゃないところあるんだ?」って反応するやつほんとにいるのな。
別にこれに限った話じゃないんだけど、学生時代の友人とかでそういう境遇の人が一人くらいいたりしなかったんだろうか。
うまく形容できんのだが、あの音楽と旧約聖書みたいな画のマッチングが小さいころ初めて見てゾクッ、大人になって何回見てもゾクッ何だよな-。
小さいころ洋画でしか表現できなかった世界観や構成、進行が日本のアニメではじめてこれから起こるんだって思ったのを強く覚えてる。
支配者層のカスどもはなんだかんだイチャモンを付けてくるだろうが
物質的豊かさだよ
幻だ
それこそ単なる精神勝利法だ
お前らが清貧気取ってる間にも上流階級はどんどん財産を蓄えてるぞ
目を覚ませ