はてなキーワード: 左脳とは
まあ、ニコニコ動画が出てきたときも、「コメントがウザすぎて映像が見えない!」とかよく言われてたけど、でもなんだかんだそのスタイルは受け入れられ、今や数多のクローンサービスが立ち上がるくらい当たり前のものとして定着していったのに対し、ニコニコ静画 (電子書籍)のコメントシステムは根本的に抱えてる問題が多すぎる気がする。
ニコニコ動画の「映像に文字を重ねる」というコメントシステムがなんで受け入れられたのかなーって考えると、それは字幕映画なんかもそうなんだけど、「映像は右脳で処理し、文字は左脳で処理する」という、人間の脳にとって負担が少なく無理のない処理の仕方だったからなのかなと思った。文字に注目しているとき映像はただの背景になってるんだけど、画と音は文字の背景でいながら同時にある程度の精度を保ったまま(当然映像だけに注目してるときに比べ何割かの情報は欠落するけど)脳にインプットすることができるし、その「なんとなく」入ってくるレベルの情報でなんら問題がなかった。
ところがニコニコ静画 (電子書籍)のように「文字に文字を重ねる」という見せ方は、左脳ばかりをフル回転させることになるので、とても疲れるし脳が混乱してしまう。どちらかに注目すればどちらかは背景になってしまうんだけど(実際、書籍を読んでいるときコメントは表示されないようになっているし、コメントを表示するとき書籍はトーンダウンして背景になってしまう)、映像と違って背景になった文字は完全に背景でしかなく、理解できるレベルの精度を保ったまま両方の文字を同時に処理し意味を理解することはできない。
結局、ニコニコ静画(電子書籍)の使い方 - ニコニコ静画 (電子書籍)にあるように、「まずはコメントなしで読んで、二周目をコメントありで読めば、二度楽しめるな…!」的な使い方になってしまう。でもそれってすごくメンドクサイ。やっぱニコニコ動画と同じように一連の流れの中で両方同時に楽しみたい。もちろん文章を途中まで読んで、いったんコメントを表示して読んで、また文章に戻って続きを読んで…というような読み方でもいいんだけど、それはそれで本を読む流れというかリズムがいちいち中断されてしまうので、すごくストレスがたまる。
じゃあどう改善したらいいのかって考えても、これはなかなか難しい。
ただ少なくとも感じたのが、書籍や漫画の場合、大抵文字は縦書きになっていて、人間の視点移動が上限運動になっているのだから、コメントもそれに合わせて縦書きにしたほうが読みやすいんじゃない?ってこと。実際、書籍や漫画の欄外注釈だって、普通は内容と同じ縦書きになっている。内容を読んでいて、ちょっと視線を欄外に持っていて注釈を読んで、また内容に戻っても、さほど疲れたりしないのはそのためだと思う。これがニコニコ静画(電子書籍)の場合、文章を読んでいるとき視点は上下運動になっているのに、コメントを表示すると急に文字が横書きで流れてくるもんだから、視線の動きがあまりにも不規則になりすぎて、脳にすごく負担が掛かるし、とてもじゃないけどまともに読み続けられるものじゃない。
ということで、コメントは書籍内容に合わせて自動的に横書き表示になったり縦書き表示になったりするか、もしくはユーザーが自分でコメントの表示方法を変えられるようにするオプションとか付けたらいいんじゃないかなーと思う。あと無理にレイヤー表示せずとも、書籍の左右や上下に(欄外注釈のような)コメント表示エリアを作って、そこにコメントを流すようにしたほうが、変な二度手間をかけず両方同時に楽しむことができるんじゃないかな、とも思ったりする。
自分でもフワフワとしててイヤな感じで、好きだとか愛してるとか君を一番大切に思ってるんだ本当だとか、そんな告白?のようなことをしたら、もし仮に今すぐにメールで伝えたりしたら、そりゃあ声を直接の電話でもいいけど、だけど番号知らないし、だから結局するとすれば電子メール(E-mail)になるんだろうけど、そんな大それた事をしてしまったら、そんな大事な重要な大切なことをメールというのも確かにおかしいし妙に変なんだけど、それでも、お酒の力を借りればできるのかも知れないけど、アルコールのあのパワーや勢いで、もし打ち明けてしまったら、社会の白い目とか周囲の軽蔑が一斉にまとまって襲いかかってくるだろうなというのは分かりきった感じで、やっちゃいけない立場だぜ、それは知っているんだぜという幻聴が右耳?左脳?だけからは聞こえてきて、でも、でもってことはないか、そして、かな?それに、そもそも第一相手も戸惑うだろうし、たまたま偶然何かの弾みで信頼を寄せてもらっているだけで、それを好意愛情尊敬と曲解し、つけあがっているだけ、のぼせあがっているだけっていうのは自分でも重々承知なんだけど、その辺は意外と冷静なんですが、偉いぞ自分、言って叫んでわめいていっそのことどこか高い所、ビル?みたいなところから飛んで降りて落下して、そのあと予め書いておいた手紙を読んでもらうというような算段にしてもいいんだけど、それだとこっちが死んじゃうし、痛いかも知れないし、それはちょっとやっぱり駄目だし、知らない他人にも迷惑だし、迷惑は格好悪いよね、でも、絶命してしまえばさすがに泣いてくれるくらいのことはしてくれるだろうからそれに期待して綺麗な思い出にしてもらうほうが幸せなのかとか、こんな整理のつかない気持ちを直接ぶつけられても迷惑だろうし、こんなのは気持ちというよりむしろ悪意だし、自分がそんなことをされたら微妙な応対しかできないだろうし、そう、自分がされてイヤなことは相手にしてはいけないのだし、でも人の嫌がることを進んでやりましょうというスローガンを掲げる大人もいたわけで、そんなことを義務教育のどっちかの学校で聞いた気もするし、ここまで書いて、立ち止まってみて、前を読み返して、後ろを読み返すっていうわけにはいかないのでもちろんそれはそれでいいんだけれど、感想としては、これこそ個人の日記っぽいなあと思って、数年後、親類縁者に発見されて顔を赤面、恥ずかしい思いをするような表現内容誤字脱字になっていることに、満足。ではでは、みなさん、おやすみなさい。よい夢を。
絵を描きたいと思ったとき、動機は何でもいい。
すばらしい絵を見て感動したとか、いつも抜いてるロリコン漫画みたいなのを描きたいとか、どんな高尚なものでも低俗なものでも良い。
とにかく理由があるなら、絵を描くのをためらわないことが大事だと思う。
はじめるのに必要なのは鉛筆と紙だけ。こんなに安上がりな趣味もない。
絵を描くことをためらってしまう人は結構多い。特に20代も過ぎて、オタク趣味が高じて絵描きに興味を持ったみたいな人に多いと思う。
今までずっと消費する側で、自分は作る側になれるんだろうか。小さい頃から描いてるわけじゃないから、もう遅いのではないか。
はっきり言うと、気持ち次第なので手遅れだとも言えるしそうでないともいえる。
なぜ子供の頃から描くと絵が上手になれるのかと言えば、子供には絵に対する偏見や抵抗が何もないからだ。
大人のように「いい年こいて幼児レベルの絵しか描けない自分が恥ずかしい」なんて思わない。
この気持ちさえ持てればいつから始めても絵はうまくなる。
焦ってしまう人は多い。
特に、絵を描く段階で何が描きたいのか決まっている人などがそうだ。
「可愛いロリ絵を描きたい」などと明確にビジョンがある場合、能力が追いついてないのに焦ってしまう。
そうすると、だんだん精神が圧迫されていき、「絵は描きたくないけどロリ絵は描きたい」という非常に複雑で矛盾した状態に陥る。
こうなってしまうと、絵を描くことが苦痛になり、理想とは程遠い現実に絶望することで「才能がない」という無意味な思い込みを抱き、
やがて心に深い傷を残したまま絵を描くという行為をやめることになる。
この状態から抜け出すのに重要なのは、「子供のように」絵を描くことを楽しむということだ。
絵を描くことは実に楽しい。自分が見たものを、そっくりそのまま平面に再現出来る。まる、しかく、さんかく、そういった図形を丁寧に描いて見たり、
簡単な立体を観察してみたり、あるいは音楽を聴いたりリラックスするのも良いだろう。
絵を描く時、とても大切になるのは「落ち着いた心」と「絵を描くのが楽しいと感じる心」だ。
ここで紹介するのは、絵を描いているのに絵を描く以外のことばかりしてしまっている人々だ。
彼らは絵が上達する見込みが低いか、全く上達しない。なぜなのか。
お絵かき講座をしている中で、特に絵がたいしてうまくないのに講座をやっている人はこのタイプだ。
なぜ彼らは絵が下手なのにお絵かき講座などということをしているのだろうか?疑問に思う人も多いことだろう。
おそらくだが、彼らは手をつかって絵を描くよりも「ノウハウ」をひたすら探し続けた人々なんだと思う。
つまり、誰かに絵を描く技術を教えられるくらい知識だけは身についたが、絵の練習はしなかった。
こういったタイプは、確実に「自分には才能がない」と思い込んでいる。思い込んでいるので手っ取り早く絵が上達するテクニックを探すが、探しているうちに絵を描く気力がなくなってしまったのだ。
稀なタイプだが、絵がうまくないにも関わらず自分のサイトをグーグルなどを利用して宣伝している人がいる。
宣伝にかかる費用は自らが出さなければならないのに、なぜそこまでして自分の絵を宣伝したいのか。
このタイプの人々はつまるところ絵を描きたいのではなく「絵がうまくてちやほやされている人」が羨ましくて彼らのようになりたいのである。
これは何も絵に限ったことではない。彼らはたまたま絵を選択しただけで、一般化すれば「才能に恵まれて人々に注目される」ことをあまりにも強く望みすぎている。
注目される人というのは別に注目されたくてそれらを続けているわけではない。(ただし、お金が絡んでいる人の中には、注目されるために何かをしている人もいる)
そのことに気づくまで、彼らは宣伝費をどぶに捨てながらサイトカウンタを気にする無駄な日々を送ることになる。
絵が上手くなりたいとき、小手先のテクニックは全くと言っていいほど必要ない。
必要ないというのは多少語弊があるが、つまりはこういうことだ。「テクニックは上達していく過程で発見するもの」
巷に溢れるテクニックというのは、無意識的な上達過程のある一部分だけを切り取って言語化したものであるに過ぎない。
だから、一定程度の真実は含まれているが、それを座学で真面目に勉強したところで、身につくのは左脳的な知識だけだ。無意識で処理できるものを意識的にやると上手くいかないことが多いのは、たとえば無意識で処理されている自転車のこぎ方などを意識的にやってみるとわかると思う。
答えは一つである。
「自然を観察しろ」
人間が絵を描くというのは、「自然を模倣する」一つの形でしかない。
だから、身の回りのものや人、あるいはテレビに映る映像や写真をよく観察し見よう見まねでそれを模写したりなどするだけで、絵は上達する。
自然や写真ではなく、他人の絵を真似たりするのももちろん有効だ。その場合、ある程度まで上達したら彼らの絵から離れる決意が必要になる。
慣れてくれば、様々なイメージがストックされ、自然を観察しなくてもイメージだけで描けるようになる。そこまでいけば、上達したと言うことは出来るだろう。
絵を描くというのはそれほど複雑な行為ではない。ものを見て、それを写し取る。それが目の前にあるものか、心の中で見えるものかの違いはあっても、基本的にはそれだけなのだ。
自然を観察といっても、何を観察するかは人によって異なる。
人それぞれだから別に書かなくてもいいことなのだが、一応アドバイス的なもの。
もし絵を描くのがほとんど初めてな人だったら、まずは単純な自然物から描くのがいい。
単純というのは、「動かない」ということも含まれる。
つまり、描く順番としては植物→動物→人間がいいのではないかと思う。
人体がこの世で最も複雑な自然物であることは疑いなく(だからと言って種として優れているというわけではないけど)、ポーズなども含めればさらに複雑になる。
オートメーションが進めば、なくなるのは「肉体」労働なのか。
機械だけになって機械を作る機械が出来ても、その機械を設計する人間は必要になる。だから、肉体で労働するわけじゃないが頭を使って労働する人間は必ずいる。
そして、次にメンテナンスが必要ということだけど、そのメンテナンスをそもそも人間自身も行ってるわけで、
なぜ他の人間がいなくてもメンテナンス出来るかといえばそれは自立行動し自分で栄養補給し排泄することが出来るからだ。
とすれば、全てを機械にやってもらうためには自動メンテナンスすることが必要だ。
さらに、知能労働が人間だけのものということでもなくなってくる。
自動メンテナンス出来る機械が誕生すれば、そもそも自分の意志で何かを考えることが出来る機械が登場してもおかしくはない。
その機械を何らかの方法を使って制御し、ある一定の労働のみを行わせることが出来れば・・
確かに教師ロボットなどの知能労働をするロボットは過去のSF作品でよく出てくるしありきたりな話ではある。
しかし、人間そのものが大幅に変わってしまうという作品はなかったかもしれない。
そこで人間がどうなっていくかを考えれば、やはりこれは機械に近づいていく。つまり、機械のような都合の良い肉体を求めていくということになる。
たとえば、視力が落ちない義眼、怪我に強く疲労しない腕や足、睡眠の必要がない身体。
そもそも人間が人間にとって都合の良い世界を作るために必要としたのが機械だ。機械を必要としているのは、人間というよりは人間の脳だ。
だとすれば脳以外の肉体をそっくり人工の、脳にとって都合のいい身体に変えてしまっても問題はない。というより、それが脳の願いなんだろう。
機械が徐々に人間らしくなっていき、人間が徐々に機械になっていく。どこまで行くかは分からない。しかし、今の自分の想像力では、機械が完全に人間になるということは多分ないと思うし、人間が完全に機械になるということはない。
機械が人間になるということは、本来の機械の役目(都合の良い労働力)が失われてしまうし、人間が機械になったら、つまり人間の脳まで機械になってしまったら、それはもう人間とは言えないし、都合の良い身体を欲しがる人間はいても、人間を捨てて機械になりたいと思う人間がいるとは思えない。
でも、人間と機械の微妙な均衡点というのが一体いつまで維持されるのか分からないし、それを維持するという明確な理由が見つからない。つまり、「人間が機械になってはいけない理由」や「機械が人間になってはいけない理由」。
人間が機械になるなら、都合の良い労働力として工場に派遣されても問題はないし、元機械だとしても性質は完全に人間のそれと同じなら彼らを機械とカテゴライズする理由もなくなってしまう。
個人的にこの未来は恐ろしいと感じる。この恐れは、多分自分が許容できる未来の限界点を示してるんだろう。
人間が機械になり、機械が人間になる、こんな未来がいったいいつになるのか想像も出来ないが、もしかしたら1000年以内にやってくるかもしれない。500年以内と言っても早くはないかも。
結局、脳は機械になることを望んでいるんだろうか。
脳の持つ性質は、人間味という言葉からはいずれも遠いし、脳が願ったものを見てみても、そこに人間らしさというものはない気がする。
デザインという右脳の意向が強く反映される部分だけ見れば確かにそこには人間らしさがあるが、ほとんどの部分は左脳の意向に沿ったもので、そこにあるのは無駄がないすっきりとしたデザインだ。
このまま行けば、もしかしたら右脳が完全に左脳にとってかわられ、人間らしさというものは完全に失われるのかもしれない。
たとえば、機能ごとに何を選ぶかという自由はあっても、同一の機能で違うデザインのものということはない。
ファッションを見ると、概ね左脳に支配されていない、つまり時間軸的には過去、文明でいえば未発展のほうがより派手で無駄が多いデザインになってる。
これは、右脳がそういうものを求めていて、まだ言語世界が発達していなかった世界ではそういう華美なものが求められていたのかなと思う。
逆に現代に近づくにつれ、だんだんと右脳よりも左脳がデザインに口を出すようになり、より合理的で、無駄がなく、画一的なデザインが選ばれるようになっていった。
グローバル化もそれに似ている。素晴らしいものが一つあれば皆がそれを真似し画一的になる。萌え絵、ハリウッドの方法論、ファストフード店、郊外型店舗などなど。
このまま左脳が優位になればどうなるか。人々は次第に画一的なものを問題だと思わなくなっていく。
たとえば草食系。必要のないものにはお金をかけない、すなわち安い画一化されたものを購入する世代の出現。
ユニクロがバカ売れする時代。もはや重要なのは「機能的かどうか」であって、個性的かどうかではない。
言語も統一される可能性がある。英語かどうかは分からないが、この勢いでいけばやはり英語が地球標準言語となる可能性は高い。
しかし言語というのはその土地に根差したきわめてローカルな存在だから、もし英語で世界の言語を統一するとなれば、よりグローバルな言語となるため進化が必要になるだろう。
ここで考えられるのが、どうやってグローバルな言語となるために進化するのかということ。
確かに元々ローカルな言語というものは、どうやったってその民族、環境などに影響されやすい。
まず環境を考えるとすれば、実は地球上では既に環境のグローバル化が起きている。それが、自然環境に左右されない都市化という現象だ。
都市は概ね自然から断絶されており、都市間には自然環境ほどの劇的な違いは見られない。どの都市もコンクリートで舗装された地面があり、車が走り、高層ビルが立ち並び、駅やコンビニが点在している。
ということは、実は都市だけを見ればほとんどの都市は似たり寄ったりで、そうなるのは必然なのだ。
次に、民族。これも、実は統一されつつある。都市間の流動が激しくなっている。
日本はそうでもないかもしれないが、アメリカには中国系日本系韓国系インド系ドイツ系・・いくらでもいる。
たくさんの民族が一つの都市で暮らすことが出来るのは、都市が画一化されていてどこにいても大して変わらないからだろう。
かつての江戸とロンドンはあまりに違う。人々が着ている服も習慣も全く異なっていた。しかし、今は不完全ではあるがすべてが画一化されようとしている。
また、混血も重要だ。日本人とアメリカ人を先祖に持つ人間というのは珍しくない。移民がネガティブな問題として取り上げられることが多いためまだ混血というのは多くないかもしれないが、確実に今後は増えていく。地球という広い土地の上で、かつて絶対に交わることのなかった複数の民族の血が混ざるという時代に既になっているのだから。
地球人という考え方が当たり前になれば、次第に言語も統一される。次はやはり宇宙の時代になるんだろうか。
その通りだと思う。文系の人(?)は言葉よりも大まかな雰囲気で理解してるようなところがあるから。それでもやっぱり、基本的には何言ってるかよくわからないと言われる。俺が言いたいことほど向こうには絶対伝わらなくなるwだからどうでもいい話しか出来ないけど、どうでもいい話をするのが大嫌いだから結局誰とも話さないのが普通になる。引きこもりだけどねそもそも。
話が通じなくなり始めたのって中学生くらいからなんだよね。俺は結構最近まで人とよく話すタイプだったよ。積極的ではないけど、少なくとも話しかけられても何も言えないようなタイプじゃなかった。
だから、訓練の問題じゃないんだと思う。この疑問はずっと前からだし、人と話す訓練が足りないレベルの表層的な話だとは思えない。
となると、やっぱり右脳左脳論みたいなややオカルトめいた話で、「根本的に」こういう性質なんだって言われたほうが実にしっくりくる。
ちなみにあれは指を汲んだ時の交差と腕を組んだ時の交差で見極める奴だから、占いみたいな感覚的なものよりはっきりと 「これ」って決まるものなんだよね。
いっつもそう言われてきたからもう慣れてますw。ていうかずっと前に全く同じこと言われたんだがもしかして同じ人かもしれないな。
理系の人(?)って多分俺みたいな「非論理的な意味不明文章」書く人が目障りなんだろうね。だからいつもそういう人に絡まれるw文系の人は割と意味通じてるみたい。よくわかんないけど言いたいことは分かったとか言われるから。(これも非論理的な文章かもしれない)
俺ずっとどうして回りの人間はこんなに馬鹿なんだろうって思ってきたんだよ。
なんでこんなに簡単に分かりやすく懇切丁寧に説明してるのに、「意味不明」って言うんだろうって。
あなたが言ってるように、ひょっとして自分がありえないくらい馬鹿で回りが普通なのかもしれないと思ったこともあったよ。
でも、観察した限りそんなに差があるようには見えない。昔は別として、今の俺は普通の人より結構物事を理解していると思うし、いわゆる「小説しか読まない人」よりずっと本なら読んでるし。
それなのに何故か全然伝わらない。
多分論理的に説明出来れば納得させられるんだろうけど、無理だからさっきのようなオカルトめいた右脳左脳論みたいなものを引っ張ってきてるわけです。今のところあれが一番しっくりくる。というかアレ以外見つからないwこれだ!って思ったからなぁ。
よく言われる。特にネット上で。リアルでは他人と話すことないからね。だって相手が全く俺の言ってること理解できないもんw多分あなたも「何言ってんだこいつ」って思ってたんだろうね。
理系の人は嫌いな右脳左脳の話で申し訳ないが俺はどうやら「論理でとらえて感覚で話すタイプ」らしいですよ。
こんな説明があった
↓
論理的にとらえて感覚で伝えるので、本人は的確に理解できていることでも人には理解してもらいにくいかも。。。
でもいったん理解したことが右脳によって表現する際に天才的な発明にいたることもあったりして!?
頭の中では分かっているのになかなか人に伝わらないというあなた、ひょっとしてこのタイプではないでしょうか。。。
↑
まさにそうでしょ?俺は非常に論理的に書いてるつもりなんだけど、あなた(や他の人)には全然そう見えないらしいんだよね。
俺の書いた文みてもとても論理的な文章だなと思うんだけどw
ありがとう。どうも知識が古かったようだ。
さすがに僕もくっきり右脳と左脳が別れているとは思っておらず(ので、左脳優位といっている)、渾然一体とした活動のなかに傾向として見てとれるものがあるのだろうと思ってたぐらいなんだけどね。そして、その解釈は言語野が左脳にあるひとに限っていえば間違いではないはず(↓のページでも肯定されている)。言語野が右脳にあるひとが思ったよりおおかったってこと?
とは言え、「言語野に頼りすぎなんじゃないの?」って表現は市民権を得るにはまだちょっと早いかな? 何て言うのがいいのかね。
軽く以下のページを見たけど、慣用表現でいうところの「右脳的なもの」は、言語野でない何か、と解釈するのがよいのかな? 何か知ってたら教えてね。
http://www.brain-studymeeting.com/dif/lr/
もうひとりなんか湧いてるけど、まぁいいや(笑)
http://anond.hatelabo.jp/20100322151008
好き嫌いに(後付けの)論理的な理由並べなくてもいい、ってことにそのうち気がつくことを祈ります。
ついでに、何を楽しいと思うかなんて人それぞれなんだから、他人にその理屈を押し付けないようにね。お節介ながら。
(1) 映画などの受動的な娯楽はよほど波長があってないとイライラするので、レンタルで20本とか見る気にはなれません。
(2) 時間あるときにしかゲームやらないので、忙しい時はやらないですよ。
(3) リアルで話題を共有するために何かをやる、そんなのは小学校までですよね。てか、ネットって便利なものがあってね‥‥‥。
(4) ハウトゥー本(笑)なんて結局何冊読んでも何の役にも立たないよ。読むならもっと骨のある本読まないと。
てか余暇時間までそんな自己研鑽(笑)してるから、左脳優位になって自分の好き嫌いにまで理由付けしないと安心できなくなっちゃうんじゃない? もうちょっと右脳使ったほうがいいと思うよ、ゲームとは言わないから(笑)
ナターシャが白を捨てるとき
SATCでキャリーのボーイフレンドだったミスタービッグと結婚したお嬢様キャラのナターシャ。
個性的で鮮やかな色をどんどん着こなすキャリーとは対照的に、髪の毛サラサラで品のいいクラッシックな装いの彼女は、いつも白いプレーンなドレスを着ている。
ミスタービッグが彼女を選んだ理由が、「頑固な自分には素直な女がいい」だと!
だいたいいい年した男(過去に1回離婚している)が年下でお嬢さんなら、結婚しても素直でいてくれると思うなんて笑える~
女ならはっきり断言できます!!
素直な女なんていない!
素直なふりをすることなら、ほとんどの女が若い時に好きな男の前で自然にできるだろう。
でも表面素直そうに見える女ほど中身は恐ろしく頑固だったり、ずる賢かったりするのだ。
実際ナターシャはずる賢くはなかった(どちらかというと頭が悪い)けれど、頑固だったことが、結婚後すぐ判明するのです。
Vol. 4 "右脳の恋、左脳の恋"で、偶然キャリーのボーイフレンド、エイダンが出店する家具の会場で、ビッグとナターシャ、キャリーとエイダンが再開するシーン。
ほんと甘えていて憎たらしい男、ビッグがキャリーに囁く。「家の中は、ベージュだらけ。ウンザリだ。結婚生活は破たんだ。」と。
白には清らか、純粋などの意味合いもありますが、人間の倫理感という意味もあるみたい。
ナターシャの纏う白には、なんとなくそんな感じがするし、茶と白の混色ベージュには"頑固"の意味がありそう。
その後、ミスタービッグとキャリーの浮気がばれて、ナターシャとビッグが離婚したあと、偶然キャリーがレストランで鉢合わせをしたとき、ナターシャはもう白は着ていない。薄いラベンダーのワンピースでなんとか自己回復しようとしている彼女のつらさが伝わってくる。
その後キャリーがナターシャと話し合いをしようと乗り込んでいったレストランで、彼女が新しい男と待ち合わせをしているときに着ていたワンピースは薄いピンク。
パールのネックレスをしていたところがまだビッグを引きずっている感じがしたが、(ビッグといるときいつもパールをしていた)でももう白はいらない!という雰囲気だった。
ナターシャと離婚後、ミスタービッグは自分のベッドルームをなんと深紅に塗り替えている。
寝室を赤にするなんて、安眠できないと感じる人も多いと思うが(赤い部屋は人間の脈拍数をあげると言われている)、ヨーロッパの若い子の部屋で壁が真赤なんていうのを見たことがある。
結局彼は無難で素直(だと思った)なベージュは物足りなくて、情熱と自己主張の赤を選んだということか?
そういう着眼点か。なるほど。
本当に私には思慮深さが足りん。
徹底した思想をお持ちなのであれば、なぜにそこで「知能指数100」だなんて、ぬるい基準を出すのか、ということを問いたい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A5%E8%83%BD%E6%8C%87%E6%95%B0
の解説を見てもわかるとおり、
齢が違う人同士の知能を直接IQで比較することはできない(たとえば、IQ200の5歳児とIQ100の10歳児の知能は同じである)
…
IQは万能ではなく、主に左脳の機械的な演算能力のみを測っているに過ぎず、この検査の対象が知能のすべてを含むわけではない。記憶力などはIQとは関係がない。
…
精神年齢は12、13歳を過ぎるとそのままの定義では不自然なIQが算出される
…
「従来のIQ」の数値は、あくまで知能の発達の早さを意味するものであり、異年齢の他人との数値の単純な比較によって直ちに天才的であるとか成人より高知能であるとかを断定することはできない。例えば、5歳の児童が、10歳の平均的な児童と同じ知能を示せば、IQは200になる。そして、IQ100の11歳児とIQ200の5歳児を比べれば、平均的な児童であるIQ100の11歳児の方が、IQが突出して高いIQ200の5歳児よりも知能は高いことになる。この例からも分かるように、IQの数値は、知能の高さの絶対値ではないのである。
また、5歳でIQ100の人が7歳になったらIQ90であった場合、一見すると数値が低くなったので知能が退化したかに見えてしまう。しかしながら、5歳時のMAは5歳0ヶ月であり、7歳時のMAは約6歳3ヶ月である。このため実際には知能水準は伸びている。
…
外国人などの非ネイティブ者、言語障害者、非識字者などの場合は、言語面に重点を置いた検査で著しく低い数値がでる場合が多い。
…
IQはその測定のために便利な表記法として編み出されたものでしかない。このためIQは知能全般にわたる能力を示す数値と考えるべきではなく、知能検査の内容に含まれる言語的能力や論理的能力をはかることができる目安程度のものと考えるべきである
とか。
コレ読むだけでも「知能指数100以下」という基準があんま使えないとおもうのだが。
先日、『脳が冴える15の習慣―記憶・集中・思考力を高める』という本を読んだ。
「最近どうも頭が良く回っていないぞ」、というような感じがしている人は、脳トレや指回し体操なんかもいいけど、日々の生活の中に脳を活性化する方法を取り入れて習慣化すると良いようだ。
勉強においても、仕事においても、向上心の高い人にとって「脳がちゃんと回ってる状態を保つ」というのはとても大切なことだと思う。だからこれは生活習慣を見直してでも取り組むべき課題だと思う。
内容を簡単に書き出すと、次のような感じだ。
● 生活の原点をつくる―脳を活性化させる朝の過ごし方。足・手・口をよく動かそう。:散歩など軽い運動/部屋の片付け/料理/ガーデニング/挨拶+一言/音読10分程度。
● 集中力を高める―生活のどこかに「試験を受けている状態」を持とう。:仕事の区切り毎に時間制限を設ける。
● 睡眠の意義―夜は情報を蓄える時間。睡眠中の「整理力」を利用しよう。:夜の勉強は中途半端で止め、起きてから整理すると効果的。
● 脳の持続力を高める―家事こそ「脳トレ」。雑用を積極的にこなそう。:雑用は前頭葉の持久力を高めてくれる。
● 問題解決能力を高める―自分を動かす「ルール」と「行動予定表」をつくろう。書類整理のルール、予定表などで脳が一度に扱う量を整理する。
● 思考の整理―忙しいときほど「机の片付け」を優先させよう。:物の整理は思考の整理に通じている。
● 注意力を高める―意識して目をよく動かそう。耳から情報を取ろう。:目で立体的な情報を捉えたり、耳だけで情報を吸収すると脳が活性化される。
● 記憶力を高める―「報告書」「まとめ」「ブログ」を積極的に書こう。:入力→情報処理→出力。
● 話す力を高める―メモや写真などを手がかりにして、長い話を組み立てよう。:質問によって話しは長くさせることが出来る。
● 表現を豊かにする―「たとえ話」を混ぜながら、相手の身になって話そう。:ありそうな質問を考えれば、話しを膨らませることが出来る。
● 脳を健康に保つ食事―脳のためにも、適度な運動と「腹八分目」を心がけよう。:食事制限以前にまずは動くこと。そして消費する以上に摂取しないこと。
● 脳の健康診断―定期的に画像検査を受け、脳の状態をチェックしよう。:MRやPET検査を受ける。
● 脳の自己管理―「失敗ノート」を書こう。自分の批判者を大切にしよう。:小さな失敗、人から受けた注意を書き留める。
● 創造力を高める―ひらめきは「余計なこと」の中にある。活動をマルチにしよう。:アイディアを生み出すポイントは、誰のためになるのかを考えること、アイディアを組み合わせること、思い付きを書き出しながら考えること。
● 意欲を高める―人を好意的に評価しよう。時にはダメな自分を見せよう。:褒め上手な人は観察力が優れている。
番外編:高次脳機能ドックの検査―最低限の脳機能を衰えさせていないか確認しよう。
これだけでも、かなりのヒントを得られると思う。
さて、そんなおり、
海外のサイトを眺めていたら、「脳を活性化する47の方法 (47 Ways to Fine Tune Your Brain)」というのを見つけてしまった。
上記の「脳が冴える15の習慣」とかぶる部分も多々あるのだけど、それはどちらも脳の働きをしっかりと捉えている証拠ともいえるだろうし、同じ内容でも別の角度から見てみるとあらたな気付きがあるかもしれない。
いっぺんにやろうとせずに、
ひとつずつ、生活に取り入れられるところからやってみると良さそうっすね。
脳を活性化する47の方法
●一度にいろんな事をやろうとしない。無理だから。
脳は一度にひとつの事にしかフォーカス出来ない。これは科学的にも実証された事実。単調な仕事は別として、集中力や、論理的思考、意思決定を要求するようなことに関しては、ひとつに集中するべきだ。
●身体だけじゃなく、脳エクササイズが必要。
多くの人は、学生じゃなくなった瞬間に学ぶことをやめてしまう。外国語でも、新しいスキルでも、楽器でも、何でもいいから新しいものを学ぶことで脳は最適な状態を保てる。
●世界は謎だらけだ。
周りを良く見渡して、疑問を見つける。見たり、聞いたりするもの全てをそのまま受け入れないで、一度疑ってみるだけでも脳のエクササイズになる。それには、可能な限り自由な好奇心を持つことだ。
日常の論理的、数学的な問題に対応することで左脳が働く。想像力を自由にすることで、右脳が働く。日々の自分の生活を振り返ってみれば、脳のどっち側を多く使っているかわかるはずだ。そして、使ってない方の脳も使うよう工夫してみる。
睡眠は身体の疲れを回復するだけでなく、脳の疲れも回復する。自分は何時間寝たときが一番すっきりとした朝をむかえられるのか一度はっきりと調べてみると良い。
また、睡眠に悩みがある人は仕事や勉強の効率に必ず影響する。これを期に『「朝がつらい」がなくなる本―ぐっすり眠る、すっきり起きる習慣術。』などで自分の睡眠を改善してみるべきだ。
脳はノイズの少ない寝ている間に、昼間インプットした情報を振り返り、消化する。どうせ入れるならまともな情報を脳に与えよう。
●学習量を増やすなら、歩きながらやる。
動くことで血液の循環がよくなり、脳に酸素が行き渡る。歩きながら学習することで記憶力も増す。
もう一度言うけど。
エクササイズはたぶん脳の許容量を増加させる最も効果的な方法だと思う。避けて通ることは出来ない。
●人付き合いをする。
人付き合いに積極的な人は年をとっても脳がシャープだ。
UCLAの研究チームによると、インターネットで何かを検索しているとき、意思決定や複雑な理論を司る脳の中心部分が刺激を受けていることがわかった。
●ダークチョコを食べる。
ダークチョコを食べるとドーパミンが放出されることがわかっている。ドーパミンは学習や記憶を助ける物質だ。
●歌を覚える。
好きな歌の歌詞を覚えるという作業は、聴覚や記憶力を保つのにとても効果的だ。
●脳を刺激するような映画を視る。
ミステリー系映画のような、頭を自然と使う映画は脳を活性するのに役立つ。
●テレビゲームをする。
テレビゲームは認識力を高め、アルツハイマー防止に役立つことがわかっている。
●利き手じゃないほうの手でいろいろやってみる。
利き手ではない手を使うと脳のさまざまな部分を刺激できるし、とにかく楽しい。
瞑想をしてストレスを緩和することの効果は多くの研究で認められている。ストレスを感じる度に脳細胞は失われてしまうからだ。
●笑う機会を増やす。
声を上げて笑うと免疫機能を刺激してエンドルフィンという物質を刺激する。これは身体にとって良い物質だ。
●ポジティブな思考。
ポジティブな思考は脳を活発に保つ。反対にネガティブな思考は精神だけでなく免疫機能も低下させる。
●感謝することを忘れない。
感謝することで幸福感は劇的に高まりストレスレベルを下げるのに役立つので、脳にも身体にも良い。
●セックス。
セックスは心肺機能を正常に保つのに役立つ。つまり、脳に酸素がまわって脳を健康に保つのに役立つということ。
●良い本を読む。
どんな種類の本であれ、読書は脳を健康に保ち、活性するのに役立つ。老化の防止にもなる。
●アルコールの量を減らす。
適量のアルコールは実は脳に良い。ただし、度を越えると脳細胞の減少につながる。
●仕事をする。
多くの人は年を取ると仕事をやめリタイアする。しかし、パートタイムでもいいので仕事をしていると脳に良い刺激を与えられる。ボランティアワークでも同じ効果が期待でいる。
●最新の出来事、ニュースに注目する。
脳を健康に保つには、新しい情報を与えるのが良い。ストレスを感じない程度に、ニュース番組などで最新の動向を追うこと。
●音楽を聴く。
通常聞くのとは違うジャンルの音楽を聴くというのも、脳を活性化するひとつの良い方法だ。音楽はポジティブな感情を喚起する効果がある。
●踊る。
ダンスで新しい振り付けを学ぶことは認知力、空間認識、社交性、運動能力を向上させる。これは身体にとっても精神にとっても良い影響を及ぼす。
●キャッチボールをする。
キャッチボールは知覚、触覚、そしてこの2つを連携させる能力など、感覚神経の向上に役立つ。
●ちゃんと食べる。
しっかりとした食事は、脳の細胞に良い刺激を与える。
●水をたくさん飲む。
水分補給がしっかりしていると、細胞が適切に働いてくれる。
●お茶を一杯飲む。
冷たいのでも、熱いのでもよいので、お茶を飲む。お茶は脳に刺激を与えてくれる。
●旅行をする。
●議論をする。
友達や家族と友好的に議論を交わすことで、論理的思考や想像力を向上させることが出来る。
●ちょっと長めに寝る。
通常より一時間多めに寝る、ということを時々すると脳が若返る。これは学習速度を速めるのに効果が高い。
●昼寝をする。
10分程度の昼寝でも疲れやが取れたり、脳がすっきりしたりする。
●テレビの音を下げる。
テレビを多く見る人は、音を下げることで、聴力や集中力を高めることが出来る。
毎日同じような行動パターンを持っている人は、時にはそのパターンを破ってみると良い。そうすることで脳の働きを活発に保てる。
●新しい言葉を覚える。
新しいことを学ぶのは、それがどんなことであれ脳を健康に保つのに役立つ。新しい単語(言葉)をひとつ覚えると言うやり方は、もっともシンプルな方法だ。
●古い写真を見る。
これは、記憶を蘇らせ、脳細胞間のつながりを強めるのに最良の方法だ。
●突拍子もないことをする。
バンジージャンプや、スカイダイビング、ロッククライミングなど、普段絶対にしないような経験をすることで脳は活性化する。
●脳を鍛える。
脳トレが現在盛んであるが、これはちゃんとした理由に裏打ちされているからだ。効果がちゃんとあるので、やらない手はない。
●サプリメントを採る。
オメガ3、葉酸、ビタミンB12、コエンザイムQ10、アセチルLカルチニンなどは老化防止に役立つといわれている。
●集中力。
もっともシンプルな集中量を高めるエクササイズは座って、リラックスして、自分の呼吸に意識を集中すること。
●批判的思考を育てる。
批判的思考とは、自分や自分の周りの事柄に疑問をなげかけること、そして自分の見識の根拠を探すこと。
●哲学する。
人生に関する、大きな問いかけをしてみる。多くの場合、明確な解答を得るには至らないだろうが、これは脳にとって大きな刺激となる。
●自己肯定する。
自己肯定は自分の設定したゴールに集中するための最善の方法だ。肯定することでイマジネーションが喚起され、脳の様々な部分が刺激され、記憶力や想像力も高まる。
●思考の壁を破る。
知識の枠のなかで考えている限り、思考の壁を突き破ることは難しそうだ。しかし、『論理性を取り払って考える』ということは可能だ。
●大声で歌う。
歌うことは集中力を高めたり、ストレスを発散するのに役立つ。歌うことで、思考のような自分の内側で完結する活動から開放され、外側の活動(自分の声など)に集中でき、これが幸福感につながる。また、歌うことで記憶力も高まる。