この記事を読んで「おいおいアメリカ人って今までどんだけ本読んでなかったんだよwww」と思った俺はマイノリティなんだろうか。
「真相は明らかになってない」ってのは「何でも反対」の人の常套句。あんたのいう「真相」って
一体何?っていう。原因なんて「外部電源喪失の上にDG水没」に決まっている。
地震が原因で致命的な破損したなんて風説は政府事故調中間報告などで完膚無きまでに
否定されてる。
あの事故の対策を取ることは簡単で、各電力会社が自主的に実施しているし、だいたい
大飯と福島第一は年代も型式も全然違うわけで「実は危険だったことが暴露された」なんて
訳では全然ない。
保安院なんてのは基本的に単なる役人だから技術のことなんてわかってないよ。
「想定されているリスクすら解消されておらず、非常事態が起きる可能性が高いことを意味している」
なんてことにはならない。
巨大隕石の落下だって「想定」しようと思えばできるリスクだし、そういう「想定」の蓋然性を論じず
「非常事態が起きる可能性が高い」というのは笑止なレトリックでしかない。
それにそもそも、現状は「再稼働すること」よりも「再稼働しないこと」のリスクの方が明らかに
メンヘルな人(俺)は救済が得られることを知ったとき途端につのらせた疲労感を忘れる。
薬に頼ってもいい(依存はイクナイらしいけど)。なにかアクションをとれば少しは改善する。
一番いいのは、人といい話をすること。だけど、コミュ力がない。
それなら、つくってでも笑顔になってみればいいと思う。でも俺の作り笑顔に何の価値が?
音楽でも聞いて、シャワーを浴びて眠りたいな。
脂肪が邪魔だ、気がついたら体重が平均体重プラス20にやばいやばすぎる、デブは甘えデブは甘えなんだ。
よしやるぞやってやる。
まず、食生活だ。とりあえず飲み物は水、茶。食べ物は野菜。もういいこの際甘えたダイエットなんてしない徹底的にやったる。必ず記録もする。
http://anond.hatelabo.jp/20120616163412
褒美に一ついいことを教えてやろう。
オウムの高橋逮捕も我々推進派がタイミングを調整していたのだよ。反原発派のデモから話題をそらすためにね!
お前たちは所詮、我々の手のひらの上で踊っているにすぎんのだよ。
さあ!これからもせいぜいもがくがいい!
これで満足ですか?w
サクラだったにしても、本当の反対派だったにしても、なんで周囲はあれを止めさせようとしなかったの?
推進側はこんな悪質な事でも
それさあ、毎日のとばし記事だよね?「秘密会議」でニュース検索しても毎日しかヒットしないし。
そもそもこれ本当に問題なのか?
いちいち、抗議活動の中の例外を殊更喚きたてて、そこにフォーカスを焦てて、本質的な原発稼動の大問題自体から話題を逸らす行為
全てを対象とするか、特定のくくりだけを対象とするか?
線引きできるようでできない気もする。
女性に多い「お金を払ってまで~」批判と、男性に多い「誰にでも股ひらくなんて~」批判は何が違うのだろう。
風俗通いに多い「遊びにはルールがあるし、プロのほうがうまい」哲学とヤリチンに多い「素人のほうが楽しいし金かからない」哲学は何が相容れないのだろう。
つか親子なんだから話し合え。言って欲しくない事、言われたら傷つく事、そういう事はきちんと意思表示しろ。
結論はその後の父親の言動で判断すればいい事だろ。
これ思い出した
本を読むと首が凝って仕方ない。座ってても寝ころんでても。
昨夜、おとなしく地に座している鳥を発見した。体のどこかしかを負傷したらしく、上手く飛べなくなっているようだった。特に気にする必要も無いし、そのまま放っておいても問題なかったのだが恐らくの垂れ死ぬのだろうと思い、気まぐれで連れ帰ることにした。動機としては、私の心に内在する少量の善意や同情なる心理的情動機能がものが作用した為だろう。半日程度世話を焼いてみたが、どうやら餌を食べられないようで、何を与えても口に入らない。このままでは外でも中でも関係無く死ぬと判断し、結局野に放して自由にさせてやることにした。飼育が困難なのも理由の一つではあったが、何より鳥自身が外に出たがっていたことが最大の理由となった。やはり空を飛び、空を愛する存在にとって建築物のような閉鎖的な空間は息苦しく感じるのだろう。この鳥の行動を見た時、私は判断を誤ったと感じた。そもそも動物を保護しようとする行為自体、偽善行為なのである。普段我々は鳥はもちろん、牛や豚の命を殺し、料理の材料として扱っている。それは、我々にとって生き物ではあるが、食べ物としても認識しているからだ。何かを食べる時、その食べられる物質に命が宿っている場合は、その命を殺傷しなければならない。人はこうした殺伐とした生存的事情から、生き延びるために生物の命を原始時代から狩り続けてきた。命を弄ぶ魔の手は陸上の生物だけでは飽き足らず、海上の生物の命まで奪い、無惨に横たわった肉を調理し、欲の限り貪ろうとする。猟師は自らの殺傷行為を職業として正当化し、身を隠しながら己の飢餓を満たしてくれる野生の動物を虎視眈々と付け狙う。漁師は海上に捕獲用の網というトラップを張り巡らし、獲物が引っ掛かって人間の為の供物と成り果てることを満面の笑みで待ち構えている。動物園では野生から拉致してきた動物を見世物として扱い、サーカスでは人間を喜ばせるために動物自身の意志とは無関心に芸を仕込み、ペットショップでは金銭的価値を付加し、奴隷扱いする。このような半ば常識とされている事態を直視すれば、動物を保護するということが如何に欺瞞に満ちたものであるかは周知の事実であろう。まして動物愛護など所詮個人的な自己満足である。鯨を保護し、鮪を保護しない愛護団体にどれほどの善意が存在するのだろうか。そんなものは個人的劣情に基づいた偽善だと気付く筈である。ひとたび鯨が致死性の高い病原菌に感染すれば、愛護団体は彼らの愛する鯨達を鳥インフルエンザにかかった鶏の如く、容赦無く殺処分し捨てるだろう。まして愛護する対象が百獣の王とまで呼称されているライオンともなれば、恐怖に支配されてムツゴロウでもない限り近寄ることすら困難だろう。利己的な彼らの心に愛などという高尚な成分は含まれていない。愛という概念は常に利他的、自己犠牲的であり、決して個人的欲求のみを満足させるものではない。特定の動物を愛し、保護しようとする彼らの行為はまさに個人的欲求が反映された結果であろう。愛とは、生きとし生ける全生物に反映されるファクターでなければならない。人は、偽愛をもって動物の命を弄んでいるのである。この観点で進めると、私の行為も所詮は偽善ということになる。結論として私は判断を誤った、ということだ。全てではないかも知れないが、人間が語る愛とは、大抵が自身の身の安全保障が約束された、ご都合主義に則ったものだと言えるのではないか。現実に存在する人間の心は、ドラマや映画のように美化できるものではない。しかし、「やらない偽善よりやる偽善」ということわざが存在するように、時と場合によっては同情に駆られて衝動的な行動を形成することもあるし、何より人の善意が全て偽善だと一蹴するのも暴論だろう。それでは救われないし、そうした偽善で命が救われるのも確かである。従って全否定するスタンスまでは取れないが、「善意が如何なる成分で構成されているか」を吟味しようとする姿勢ぐらいは覚えておきたいものである。この論述は非常に理想的である。現実的でもなければ実存的でもない。この文章はただ自身の体験を交えて、安定を求めて嘘や欺瞞をバラ蒔きたがる人間の心理という厄介なものに少々メスを入れてみただけである。
ハ ッ ク ル さ ん 増 田 ま で 宣 伝 乙 で す
http://anond.hatelabo.jp/20120616153856
おいおい、その遺影を掲げた奴が反原発だといつ決まったんだよ?
『「反原発は、こういう事する連中なんですよ、センセ」と議員様達を説得する材料』
にするために、原発推進派がサクラを雇っただけの可能性もあるだろ。
http://mainichi.jp/select/news/20120612k0000m040033000c.html
推進側はこんな悪質な事でも身内でのおざなり調査で誤魔化そうとするクズ中のクズなので、反原発デモに参加している=反原発派という思い込みを利用して、反原発デモに紛れてそういう工作活動をしている利権の亡者がいる事も否定できないだろ。
大体、仮にこの抗議者が反原発だったとしても、いちいち、抗議活動の中の例外を殊更喚きたてて、そこにフォーカスを焦てて、本質的な原発稼動の大問題自体から話題を逸らす行為に工数を掛けさせるのが原発推進派のやり口だって事はバレバレなんだよ。