https://play.google.com/store/apps/details?id=com.google.android.gms
家で飲み直そう、といいつつ私はソファでウトウト。寝るなー、ビールまだ残ってるよー、とかいいつつ乳首つまんだりクリいじったりされて
気付いたら自ら腰振ってたorz
どうしたの、腰動いてるよ?とかびちゃびちゃだけどどうしたの?とか優しい口調だけど結構なSっぷりで、物凄く感じてしまった…
お互い恋人いるのになぁ。
底辺の人間って経済活動も小さいし、相対でみると社会に対してマイナスの存在なので (無駄に税金使う)、やっぱり助ける価値ないと思いますね。
強いという表現じゃ生ぬるいかも。もはや強迫的過ぎて「結婚したい病」だと、我ながら思う。
そこまで結婚したい理由も分かっていて、いい歳した男女は結婚して当たり前、しないのは一部の特別な人という観念で頭が凝り固まっているから。
自分の住んでる田舎じゃ、それを覆すほどイケてる年配の独身男なんてまずいないし。
それにいつまでもフリーダムに生きるのは絶対無理だろうから、いい加減落ち着きたい。
もとより、日常生活の延長で自然と彼女ができるタイプではなかった。
むしろ「デートどころかお見合いの挨拶に着ていく服がない、というか目を合わせられない」レベルからスタートしたわけで。
そこから趣味を通じて交友関係を広げようとしたり、色んな人からアドバイスもらったりしてるけど、全く成果に結びついていない。
今まで何人かの人と付き合ったけど、もちろんダメ。どうしても独り善がりになるクセが抜けないからだろう。
最近は平均してデート3回くらいで見切りをつけることが多くなった。
なにしろこっちは人生3回目の年男で、40のオッサンへのカウントダウンが始まっているわけで、脈の有無も関係なく半年も1年も付き合ってる時間ないし。
それでも目減りする一方の時間が気になって怖くなる。
思えばコミュニケーション面だけでなく、あらゆることがびっくりするほど晩成型だ。
おかげで「子供の頃できなかった逆上がりが大人になってできたけど、だから何?」的イベントが今でも起きる。全然嬉しくないどころか虚しい。
一生成長できるんだからいいじゃんって?えっと自分はいつになったら一人前の大人になれるんでしょうか?
例外的に早熟だったのはプログラミングで、本格的に始めて1年足らずで「技術『は』すごい」と評価されるようになった。
だけどそれも就職してからなので、世の天才からは程遠いし、日本の開発者の社会的地位の低さを考えたら極める気になんて全然なれない。
うーん、生きるってどこまで行ってもくたびれることばかりなのだろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20121025063814
駆逐とまでは行かなくとも、やりづらくなったのは概ね同意だな。
手間暇かけて自炊した先に手に入るのはフリーハンドで扱えるDRM抜きのファイルであり、いつでも読める所有感が欲しい。
iPodとかに比べれば「CD5枚分しか入らずあとはストリーミングしてね」ってな感じ?
あと個人的にはKindle PaperwhiteにmicroSDが刺さらないってのも痛い。同じXGAのStoryHDは販売停止しちゃうしさぁ。
最近、テレビがつまらない。自分だけでなく巷のアンケートでも70%近くが昔と比べてつまらないと感じているらしい。ではテレビ番組の質が落ちたのか?そうは思えない。多分変わってない。
テレビが面白かったのはそれは当時、見るのが当たり前で見ることに疑問を持たず、見ないと巷の話題についていけない。流行りに遅れてしまう。みんなが見てれば学校や職場で話題の種にできる。だから正直中身なんてなくても面白かった。でも今は視聴率No1の番組も共通の話題にはなりえない。全く見ない人もいる。そうするとテレビは急激に魅力を失う。
音楽とか車とかファッションブランドなんかが魅力的でなくなってるのも同じ理由だと思う。
恋愛や結婚もするのが当たり前ではなくなり、する人の方が少数派になったら、今までのように楽しいと思えなくなってしまうのだろうか?
確かに。
横だが、「食え(ヤレ)ればいいや」だったら餌をやらないし、「観賞用(きちんとしたおつきあい?)」だったらちゃんと餌をやるわけか。
なんかつまんなそうな会社だなあ
先日、子供の頃に通っていた小学校の校区を、小学校を中心にぐるりと円を書くように散歩してきた。距離的には、大人の足だと一時間半程度で一周りできる程度だ。
歩いていると当時のクラスメイト達の住んでいた家がぽつぽつと目につくのだが、それらを見てふと気づいた。所謂、低所得者層の住む家に住んでいた子達は、殆どの場合、いじめられっ子か、口数が少なく積極性に欠ける子であったことに。逆に、クラスの中心の人気者達は、それなりの家に住んでいたことに。
学校という同じ場所で同じ教育を受けているはずなのに、家柄というのは明確な差として学校生活に現れるのだなあ。
中学校卒業以降彼らがどんな人生を歩んでいるのかは余り知らない。しかし恐らくは、当時彼ら彼女らが持っていた性質は、時間とともに固定化され、より鮮明になっていったのではないだろうか。
子供は親の影響を受ける、ということを生々しく実感した。
全ての会社がそうだとは思わないけど、俺がいる会社では派遣は採用時に職歴として評価されなくて、よそで派遣で働いていたとアピールしても、ほとんどフリーターと同じ扱い。
いや、それ以下かもしれない。
同業種で他所で派遣社員よりは、異業種でも他所で正社員という、理不尽な差別があるように思う。
同業種で正社員(=経験者扱い)≧異業種で正社員≧就職浪人(ただし1浪まで。)≧派遣社員&フリーター(プラプラしてた人。他所の手垢にまみれてる人)
みたいな感じ。
なんでなのかはよくわからん。
2011年10月23日、我々は日本サッカーの未来を託して見送ったはずのある男が日本に帰ってきていること、
彼がプロサッカー選手となって初のゴールを奪ったことを同時に知った
(もっとも、多少Jリーグに関心があるものは、2010年6月に彼と水野晃樹が帰ってきたことを知っていただろうが)。
有名高校生プレイヤーとしてJリーグ発足後初、国内クラブを経由せずに直接海外クラブとプロ契約した男の遅すぎるゴールだった。
2011年、10月23日というその日まで伊藤翔がなかなかゴールを奪えないでいる頃、我々は違う若武者に快哉を叫んでいた。
宮市亮、アーセナルの練習生ではないベンゲルに認められた若武者、正所属の上でフェイエノールトにレンタル移籍がなされあっという間に
欧州主要リーグの日本人最年少得点記録(2011年2月12日、18歳1カ月29日で記録)を決めた若武者にであった。
さて、このエントリの目的は、有名高校生プレイヤーとしてNPB発足後初、国内球団を経由せずに直接海外球団とプロ契約しようとする
大谷翔平が"翔"なのか"亮"なのか当ててみようということではない。甲子園に出れなかった防御率がそこまで低くない「球速160km」の投手、
日米親善高校野球で藤浪晋太郎にエースの座を触れさせてももらえなかった彼は、
確かに、「和製アンリ」という話題のみで実態が分からなかった"翔"と似ている。
しかし、海外挑戦前の"亮"だって、50m5秒台らしいものの、テクニックの不十分さは指摘されていたし、宇佐美貴史のような国際試合での
圧倒的な実績がある訳ではなかった。現時点で、"翔"なのか"亮"なのか当てることはあまりに不毛だろう。
重要なのは、"亮"の為には、"翔"が必要であったという事である。直接に、宮市が海外挑戦する際、伊藤を参考にしたことを示す資料はない。
しかし、ほぼ確実に宮市あるいはその周囲の判断において、先輩(実際同じ高校のでもある)伊藤の顛末が一番の教訓として機能していただろう。
リップサービスにのせられてはいけない、若手を教育する気がない海外クラブにはいってはいけないなど、学んだことは多かったはずである。
"翔"があってこそ、"亮"があるのだ。そして、"亮"があるからこそ、未来の日本人スタープレイヤーが生まれるだろう
もちろん、スタープレイヤー誕生には、Jリーグを一回経由することが重要と言う結論になることだってありうる。
しかし、その結論を出すためには、"亮"の未来、あるいはそれに続く直接海外クラブ契約する選手たちの行く末を見る必要があるだろう。
(高校生以下の育成については久保建英君の将来を見よう。しかし、久保君にも玉乃淳という見本がいたことを忘れてはならない)。
野球の"翔"のメジャーへの挑戦も、野球の"亮"を生み出し、そして、未来の日本人スタープレイヤーを生み出すだろう。
"翔"の挑戦は、日本野球界に貴重な経験を与えるだろう。もしかしたら、NPBの重要さを改めて認識させることなるのかもしれない。
誰かが捨て石になる可能性を覚悟してやらなければならなかったことなのだ。
であるから、大谷翔平よ、全ての誉れと怨嗟を受け止めながら、翔び立ってほしい。
そして、野球ファンは少なくとも"翔"が帰国して仮に日本のどこかの球団に入団して、1年は成績が悪くてもかつての挑戦者を見守って頂きたい。
もっとも、2年目も成績が悪いのなら、本拠地で彼にブーイングで浴びせようとそれは自由だろう。