はてなキーワード: 超回復とは
アニメや公共放送の体操のおかげでジムの会員は増え、鍛える人も多くなってきて、嬉しいことに仕事でてんてこ舞いです
でも、我々は知っています。この中から残るのはほんの数%、大半は1年以内で消え、その内の半分は半年で消えます
筋トレやダイエットの効果って数カ月で出てきますが、みんなの想像する姿(NIGHT HEADの弟ほどじゃないけど、所謂腹筋が割れて引き締まった身体)になるには1年近くはかかります
もちろん食事も気を使い、ピンポイントな目標に向けた某ザップ的な方法をすれば短期間で達成はできますが、維持がべらぼうに難しいのと、土台があっての方法なので肥満の人がやるよりはマッチョが追い込む為にやるのがベストです
ほんとね、夢見すぎ。週2~3回筋トレしてプロテイン飲んでなれるわけ無いじゃん。超回復とか聞きかじった知識言うのもいいけど、マッチョになりたきゃ土台作らなきゃ。だったら毎日やろうよ。強度は凄くなくていいから
あとさ、SNSとかで流れるじゃん。1日何回×3、これをやるだけで全身が引きしまるって。効果あるかもしれないけど、ガチで毎日やらなきゃ意味ないぞ。1日でもサボると比例的に効果消えるぞ。スクワットは万能だけど、無理して重いダンベル持って痛めるくらいなら他のことやろうよ
本気だったらあれこれ行かない理由言わずにジムに毎日来るよね。毎日来れる場所に登録したり、来れるスケジュールを組むよね。しない人は結局なりたくないんだよ。でも世間がデブに不寛容すぎなんだよね
確かに健康に影響出るくらいのデブは痩せるべきだけど、健康的に問題ないけど見た目がちょっと醜いってレベルなら無理しなくていいよ。傍から見てもやりたくないオーラ出てるから。個人的には電車のシート1.5人分取らない人ならOKでしょ。肘が当たるの嫌とか汗臭いのが~って言う人は自分の面と香水の匂いでも確認すれば?
BMIとか体脂肪率とかそういうのは病気になりそうなデブが気にすべきで、LDHみたいな体脂肪が少なくてレモンサワーが飲めれば最強みたいな低学歴馬鹿に騙されずに、適度に身体と付き合ってよ
ほんと、健康維持じゃなくてマッチョ希望の人が増えて、それが痛めて来なくなるのが多い。そりゃ職場的には良いカモだけど、それで筋トレや運動が嫌いになったり後遺症残るような痛め方だったら悲しいからね
あと女性は適度に肉あったほうが良いよ。肉がなきゃ乳は増えないし支えられないぞ。ブラ取ったら富永一朗のババアみたいな乳で良ければ止めないけど
大昔は、乳酸が溜まって痛みが出るなどと言われていましたが、これは正しくないことが判明しています。
現在考えられている説では、
1.激しい運動により筋線維が切れる
↓
↓
↓
4.筋膜にある神経が痛みを発する
というものです。
3.の移動に個人差があるために、筋肉痛の発生に時間差があるのではと言われています。
筋肉内の毛細血管が発達していると、すぐに筋膜に到達するので筋肉痛がすぐにでやすく、
逆に毛細血管が未発達であるとなかなか到達しないので遅れて筋肉痛が出るというわけです。
このようなメカニズムを踏まえると、
1日後以降にでているようなら、遅れて感じる痛みに躊躇する必要はないと思います。
24時間以内では、筋肉が回復しきれていないのでやめておきましょう。
ECOはオープンβのときと2012年に3ヶ月ほど遊んだことがある。
2012年頃には典型的なポット連打ゲーになっていて50回使える、HPやMPが超回復する
濃縮ポーションが拾いまくれることもあってヒーラーの席がなくなっていた。
ロール制はほぼ崩壊していてとにかく殴ってポット連打、戦闘に戦略も何もあったものではなかった。
毎月のアップデートでは使い回しの季節イベントとガチャの追加が主。季節イベントは毎年変化がない模様。
ガチャは1回500円で連れて歩ける女の子型ペットや女キャラ用の服が低確率で当たる。
同じ時期に始めたプレイヤーは7万円使ってペットを当てていた。中には毎月5万円分くじを引くという人もいた。
つまりガチャのアバターを除けば新要素の追加もほぼ無く、運営にやる気があるのかないのかよくわからなかった。
音楽とSEはかなりできが良く、今もたまに聞きたくなったりする。
『レヴェナント』はめちゃくちゃ難解なんですが、ポイントを押さえれば、イニャリトゥ監督の過去の作品と大してテーマは変わんねぇことが分かります。
イニャリトゥ監督はデビュー作『アモーレス・ペロス』から前作『バードマン』までひたすら「親子」をテーマに映画を撮り続けてきた監督です。なので『レヴェナント』でもテーマは「親子」です(インタビューでもそう言っています)。もうちょい言うと、『レヴェナント』では「親の子に対する愛がいかに深いか」ということを描いてます。
主人公グラス(ディカプリオ)の台詞をちょっと考えてみれば分かります。
“All I had was my boy... but he took him from me.“
「私にとって息子は全てだった。しかしフィッツジェラルドは私から息子を奪った。」
“I ain't afraid to die anymore. I've done it already.”
「私はもう死ぬことを怖れていない。私は既に死んでいる。」
これはグラスが救出された後にヘンリーに語った言葉ですが、この2つの台詞から分かることは、①グラスにとって息子ホークは生きる意味そのものであったこと、②グラスは物語のどっかで既に死んでいて、それにもかかわらず基地までたどり着いたということです。
死んでます。具体的にはフィッツジェラルドにより埋葬された後、息子ホークの死亡を確認した時点で力尽きています。通常、熊に襲われて、内蔵が見えてしまっていて、脚は複雑骨折、その上発熱していて、ろくな治療を受けられないまま生き埋めにされたら(さらに生きがいであった息子が殺されたら)、それは死ぬだろ、と思いませんか。
あれは肉体が死亡していながら精神の力(息子を愛する力)だけで動くゾンビみたいなもんです。ジョジョを読んでる人は、ボスにぶっ殺された後のブチャラティみたいなもんだと思ってください。
小難しい話になりますが、イニャリトゥ監督は前作『バードマン』で死と再生の話を描いていて、映画では好んで用いられるモチーフです(『鏡』、『8 1/2』など)。主人公が死んで復活するというのは映画では珍しい話ではありません。
加えて、本作のタイトルが"Revenant"(つまり「死から蘇った者」〔someone who has returned from the dead〕)であることもこの説を補強します。
解釈の問題になりますが、海外サイトの中には、グラスは死にそうになるたびに、野生動物に生まれ変わった(死と再生)のだとする説がありました。
最初は熊です。これはグラスが熊の毛皮を着て、熊の爪のネックレスを身につけ、川で魚を手づかみにし(木彫りの熊ですね)、それを生のままかじり付いていた点に表れています。
次は狼です。これはインディアンにバッファローの肉を求める際、四つん這いに這いつくばって、人にへつらっていたことと、投げられた肉を生のまま貪りついていたことから分かります。
その次は馬です。これは文字通り馬の腹から這い出てきたことから分かります。
最後になんかの肉食獣です。これは最後の戦いでわざわざ銃を捨てて、斧(牙)とナイフ(爪)で戦っていることから分かります。
グラスはこれらの野生動物に生まれ変わる過程で回復していったと見ることができます。
愛です。
ここも解釈ですが、息子を失って生きる意味を失った以上、野生動物と同然の存在に成り下がったと見られるのではないでしょうか。
グラスが一匹狼のインディアンから教わった言葉です。「神の手」というのが直接的には川下に居たインディアン(リーさん)だったため、海外サイトではリーさんは神の復讐の代行者であると言う人が多かったです。「インディアンがあんなに近くに居るのに川に流したら殺されるに決まってるだろ」と言う人も居ますが、個人的には死と再生を繰り返したグラスさんの聖人パワーでリーさんを引き寄せたと思っています。つまり愛の力です。
あの表情には元ネタがあります。タルコフスキーの『僕の村は戦場だった』のイワン君(12歳)の表情です(https://vimeo.com/153979733のラスト)。どういうときの表情かというと、まずイワン君はソ連の少年兵なのですが、ナチスに母と妹を殺されています。そんで夜中に1人でナチス軍に対する戦いをシミュレーションしている最中にあの表情をします。つまり、純粋さと愛にあふれた少年の心が、ナチスに対する復讐心で壊れかかっているときの表情です。これをグラスに類推するなら、あの表情は、復讐を終えたことで(生きる意味を再び失ったことで)グラスの精神が壊れかかっている(もしくは壊れてしまった)ことを意味しているのではないでしょうか。
あの吐息音をめぐって、海外掲示板では「グラスは死んだのか否か」について熱い議論が交わされています。これは監督の前作『バードマン』でもあった論争で、そこでの論争が、主人公は生きているという決着で終わったため、今回もグラスは生きているだろうという説が有力です。ただ、私の考えとしては、グラスは精神力(愛の力)だけで動くゾンビ状態なので、その精神が崩壊した以上、グラスは真の意味で死亡したと思っています。ジョジョを読んでる人はシルバー・チャリオッツ・レクイエム出現後のブチャラティを(略
愛する息子を殺され、肉体的に死亡した主人公が、愛の力で死と再生を繰り返し、敵に神罰を与えて、やっと死ぬ話です。つまりテーマは親の子に対する深い愛です。
ちょっと違いますが、そういう側面があった可能性が高いです。というのは、イニャリトゥ監督が今回の撮影で目標とした映画というのが、①黒澤明『デルス・ウザーラ』、②コッポラ『地獄の黙示録』、③タルコフスキー『アンドレイ・ルブリョフ』、④ヘルツォーク『フィッツカラルド』、⑤ヘルツォーク『アギーレ/神の怒り』だからです。映画ファンであればすぐ分かるのですが、これらは映画史上最も撮影が困難だった映画群です。例えば④の『フィッツカラルド』なんかは巨大な蒸気船を滑車を使って実際に山越えさせています。つまり、監督が映画史に残る過酷な映画撮影がやりたかったところに、アカデミー賞がどうしても欲しかったディカプリオと利害が一致した、というのが真相なのではないかと思っています。
掘り起こそうと思えばたくさんあります。例えば『レヴェナント』では上記の表情以外にもタルコフスキー作品からの引用が多い(「宙に浮く女性」、「貧しい人にご飯を分け与える姿」、「鳥」、「隕石」)のですが、それがただタルコフスキーの真似をしたかっただけなのか、意味があるのかがよく分かりません。それとフィッツジェラルドが神について2回話すシーンがあるのですが、その意味がよく分かりません。
それと、作中何度も繰り返される"As long as you can still grab a breath, you fight."という台詞の意味が実はまだよく分かっていません。特に、エンドロールが始まってからも聞こえる吐息音を考え合わせると、グラスが生きている説も導き出せるため、重要な要素である可能性があります。何か思いついたり新情報が出たらこっそりこの記事を訂正するかもしれません。
「『レヴェナント』テーマ解説(2)(ディカプリオのテーマ編)」(http://anond.hatelabo.jp/20160524110234)に続く
食べたものとカロリーを、間食も含めてひたすらスマホにでも記録していく。それを見返すことで自分が食べ過ぎだと視覚的に気がつくので、食事改善や自制に繋がり、結果的にダイエットに繋がる。意識を変えることが大切。
・食事の見直し
糖質制限でもバターコーヒーでも朝バナナでもスーパーフードでも何でもいいからとりあえず試してみる。試してみて続けられそうなもの、自分に合いそうなものを続ける。万人に向いているダイエットは存在しないから試して自分に合うのを探すくらいの気持ちで。どうしても辛ければ週に1日は食事制限を気にしない日を作る。その方が精神衛生的に良いし、結果的にダイエットが続く。食事の総量を減らすことと、油や糖分、酒など一般的に摂り過ぎは良くないと言われてるものを減らすことを心がける。
・筋トレ
腹筋、背筋、腕立て、スクワット、ストレッチ。Tarzan買うかようつべで筋トレ動画を見て方法を学んだら、何でもいいからとりあえず毎日続ける。軽く筋肉痛になるくらいで良い。ダイエット程度の運動で超回復とかないから毎日やる。
・散歩
ジョギングやランニングはある程度の距離を走らないと意味が無いから面倒だし何よりも今は寒いから続かない。気分転換と思って、少し早歩きでひと駅分歩いたり、週末公園に行くなりする。
そんな時こそ『超回復』のチャンス!
飲んだら休息。
製法によって、WPC, WPI, CFM, WPHの4種類があるぞ。詳細はGoogle先生に聞いてくれ。
吸収が遅い(筋肉へのタンパク質供給スピードが遅い)から、ハルク・ホーガンにはなれないな。
ダイエットしている男女がグビグビ飲んでいるぞ。
『長時間タンパク質を摂取できなくて、その間に筋肉が分解されるのを防いでくれる』プロテインだ。
寝ている間や運動しない日に、筋肉が痩せちゃうのを防いでくれるぞ。
運動直後とその後の数時間、筋肉にタンパク質を供給し続けるのが目的だ。
摂取直後はホエイが筋修復をして、摂取後数時間はカゼインが筋肉の分解を抑えてくれる。
朝・夜に運動して筋肉を増やしたい場合(筋増大のため運動したあと、しばらくタンパク質をしない場合)に適しているぞ。
添加されているビタミン・ミネラルの種類と量、タンパク質含有率、製法、ブランドで価格は違う。
ただ一番重要なのは、プロテインの種類(ホエイ・カゼイン・ソイ)とタンパク質含有率(80%以上が望ましい)だ。
武井壮が世間を賑わし始めた頃の俺はヒョロガリのもやしだった。
このままでは一生日の当たる事のない人生を送る事になると思い、
俺は日増しに進化を遂げる自らの圧倒的な肉体に酔いしれた。
破壊と再生を反芻する超回復のメカニズムはまさにその黄金比に達したかに見えた。
俺が真冬にもタンクトップ一枚で道行く人々の羨望を独占するようになったころ…
カオスの刻は突然やってきた。
瞬く間に旋毛、分け目へと飛び火し前線は為すすべもなく撤退した。
食事、運動、十分な休養…
当時ウィダートレーニングバイブルに心酔していた俺は大学の生理学でも優の評価を受けた。
ザバスから来た特別講師のお姉さんも俺の比類なき肉体と知識に唖然としたものだった。
歯車は確実に狂い始めていた。
それまでタンクトップの俺に注がれた人々の優しい微笑みはいつしか侮蔑のそれへと変わっていた。
一人、また一人、友人が離れていった。
ようやく雑用係として小さなサークルに籍をおくことが決まった。
真冬でもタンクトップで平気な俺に真夏の太陽は容赦なく照りつけた。
少し広くなったオデコは静かにその光を讃えていた。