34歳で若干行き遅れてるとはいえ、さすがにバツ一52歳はつり合いが取れてないでしょ。
せめて40代前半ぐらいにしておきなよ。
作れんのかねという質問に対しては、作れる可能性はある。・・・ いやはや、そんな歳の差を気にしないとはという方が驚くけどまぁ、本人がいいならいんじゃね?
独身離婚歴ありの52男に付き合ってくれって言われてちゃってビビってる。3回ほど食事デートしたけど、まだ抱かれてない。オッサンのくせにパーマとかかけてて、見た目40代だけど、歯ぐきとか見ると年齢って隠しきれないな、とは思う。あと首の皮のたるみとか。
当方34歳、結婚歴なし。結婚に焦っているわけじゃないけど実際考えたら最後のチャンスかもしれないし、たぶん、相手も自分の年知ってるから、一生の付き合いになる前提で言ってきてる。
読解がおかしいのと結論(http://anond.hatelabo.jp/20110228143126)がおかしいのとどっち?あるいは両方?
別にここにつらつら書くつもりはないけれど
死にたいというよりも生きたくない日々を送ってた。
今でもその相手の事を考えようとすると震えが来る
…けれど実は、その時の事を全く思い出せない。
相手の名前も、顔も、うっすらとしている。
人間って、本当に辛い事は本能的に蓋ができるんだな、と感心した。
ただ、弊害としてその時期がすっぽり抜けているので、仲が良かった相手に冷たいと詰られる時がある。
昼前に軽く飯を食べ、家を出て最寄の駅に向かい、1時前に面接場所に着いた。
そして面接も、緊張して経歴をかんだりして余りいい印象ではなかったのかと思う。
その後、ゆっくりと家に帰る。
家からの最寄りの駅から家に帰っている途中、ようやく雨があがって日が出てきていた。
少し着込んできたためか若干暑く、5月を思わせるような陽気に感じた。
駅から帰っている元気良い数人の女子高生が自転車をこいでいる姿が眩しい。
地元では最近大型のマンションやスーパーが建設中で町並みが少しずつ変わってきている。
十数年前と今では町も色々と変わり、近くにあった中華料理屋がなくなり
エロ本屋ができては潰れていった。残るは、焼肉屋とラーメン屋だけだ。
そして、私も変わっていくだろう。
そして最後には、朽ちて死んでいくだろう。
今日死んでも後悔しないだろうか?
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110225/stt11022519160009-n1.htm
みんなの党は25日、子ども手当廃止や国会議員と公務員の人件費削減などで歳出を大幅にカットした平成23年度予算案と予算関連法案の修正案を発表した。政府案が一般会計総額92兆4千億円に対し59兆8千億円の緊縮予算で、国債発行額も政府案の44兆3千億円に対し17兆7千億円に縮減した。現行40%の法人税率を20%まで引き下げて経済成長を目指す。
http://www.irhpress.co.jp/detail/html/N0192.html
経済成長で多くの問題が解決できる 元財務省、嘉悦大学教授 高橋洋一
馬脚を現してきたね
お昼過ぎに起きる嫁
でも
外で物音がすると怯えて夫から離れない嫁
怒った後にしょんぼりする嫁
食事もお風呂も夫が帰るまで我慢する嫁
夫の馬鹿発言を笑って訂正してくれる嫁
夜に寂しくなると夫にすり寄る嫁
10歳年下なのに包容力のある嫁
夫と似てる所を見つけて喜ぶ嫁
そのうち見つけてくれるかなって思いを込めてここに書いておきました。
息子が大きくなったら色々しようね
まだお互い行ったこと無いディズニーランドに行こうね
息子と三人で結婚式しようね
息子と三人でゲームしようね
おじいちゃん、おばあちゃんになっても愛し合おうね
出会った頃、彼氏に一方的に別れを告げられ
どうかそれまでに、残りの人生を生きていけるだけの
人生の糧をたくさん集めてください。
246から道玄坂、ハチ公前を左折して公園通りをNHK前までのわずか数百mの間に、
マンガ喫茶、アイドル、バイト募集サイト、出会い系、ギャル向けのモバイルサイト、etc。
当然、駅周辺は常に渋滞。本来なら幹線道路のはずの246も渋滞気味。
もちろん今に始まった話じゃないんだが、こういう宣伝トラックを仕込んでる連中というのは、
意図的に渋滞を巻き起こしていることについて、どう思ってるんだろうか?
あと10台同じサイズのトラックが渋谷をぐるぐる旋回し始めたら、おそらく駅周辺の交通は完全に麻痺する。
というか、今も既にそうなりかかっている。
ああいうトラックって、交差点に長く留まって人目を集めるために、ほぼ全ての交差点を右折するルートを設定してるんだと。
トラックにとっちゃ、渋滞してるほうが通行人の眼にとまるわけだから広告効果もあるだろう。
でも、そういうトラックが常にレーンをふさいでるおかげで、自家用車だけじゃなく、バスやタクシーも
「アドトラックで効果的な屋外広告を!」なんて売り込んでる代理店や、それにホイホイ乗っかるようなアホな広告主は、
自分たちの宣伝が街に不快の種をばらまいてることについて、どう思ってるんだろうか。
ま、どうでもいいんだろうな。
不快だ。
私は、はじめて幼稚園に行った時の、ごみごみした感じと騒がしさと足の踏み場のなさに絶望したのをかなりはっきり覚えている。
幼稚園で歌わされる歌の歌詞が、自分が経験したこと、感じた事とは違う、妙に前向きさを強制されているような歌詞で、反発して口パクしていた。
幼稚園の階段の一段一段が高くて、上り下りがどうしようもなく重労働に感じられた。
特に両手に荷物を持ってる時は、何の罰ゲームかと怒っていた。
今思い出してみたらけっこう覚えていた。
伝え方が気に食わないだけでしょう
思い出されるのは嫌な思い出ばかりだ。特に親戚がらみでの…
でも当時はそれに対して何も感じていなかったことの方が多かった…
いや何も感じていなかったと思う。
理由はわからない。そして、その後に必ず田舎の叔父さんにうちの母親が怒っていた。
「そんなことしないでくれ」
・親戚一同で旅行に行ったとき。1人が迷子になり全員で探した。
振り出しに戻る…わけじゃないけど最初にいた場所に迷子になった子が戻っていた。
「なんだこんなところにいたのか」と私は発言した。怒られた。
「こんなところ」を変な場所に嫌がってという意味で受け取られたようだ。
・小学生の時、七夕か何かに掲げる短冊に皆で同じことを書こうという話なった。
「いい大学を目指そう」なんてことを…
そのとおりに書いたのは自分だけ。他の人間は全く違うことを書いていた。
・小学生の時、同級生の家に遊びに行きファミコンの野球ゲームをやることになった。
メンバーを分けることになり僕は1人だけ。あとはゲームを持っている子のチームとなった。
・小学生の時、集団で遠出。同級生の家に一斉に戻ることになった。
…自分1人だけ戻っていた。あとの人は公園で遊んでいた。待てど暮らせどやってこない。
・中学時代。親戚一同で旅行に行った最後。腫れ物に触るような感じで扱われた…記憶がある。
・中学時代。ボーリングだカラオケだとそういうもので遊び始めるような時期に、「経験無いだろ」
とはなから決め付けられていた。「ああっ、あるよ」と言い返していたが未経験。誘われていくことになっても
自分抜きで話が進んでいたことがあった。
・中学時代の修学旅行や遠足。「こういうところ来たことがないだろ」と散々言われまくっていた。
・高校受験。希望校は合格したが、理解不明の理由をつけられて一番行きたくないところに行かされた。
・高校時代。いやここに至るまでずーっとそうだったような気がするが、自分から友達を作ろうとすることをしてこなかった。
中学時代まではそれでも仲良くしている人はいた。けれど、学校どまりだったと思う。高校時代は、こうした状況に加えて
行きたくない気持ちが勝っていたのでずーっとぼっちで、ごくまれに誘われても断ってしまっていた。理由はわからない。
・高校時代。法事が立て続けにある。親戚連中の親族自慢ばかりを聞かされる。
両親はそれをどんな気持ちで聞いていたんだろう。
・大学時代。アルバイト中心。サークルには、、、入学式のときに顔を出してみただけでそれっきり。アルバイト中心であっても
友達づくりをすることはしない。その場限りの関係。なんとなく親しくなる。そんな感じ。
・大学時代。「浪人なんかしやがって。どこそこのうちは有名大学に入ったのに。現役で」と散々言われる。
高校受験時に自分から希望を奪っておいてよくいうなと思ったが、じっと我慢の子。一浪で入学した大学は知る人ぞ知るという
有名でもなく無名でもなく偏差値もどちらかといえば多少はいいほうの部類に入るかどうかというようなところ。
・で、最近。机の中身とかPCの中身とか見たとしか思えない会話をいまさらしてくる両親。性癖までばれてるんだろうか。
それに気がついていたるところに鍵とパスワードをかけた。いびつな親子関係。
・思いつくままここまで書いてみたが、自分から人に話そうとしない。中学時代に「魔女の宅急便のパン屋のオヤジみたいだ」と言われて
よくわからなかったが、「ああそういうことだったのね」と今更ながら気がついた。