はてなキーワード: 父ちゃんとは
いい父ちゃんやんけ! 適度に美味いもん食って頑張ってや!
それでも当たり前のように両親はとなりでセックスをしていた
俺はなんなのかよくわからないが見ちゃいけない2人だけの時間なのだと思って寝たふりをしていた
そしてそんな数年で関係が変わるわけもないので、俺が中学生になっても両親はセックスしていた
部屋は隣だったので、夜中扉を少し開けると母親の喘ぎ声が聞こえたくらいだ
おっさんおばさんになってもセックスしてるうちの両親はめちゃくちゃ仲がいいんだなぁとむしろ喜ばしくなった
冷え切った夫婦仲やら浮気のあれこれやらそういうのをテレビとかでやりまくってる中、うちの両親は今でもセックスしまくるくらいラブラブなんだぞと自慢したかったくらいだ
と言っても、複雑な家庭環境の話ではなく、単に仕事で不在がちな父親に代わって近居していたじいちゃんが父親のような役割もしてくれたという話。
特に内容は無いけど、昨日の夜、なんとなく昔のことを思い出したのでダラダラと書いてみる。特に面白いオチはない。
俺の家は両親が共働きしてる地方公務員で、二人とも結構忙しかったから小学校から帰ると自宅のすぐ近くにある母方のじいちゃん家で晩御飯~お風呂までお世話になってた。自宅には夜寝るときと朝学校に行くまでいる感じで、俺にとってはじいちゃん家の方がよっぽど自宅という感覚だった。
じいちゃんは市役所勤務を定年まで勤めあげ、当時は完全に隠居状態であり、ばあちゃんと一緒に趣味の畑仕事をしながら、俺の面倒を見てくれていた。
じいちゃんは孫の俺に甘々で、色白の俺に対して、もっと外で遊んで日焼けしろと言いながらも「色白は七難隠すといって」可愛がってくれた(この諺は女子に向かって使うものだと思うけど)。俺がピザポテト好きだと言えば毎日おやつにピザポテトを用意してくれたり、晩御飯にモスバーガー食べたいと言ったら軽トラ飛ばして買いに行ってくれたり、デパートに行ったら必ずおもちゃやデパ地下の高いジェラートを買ってくれたりした。
俺もじいちゃんによく懐いていたし、じいちゃんはいつも近所の人に自慢してた。小学校の参観日に両親が仕事で来れなかったときはじいちゃんが来てくれた。
その時の授業は保護者の似顔絵を書くというもので、なぜか俺はじいちゃんの来ていたジャンパーのファスナーを一生懸命書いたらそれが評価されて市の表彰を受けた(大した賞ではなかったけど)。じいちゃんはその話を近所の人によくしてたし、その時の似顔絵はリビングのテレビの真上に飾ってたので、いつも気恥ずかしかった思い出がある。
あと、じいちゃんは達筆で習字を教えてくれた。習字の練習中は普段と違ってすごく厳しかった。でも、一生懸命教えてくれたおかげで身に付いた字の綺麗さは今でも人に褒められることがあるし、当時は習字の表彰をたくさんもらっていた。
そんなじいちゃんだけど、俺が小学校高学年になったあたりから体調を崩すことが増え、人工透析にも通い始めるようになった。同時にばあちゃんの認知症が発覚し、母さんが仕事をセーブし始めて家のことを結構やるようになった記憶がある。中学生になってからは部活で帰りが遅くなり、じいちゃん・ばあちゃんの夕食はデイサービスの弁当配達(体調に配慮した低塩味付けのやつ)、俺は母さんや父さんが作った夕食を自分の家で食べることが多くなった。
俺が高校生になると、じいちゃんは家よりも病院に入院している時間の方が長くなり、ばあちゃんは認知症ケアの老人ホームに入居した。
じいちゃんのお見舞いやばあちゃんの老人ホーム訪問は月に2~3回は母さんと一緒に行っていた記憶がある。
最後にじいちゃんとあったのは高2の12月、部活帰りに母親と一緒に入院しているじいちゃんのお見舞いに行ったとき。
その時、じいちゃんは俺の手を取って「相変わらず色白で女の子みたいな手だな」と言って笑ってた。だけど俺からすると、大きいと思ってたじいちゃんの手はいつの間にかしわくちゃで変に黒ずんでいて冷たくて、昔のように無骨だけど大きくて温かい手じゃなくなっているのを見て、急に泣きそうになった。だけど、高校生にもなって急に泣き出すのは恥ずかしいと思い、必死で涙をこらえながら「そんなことないでしょ。部活で豆だらけだし、俺の手だって大きくなったんだぜ」と言い返すので精一杯だった。じいちゃんは笑ってた。
次の日の深夜、病院からじいちゃんが急死したと電話があった。なんとなくそんな予感はしていた。
でも、葬式では周りがビックリするぐらい泣いてしまった。今もこの日記を書きながら涙が止まらない。
今でも何か文字を書くときはじいちゃんとの習字の練習を思い出す。
俺も息子ができたが、もう少し大きくなったら習字を教えてあげようと思ってる。
自転車の前に息子を乗せて走っていたら息子に叱られた
「パパ赤信号だったよ」と
そうきたか、よくぞそこまで成長してくれてパパは嬉しい。
「あのなぁ、父ちゃんは交差点手前で減速し左右確認し安全第一ダイジョウブイなの
良い機会だから教えておくが、信号なんて守らなくていいの、まったく危険が無いのにアホみたいにボケっと青信号を待ってるような愚かな人間になりなさんな
可罰的違法性、警察比例、いずれにせよ違法性は阻却されるので心配するな。
お父ちゃんは信号が無かろうと交差点など見通しが悪ければ減速か一時停止する、自分の身の安全が第一だからだ。
だが信号があっても自分の目と頭で安全と判断して進む。それでいいのです。
これからの世界は自分で考え意思決定できる人間でなければ使役する側にはなれない。
だが、こんなことを他人には言うてはイカン、理想郷原理厨にウザ絡みされるから、面倒くさいから
世間体的にはルールは守ろうね、大事だよねと言いなさい、都合よく使い分けなさい
実際お父ちゃんの同僚でルール原理主義者の堅物が居たが青信号で横断歩道を渡っていたら左折車に轢かれて死んだ
人生なんてそんなもんだ。
ヘタに信号に従うのが習慣づくと信号のない交差点では『赤ではない』と判定し無停止進行して轢き殺される。
人間、特に子供なんて複数タスクの同時処理は無理なんだから、1シチュエーション1アクション1チェックでいいのだ
それは左右の確認、わかったね?」
と説諭したら
「わからん」と返された
俺なんか間違ったこと言ってるか?